ながらく「仏事あれこれ」の連載をしてきましたが、新年よりあらたに「くらしの仏教語」というコーナーを開設いたします。段々仏事が遠ざかっていく現代日本ですが、私たちが何気なく使っている、言葉の多くが仏教の教え、言葉に由来していることは知られていません。このコーナーでは、仏事あれこれのもとになった『仏事のイロしハ』の著者である末本弘然先生の『くらしの仏教語 豆事典』から転載して、身近にある仏教語を味わっていきたいと思います。
擬宝珠 ぎぼし (2024.11.6.更新)
橋の欄干の柱の頭部についている、丸い装飾金具をご存じですか。「ぎぼし」と呼ばれているものです。仏教が伝来して以来、寺院建築によく使われたもので、お寺の須弥壇や回廊の欄干などでもよく見られる飾りです。
仏典には宝珠と呼ばれる珠が登場します。如意宝珠とも呼ばれ、思いのままに、欲しいものを出す珠で、病苦を除き、濁水を澄ませ、禍を絶つ力を持っているといわれるものです。
丸い珠で頭がとんがっており、左右から火焔が燃え上がっている形をしています。
この宝珠に似せてあるもので、橋や回廊の欄干などにつける飾りを擬宝珠と呼び、それが「ぎぼし」になりました。
擬宝珠というユリ科の多年草があります。夏に淡紫色の花を咲かせます。またネギの花(ねぎぼうず)もこう呼ぶのだそうです。
あらためて橋の「ぎぼし」をご覧になってはいかがですか。
喫茶 きっさ (2024.10.7.更新)
日本臨済宗を開いた栄西禅師に『喫茶養生記』という著書があります。
それによると「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。山谷にこれを生ずれば、その地神霊なり。人倫これを採れば、その人長命なり。天竺唐土同じくこれを貴重す。わが朝日本かつて嗜愛す。古今奇特の仙薬なり。」といっています。
これを見ると、茶は専ら、養生-除病・長命の薬だったようですね。
茶そのものは、早くから日本に伝えられていたようですし、喫茶という言葉も仏教独特の言葉ではありませんが、禅師が茶をすすめて、源実朝の熱病を治したことがあってから、喫茶が世に広く行われるようになったようです。
そういえば、茶の種子の輸入、栽培、茶会などに多くの僧の名前が登場したり、玄慧著の『喫茶往来、「喫茶去』という公案、「遇茶喫茶、遇飯喫飯」「日常茶飯」などのように、喫茶に関係ある語も多く、喫茶は仏教によって普及されたようです。
では、この辺でお茶にしましょうか。
機嫌 きげん (2024.9.6.更新)
「ごきげんよう」「機嫌をとる」「機嫌をなおす」「ご機嫌うかがい」とか、「彼女はご機嫌ななめ」などと、機嫌は気分のよしあしをいう日常語として、一般によく使われています。
機嫌は「譏嫌」と書き、仏教語でした。譏嫌とは、譏は「そしる」、嫌は「きらう」という意味ですから、他人をそしりきらうこと、世の人たちが嫌悪することにをいいました。
仏教の戒律の中に、譏嫌戒という戒めがあります。たとえば「酒を飲むな」「五辛を食うな」など、行為それ自体は罪悪ではないが、世の人たちからそしり嫌われないために制定されたそうです。人が不愉快に思うことをしない、という戒律でしょう。
「譏嫌を護る」という語句も仏典にあります。他人のそしり嫌うことしないという意味で、現在用いられている「機嫌をとる」と同じだということです。
仏教語が一般に使われ、気分とか心持ちの意味に変化していきました。
祇園 ぎおん (2024.8.10.更新)
京都の三大祭りの一つ、祇園祭りは、華麗な山鉾巡行でにぎわいます。祇園といえば、だらりの帯の舞妓さんを連想したり、『平家物語』の一節を思い浮かべたりする人もいることでしょう。
インドの舎衛国に一人の富豪がいました。孤独な人を哀れみ施しをしたので、給孤独長者と呼ばれていました。長者はお釈迦様に深く帰依し、寺院を寄付したいと探し回って見つけた土地が、祇陀太子の土地でした。太子は、土地に金貨を敷き詰めたら譲ろうと、冗談で言ったところ、長者はその通り実行し始めたので、太子は驚き、長者の熱心さにうたれ、土地を譲り、自らも樹木を寄付して寺院建設に協力しました。この由来から、寺院は両者の名をつけて、「祇樹給孤独園精舎」ー略して祇園精舎といいました。
京都の祇園は、平安時代に藤原基経が牛頭祠を建て、祇園精舎の故事にちなんで祇園社と名づけたところから始まったのです。
甘露 かんろ (2024.7.9.更新)
のどが渇いた時、冷たいビールや水を一気にのめば「甘露、甘露」と叫びたくなりますね。一般においしい飲み物を甘露といいますが、「甘露水」以外にも「甘露煮」や「甘露梅」などのように甘い食べ物にも使われる言葉です。
甘露は、天から与えられる甘い不老不死の霊薬で、中国古来の伝説によると、天子が仁政を行えば、天から降るといわれているものです。
インドではサンスクリット語で「アムリタ」といい、神々が飲む不老不死の霊液で、これを飲むと苦悩が去り、長寿になり、死者をも蘇らせるといいます。そこから仏の教え、仏の悟りを表すたとえの語になりました。
『今昔物語』に「我、甘露の法門を開いて、彼の亜羅邏仙を先ず度せんと」とあるのをじめ、甘露法雨、甘露城、甘露王などの語があります。
お釈迦様が誕生のとき、天界の竜王が下界して甘露をそそいだという伝説から、四月八日の灌仏会には、誕生仏に甘茶をかけるようになったということです。
では、甘茶を一パイ。
看病 かんびょう (2024.6.7.更新)
病人を看護することを看病というのは、誰でも知っていますが、これが仏教からきた語であることを知っている人は少なく、むしろ死んでからが僧の仕事だと思っている人さえいます。
ところが『大言海』には「僧侶の説法・呪法などして病者をに癒すこと」を、看病の意味に挙げています。
『梵網経』には「看護福田は第一の福田なり」と、看護が仏教の重要な行いであることを説いています。
仏教の修行者のことを看病者というぐらいです。
「ビハーラ」とか「ホスピス」という語があります。それは「病院で見放された治る見込みの少ない人々を、さまざまな苦しみや死の不安から解放するために、一人の病める人間としてあたたかく看護し、最後の一瞬まで精一杯生きることを援助する、一つの全人的な看取りの運動、施設、心を意味する」と、ビハーラ講座で教えられました。
仏教を通じて終末期ケアにあるた特別養護老人ホーム「ビハーラ本願寺」が京都府城陽市に建設され、2008年から事業開始です。
観念 かんねん (2024.5.14.更新)
「また遅刻か。君は時間の観念がないぞ」
「もうこの辺で、観念したらどうかね」
観念は見解や思い、覚悟やあきらめを意味する日常語です。とくに、西洋哲学がわが国に輸入され、ギリシャ語の「イデア」を観念と訳してからは、経済観念、善悪の観念、観念論など、さまざまな分野で用いられるようになりました。
この観念は仏教語で、「観念し思念すること」という意味です。真理や仏の姿などを、心を集中して思い浮かべて深く考えることです。
そのことによって、自分を仏に近づけようとする修行が、インドでは古くから行われたといいます。
阿弥陀仏や極楽浄土の相を観念する観想の念仏に対して、法然聖人は「観念の念にもあらず」と述べ、「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏を説かれました。
六月十日は「時の記念日」です。時間の観念のない人は、この情報化社会で取り残されてしまいますよ。
堪忍 かんにん (2024.4.5.更新)
徳川家康の『人生訓』の一つに「堪忍は無事長久の基」とあります。「ならぬ堪忍するが堪忍」「堪忍袋の緒が切れた」「堪忍してください」と、堪忍は、堪え忍ぶこと、我慢すること、怒りをこらえて他人の過失を許すことを意味する言葉です。
私たちの世界は、苦しみや悩みが満ち満ちていて、人は堪え忍んで悪をなし、菩薩は教化のために堪え忍んで苦労しておられるので、現実の世界を、堪え忍ぶ世界という意味の「堪忍世界」とか「堪忍土」といいます。
また、堪え忍ぶという意味のサンスクリット語「サハ―」から、娑婆世界とも呼んでいます。
菩薩の十地(菩薩の修行の位を十の段階に分けたもの)の第一は「堪忍地」で、菩薩がこの位に達すれば苦悩をよく堪え忍ぶといいます。
このように、堪忍は仏典にしばしば登場します。
最近は、何事につけても、すぐにカーッとなって「キレる」人が多いようですが、心を大きくもって、ぐっとこらえましょう。「堪忍は一生の宝」といいますからね。
観察 かんさつ (2024.3.6.更新)
「自然を観察する」「子どもの行動を観察する」「動物の生態を観察する」「観察力が鋭い」「観察眼を養う」「観察記録をつけよう」など、観察は、物事を詳しく見て調べること、物事のありのままの現象を、客観的に、注意深く見きわめることを意味する日常語です。
仏教では「カンザッ」と読み、智慧によって対象を正しく見きわめることを意味します。
お釈迦様は、自分を含めた世界を観察思惟し、そのあるべき姿を説かれたといわれています。
善導大師の『観経蔬』には、五種の正行が説かれていますが、その中に「観察正行」があります。一心にもっぱら浄土の阿弥陀仏や、その浄土のありさまに心をそそいで、それを観察し、常に思うことと説明されています。
その他にも、観察時衆、観察得失など、観察という語は仏典に多く出てきます。
観察は智慧によって行うものですから、物事を見るときには、私情や主観をまじえないで、あるがままに、観察してもらいたいものですね。
寒苦鳥 かんくちょう (2024.2.5.更新)
寒くなってきましたね。そこで今回は、想像上の鳥・寒苦鳥のお話しを一席。
「ヒマラヤの中腹に気候の良い地域があった。そこに住む鳥は、花を求めてその香に酔い、木陰に休んで木の実を食べ、一日中遊びにふけった。ところが、日が西に沈み、やがて山上から肌をさすような冷たい風が吹いてくると、枝の上の鳥は、帰り住む巣を造っていなかったことに気づき、「夜が明けたら巣を造ろう」と悲しげに鳴いたという。
しかし、朝がきて明るい日ざしにつつまれるころになると、もう夜の寒さに悲しんだことも忘れて、一日を遊び暮らし、日暮れとともにまた、寒さの中で鳴かねばならなかった」と、紹介されています。
夜には「夜が明けたら巣を造ろう」と鳴き、昼には「無常の身だから巣など必要ない」と鳴くこの寒苦鳥を、仏教では、人間のなまけ心、仏道を求めない心にたとえています。
みなさん、冬の準備はできましたか。
歓喜 かんき (2024.1.7.更新)
年末には、よくベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されますね。終楽章の合唱の歌詞は、シラーの詩「歓喜に寄す」です。これを聞かないと、年が越せないファンもおられます。
普通、歓喜は「かんき」と読み、たいへん喜ぶことを意味しますが、仏教語としては「かんぎ」と読み、宗教的な満足を、全身心をあげて喜ぶことを意味します。
仏典には、仏の教えや仏の名号を聞いて、歓喜踊躍することがよく説かれています。
信心歓喜といえば、本願を信じて喜ぶことを表します。空也や一遍などは、その喜びをおどりに表しました。
菩薩の歓喜地、歓喜光、歓喜会など、歓喜のつく仏教語は数多くあります。
親鸞聖人は、「歓は身をよろこばせ、喜は心をよろこばせることで、歓喜は、往生が確かに得られると信知して、結果を得る前から、あらかじめ喜ぶ心」であると「一念多念証文」の中で説かれています。
皆さん、歓喜にあふれた生活を送りたいものですね。
瓦 かわら (2023.12.12.更新)
本願寺の御影堂平成大修復が完成し、お堂の屋根には、十一万五千余の真新しい瓦が葺き上げられ、新しい伽藍輝く御影堂の全容が姿を現しています。
昭和六十年(1985)に、阿弥陀堂の昭和修復事業が完成していますので、このたび両堂そろって真新しい瓦葺きの堂宇がそびえたつことになりました。
この瓦は、サンスクリット語の「かぱーら」を音写したもので、日本へは、飛鳥時代に中国から百済を経て、仏教伝来とともに伝えられ、寺院の屋根に用いられました。
当時の記録によると、「百済から瓦博士が来た」とか、「瓦葺きといえば寺院を意味した」とか伝えられています。
寺院建築用だった瓦は、やがて官庁や民間の一般住居にも普及していったのですが、その製造技術も中国に劣らないものとなりました。
伽藍堂 (2023.11.9.更新)
広い場所に誰もおらず、何もない空虚なさまをよく「がらんどう」といいます。
伽藍は、サンスクリット語の「サンガ―ラーマ」を音写した「僧伽藍摩」の上下が省略された語で、精舎と訳されて、「僧たちが集まって修行する、清浄閑静なところ」という意味です。
いつもは布教伝道の旅に出ている僧たちが、一年に一度、雨季に精舎に集まり、お釈迦様と共に修行のまとめ(それを雨安居といいます)をしました。竹林精舎や祇園精舎が有名です。
「奈良七重 七堂伽藍 八重桜」と歌われているように、中国や日本では七つの堂を備えたものを一伽藍といいました。「がらんどう」は、伽藍の内部が広々としていたのでしょう。
また、伽藍堂は、寺院を守護する神(伽藍神という、たとえば興福寺の春日神社、延暦寺の山王権現)をまつった堂のことにをいったという説もあります。
我慢 (2023.10.6.更新)
阪神・淡路大震災のとき、ワシントン・ポスト紙は「多くの被災者のキーワードはガマンだ、ガマンとは困難に耐える意味の日本語で、ここでは大切な美徳なのだ。市民たちはお互いに、我慢、我慢と助け合って苦難を乗り越えようとしている。」と伝えました。
我慢は、辛抱すること、堪え忍ぶことを指し、よい意味に用いられています。
この我慢は、仏教語なのですが、あまりよい意味ではないのです。自分の中心に「我」があるとの考えから、我をたのんで自らを高くし、他をあなどることと説明しています。仏教では、そのようなおごりたかぶる心を七つ挙げ、「七慢」と称していますが、我慢もその一つです。
それが、我が強い、負けん気が強い、がんばる、辛抱するなどと変化したようです。それにしても良くない意味の語が、よい意味の語に変化していったのはおもしろいですね。
果報 (2023.9.13.更新)
「果報は寝て待て」という諺があります。幸運を求めるにはあせってはいけませんよ、待っていれば自然とやって来るものです、という意味なのでしょう。また運が強く、幸せな人のことを、よく果報者といったりします。
仏教では因果応報の理を説いています。因果とは原因の「因」と結果の「果」ですから、人の行いや考えの善悪に対して、必ずそれに応じた結果があることをいっているのです。善因善果、悪因悪果がそれです。ですから、果報とは「報いとして受ける結果」のことをいいます。
一般に使われている果報は、幸せな善い結果の場合だけのようですが、本来の果報には善果も悪果もあります。
しかも、それはあなたの行動や考え方によると説かれいるのですから、寝て待っているだけではどうもいけないようですよ。
葛藤 (2023.8.14.更新)
「心の葛藤」といえば、心理学の用語として有名です。心の中に、それぞれ違った方向あるいは相反する方向の力があって、その選択に迷う状況をいいます。これが問題なのは、現代社会の中で増大しているいろいろな形の神経症や異常な性格形成の素因と考えられるからだそうです。
葛藤は「かずら」と「ふじ」です。ともにつる草で、絡まり合ったり、まとわりついたりするので、一般には、悶着・相克・抗争の意味に使われ、欲求の心中での対立という心理学の用語となりました。
仏教では、このつる草が樹にまとわりついて、ついには樹を枯れ死させてしまうように、人が愛欲に堕すると、自滅してしまうと教え、愛欲煩悩を「葛藤」にたとえています。
禅で、文字・言句のみに捉われることにたとえています。そして、このように絡み合っているところを、一挙に断ち切る一句を「葛藤断句」といいます。
我他彼此(がたぴし) (2023.7.10.更新)
「雨戸がガタピシする」などと、戸や障子などの建付けが悪く、騒々しいことを「ガタピシ」といいます。現代の建築では、もうそんなことは少なくなったと思っていましたが、耐震強度偽装事件が発覚し、ガタピシ程度ではなくなってしまいました。
最近の悲惨な事件をみると、人間関係がギクシャクしているところから起こった事件が多いようです。そのような人間関係や、または、会社や組織などの運営が円滑にゆかないことも、「ガタピシ」しているといいます。
この「ガタピシ」は擬音語と思われますが、漢字で書くと「我他彼此」で、仏教語なのです。
自分と他人や、あれとこれというように、物事を対立してとらえることで、これを「我他彼此の見」といいます。そこからさまざまな衝突や摩擦が生じて、円滑を欠く状態となるのです。
仏教は「此あるが故に彼あり」というように、相互関係を重視した教えです。ですから、人間関係や組織運営など、相互関係を大切にしたいものですね。
呵責 (2023.6.7.更新)
「良心の呵責に堪えかねて」などと使われるように、呵責は、厳しく責めさいなむことを意味する日常語として知られています。
この呵責は仏教語で、仏典にもよく出てきます。修行僧の守るべき規律を記している律蔵の中に、修行僧がそれを破った時の治罰する方法の一つとして、衆僧の面前で呵責することが挙げられています。つまり、お釈迦様は、その僧を責め叱りつけ、非難されるのです。
その意味では、現在使われている呵責の意味と同じだったといえますね。
お釈迦様は、おだやかで優しい人だったと伝えられています。しかし、叱るべきときには、きちんと厳しく叱りつけられたのでした。
最近、少年少女の非行がよく問題にされていますが、このようなお釈迦様の態度を参考にされてはいかがですか。
過去・現在・未来 (2023.5.7.更新)
過去・現在・未来は、時の流れを表す日常語です。
仏教では、これを「三世」といいます。過去は過ぎ去ったもの、現在は生起したもの、未来はいまだ来ないものという意味です。
三世は過去・現在・未来のほかにも、前世・現世・後世ともいい、略して「過現未」とか「已今当」ともいいます。
しかし、これらの言葉には、どこにも「時」という語が見当たらないのです。
それは、仏教では、時間というものを実体としてあつかわず、存在するものの変遷としてとらえられるからなのです。その過程の上に、仮に三つの区別を立てているにすぎないと説きます。
仏教は、その三世の中でも、現在を問題にします。
それは、過去は現在の原因として、未来は現在の結果としてあるものだから、現在がすべてだ、と考えるからです。
お寺の門の脇の掲示板に、こんな言葉を見つけました。
「過去を悔いず、未来を待たず、現在を大切にふみしめよ。」
学生 (2023.4.10.更新)
新学期が始まり新しい学生さんが、次々に大学の門を入っていきます。
仏教では、「がくしょう」と読み、「学匠」とも書きます。
もとは寺院に奇遇(仮住い)し、仏教以外の学問を学ぶ者に名づけられたようですが、日本仏教界では、仏教を学ぶ者に用いています。
真言宗の金剛業学生、胎蔵業学生や、海を渡って大陸に学ぶ人をに留学生、学んで帰国した人を還学生という具合です。
学者も学徒も、もともと同じ意味でした。
比叡山(天台宗)を開いた伝教大師は、山内で学問する学生たちの学則ともいえる『山家学生式』を著しています。
比叡山の衆徒は、学生である大衆と、一山の雑務を担当する堂衆とに分かれていました。
親鸞聖人は堂僧であったと伝えられています。常行堂に奉仕しながら、常行三昧を修める不断念仏僧だったようです。
いずれにしても、学生とは学問に従事する生徒のことですから、しっかり学問してくださいよ。
覚悟(かくご) (2023.3.6.更新)
一般に覚悟といえば、あらかじめ心構えをすることや、心の用意をするという意味で使われています。
また「覚悟しろ」などという場合は、あきらめることや観念することのようです。
『広辞苑』によると、覚悟は①(仏教語)迷いを去り、道理をさとること、②知ること、③記憶すること、暗誦すること、④心に待ち設けること、心がまえ、⑤あきらめること、観念すること、と説明しています。
これをみますと、まず第一に仏教語としての意味を挙げているように、覚悟は「さとり」を基本とした仏教語だったのですね。
本来、覚悟は眠りからさめること、目がさめていることを意味する言葉ですが、もともと、「覺」も「悟」も「さとり」ということですから、迷いを去り、真理を体得し、さとりの智慧を得ることを意味する仏教語なのです。
しかし一般では、仏教語としての意味で使われることは、少ないようですね。
餓鬼(がき) (2023.2.10.更新)
「がき大将」で代表されるように、ガキは子供のことをいささかいやしんで呼ぶときに使われています。「うちのガキが学校でね」という具合です。
餓鬼とは、本来、人間がこの世で行った行為の報いとして、次の世に受ける六つの世界六道、つまり地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の一つで、この世での「むさぼり」の報いとして、飢えや渇きの苦しみが満ちた餓鬼道に落ちた者をいいます。
お盆は、餓鬼道に落ちていた目連尊者の母親が、救われて天上界に上がる物語からはじまったと伝えられています。
ところで、餓鬼に無財餓鬼と有財餓鬼とがあるそうです。無財餓鬼はわかるのですが、有財餓鬼とは? 裳の金があればあるほど、いっそう欲が深くなり、渇望が強くなって苦しむとか…。
また、子供のことをなぜガキというのでしょうか。育ち盛りの子供は、いつもお腹をすかせてガツガツ食べるからだとか……。
開発(かいほつ) (2023.1.18.更新)
国土開発・電力開発・産業開発・技術開発などと使われているように、開発とは、山地などを切り開いて、天然資源をとり出し、産業をおこして、生活に役立つようにすることや、知識をひらき導くことを意味している日常語です。
教育界では、生徒の自発的な学習をうながすような教育方法を指しています。その開発が仏教語なのです。
仏教では「カイホツ」と読み、他人にを悟らせること、自らの仏性をうち開くことにをいいます。
人間にはだれでも、仏性といって仏になる可能性(タネ)が秘められているとされています。それを開き、明らかにすることをにいうのです。
人間の心の内を「カイホツ」する仏教語が、天然資源などを「カイハツ」する日常語となって一般化していきました。
海潮音 (2022.12.19.更新)
みなさんは、ヴェルレーヌの「秋の日のヴィオロンの…」とか、カール・ブッセの「山のあなたと空遠く…」の詩をご存じですか。この有名な詩は、上田敏の訳詩集『海潮音』に収められています。『法華経』に「妙音観世音、梵音海潮音、かの世間の音に勝れり」とあります。上田敏は、このお経の文句から『海潮音』という題名をつけたのだそうです。
「梵音」とは清らかな音声、尊い御声で、仏の声を称えていったもので、「海潮音」は、音の大きいのを海潮にたとえていったものですから、仏の真理の言葉は、大きく遠くまで伝わることを意味しています。
また一説によると、仏・菩薩の説法が、衆生の必要に応じて、時をたがわずなされることを、海水が時を定めて潮の満ち引きをするのにたとえられたものという解釈もあります。
久し振りに『海潮音』の詩を読んでみましょうか。
懐石 (2022.11.10.更新)
懐石料理といえば、茶席で招待した客に茶をすすめる前に出す手軽な料理のことで、茶懐石とも呼ばれています。
仏教では、インド以来「非時食戒」(ひじじきかい)という定めによって、修行僧は正午から翌日の暁まで、食事を禁止されていました。現在でも南アジアでは、厳守されている定めです。
仏教が北方地方に広がってくると、修行僧はあたためた石を布に包んで腹に入れ、飢えや寒さを防いだのでした、これを薬石といいます。
後に禅宗では晩に粥を食べたところから、一般に夕食のことを薬石と呼んでいますが、それは僧が健康を保つための薬という意味なのです。
あたためた石を懐に入れて腹をあたためる程度に、腹を満たす料理という意味から、懐石料理となりました。
懐石料理を食べるときには、昔の修行僧のことを思いだしてはいかがですか。
隠密 (2022.10.6.更新)
隠密はテレビの時代劇によく登場します。江戸時代の忍びの者のことであることは、よくご存じでしょう。伊賀者や甲賀者で代表されるように、もっぱら密偵を仕事とするスパイです。江戸幕府では表向きの監視役である目付に対し、隠し目付・忍び目付と呼ばれる蔭の監視役でした。
仏教では、仏の教えの本旨が経典の表面に明瞭に説かれている教えと、表に出ないで、言説の奥に内深く隠されている真意があるといいます。
前者を「顕彰」といい、後者を「隠密」といっています。
『教行信証』に「観無量寿経を按ずるに、顕彰、隠密の義あり」とあるのがそれで、『観無量寿経』のお経の文面だけを見ると、定散諸行と自力念仏の教えが説かれています(顕彰)が、その奥には他力念仏が明かされてある(隠密)ことをいうのです。
億劫 (2022.9.9.更新)
めんどうくさくて気の進まなぬことをよく「おっくう」といいますが、これは仏教語の億劫がなまったものです。
「劫」とは仏教でいう極めて長い時間で『雑阿含経』にある「芥子劫」と「盤石劫」が代表的です。
芥子劫とは四方と高さが一由旬(古代インドの距離の単位で、帝王の一日の行事の距離とか牛車の一日の旅程、約60キロか)の鉄城に芥子が充満し、100年に一度、一粒ずつ持ち去って、すべてがなくなっても劫は終わらないといい、盤石劫とは一由旬四方の大石があって、男が白もうで100年に一度その石を払い、石が磨滅しても劫は終わらない、と説明しています。
億劫はその一億倍ということですから、気の遠くなるような時間です。『教行信証』に「真実の浄信は億劫にも獲がたし」の億劫がそれです。
そんな長い時間を考えるのは、面倒なのか。気の進まぬ仕事は時間がかかるのか、とにかく億劫が「おっくう」になりました。
和尚 (2022.8.15.更新)
「山寺の和尚さんが…」と、童謡にも登場する和尚さんは、僧を親しんだ呼び名として、おなじみになっています。その読み方も、「おしょう」「わじょう」「かしょう」と宗派によってさまざまです。
この和尚の原語はサンスクリット語で「ウバ―ディャーャ」であり、その俗語「オッジャー」を音写した語で、先生とか、親しく教えてくれる師匠とかの意味です。インドの宗教界で広く用いられ、仏教にもとり入れられました。
その後、中国では、弟子をとる資格のある僧、弟子に戒を授ける師の呼称として用いられました。
日本では、朝廷が僧侶の官位を示す語として採用され、やがて広く高僧に対する尊称となりましたが、今では僧一般を親しく呼ぶ語となっています。また、武道や芸道などの師匠のことや、上席の遊女のことを和尚と呼んだこともあったようです。
お陰様 (2022.7.18.更新)
「お陰様で」は、感謝の心を表す日常語です。お蔭とは、神仏の助けや加護のことで、そこから、人から受ける恩恵や力添えをいうようになりました。
王舎城に住んでいたシンガーラカは、亡父の遺言によって、毎朝、東西南北と上下の六方に礼拝をしていましたが、意味は十分理解していませんでした。
お釈迦様は彼に対して、こう教えました。
「東方を拝むときは、私を生み育ててくださった父母に感謝し、南を拝むときは、私を導いてくださった師に感謝し、西方は妻や子に、北方は友人に、上方は沙門に、下方は目下のもののご苦労に感謝せよ。それが六方を礼拝する合掌の意味である。」
この説法は「シンガーラカへの教え」(『六方礼拝経』と漢訳)といい、在家向けの倫理道徳を説いたものとして、原始経典中、重要なものとなりました。
仏教は、すべてのものは相互に関係しあい、多くのものの力、お陰、恵みにを受けて生きていると説きます。だから、当然、これらに感謝しましょう。
大袈裟 (2022.6.5.更新)
「あの人のいうことは、大袈裟だよ」というように、大袈裟といえば、実際よりもたいへんなようにいうさま、誇大とか、おおぎょうを意味する言葉です。
袈裟は、僧が衣の上につけている法衣のことですから、大袈裟とは文字通り、大きな袈裟のことです。
お釈迦様の時代には、道端に捨てられている布切れを拾ってつなぎあわせて衣を作りました。これを糞掃衣といいました。衣はきわめて粗末な衣服だったのです。
その後仏教が中国・日本に伝来してから、袈裟は、華美で装飾的なものとなり、儀式用に着用されるようになりました。僧がそのような大きな袈裟をぎょうぎょうしく掛けている様子から、規範の大きいこと、おおぎょうなことを意味するようになりました。
また、大きく袈裟がけに斬りおろすことも、大袈裟と呼んでいるようです。
往生 (2022.5.8.更新)
今度の事件は往生したよ、往生際が悪い、交通渋滞で車が立ち往生してしまった、などと、往生という言葉は、どうしようもなく困った時や、物事がゆきづまった時など、あまり良い意味には使われていないようです。一般に「往生した」といえば、「死んだ」という意味です。
もともと往生はこの世の命が終わって、他の世界に生まれることを言う言葉でしたが、浄土思想の発展によって、穢土を去って仏の浄土に生まれることを意味するようになりました。
極楽浄土に往って生まれるから「往生」なのです。
阿弥陀仏の浄土は完全に煩悩が寂滅した世界ですから、生まれるとただちに仏になるので、往生則成仏といいます。
お領解文に「往生一定」とあるのは、極楽に往生するのはまちがいないという意味ですから、本来は大変有難いことなのです。
閻魔 (2022.4.10.更新)
久しぶりに「地獄八景亡者の戯」という長い落語を聞きました。地獄という奇抜な設定ながら、現代を風刺した噺です。
その中での圧巻は閻魔大王が登場する場面で、演者がものすごい形相の閻魔顔になると拍手が起こります。
閻魔はサンスクリット語「ヤマ」の音写語で、もともと、インド古代神話の神でした。人類最初の死者といわれ、死者の楽園の王でしたが、のちに、死者の魂を死者の国へ連れていく神となり、やがて、死者の審判をするようになりました。
地蔵信仰などと交りながら中国に入ると、さらに道教の俗信仰が加わって、十王の一に数えられ、おなじみの姿になりました。
閻魔は、閻魔の庁で閻魔の卒を従え、閻魔帳(学校の先生も持ってますよ)を見ながら、浄玻璃の鏡に写し出される死者の生前の罪を裁いています。
交通地獄、受験地獄に加えて汚職事件の多い日本です。閻魔様もお忙しいことでしょう。嘘をついてくれぐれも閻魔さまに舌を抜かれませんように。
演説 (2022.3.9.更新)
選挙です。選挙といえば演説です。全国各地では、連日、数多くの選挙演説が行われます。
仏教では、教えを演べ説くことを演説といいます。ですから、演説はいろいろな仏典に登場する語です。
例えば「世尊、我等を哀愍して演説し給へ」(『華厳経』)、「仏、一音を以て法を演説したもうに」(『維摩経』)、「世尊、法を演説し」(『法華経』)、「一切の経典を宣暢し演説す」(『無量寿経』)という具合です。
いずれも、お釈迦様が真理や道理を、人々に説きあかしているのです。
そこから、多くの人びとの前で、自分の主義や主張や意見を述べることをいうようになったようで、街頭演説、応援演説、演説会場、演説口調など、すべてこの意味です。
また、講義し演説することを、講演ともいい、これもまた、日常よく使われる言葉です。
選挙中の候補者や応援弁士のみなさん、演説とはこんな意味ですので、ぜひ真実を説きあかしてください。
縁起 (2022.2.10.更新)
チューリップの花は、その球根から咲きます。球根が原因(因)で花は結果(果)です。
しかし、球根だけでは花は咲かず、温度・土質・水分・肥料・日光・人間の細心の手入れなど、さまざまな条件(縁)が球根にはたらいて花は咲くのです。
このように、すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、それらを因縁生起=縁起というのです。現実には、因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっています。
『阿含経』「これある故にかれあり、これ起こる故にかれ起こる、これ無き故にかれ無く、これ滅する故にかれ滅す」とあります。
日常、よく「縁起が良い、悪い」という言葉を聞きます。吉凶のきざしという意味なのでしょうが、本来は、他の多くのものの力、恵み、お蔭を受けて、私たちは生かされているという、仏教の基本的な教えなのです。
衣鉢を伝える(えはつをつたえる) (2022.1.13.更新)
「衣鉢を伝える・衣鉢を継ぐ」とは、一般に宗教や学問、芸能、技術などの奥義を、師が伝え、弟子がそれを受けるという意味で使われている言葉です。さらに、故人の遺志を継ぐ、跡目を相続する場合にも使われています。
インド仏教では、修行僧の基本的な持ち物を「三衣一鉢」といいます。三種類の衣(正装用の大衣・礼拝や聴講用の上衣・作業や就寝用の下衣)と一つの鉢(食器)で、これが僧の私有財産です。
こんな故事があります。お釈迦様の弟子の迦葉が、お釈迦様からいただいた衣を、やがて世に出る弥勒仏に伝えようとして故事。
禅宗の始祖、達磨大師が二祖の慧可に法を伝えたとき、その証拠として衣鉢を授けたという故事。
このような故事から、「衣鉢を伝える」とか「衣鉢を継ぐ」という言葉が生まれ、それが一般に広がっていったようです。
懐兎(えと) (2021.12.10.更新)
中秋の名月です。月にはウサギがいるといいます。そこで今回は『ジャータカ物語』から「月とウサギ」のお話を一席。
昔、森の中にウサギとサルと山犬とカワウソが仲良く暮らしていた。ある日、修行者が托鉢に来て、食物を乞うた。カワウソは赤魚、山犬は肉と大トカゲと牛乳、サルはマンゴーの実、それぞれがその日手に入れた食べ物を布施した。
しかし、ウサギは施すものを持つていなかった。
「あなたは薪を集めて火をおこしてください。私はその火の中に飛び込みます。私の体が焼けたら、その肉を食べて、修行に励んでください。」
しかし、薪の火はウサギを焼かなかった。修行者の姿に身を変えて、ウサギの気持ちを試した帝釈天は、この立派な行いが世界中に知れ渡るようにと、山を押しつぶして出た汁で、月面にウサギの姿を描いた…という。
インドの人は月のことを別名「兎をもてるもの」「懐兎」と呼んでいます。
会釈 (2021.11.10.更新)
普通、ちょっと頭を下げて軽くおじきをすることを「会釈をする」といいます。
しかし、本当はもっと深い意味があるのです。
お釈迦様の説法は、対機説法(相手の素質に適した法を説く)とか、応病施薬(相手の病に応じて薬を与える)とかいわれるように、たいへん広いものなので、その中には、一見矛盾しているように思われる教えがあります。
そのときそれらの相違点を掘り下げ、その根本にある、実は矛盾しない真実の意味を明らかにすることを、「会通」とか「会釈」というのです。
そこから、あれこれ思い合わせて、納得できるような解釈を加えることや、いろいろな方面に気を配ること、儀礼にかなった対応をすることなどの意味を経て、今のような使い方になったと考えられています。
有無 (2021.10.7.更新)
「所詮、有象無象の集まりだよ」などというように、有象無象は世の中にいくらでもいる種々雑多な、つまらない人間を意味する語句です。
「責任の所在がうやむやになる」という「うやむや」は、いいかげんなこと、曖昧なことを意味します。また「有無を言わせない」とは、つべこべ言わず、いやおうなしに、という意味で一般に使われています。
仏教では、有象無象は「有相無相」とも書き、有形無形の一切のもの、森羅万象をいうのです。
お釈迦さまの頃のインドでは、物質には実体が有るか無いかなど、いろいろな命題をめぐって、有無の論争が展開されていました。つまり「有耶? 無耶?」と問うのです。
これに対して、お釈迦さまは、有に固執する常見も、無に固執する断見も、ともに偏見だとして、中道に帰することを説かれました。つまり、「有無を言わせない」教えでした。『正信偈』にも「悉能摧破有無見」とあります。
仏教の語句から一般の日常語になったのですが、ずい分違った意味になるものですね。
有頂天 (2021.9.9.更新)
得意の絶頂になっていることを「有頂天になっている」といいます。喜びに夢中になって、他をかえりみない状態のことをいうのでしょう。
仏教では、迷いの世界を六つに分けて六道と呼び、その一番高いところが「天」の世界です。この天の世界もいくつかの段階にに分かれていて、それぞれに名前がついています。三界二十八天というのだそうです。
その天の世界の中で、頂上に位置する天を、非想非非想処天といい、あらゆる存在者にとって最高の境地なのです。だから、この天は、存在者、つまり有の頂上にある天という意味で、有頂天と呼ばれています。
「有頂天に上りつめる」という意味から「有頂天になる」となったそうですが、有の最高の天とはいっても、まだ悟りの世界ではないので、あまり得意になっているとすべり落ちてしまいますぞ。
浮世 (2021.8.13.更新)
みなさんは歌麿や北斎、広重などの「浮世絵」や、西鶴の「浮世絵草子」をご存じですか。江戸時代に、当世流行の風俗や世態を題材とした絵画や小説です。
浮世とは、当世風とか風流とか好色とかの意味のようです。式亭三馬の滑稽本「浮世床」「浮世風呂」や邦楽の一種「浮世節」など、浮世と名のつくものがいくらでもあります。
古くは「憂世」と書かれていたようで、定めのないはかない世、栄枯盛衰のはげしい無常の世、憂苦に満ちた世界という意味で、この俗世間のことでした。「浮世の風」などはそれを表しています。
近世になって、はかなく定めがないのだから、深刻に考えないでウキウキと享楽的に生きるという考え方が加わってから、浮世と書かれる方が多くなり、現世、当世の意に用いられるようになりました。
皆さんにとって、この世は憂世ですか。それとも浮世ですか。
有為転変 (2021.7.7.更新)
「有為転変の世の習ひ、今に始めぬ事なれ共、不思議なりし事ども也」
『太平記』に出てくる有名な文です。
有為は「作られたもの」という意味です。さまざまな因と縁との和合によって生じた現象のことですから、有為は絶えず消滅して無常なのです。
いろは歌にある「有為の奥山」というのは、このような無常の世を脱することの難しさを深山にたとえています。
そして、これを超えた常住不変の絶対的存在を、無為といいます。
転変は「うつりかわること、変化すること」をいいますから、有為転変は、因縁によって生起した一切のものは移り変わっていることで、諸行無常と同じ意味をもつ言葉です。
日本でも時代の移り変わりにを実感する今日この頃ですが、世界はそれにもまして激動の時代に入っているようです。
世の中は何か常なる飛鳥川
昨日の淵ぞ今日は瀬になる 『古今集』
引導 (2021.6.6.更新)
「引導を渡す」という言葉があります。あきらめ切れないで迷っている人に、最後的な言葉を言い渡して、覚悟をきめさせ、あきらめさせるという意味なのでしょう。
葬式のとき、死者が迷わぬよう、僧が法語を与えることを引導といいます。死者を仏界に導くという意味で、禅宗では、このとき「カッ」と大声を発するのはよく知られています。
死者に対する引導の儀式は、浄土真宗では行いませんし、宗派によっても種々に異なっているようです。
本来、引導とは、誘引開導の意味で、人々を教え導いて、仏の道に引き入れることをいいます。
「衆生を引導する」と仏典によく出てくるように、迷っている人々を、仏道に導くことなのです。
その意味では、死んでからではなく、聞法は生きている間にと思うのですが…。
印 (2021.5.8.更新)
ハンコを押す機会が多くなりましたね。特に、年度末や年度初めにはハンコは大活躍をしています。
印はサンスクリット語で「ムドラー」といい、標章を意味する言葉です。
仏教の教えの旗印、スローガンを「法印」といいます。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三教説を三法印。これに一切皆苦を加えて四法印といいます。
仏像を拝むと、左右の手や指で、種々の形をつくっているのに気がつきます。中には、持ち物がある像も見受けられます。仏や菩薩がその悟りや誓願の内容を具体的に表したもので「印相」といいます。手や指で表すのを「手印」といい、密教では特に重んじているようです。「印を結ぶ」という言葉もあります。
禅宗などでは、弟子の悟りを認めることを「印可」といいます。そこから芸道などで、師が弟子の熟達に対して与える証明のことになりました。
このように、印は大切なしるしです。ハンコを押すときには慎重に。
28 いろは歌 (2021.4.8.更新)
いろは歌は、発音の異なる仮名47字を、七五調四句の歌にしたものとして有名です。
この歌は「相対的な世界にこだわって一喜一憂する迷妄の世界を超絶すれば、一切が安楽となる」と説く『涅槃経』の四句の偈(この偈を諸行無常偈ともに雪山偈ともいいます)を和訳したものです。
諸行無常(諸行は無常なり) 色は匂へど散りぬるを
是生滅法(これ生滅の法なり) 我が世誰ぞ常ならむ
生滅滅已(生滅滅し已りて) 有為の奥山今日越えて
寂滅I為楽(寂滅を楽と為す) 浅き夢見じ酔ひもせず
文語体で書かれていますので、若い人には難しく思われるかもしれませんが、この最後に「ん」や「京」を加えて「いろは順」「いろはかるた」「いろは組町火消し」など、字母表や順序を表す符号に用いられたり、手習いの手本とされたり、日本語の歴史の支柱となってきました。
古くから、弘法大師の作だと伝えられていますが、真偽のほどはわかりません。
26 一蓮托生 (2021.3.6.更新)
テレビの時代劇などで、よく悪者同士が仲間割れして、自分だけが捕らえられそうになると、仲間やまわりの者に「こうなりゃ一蓮托生だ」などと語る場面があります。みなも同罪だ、運命をともにするぞ、という意味でしょう。
一蓮托生とは、死後、極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれることを指しています。
同じ信心で結ばれている人たち、夫婦、友人などが、来世に極楽浄土で一緒に暮らそうと願うときの言葉です。
また、この言葉は江戸時代の束縛にあって、この世で結ばれぬ恋人同士が、来世こそ添い遂げようと願うときなどに使われる言葉のようです。
それがいつしか善悪に関係なく、運命をともにする意味に用いられるようになりました。
25 一味 (2021.2.9.更新)
釈迦の御法は唯一つ
一味の雨にぞ似たりける
三草二木は品々に
花咲き実なるぞあはれなる
『梁塵秘抄』の「一味の雨」の詩です。
三草二木とは、小・中・上薬草(三草)と小・大樹(二木)で、これらは大小の差はあっても、みな慈雨に潤されて育ち、薬用になるのです。
このように、仏法は貴賤・男女・大小に関わりなく平等無差別であることを、一味といいます。それはちょうど海水がすべて同一の塩味であるのにたとえたものです。
「凡夫も聖者も、みな本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる」という意味でしょう。雨は、すべてを潤す意味で、「一味の法の雨」ともいいます。
『正信偈』に「如衆水入海一味」とありますね。そこから、一味同心(心を一つにして味方する)、一味徒党(同志の仲間)などの語句が生まれました。しかし悪党の一味などは穏やかではありませんね。
24 一念発起 (2021.1.11.更新)
「一念発起して今日から禁煙することに決心しました」などというように、一念発起とは、思い立ってあること成し遂げようと決心することをいう言葉です。
この一念発起が仏教語なのです。
また、催し物を主になって計画し、人々によびかける世話人を「発起人」といいます。
その発起も仏教語で、「悟りを求めようと決意すること、心を起こすこと」をいいます。
『華厳経』に、「一念発起菩提心」とあります。
「仏に帰命する一念を起こし、菩提(悟り)に向かう心を起こす」という意味で、「発菩提心」と同じ意味です。
重度真宗では「阿弥陀仏の本願を信じる心がはじめて起こること」をいいます。阿弥陀仏より回向された信心がはじめて獲得された瞬間です。
さて、新しい年を迎えて、なにか一念発起してはじめてみませんか。
23 一大事 (2020.12.7.更新)
「殿、天下の一大事 !」などというと、天下のご意見番、大久保彦左衛門でも登場しそうな情景ですね。「わが社の一大事」「大事の前の小事」など、日常でも使われる言葉です。
『法華経』に、「諸仏世尊は、唯一大事の因縁をもっての故に、世に出現したもう」という文があります。お釈迦さまは、ただ一つの偉大な目的と仕事のためにこの世に現れたといいます。
その目的と仕事とは、仏の智慧を凡夫に教え(開)、示し(示)、理解させ(悟)、その道に入らしめる(入)ことである、と説いています。つまり、仏がこの世に現れたのは、衆生を救済するためだというのです。これが一大事です。
『真宗新辞典』によると、仏の一大事とは、「釈迦がこの世に出現された目的は、愚悪の凡夫を救うため、弥陀の本願を説きあらわすこと」であり、衆生の一大事とは「弥陀に救われて浄土に往生すること」と説明しています。
さて、あなたにとって一大事とは、どんなことでしょう。
22 一期一会 (2020.11.18.更新)
5月21日は、親鸞聖人のお誕生日で、西本願寺では、宗祖降誕会の法要が勤修されます。このとき、国宝の飛雲閣でお茶会が催されます。
一期一会は茶道の言葉です。「一期」は人が生まれてから死ぬまでの一生、一生涯。「一会」はひとつの宗教的なつどい。ともに仏教語ですが、「一期一会」という成句は仏典にはありません。しかし、仏教の精神を表しています。
一期一会は、千利休の弟子の山上宗二の著『山上宗二記』にある「一期に一度の会」から生まれた言葉です。この言葉を、一流の茶人でもあった幕末の大老井伊直弼がその著『茶湯一会集』の中で茶の湯の心得としてのべました。
それは、「そもそも、茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我一世一度の会なり」と記し、一生にたった一度の出会いだから、主人も客人も万事に心を配り、実意をもって交わりなさいと諭しています。
諸行無常の世の中、日常生活でも一期一会の心をもって、ご縁を大切にしたいものです。
22 韋駄天 (2020.10.17.更新)
<体育の日>です。各地で体育祭や運動会が繰り広げられています。そのとき、たいへん足の速い人がいると、よく韋駄天だとか、韋駄天走りなどと呼ぶことがあります。
韋駄天はもとはインドの神で、ㇲヵンダといい、シヴァ神の子でした。「天」とは「神」のことで、悪魔を打ち破る軍神だったのです。
しかし、後に、仏教の守護神となり、増長天の八大将軍の一人に加えられました。お釈迦様がお亡くなりになったとき、足の速い悪鬼がお釈迦様の遺骨を奪って逃げたのを、この韋駄天が追いかけて取り戻した、という伝説をもっているほど、足の速いことで有名です。
そうしたことから、現在では足の速い人を韋駄天と呼ぶようになりました。
運動会、がんばってください。
21 以心伝心 (2020.9.8.更新)
以心伝心という語句は、日常会話の中でも「心から心へ伝わること」という意味でよく使われています。
しかし、この語句はもともと「不立文字」(経典の文字は熟読すべきであるが、それだけに頼り、すがっては禅の教えは会得できない)・「教外別伝」(経典に書かれていないものを特別に伝授するのが禅である)と並んで、禅の宗旨をよく表現した有名な仏教語です。
お釈迦様の教えは、確かに経典に記されていますが、それだけで、悟りの極意が伝えられるものではなく、お釈迦様の教えの真髄は、文字や言葉によらないで、師の心から弟子の心へと、じかに伝えられるものであることを意味している語句なのです。
「心をもって心に伝える」-人間関係も、ここまでくるとりっぱなものですが、今では、もっと軽く「二人は何も言わなくても、ツーカーなんだ」という意味に使われているようです。それともやはりメールですか。
20 意識・意地 (2020.8.19.更新)
意識は哲学や心理学の分野だけでなく、「異性を意識する」「自意識過剰」「勝ちを意識してかたくなる」など、一般にも用いられている言葉です。
また、意地も「男の意地」「女の意地」とか「意地が悪い」「意地をはる」など、日常語となっています。
仏教では、物を見るはたらきの眼識、音を聞く耳識、においを嗅ぐ鼻識、味わう舌識、触れる身識の五つの感覚器官を「五識」といい、その奥にあって、それらを含めた一切のものを総括的にとらえ、認識し推理する心のはたらきを「第六識」とか意識といいます。
このような意識は、ひとりひとりの人間の全体を支配し、認識作用の根源であり、物事が成立されるところなので意地ともいうのです。心根という意味なのでしょう。
仏教語であった意識や意地という語が、今では学術用語や日常語として、りっぱに通用している例です。
19 異口同音 (2020.7.5.更新)
「つぎの時間にテストします」と言えば、教室中が「エエーッ」。初めて聞くような話でもすれば「ウッソー」の大合唱。女子校に勤めていますと、こんな風景は日常茶飯事です。まさに異口同音の世界です。
異口同音とは、多くの人が口をそろえて、同じことを言うこと。多くの人の説が一致することを意味する言葉です。
身は異なるから「異口」で、語説は一致するから「同音」です。語る人はそれぞれ異なっても、語る内容は同じというわけで、『弥勒成仏経』などの仏典にもよく出てくる言葉です。
お釈迦様の説法に際しても、感激のあまり、大衆が一斉に讃嘆した情景が、いろいろの仏典に描かれています。
『今昔物語』には「仏の御名を唱えて利生に預からんと言いて、五百人異口同音を挙げて」とあります。
現在では、異口同音はさまざまな場面で使われていますが、本堂いっぱいに集まった信者たちが、みな口々にお念仏を称えるなどすばらしい情景ですね。
18 威儀 (2020.6.8.更新)
「威儀を正して授賞式に参列しました」というように、「威儀を正す」とは、なり、形を整え、作法にかなった立ち居ふるまいをすることをいいます。
「居ずまいを正す」とも、「威儀を繕う」ともいいますね。
仏教では、行(歩くこと)、住(とどまること)、坐(すわること)、臥(寝ること)を「四威儀」といい、それぞれに守るべき戒律が定められています。だから、威儀は日常生活での一切の行動を包括しているのです。
禅宗では「イイギ」と読み、規律にかなった正しい立ち居ふるまいをいいます。
戒律上の細やかな作法や規則も威儀といい、小乗には三千威儀、大乗には八万威儀と、戒律の異名にもなっています。
また、袈裟の肩上から前後に通じる平絎の紐も威儀と読んでいます。
現代では、威儀を正さなければならない場面が少なくなってきたようです。しかし、そのことが心の乱れにつながらないようにしたいものですね。
17 安楽 (2020.5.8.更新)
安楽は、身心に苦痛がなく、この上もなく楽な状態をいう日常語です。
休息用のひじかけ椅子にを「安楽椅子」といったり、助かる見込みのない病人を、苦痛なく死なせることを「安楽死」といって、社会問題になったりします。
仏教では『無量寿経』に「その仏の世界を名づけて安楽というとあるように、安楽は阿弥陀仏の極楽浄土のことをいいます。安楽国、安楽仏土、安楽浄土、また安養浄土など、さまざまな表現がなされていますが、みな阿弥陀仏の世界のことです。
また、禅でも安楽法門というのがあり、身は安らかで心楽しく行える坐禅をいいますから、そこに至るには
なかなかの修行ではないはずです。
安楽とか極楽というと世間的な快楽が満ちていて、そこで安楽に暮らすように思う人がいますが、果たして、そうですかな。浄土に往生して悟りを開いた人は、この世に帰って来て、迷える人々に利益を与えることに窮まりがない、と説かれています。たいへん忙しいようですよ。
16 行脚 (2020.4.10.更新)
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」
『奧の細道』の有名な冒頭の文です。松尾芭蕉が元禄二年(1689)、江戸深川を出発し、門人曾良とともに奥羽北陸を行脚した旅から300年以上も経ちました。
行脚とは、僧が一定の住所をもたず、師や友を求め、自分の修養や教化のために、処々を遍歴することで、仏道修行のための旅のことをいいます。
お釈迦様は弟子たちに「これからは世の人々の利益と幸福を実現するために、国内をくまなく遍歴せよ」と教えました。
寺院仏教が発展してからは定住化しましたが、中国では禅宗が興隆して、諸国行脚が盛んになったといいます。
行脚僧は行く雲や流れる水のように、足にまかせて諸国を遍歴するので、雲水ともいいます。俳人たちの諸国旅行もまた行脚といいます。
今では、行楽地は車でいっぱいですが、これを機会に一度徒歩で旅をしてみませんか。
15 安心 (2020.3.5.更新)
テレビや新聞のニュースを見ていると、不安なことばかりです。親が子を殺し、子が親を殺す。友人を殺し、幼児を誘拐して、老人をだます。お金のためなら何でもするような事件が多いですね。
これでは、安心して暮らしていけなくなりました。
安心とは、心配がなく心が安らかなことをいいます。赤ちゃんが母親の胸の中で安心し切って眠っているような状態ですね。
仏教では、仏法によって心の安らぎを得て、動ずることのない境地をいいます。
禅宗では「アンシン」と読み、修行によって得られる安心した心の境地をいいますが、浄土真宗では「アンジン」と読んで、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏して浄土に往生できると確信して疑わない心をいいます。
「安心立命」は、天命を知って心を安んじ、何事にも揺らぐことのない境地の意味ですが、安心は仏教語、立命は儒教語です。
いずれにしても、安心できる世の中になって欲しいものですね。
14 有り難い (2020.2.7.更新)
「ありがとう」は、一般に感謝やお礼の心を表す日常語として常識になっています。
生物の先生に「現在この地球上には多くの生命が生まれているが、一番多いのは何ですか」と聞いたところ、バクテリアやウィルスなどのミクロの世界の生物、微生物が多いそうです。
グラウンドに行き、「このいっぱいの砂が地球上の生命の数だとしたら、人間の数は」と問うと、一握りの砂だと教えられました。
これでは人間に生まれる可能性は皆無でしょう。三千億分の1だという人もいます。三帰依文に「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く」とあるように、人間として生まれることや、仏の教えに遇うことは、なかなか難しく「有り難い」ことなのです。
「有り難い」は文字通り、有るのが困難、めったにない、珍しいという意味です。だからこそ、貴重である、かたじけない、もったいない、畏れ多いという感謝の気持ちを表す言葉になりました。
どんなときでも、誰に対してでもすなおに「ありがとう」と言えるようになりたいものです。
13 天邪鬼 (2020.1.23.更新)
他の人たちが、白といえばわざと黒というように、わざわざ他人に逆らう「つむじ曲がり」のことを、よくあまのじゃくといいます。
あまのじゃくは瓜子姫の話など、日本各地の民間説話に多く登場しています。たいていはずるがしこくて、かわいげがありません。他人の心をよくさぐり、姿や物をまねたり、口まねをしたりして人に逆らいますが、最後には滅ぼされてしまいます。
仏教では、もともと毘沙門天が腹部につけている鬼面のことを海若といい、水神と考えられていましたが、後には毘沙門天の足の下に踏みつけられている二鬼を耐薫と呼ぶようになりました。
あまのじゃくは『日本書記』に登場する天探女から始まったという説もあるようですが、いずれにしてもあまり人に逆らってばかりいると、踏みつけられて、最後には滅びてしまいますよ。
12 阿鼻叫喚 (2019.12.20.更新)
「幾十万にもおよぶ広島在住の無辜の民を、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄に晒したということであります」。井伏鱒二の『黒い雨』には原爆が投下された情景を、このように描いています。
「阿鼻叫喚の巷と化す」と表現されるように、阿鼻叫喚は、戦場や大災害の惨状を形容する語句で、地獄絵そのままに、人々が泣き叫び、逃げまどう悲惨な状況を表しています。
この「阿鼻」も「叫喚」も地獄の名前で、八大地獄の中に入っているものです。
阿鼻地獄は無間地獄と訳されるように、間断なく苦しみを受ける地獄の中で最も苦しい場所です。
叫喚地獄では、熱湯たぎる大釜の中に投げ込まれたり、猛火の鉄室に入れられたりの苦しみを受けます。
この両地獄ともあまり苦しみに耐えられず、泣き叫ぶというところから、惨状を形容する言葉となりました。
あれから六十年経ちました。このような阿鼻叫喚の情景が、世界中から無くなるように、念願したいものです。
11 あばた (2019.11.7.更新)
「あばたもえくぼ」という諺をご存知ですか。
愛する者には、あばたさえもえくぼに見えるという、ほほえましいたとえです。
こわいと恐れている人の目には、枯れ尾花もゆうれいに見えるという、「ゆうれいの正体みたり枯れ尾花」の類です。
この「あばた」とは、サンスクリット語「アルブダ」の音写で、腫物とか水疱という意味で、仏典にも出てくる言葉です。
仏教で説かれる八寒地獄の一つに、阿浮陀地獄があります。嘘をついたり、悪口を言ったり、聖者を軽蔑する言葉を吐いた者が落ちる地獄です。
この地獄に堕ちると、極寒にさらされるため、身体中に腫物ができ、そのために、たいへん苦しむといわれています。
このアルブダ・阿浮陀があばたとなり、天然痘のあとに残る痕跡の意味となりました。
現代では、幸いなことに、天然痘は種痘のおかげで無くなってきましたが、「あばたもえくぼ」に見える心は、ますます盛んなようですよ。
10 悪口 あっこう (2019.10.10.更新)
「妄語をいい、綺語を好み、悪口して他を罵り、両舌して他の親好を破することを、口の四悪業という」と、『十善法語』という仏書に書かれています。
妄語は嘘をつくこと、綺語は真実にそむいて巧みに飾りたてた言葉。悪口は人をあしざまにいうこと。両舌は両方の人に違ったことをいい、両者を離間して争わせることで、二枚舌のことです。
この4つは、口でしゃべる悪の行為だといいますから、慎まなければなりまね。悪口は一般にワルグチとか、アッコウと読みますが、仏教ではアックと読みます。
悪心をもって人に悪言を加え、相手を悩ませ、傷つけることです。
『正法念処経』は「人間は生まれながらにして口の中に大きな斧をもっている。その斧で他人を切るならば、それは悪口となる」と説きます。恐ろしいことですね。
いずれにせよ、人に不快感を与えるような言葉は慎み、対人関係を大切にしたいものですね。
あなたの一言が、相手の人生を変えさせることになるかもしれませんよ。
9 阿号 あごう (2019.9.14.更新)
能の観阿弥・世阿弥、水墨画・連歌の能阿弥、書院造の相阿弥、作庭の善阿弥、立花の立阿弥、美術鑑定の千阿弥など、みんな名に「阿弥」がついています。
名前の下に「阿弥陀仏」略して「阿弥」「阿」をつけるのを、「阿弥陀仏号」略して阿号といいます。
これは法然上人から念仏の教えを聞いて感銘した俊乗房重源が、みずから南無阿弥陀仏を名としたところから、浄土宗や時宗などでよくつけられ、中世以降は、仏工・画工・能役者など、芸能関係者が好んで用いました 昔、筒井順昭が病死したとき、嗣子の順慶がまだ幼かったので、敵から攻められるのをおそれて、遺言により、声が順昭とよく似ていた南都の木阿弥を寝所に寝かせ、順昭が病気で寝ているように見せかけました。そして順慶が長ずるに及んで、順昭の喪を発表したと『天正軍記』は紹介しています。
順昭の代役を務めた木阿弥は、もとの市人に帰っていきました。
今では諺になっている元の木阿弥の一席でした。
8.悪事千里を走る (2019.8.21.更新)
戦争が勃発すると、戦場の悲惨な場面を逐一茶の間のテレビに映し出すようなったはじめは、1991年の湾岸戦争でした。この戦争の特徴は、ハイテクの使用とテレビ戦争でした。
以来、2001年のアメリカ同時多発テロ事件のときには、まるで実況中継でしたし、その後の世界各地での戦争状況もマスメディアを通じて世界中に伝えられています。
まさに「悪事千里を走る」です。
このことわざは、悪い行いはすぐに世間に知れ渡る、という意味ですが、戦争という悪事は地球上を駆け巡りました。
『景徳伝燈録』に、「好事門を出でず、悪事千里を行く」とあるのが、このことわざのもとです。
好いことはなかなか世に知られないが、悪いことはすぐに広まる。それが世相である。だからこそ、達磨大師は好いことを伝えるために、インドから遠く中国までやってきたのである、というのです。
仏教は「不殺生戒」の立場から「いのちを大切に」をスローガンにしています。
一日も早く、本当の平和という好事が、千里といわず、地球上を駆け巡ってほしいものです。
7.諦め (2019.7.10.更新)
どうにもならないことをにくよくよ考えないで断念することを「あきらめる」といいます。
お釈迦様は、悟りを開かれた後、ベナレスのミガダーヤで五人の友人たちに、初めてその法を説かれました。初転法輪と呼ばれているのがそれで、その説法の内容が「四諦」の教えでした。
「諦」とは「まこと」とか「真理」という意味で、動詞として読むときには「あきらめる」、すなわち明らかに真実をみるという意味なのです。
お釈迦様はその悟りの内容を、苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つの真理に分けて教え、それを見ることによって、真理を知ることができると説かれました。
だから、「諦」という語は、現在のように消極的な用い方ではなく、真理を悟るという力強い語なのです。
しかし、その時、自分ひとりの力ではどうにもならないことを悟るのが、本来の意味なのかも知れませんね。
6. 阿吽・ (2019.6.12.更新)
相撲の仕切りは「阿吽の呼吸」を合わせます。吐く息、吸う息を合わせるのです。
社寺の門前の狛犬さんや、山門の仁王様は、一方が口を開いて「ア」、他方は口を閉じて「ウン」と、阿吽の姿をしています。
サンスクリット語では、最初が「ア」と口を開いて出す音声で「阿」と訳され、最後は「フーン」と口を閉じて出す音声で「吽」と訳されています。
日本のアイウエオで始まる五十音図は、このサンスクリット語の配列にヒントを得て、それに基づいて整理されたものといわれていますから、同じく「ア」で始まり「ン」で終わっているのです。
このように、阿吽は、ものの始まりと終わり、出息入息を示しています。密教では、阿吽を、根源と帰着、菩提心と涅槃などの象徴としているともいわれているようです。
皆さん、何事にも、阿吽の呼吸が大切ですよ。
5. 会うは別れ (2019.5.15.更新)
はじめより あふはわかれと 聞きながら 暁知らで 人を恋ひける
古来より現代に至るまで、この情念をうたったものは数多くあります。
「会うは別れのはじめとは、知らぬ私じゃないけれど」という切ない思いは、すっかり日本人のものになっていますね。
この「会うは別れのはじめ」というのは、『白氏文集』の「合者離之始」を口語訳したものですが、『法華経』の「愛別離苦、是故会者定離」や『仏遺教経』の「会う者は必ず離るることあり、憂悩を抱くことなかれ」などという、仏教思想をやさしく表現したものです 「生者必衰、会者定離」といわれるように、生じたものはかならず滅し、会ったものは定めて離れなければならないという、人生の無常を表しています。
三月四月は、卒業、入学、入社、転勤など、人の往来の多いシーズンです。人生のはかなさを悲観的にながめるのではなく、だからこそ、出会いを、人間関係を大切にしていきたいものです。
4. 挨拶 (2019.4.7.更新)
「一言、ご挨拶申し述べます」儀式などのときに、よく聞かれれる言葉です。挨拶状などという手紙が来たりもします。ちょっとすごんで「挨拶してやるぞ」とか、冷たく「ご挨拶ですね」と、挨拶は今では日常語になりました。
しかし、挨拶はもともと仏教語なのです。挨は「押す」こと。拶は「せまる」という意味から、挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。
禅家では、「一挨一拶」といって、師匠が門下の僧に、また修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。これが挨拶なのです。
そこから転じて、やさしく応答とか返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになりました。
最近は、日常の挨拶が少なくなったように思います。日々の暮らしを円滑に過ごすためには、まず挨拶からですね。
3. 愛敬‣愛相 (2019.3.9.更新)
「男は度胸、女は愛嬌」とか、「愛嬌をふりまく」など、愛嬌といえば、にこやかでかわいらしいことや、愛想のよいことを意味する言葉として知られています。
この愛嬌は本来、愛敬と書き「アイギョウ」と読んで仏教語でした。愛しみ敬うことを意味したのです。
仏・菩薩の容貌は温和で慈悲深く、拝む人たちが愛敬せずにはおられない相を表しておられるので、その相を「愛敬相」といいます。愛敬は、その愛敬相から来たものなのです。
また、「愛想がよい」とか、「愛想が尽きた」などと使われている愛想という語も、本来は愛相で、そのものとは同じ愛敬相から出た語のようです。
同じ愛敬相から、「愛敬・愛相」が生まれ、それが「愛嬌・愛想」となっていったようですが、いずれも、もとは仏さまのお顔の相だったのですね。
2. アイウエオ (2019.2.7.更新)
電話番号帳、辞書、名簿。みなアイウエオ順に並んでいます。昔は、順序符号にいろは順を使うことが多かったようですが、現代ではアイウエオ順が普通になりました。
この五十音図が仏教語という訳ではありませんが、『広辞苑』に「国語音に存する縦横相通の原理を悉曇の知識によって整理して成ったものか。また、悉曇より出たもの、漢字音の反切のために作られたものなど、その発生については諸説ある」とあります。
「悉曇」とは、古代インドの言葉サンスクリット語の文字のことで、仏教経典にも用いられたものです。だから、悉曇学は仏教者の学問でもあります。
五十音図は、サンスクリット語の母音の中からアイウエオをとり、それに子音の同じものを同行、韻の同じものを同段として、アカサタナハマヤラワの順で配列していますが、これはサンスクリット語の配列とよく似て、悉曇の影響を窺わせます。
「いろは」といい、「アイウエオ」といい、やはり日本文化の底には仏教が流れていますね。
1. 愛 (あい)(2019.1.29.更新)
バレンタインデーに、女性が愛する人にチョコレートを贈るようになったのは、いつからのことなのでしょうか。とにかく、街には愛のチョコレートがあふれています。
この「愛」が仏教語です。
仏教では「一切苦悩を説くに愛を根本と為す」と『涅槃経』にあるように、「愛」は迷いや貪りの根源となる悪の心のはたらきをいいます。「愛」のサンスクリット語「トリシュナー」の意味は「渇き」です。のどが渇いたときに水を欲しがるような本能的な欲望で、貪り執着する根本的な煩悩を指します。
愛欲、愛着、渇愛などの熟語は、そのような意味をもっています。
一方仏教では、このような煩悩にけがされた染汚愛ばかりでなく、「和言愛語」のように、けがれていない愛も説かれています。仏・菩薩が衆生を哀憐する法愛がそれなのですが、この場合には、たいてい「慈悲」と呼ばれているようです。
チョコレートをもらったばかりに、愛のしがらみに苦悩を深めている人はいませんかね。