今月から新しい本の転載を始めます。増谷文雄先生の『この人を見よ・ブッダゴータマの弟子たち』(佼成出版社刊 増谷文雄名著選)です。これまで、私が学んだ中央仏教学院の仏教学のテキストをもとに仏教の教えについて連載してまいりましたが、これからしばらくは、増谷先生の手引きで、お釈迦様のご生涯と、そのお弟子さんたちについて連載を始めたいと存じます。
『この人を見よ―ブッダ・ゴータマの生涯』
第19回 青年ゴータマの憂愁 3 (2024.12.3.更新)
そのころのインドの政治的状況を示すことばとして、16大国ということばがあって、しばしば仏教の文献にもみられる。東南の側からいうと、マガダ、カーシー,ヴァッジー、マッラ、コーサラなどから、クル、パンチャーラー、ガンダーラなど、北西の地域にいたるまで、その当時の主たる国々もしくは部族の名が網羅せられている。しかるに、その中には、サキャ(釈迦)族の名はみえない。それはどうしたことであるか。いささか注目して、その理由を問うてみなければならない。
その理由は、ほかでもない。当時のインドにおいては、サキャ族の存在は、まったくいうに足りない、微々たるものにすぎなかったからである。そのことを、もっと具体的にいえば、サキャ族の名は、ブッダ・ゴータマによって、はじめて世に知られ、また、はじめて後世にのこることとなったのである。当時の人々は、この人を呼んで、「サキャ族の子なる沙門ゴータマ」といった。
第19回 青年ゴータマの憂愁 2 (2024.11.1.更新)
その斜線は、まず、北端と西端の二点を結ぶ直線と交錯する。その辺りが、いわゆるパンジヤーブすなわち、インダス上流の五つの支流によって潤される地域であって、そこにインド・アーリアンは、インドにおける最初の定着地を見出した。紀元前千二、三百年のころのことであったと推定される。しかるに、彼らは、さらに、その斜線に沿うて、東南方に向かった。この図形をもっていえば、斜線が垂線とまじわる辺りであり、インダスの上流とガンジスの支流とにはさまれた辺りである。それが、いうところのクル地方であって、その辺りが、彼らにとって、インドにおける第二の新しい天地となった。だが、彼らの前進はさらにつづいて、その新しい天地は、もっと東南地方にひろがっていった。斜線がこんどは対角線と交わるあたりである。そこでは、コーサラ国が成立し、カーシー国が成立し、マガダ国が成立し、やがて、ブッダ・ゴータマが出現して、それらの国々を遊行する。しばしば、中インドと称せられる地域がそれである。
第18回 青年ゴータマの憂愁 1 (2024.10.3.更新)
わたしどもは、古代インドを考える場合、しばしば、ドイッセン教授の描いた「ドイッセンの図形」なるものを利用する。それは、まず、西はインダスの河口、北はカシュミールの辺り、東はガンジス河のデルタ、そして、南はコモリン岬、それらの4つの点を直線でむすぶと、一つの不等辺四角形ができる。ついで、その不等辺四角形について、さらに、西端の一点と東端の一点をむすんで対角線を引くと、その上と下とに、二つの三角形を得る。私どもが、古代インドについていう時、その舞台は、主として、その上の方の三角形の中におさまる。
しかるに、ドイッセン教授は、さらに、その三角形にたいして、北端の頂点から、対角線に向かって垂線を下す。そして、その図形にたいし、いまのアフガニスタンにあたる辺りから、東南に向かって、矢印をつけた斜線を描く。それはほかでもない、古代インド文化の担い手であるインド・アーリアンの、インドへの道を示すものなのである。
第17回 ヒマーラヤの山麓にて 15 (2024.9.1.更新)
「薩婆多師はまた言をなす。この菩薩の母は、生みたるところの子を見るに、身体洪満、端正にしてよろこぶべく、世にならびすくなし。すでにかくのごとき稀有の事、未曾有の法を見、歓喜踊躍、身中に遍満して、勝えざるをもってのゆえに、すなわち命終る」と。
薩婆多というのは、サッタバッタの音写。いうところの有部(詳しくは説一切有部)のこと。いわゆる小乗の諸派のなかで、もっとも有力であった部派の一つである。その師のいうところは、極端な聖化でなく、予定説でもない。ただ、すぐれた子を産むことを得た喜びにたえずして命終したという。なるほど、ルンビニ―のほとり、サーラの花におうところにおいて、はからずも、このすばらしい生命に産み落とすことを得た母の顔には、あるいは、満足のえみがたたえられていたやも知れない。
だが、ひるがえって、生まれて間もないその母をうしなったこの人にとっては、それは、やはり、人間としての大きな不幸、たとえようもない悲しみであったにちがいない。その悲しみを、この人は、その生涯を通して背負うてゆくのである。
第16回 ヒマーラヤの山麓にて 14 (2024.8.2.更新)
だが、この製作者は、さらに、他の説をなすものにをも紹介する。
「あるいは、師ありていう。摩耶夫人の寿命の算数はただ7日にあり。このゆえに命終す。しかるといえども、ただ往昔このかた、つねにこの法あり、その菩薩生まれて、7日に満ちおわり、菩薩の母はみな命終しぬ。なにをもっての故か。もろもろの菩薩、幼年にして出家するや、母はこのことを見て、その心砕裂して、すなわち命終するをもってなり」と。それは、一種の予定説である。母のいのちは、出産ののち7日ときまっていたのであり、子の運命は、出家して正覚者となるに決まっていのである。そのような予定説も、また、われわれのついてゆき難いものでなければならない。さらに、この製作者の紹介する説は、つぎのように述べられている。
第15回 ヒマーラヤの山麓にて 13 (2024.7.4.更新)
いったい、嬰孩にして母を失うということは、人間としてこのうえもなく悲しいことでなければならない。それは、今日においてもそうであるように、また、二千幾百年のむかしにおいても、そうであったにちがいない。しかるところ、ふるき仏伝の制作者たちがあまりにこの人を聖別することに性急にして、この、人間としてもっとも悲しむべき事実のうえに涙を注ぐことを忘れてしまったことは、わたしのはなはだ遺憾とするところである。たとえば、仏伝の集大成をもって任ずる『仏本行集経』の制作者は、このことについて、まず、つぎのように記しているのである。
「その時、太子すでに誕生して、まさに七日に満ちたるをもって、その太子の母摩耶(マーヤー)夫人は、さらに諸天の威力をうるあたわず、また、太子の在胎に受けるところの快楽をうるあたわず。血から薄きをもってのゆえに、その形羸痩し、ついにすなわち命終す」と。それは、この嬰児を聖化するあまり、その母をいうなれば、抜け殻にしてしまったものというべきである。
第14回 ヒマーラヤの山麓にて 12 (2024.6.3.更新)
しかるに、マーヤー夫人は、この村までたどりついて、ひと休みしようとしたところで、急に産気づいてしまった。サーラの樹々は、大きな楕円形の葉をつらねて、この聖なる母の上にを覆っていた。その間に咲きいでた小さな淡黄色の花たちは、息づまるような芳香をあたりに漂わせていた。その花のもとで、この妊婦は、はならずも、その初産を経験した。幾人かの侍女たちが、心配そうな顔をよせて、この聖なる母をみとっていた。そのなかから、いきいきとした産声がきこえてきた。
だが、里帰りの途中で初産を経験した妊婦には、やはりそれが無理だったのであろう。この素晴らしい未来を蔵する、新しい生命を生むことをえたこの母は、それから七日ののちには、すでにこの世を去らねばならなかった。そのことについても、わたしは、また、ふるき仏伝の制作者たちに、いささか物申さねばならないことがある。
第13回 ヒマーラヤの山麓にて 11 (2024.5.3.更新)
それはともあれ、もう一度、中国の求法僧たちの記録をひもどいてみると、かのルナピニー村は、カピラヴァッツから東の方およそ50里のところに当たると記している。50里というと大変のようであるが、それは中国の里程のことであって、いまにしてほぼ8マイルあまりにすぎない。それにしても、この距離は臨月の妊婦にとっては、とても散策の道のりではあり得まい。さらにいえば、その地は、サキャ族の住地とコーリヤ族のそれのほぼ中間にあり、サーラの花咲くころともなれば、その双方から、多くの人々が遊びにきたという。そのようなことを考え合わせてみると、事情はほば明らかになってくる。この人の母なるマーヤー夫人は、その里方に帰って、はじめてのお産を経験しようとしたものにちがいない。それが族外婚の場合によくみられるしきたりであった。
第12回 ヒマーラヤの山麓にて 10 (2024.4.1.更新)
さらに、第7世紀のころ、かの玄奘がその地を訪れた時には、さらに荒れ果ててしまって、まったく人影もなく、どこに城があったものやら、確かめるすべもなかったという。かの『西遊記』に記するところである。それから、さらにながい年月がながれて、前世紀の終わり近く、イギリスの探検家カニンガムが、ひろく文献を渉猟し、それを自分の足であるいて確かめ、かの『古代インド地理』Ⅰ、「仏教の時代」を刊行したときにも、彼は、「カビラの名をもった遺址は、まだ見つけられていない」と記さねばならなかった。だが、かつてブッダ・ゴータマの出身地として、ふるき時代のインドに喧伝せられたカビラヴァッツが、かのローヒニー河の西方の地域にあったことは、おおくの資料の証するところ。そのうち、もう一人のシュリーマンが現れて、この人の故地に、古代への熱情をこめた鍬をうちこんでくれることを、わたしはひそかに期待している。
第11回 ヒマーラヤの山麓にて 9 (2024.3.1.更新)
その場所は、いまのどこにあたるか。それは、われわれの当然知りたいところであるが、それを的確にいうことができないことを、はなはだ遺憾とする。二千幾百年という長い長い年月のながれが、いつの間にか、それを霧のなかにつつみ込んでしまった。西暦第5世紀のはじめには、中国からの最初の求法僧、法顕がにその地を訪れた。彼は、その旅行記『仏国記』のなかに、その地のことをつぎのように記している。
「これより東行すること、一ヨージャナたらずにして、迦毘羅衛城にいたる。城中にはまったく王民なく、荒れ果てて、ただ、衆僧、民戸、数十家にとどむるのみである」
と。ヨージャナとは、牛車一日の行程をもってする距離の単位であって、一ヨージャナはおよそ9マイルに当たるという。
第10回 ヒマーラヤの山麓にて 8 (2024.2.1.更新)
だが、この人の生誕については、なお、記しておかねばならぬことが多い。その一つは、なぜならば、このような村で、この人の生誕はとり行われたかということである。それについて、これまでの伝記制作者の説明するところは、ほとんど意味をなさない。そのことを端的に物語るものは、カビラヴァッツからこのルンビニー村までの距離が問題である。
この人の父、スッド―ダナの住むところ、そして、この人がその少年期から青年期までをすごしたところ、つまり、ブッダ・ゴータマの故郷は、カビラヴァッツとしてよく知られている。それを中国の訳経者たちは、しばしば迦毘羅衛城などと翻訳し、それがわが国にも伝えられている。だが、それによってこの人の故里を、いかめしい城郭にかこまれた堂々たるポリス、すなわち、古代都市のイメージをもって描き出すならば、それは、どうやら、少し行き過ぎであるように思われる。いったい、カビラというのは、先にも言ったように、カビラ仙人の名にちなんだもの。そしてヴァッツというは、地区とか地方とかいうほどのことばである。
第9回 ヒマーラヤの山麓にて 7 (2024.1.3.更新) (10)
それは、この聖地訪問にを記念して、そこの住民にたいする恩典として、税の減免を宣したものと知られる。さきにいう税金とは、宗教的なものであって、それは全免せられる。そのほかに、領民はすべて生産物の四分の一を支払う。今日でいえば所得税のようなものであろうが、それは半分を免じて八分の一だけ支払えばよいとしたのである。
ともあれ、この人の生誕の地には、この人の死後二百年ばかりにして、この王によって石柱が建てられた。そして、第七世紀のころには、中国の求法僧、玄奘もまたこの地を訪れて、この石柱を拝したことを、その旅行記『西域記』のなかに記しとどめている。その時、その石柱は、すでに、中ほどから折れて地に倒れていたという。彼は、それが、雷にうたれたためであると付記しているが、おそらく、土民の言い伝えるところを記したものであろう。
第8回 ヒマーラヤの山麓にて 6 (2023.12.1.更新) ⑼
天愛喜見王とはアショーカのこと。この王が即位したのは、たぶん紀元前268年のことと思われるから、それから20年、すなわち、紀元前247年ころ、この王は、みずから、この記念すべき地を訪れたというのである。石柱の文字はさらにつづく。
「ここにて、ブッダ・サキャムニ―(釈迦・釈迦牟尼)は生まれたもうたからである。しかして、馬像を有する石をつくらしめ、石柱をたてしめた。これは、世尊がここで誕生したことを記念しようがためである」
この王が、この地を訪れたのは、あくまでも仏教者として、その教祖の生誕の地を訪れたのであった。そして、その記念のために彼がつくらしたものは、大いなる石柱の上に馬像を安置したものであったことが知られる。石柱の文字はさらにいう。
「ルンミニ部落は、税金を免ぜられ、しかして、その生産の八分の一のみを支払うものとせられる」
第7回 ヒマーラヤの山麓にて 5 (2023.11.3.更新) ⑻
だが、その出生の場所については、もはや、自由な想像のたち入る余地は少ない。ルンビニーもしくは、訛ってルンミニとよばれる村がそのところである。現在の地理でいえば、ゴーラクプルという町から北行して、タライ地方に入り、パクヴァーンプルという田舎町から、北方二マイルばかり、そこで、前世紀のおわりちかいころ、かつてアショーカ王の建立した石柱が発見された。それは、その時、中ほどから折れて、地にたおれ、草に埋もっていたが、それに記された古代文字にを解読してみると、つぎのような文が記されていることが知られた。
「天愛喜見王は、即位二十年を経たる年、みずから親しくここに到り、供養をなした」
第6回 ヒマーラヤの山麓にて 4 (2023.10.1.更新) ⑺
それは、現実に膠着する人々の常識をもってするならば、もっとも有りえざるところとせねばならない。それにもかかわらず、ながいながい年月、おそらくこの物語が生まれてから、2,000年をこえる歳月の間、数限りもない仏教者たちが、この人の出生についてもった印象のなかで、もっとも大きな地歩をしめてきたものは、この「誕生の偈」の物語であったと思われる。ここでは、フィクションがノン・フィクションに対して、決定的な勝利を制した。のみならず、それが、この人のその後の80年の生涯に、まったくぴたりと相応うのであるから、まことに妙である。不朽の傑作といわざるを得ないではないか。
第5回 ヒマーラヤの山麓にて 3 (2023.9.2.更新) ⑹
そのような逞しい想像力によって生み出された物語のなかにも、不朽の傑作に属するものがあって、今日ではもはや、それを無視しては、この人の出生を物語ることはできない。その一つは、ほかでもない。かの誕生の偈にかんする物語である。それは、この人は、生まれて間もなく、東西南北の四方に向かって、七歩ずつ歩いたということ。そして、やがて右手をあげて天を指さし、左手をもって地を指さすと、獅子吼つまり大音声をあげて、「天上天下唯我独尊」と宣言した、というものである。それは、まったく大胆にして、かつ自由きわまりない発想であるといわわなければならない。なんとなれば、この物語の制作者は、生まれたばかりの嬰児をして、四方に向かって雄歩せしめる。さらに、天と地を指さし、大音声をはりあげて、「われこそは、この世に類いなきものである」と名告らしめる。
第5回 ヒマーラヤの山麓にて 2 (2023.8.4,更新) ⑸
だれも、自分の生まれたときのことを覚えているものはない。この人が、自己の出生について、なにごとも語りのこしていないことは、すこしも不思議ではない。その出生について、もっとも多くのことを語りうるものは、その母であったはずである。しかるに、その母マーヤーは、この人を生んでから七日の後には、もはやこの世になかった。だから、この人は、その母から、自己の出生のくさぐさについて聞かされた、なつかしい思い出すらももつことができなかった。かくて、今日わたしどもが知ることのできるこの人の出生に関する物語は、すべて、第三者のつたえるところであり、特に、のちの伝記制作者たちが、敬虔にして、かつ、逞しい想像力をもって生み出したところのものをもって満たされている。
第4回 ヒマーラヤの山麓にて 1 (2023.7.5.更新) ⑷
古老の言い伝え、つまり、伝説のいうところなどは、そのままには容易に信じがたいものが多い。血統を重んずるがゆえに、4人の兄弟姉妹がたがいに婚したなどというものも、いまの人には、おかしな話のように思われようが、それは、はからずも、伝説が、彼らもまた族内婚の時代をもったのであろうことを漏らしているもののように思われる。そして彼らがようやく族外婚の段階に到達したとき、その相手は、かのローヒニーの流れを隔てて、河向かいに住むコーリヤ族であった、と考えられる。
第3回 ヒマーラヤの山麓にて (2023.6.2.更新) ⑶
サキャ族の素性については、いろいろの学説や言い伝えがあって、正確なことは知るよしもないところであるが、その古老の言い伝えるところによれば、とおい先祖は、サーケータ(沙計多)の都にあったオッカーカという王であるという。その王には、さきに第一の妃によって四人の子があったが、さらに、わかい第二の妃によって一子を得た。ところがこのわかい妃は、わが子のかわいさから、さきの四子を中傷して、王をして彼らを国外に追放せしめた。世間によくあることである。かくて国外に追われた四人の王子らは、北にむかってのがれ、ヒマーラヤの山麓にいたって、かつてカビラ仙人の住みしところという快適の地を見つけ、そこに居をさだめた。いうところのカビラヴァッツ(迦毘羅衛)がそれである。しかるに、彼らは、その血統を重んずのゆえに、兄弟姉妹がたがいに相婚して、このサキャ族なる部族のもとにをなすにいたったという。
第1回 ヒマーラヤの山麓にて (2023.4.5.更新) ⑴
この人は、ヒマーラヤの南麓に住むサキャ(釈迦)族の子として生まれた。西暦前五世紀のはじめころのことである。その生地は、現在のネパールの、タライと呼ばれる地方のあたり。そのあたりは、ヒマーラヤの山すそにつづく、高原性の盆地をなしていて、晴れて雲のない日には、万年雪をにいただいたヒマーラヤの連邦を遠望することができる。そのころ人々は、それらを「ヒマヴァント」と呼んだ。「雪をいただいた山」というほどの意であって、それを中国の訳経者たちは雪山と訳した。その峰々から、雪どけの水を集めて、幾条もの流れが、南流してやがてガンジスの大河をなす。それらのガンジスの支流のうち、ローヒ二ーと呼ばれる、小さな、美しい流れが、その高原の盆地を、北から南につらぬいて流れ、その地方をうるおしていた。その流れの西岸の地域に住んでいたのがサキャ族であった。そして、その東岸の地域には、サキャ族の胞族、コーリヤ(拘利)族の人々が住んでいた。
第2回 ヒマーラヤの山麓にて(2023.5.3.更新) ⑵
胞族というのは、民族学者たちがもちいる術語であって、婚姻関係をもった近親氏族の間柄をいうことば。つまり、サキャ族とコーリヤ族とは、嫁をもらったり、やったりする間柄であった。現に、この人のお母さんのマーヤー(摩耶)夫人も、また、コーリヤ族の出であって、このローヒニー河のうつくしい流れをわたって、この人の父スッドーダナ(浄飯)のところに嫁いできたのである。だが、雨の少ない年など、この美しい河のながれが細ってくると、この二つの胞族の間にも、時には、水争いなどということもあったことが、ふるい経のなかに記し残されている。農耕を主たる生業とした彼らの生活のさまが偲ばれるというものである。
このコーナーでは、仏教の教えについて毎月一回のペースで、私がかつて学んだ中央仏教学院の通信教育のテキストをもとにお話しをしてまいました。それが、操作ミスのために、これまで連載してきた分をすべて消去をしてしまいました。初めから打ち直せばよいのですが、すでに読んで来てくださった読者の方もおられると思いますので、途中からの連載といたして、再開します。どうぞご寛恕ください。
第87回 10 釈尊以後の仏教 (2023.3.2.更新) 最終回
教相判釈
教相判釈は、教判または判教ともいわれています。これは、仏陀釈尊の一代の教説について、形式・方法・順序・意味内容などによって分類整理し、それを体系化して、仏陀出世の本懐が、いずれにあるかを明らかにすることであります。といいますのは、仏陀の説かれた経典は大変な数にのぼり、その説き方や内容は決して一様ではないわけですが、しかし、それが釈尊の一代に説かれた教えであるとすれば、それぞれの経典に何らかの意図があり、順序次第がなければならないことになるわけです。そこで、数多くの経典に体系をつけ、一定の価値づけをして、仏陀の真実の意図を明確にする必要が生じました。
中国においては、インドで千年近くもかかって歴史的に発展した諸種の経論が、成立の順序次第とは無関係に、雑然と移入翻訳され、研究されました。そこで、彼らは、多種多様な経論中より、自己の信奉する教えは何かという問題から、経典相互の関係を明らかに、信仰上から優劣の評価を行い、自らの教義的立場を明示するために、教説の体系化をはかりました。こうした事情から、自分の信奉する経論を尊重し、その教義内容の優位性強調するあまり、他の経論をそれに従属させる結果ともなりました。
第86回 10 釈尊以後の仏教 (2023.2.2.更新)
インド仏教の滅亡
以上のように仏教は、釈尊滅後いくたびかの結集を行い、教団は数百年にわたって二十部にも分派しましたが、やがて大乗仏教が興起し、数百年かけてその素晴らしい経典が成立し、その経典を軸にして、さらに高度な論典が数多く撰述されました。ところが、八・九世紀以降のインドの仏教は、急速に密教化し、本来の仏教の思想や実践とは異なった方向に傾きました。つまり、従来のインド思想と妥協することによって、仏教の純粋な無我の思想、仏教の本質は失われつつありました。このような仏教の内部的要因がありましたが、十二世紀頃になりますと、イスラム教徒が侵入し、彼らによって征服されるという外的要因が加わって、遂にインドにおける仏教の教団は、十三世紀には滅亡してしまいました。その後はヒンドゥ教の一派として形を変えて残るのみとなり、仏教はインドから全く姿を消してしまいました。しかし、小乗仏教(部派仏教)は、セイロンを中心に東南アジアに伝わり、大乗仏教は、チベットや中国に伝播し、さらに朝鮮・日本へ伝来するのであります。後世、前者を南方仏教と称し、後者を北方仏教と呼んでいます。
第85回 10 釈尊以後の仏教 (2023.1.7.更新)
後期(第3期)大乗経典について
⑴ 『大日経』 詳しくは『大毘盧遮那成仏神変加持経』といい、『華厳経』の系統にぞくするもので、菩提心を重視し、如実に自己を知り、自心に一切智を求めることによって菩提が得られると説いています。また、真如法身の大日如来が、直接衆生を救うために真言・曼荼羅に托して、さまざまな仏身を示現することを述べています。
⑵ 『金剛頂経』 詳しくは『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』といい、金剛如来の出現経過や活動、金剛界大曼荼羅や灌頂のことについて説いています。
これらの経典は、後期大乗経典の代表的なもので、西暦7・8世紀頃に成立したと考えられます。また、密教思想を組織的にまとめたもので、これによって密教の教義的基礎が確立したといってよいと思います。
第84回 10 釈尊以後の仏教 (2022.12.17.更新)
⑷ 『解深密教』 阿頼耶識や遍計所執性などの三性や三無性を説いて、識の所縁は唯識の所現であるという唯識説を強調しています。
⑸ 『楞伽経』 大乗仏教の基本的で重要な教理が種々説かれていますが、一貫した思想は唯心説であります。また如来蔵説と唯識説との交流がみられます。
以上は、中期大乗経典の代表的なものを列挙しましたが、これらは西暦四世紀から五世紀頃までの間に成立したもので、如来蔵思想や唯識思想が現れ、初期経典に比して、教理中心の理論的な性格の色彩が強くなっているように思われます。これらの思想はマイトレーヤ(弥勒・270~350年頃)やアサンガ(無着・310~390年頃)やヴァスバンドゥ(世親=天親・320~400年頃)らによって、組織体系化されました。
第83回 10 釈尊以後の仏教 (2022.11.2.更新)
中期(第二期)大乗経典について①
⑴ 『涅槃経』 仏陀の入滅、すなはち涅槃を中心として説かれた経典を基礎としなが、法身常住説と、それから導かれる仏性の遍在(一切衆生悉有仏性)が説かれ、仏性は常・楽・我・浄の四徳をそなえていると強調しています。
⑵ 『如来蔵経』 如来法身の常住性と普遍性を根拠にして、衆生はすべて如来の因子であり、如来の胎児であると同時に、衆生はまた如来を蔵しているものであると説いています。
⑶ 『勝鬘経』 如来蔵の教理が一段と整備され、如来の法身は、煩悩蔵を離れないのが如来蔵であると説き、勝鬘夫人をして一乗真実を高唱しています。
第82回 10 釈尊以後の仏教 (2022.10.1.更新)
初期大乗経典について ②
⑶ 『法華経』 詳しくは『妙法蓮華経』といい、「妙法」を、泥中から生じて泥に染まらない蓮華にたとえ、その『妙法」を一乗の語で示し、それは実相の法であると説いています。これも『般若経』の空説を基盤として、この世で悟られた釈尊のほかに、久遠実成の仏を明らかにして讃えています。また仏塔崇拝をも説いています。
⑷ 『無量寿経』 光明(智慧)無量・寿命(慈悲)無量の阿弥陀仏と、衆生の救済が説かれ、浄土経典の根本をなしています。
上記は、初期大乗経典の代表的なものを示しましたが、これらは、西暦紀元前後から3世紀までの間に成立したもので、空思想を基盤に一切衆生の救済を目的とする、慈悲の実践行ともいうべき菩薩道の精神が強く流れています。また、これらの経典の思想は、この後に出現するナーガールジュナ(龍樹・150~250年頃)によって、理論的に組織体系化されました。
第81回 10 釈尊以後の仏教 (2022.9.2.更新)
初期大乗経典について ①
⑴『般若経』 いろいろな般若系の経典がありますが、いまはこれらを一括してこの名称で呼ぶことにします。経典の内容は般若波羅蜜(智慧の完成)を説き、仏陀正覚の意義とはたらきとについても述べ、空の智慧、無執着の智慧が明らかにされています。空思想が一貫して流れていて、大乗仏教の教理の基本が説かれています。
⑵『華厳経』 詳しくは『大方広仏華厳経』といい、仏陀が成仏してあらゆる功徳を身にそなえた点を、美しく飾られた華にたとえて「仏華厳」といったわけで、この仏のさとりの内容は、毘盧遮那(光明遍照)仏としてあらわされていますが、その自内証は『般若経』の空思想をふまえたものであります。また菩薩道が詳しく語られています。
第80回 10 釈尊以後の仏教 (2022.8.1.更新)
大乗仏教の興起と展開 ③
さて、大乗経典、特に初期の大乗経典には、原始経典(『阿含経』)の教理が多く活用されています。このことは、大乗仏教も原始仏教の伝統を継承していることを示しています。また、部派仏教の教理の影響も決して無視することはできません。こうした意味で、大乗経典は、釈尊の教法の真意を正しく伝承し開顕したものとうけとるべきであると思います。いまは、大乗経典の成立経過から見て、これを3期に分けて、その要をに述べることにしましょう。
第79回 10 釈尊以後の仏教 (2022.7.2.更新)
大乗仏教の興起と展開 ②
ところが、釈尊の真精神に徹し、仏陀の慈悲を仰ぎ、仏塔崇拝のような純粋な宗教的態度に生きた在家信者の人々から、仏陀の根本精神にたちかえろうという運動、つまり、仏陀釈尊を人間完成の理想として、それを達成しようという運動がおこりました。この運動は、部派仏教(出家教団)に対する反省と批判が秘められていると同時に、仏陀の根本精神をより根源的に追求しようとする、成仏道を目指す理想主義的運動であったといえましょう。このような純粋な信仰運動は、出家者の力もあずかっていましたが、その中心は在家信者の集団にあったといってよいと思います。こうした大乗仏教運動が、いつどこで起こったかということは十分明らかではありませんが、紀元前二世紀ごろ南インドで起こり、やがて力強い運動となって、西インドから北インドへと展開したといわれています。
第78回 10 釈尊以後の仏教 (2022.6.1.更新)
大乗仏教の興起と展開 ①
仏教教団が、二十の部派に分かれて場所や伝承を異にしながらも、各部派は、教法に対する研究を盛んに行いました。その結果、特に論蔵に対する研究が深まり、その発達には著しいものがありました。しかし、それは寺院中心、出家者中心の学問仏教の方向をたどり、ついには煩瑣な哲学的傾向を深めるにいたりました。こうして部派対立の傾向は、出家教団を固定化し、在家信者が無視される状態になっていきました。したがって、一般大衆の宗教的要求を満たすことができないばかりか、大衆との溝をいよいよ深める結果を招くことになりました。大衆の現実的苦悩を救い、解決することのできない仏教は、真の仏教でもなければ、それ自体存在する意味がありません。この点については、今日の私たちも心しなければならないと思います。
第77回 10 釈尊以後の仏教 (2022.5.7.更新)
教団の分裂 ③
教団が前述のように多く分派し、それぞれが部派として独立しますと、そこには、独自の教理が体系化されることは当然の理であり、各部派がこぞって教法の研究にとりかかりました。その結果、論蔵が多く作られ、有力な部派においては、自派固有の三蔵を整備するようになりました。なお、従来は、口誦され、口承によって伝えられていた三蔵も、紀元前一世紀頃からは文字に写され、書物になったともいわれています。
第76回 10 釈尊以後の仏教 (2022.4.1.更新)
教団の分裂 ②
アショーカ王時代に教団活動は極めて活発であり、教線も拡大されましたので、仏教は広い地域にまで伝えられていました。このように教団が多くの地方に広がりをもっていたという地理的条件や、あるいは教理上の解釈の相違、あるいは教理に則しての独自の主張者の出現などの事情によって、教団は第2段階の分裂を生じるにいたりました。これを枝末分裂と呼んでいます。すなわち、大集部は、根本分裂(仏滅100年頃)から仏滅200年頃までの間に8部派に分かれ、本末合わせて9部に、上座部は、大集部より100年遅れて仏滅200年頃から分派がはじまり、それから200年間に7回にわたって10の部派にらわかれ、本末合わせて11部
にそれぞれ別れ、結局、仏滅400年頃には20の部派が成立したわけです。これを小乗20部と呼んでいますが、明治以後の学者は、このような諸派分立に見られる仏教を部派仏教と名づけています。
第75回 10 釈尊以後の仏教 (2022.3.2.更新)
教団の分裂 ①
第一結集が行われた後の教団は、よく統一が保たれていました。それは、釈尊の人格に直接にふれ、その教法を聞くことのできた仏弟子たちが沢山いたからでありましょう。しかし、比丘たちも二世、三世となると、必ずしも長老たちの意向のままにはならなくなってきました。釈尊の滅後百年頃になりますと、進取的な比丘たちが、戒律に対する「十事」(十ヶ条)の承認を教団に求めました。これは戒律に関する解釈をめぐってのことですが、その内容は、戒律の一部(十事)について除外例を認めて、ゆるやかに守ることを主張したわけです。ところが、これに対して長老たちは、厳格に守るべきであるといって反対しました。ここに若い層を中心にした進取派と、長老上座を中心にした保守派とに、教団は分裂しました。前者は内容主義で、実質に重きをおく正意派、後者は形式主義で、風采を重んじる正風派ともいえましょう。こうして、釈尊以来一つであった仏教教団は、大衆部と上座部との二派に大きく分裂しました。これを根本分裂といいます。根本分裂について、具体的な理由や経過については、北伝と南伝とによって相違点がありますが、大体上記のように考えてよいと思います。
第74回 10 釈尊以後の仏教 (2022.2.4.更新)
結集 ④
次に、第4結集ですが、2世紀頃に、カニシュカ王-アショーカ王につぐ熱烈な仏教信者で仏塔や伽藍を建立し、仏教を保護し発展につとめた王ーのもと、カシミール国に500の羅漢(聖者)が集まり、上首のヴストミトラを中心に、経・律・論の三蔵に註釈や解釈をほどこして、それを編纂しました。この第4結集(500羅漢結集)は、北方仏教に伝えられていますが、南方の仏教には伝えられていません。
結集について、歴史的事実としては、いろいろ問題が残されていますが、教団内部の事情や社会状況の推移との連動において、釈尊滅後の数百年間にわたって、こうした経過を経て三蔵が次第に整備されてきたことを、わたくしたちは忘れてはならないと思います。
第73回 10 釈尊以後の仏教 (2022.1.5.更新)
結集 ③
その後しばらく教団の動きに大きな問題はなく、出家者は出家者らしく修行に、在家者は在家者らしく聞法に励んでいました。ところが、釈尊入滅後100年ほど経たころに、戒律についての異議が生じました。それでヴァイ̪シャーリーにおいて、ヤシャが主任となり、700人の比丘による第二結集(七百人結集)が行われました。また、釈尊滅後二百年頃に、アショーカ王ー仏教の熱心な信者で、仏教の慈悲の精神で平和と平等の政治を行ない、仏塔を各地に建立し、釈尊の聖地の保存にもつとめ、伝道師を国外にまで派遣して、仏教の発展に力を尽くした王ーのもと、首都パータリプトラに千人の比丘が集まって、経・律・論の三蔵全部が編集されました。これを第三結集(千人結集)と呼んでいます。ただし、第1・第2結集は、北方・南方の両仏教に伝えられていますが、この第3結集は南方仏教にのみ伝えられています。したがって、ここでいう三蔵の編集は、『南伝大蔵経』の編纂と理解すべきでありましょう。
第72回 10 釈尊以後の仏教 (2021.12.1.更新)
結集 ②
このように仏陀の教えは、入滅直後から、教法と戒律とに分けて伝持されました。教法は、師から弟子へと口伝によって伝承される間に内容は整理され、形式が整えられてスートラ(経)と呼ばれるようになりました。戒律は出家者の修行の根本規則を集めたものですが、次第に教団運営の規範も整備されて、それをも含めてヴィナヤ(律)と呼ばれるようになりました。これによって、釈尊が説かれた教法、釈尊が定められた戒律が整備され、釈尊滅後の教団の指針となっています。ただ注意すべきは、釈尊在世当時から、法と戒とが区別して説かれたわけではなく、編纂上生じたにすぎません。また、この段階では経と律のみが成立しただけで、経や律に対する註釈や解釈をほどこしたアビダルマ(論)は、いまだ成り立っていません。これが成立したのは第二結集によるといわれています。仏教教団は釈尊在世中に、すでに成立していましたが、本格的な教団として活躍するのは、むしろ入滅後であり、それは第一結集を起点として展開されることになるといってよいでしょう。
第71回 10 釈尊以後の仏教 (2021.11.2.更新)
結集 ①
結集とは、梵語のサンボーティの訳で、合誦の義と解されていて、仏教聖典を編集することを指しています。釈尊の説法を聞いた弟子たちは、もっぱら記憶にたよっていましたので、弟子のことを声聞(声を聞いた人)と呼んでいました。こうした声聞たちが集まって、各自が聞いた教えを示し合い、それが釈尊の教法であるかどうか内容を確認し、合誦して全員が是とすることをもって、それが経典として確定されるわけです。
この第1回目の編集が第1結集(五百結集)と呼ばれています。これは釈尊が入滅されてから数か月を経た頃にマガタ国の首都ラージャクリハ(王舎城)の郊外で五百人の有能な弟子が集まり、マハーカーシャパ(魔訶迦葉)が主催し、教法については、多聞第一といわれた温厚な性格のアーナンダ(阿難)が中心となり、戒律については、持戒堅固で戒律研究第一といわれたウパーリ(優波離)が中心となって行われました。
第70回 10 釈尊以後の仏教 (2021.10.3.更新)
釈尊の入滅と教団 ③
つまり、釈尊の説法は折に触れ、機に応じて行われましたから、説法の対者やその内容など、ケースによって説法が異なりましたので、それは多種多様でありました。それだけに釈尊が入滅されますと、弟子たちの間で、種々の異なった意見を唱えるものが現われるようになりました。そこで教団の主脳者たる長老比丘たちは、釈尊の真の教えが亡んでしまうことを心配しました。その結果、まず教法の内容を確認すること、また、教法が散逸しないようにするために蒐集すること、さらに、教法が後世に正しく伝持されることなどの必要を感じたのであります。そこで仏弟子たちは、釈尊が四十余年にわたって説かれた教法を編集し、それを経典として成立せしめました。そして出家者は、とくにこの経典を崇めたのです。このように、釈尊の入滅後の教団は、舎利(仏塔)崇拝・遺物崇拝・経典崇拝を中心として活動が展開されていくのです。
第69回 10 釈尊以後の仏教 2 (2021.9.1.更新)
釈尊の入滅と教団 ②
それにはいろいろな理由があると考えられますが、妻子をもち家業を行っている在家者は、出家者のように戒律を守り禅定に専心する余裕がないために、真の智慧を得ることがで望めません。そこで苦から脱出しようとするならば、仏陀の大慈悲にすがる以外に道はないわけです。そこで仏塔を建立したり、仏塔を荘厳したり、あるいは仏塔を礼拝するなどの功徳を積むことによって、解脱に至ろうとする宗教的実践が行われるようになり、その結果、この仏塔信仰は急速に発展したようであります。
これに対し、出家の比丘たちは、自らの修行を完成してく道しるべとして、釈尊を尊崇することがより重要であったために、釈尊の教法を強く求めました。釈尊の在世中は、生存に係わる一切の苦しみや悩み、人生の矛盾や不安について弟子たちは、直接釈尊に教えを乞い、さまざまな人たちが、いろいろな教えを聞かせていただくことができました。
第68回 10 釈尊以後の仏教 1 (2021.8.4.更新)
釈尊の入滅と教団 ①
釈尊が入滅された後、その遺骸は荼毘にふされました。釈尊に帰依していた多くの人々は、大きな悲しみの中に釈尊の遺骨を拝することを願いました。かれらにとって師を偲ぶよすがとなるものは、何にもましてこの舎利(遺骨)であったわけです。舎利はさまざまな経過をたどりながら分配され、やがて各地に舎利塔(仏塔)が建立されました。人々はその舎利塔の中に、釈尊のありし日を偲びながら礼拝しました。これが舎利崇拝のおこりであり、後世の仏塔崇拝を形成することになります。この仏塔信仰は、インドの全域に拡ったようです。また仏塔崇拝と同じような意味で、釈尊が平素身につけておられた衣服や、常に使用しておられた鉄鉢などの遺物を通して、釈尊の面影を偲び、釈尊を崇める遺物崇拝が行われるようになりました。ことに在家の信者たちは仏塔崇拝を重視したようです。
第67回 9 悟りの世界 21 (2021.7.2.更新)
釈尊と阿弥陀仏 ⑦
要するに、阿弥陀仏は衆生に働きかけはするけれども、人間的なものは一切もちあわせないわけです。そこで阿弥陀仏は、言葉をもっている釈尊をして、「真実の教え」として『大無量寿経』を説かしめなければならないわけです。人間の立場からいえば、言葉で説かれた「真実の教え」を聞くことによって、阿弥陀仏の働きかけにはじめて応えることができ、信心を得ることができるにわけです。つまり、歴史を超えた阿弥陀仏が、歴史(人間の世界)の中へ入ってくるには、どうしても「言葉」を通さなければ「教え」として全うすることができないのです。そこで釈尊は、歴史を超えた仏陀であると同時に、歴史上の人間として、両方にわたっているわけなのです。わたくしたちはそうした釈尊の「教え」を聞くことによってのみ、歴史を超えた「真実」、すなわち、仏陀となることができるのです。仏陀の三身説を通して、釈尊と阿弥陀仏とわたくし自身との関係を、宗教的な主体の問題として考えてみる必要があるのではないでしょうか。
第66回 9 悟りの世界 ⑳ (2021.6.2.更新)
釈尊と阿弥陀仏 ⑥
そして仏陀の窮極的なあり方は、決して歴史上の釈尊ではなく、あくまでも釈尊をして仏陀たらしめた無量寿・無量光の阿弥陀仏であります。「久遠実成阿弥陀仏 五濁の凡愚をあはれみて 釈迦牟尼仏としめしてぞ 迦耶城には応現する」(『浄土和讃』)と。久遠とは時間・歴史を超えた永遠ということですが、そうした歴史を超えた永遠の阿弥陀仏(報身ー方便法身)が、凡愚の衆生をあわれみ救うために、歴史の中の一人の人間という形をとって、インドの迦耶城に現れたに過ぎないのであります。したがって、釈尊はどこまでも阿弥陀仏の応現であるといわなければならないのであります。
第65回 9 悟りの世界 ⑲ (2021.5.4.更新)
釈尊と阿弥陀仏 ⑤
さて、親鸞聖人は、釈尊(応身)と阿弥陀仏(二種法身)の関係をどのように考えられたのでしょうか。近代人は、歴史の中に実在した仏陀としての釈尊を基礎として、その上に阿弥陀仏の存在を考えがちでありますが、親鸞聖人はむしろ反対に、阿弥陀仏を基盤にして、その上に仏陀釈尊が成立すると考えられたのであります。つまり、歴史を超えた「まこと」なるものを、歴史の中にある人間に告げ知らせるのが、仏陀釈尊の説教にほかなりません。そこで、釈尊の説教の「まこと」は、弥陀の本願の「まこと」に基づいていることが知られるのであります。「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釋虚言したまふべからず…」(歎異抄)と。釈尊の説教が虚言でないのは、弥陀の本願の「まこと」がそのまま言葉に表れているからです。このように、本願の「まこと」が釈尊の言葉となって現れたのが『大無量寿経』です。これこそが、まさに「真実の教え」に他なりません。
第64回 9 悟りの世界 ⑱ (2021,4,2,更新)
釈尊と阿弥陀仏 ④
「しかれば佛について二種の法身まします、ひとつには法性法身とまうす、ふたつには方便法身とまうす。法性法身とまうすは、いろもなし、かたちもましまさず。しかればこころもおよばず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして方便法身とまうす、その御すがたに法蔵比丘となのりたまひて不可思議の四十八の大誓願をおこしあらはしたまふなり。この誓願のなかに、光明無量の本願、寿命無量の弘誓を本としてあらはれたまへる御かたちを、世親菩薩は尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまへり。この如来すなはち誓願の業因にむくひたまひて報身如来とまうすなり、すなはち阿弥陀如来とまうすなり。報といふはたねにむくひたるゆへなり。(『唯信鈔文意』)
と。
第63回 9 悟りの世界 ⑰ (2021.3.2.更新)
釈尊と阿弥陀仏 ③
親鸞聖人は、法性法身(法身)と方便法身(報身)の二種法身の関係を詳らかにして、阿弥陀仏の性格を次のように明らかにしています。
「この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆへに、報身如来とまふすなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とまふすなり。この如来を方便法身とはまふすなり。方便とまふすは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふをまふすなり、すなはち阿弥陀仏なり」(『一念多念文意』)
第62回 9 悟りの世界 ⑯ (2021.2.4.更新)
釈尊と阿弥陀仏 ②
これに対し、阿弥陀仏は報身仏(方便法身)と呼ばれています。この阿弥陀仏には人間的なものは何もなく、したがって言葉を話すこともありません。ですから何人でもなく、生まれもせず死にもしない、そして俗生活を営むことは全くないわけです。この方便法身(報身)たる阿弥陀仏は、因位の法蔵菩薩が48願を立てられ、その願いを果たすために永い間思惟をこらし修行をして、その結果、願いを成就して仏に成られた、いわゆる因願酬報(因願の根本は第18願)の仏であります。わたくしたちは、この大慈大悲の阿弥陀仏の働きかけに促され、信ぜしめられ、往生浄土の念仏の生活に導かれ、真実に目覚めさせていただくばかりであります。
しかし、このような報身(方便法身)の基底には、人間の思議を絶した根源的実在ともいうべき一如・真如・法性のあることを忘れてはなりません。これが三身説でいう法身(法性法身)であります。このような法性法身は、「いろもなし、かたちもましまさず」といわれるものです。これは哲学的な原理でありえても、わたくしたちの信心の対象とはなりえません。信心の対象となるためには、どうしても暖かな慈悲の交わりとして顕現してくださるものでなければなりません。ここに方便法身としての必然性が要請されるのです。そこで方便法身とは「かたちをあらわし御名を示すこと」すなわち垂名示形と、形なきところに形をあらわし、名のなきところに名を示されたのが、阿弥陀仏であります。
第61回 9 悟りの世界 ⑮ (2021.1.7.更新)
釈尊と阿弥陀仏
仏陀観の三身説のところで述べましたように、釈尊は応身仏と呼ばれています。釈尊はインドの釈迦族の太子として出生され、紀元前4・5世紀頃に入滅せられた方です。釈尊には私たちと同じように親があります。結婚もし世俗生活を営まれ、言葉も用いられて、80年の生活を送られた歴史上の人物です。ですから、釈尊は普通の人間とかわらない一面をもっています。しかし、一面においては普通のすべての人と違うところがあります。
釈尊の生涯における大きな出来事は、誕生・出家・成道・涅槃(入滅)の四つです。これを釈尊の四大事といいます。この四大事の中で、成道と涅槃(さとり)が特に違う点であるといわなければなりません。さらに釈尊の釈尊たるゆえん、つまり釈尊の偉大さ尊さは、悟りを開かれたということ、すなわち仏陀(覺者)になられたということです。ということは、真理を自覚したということ、歴史の中にありながら、絶えず歴史を超えた真実にめざめたということです。歴史的存在である有限相対の釈尊は、真実にめざめたということにおいて、無限無量の絶対なるものを体得したということであります。
第60回 9 悟りの世界 ⑭ (2020.12.2.更新)
一切衆生悉有仏性 ③
善導大師は「我等愚痴の身」といい、源信和尚は「予が如き頑魯の者」と述べ、法然上人は「愚痴の法然房」といわれ、親鸞聖人は「愚禿」と名のられています。この宗教的内観の世界をわたくしたちは味識しなければならないと思います。阿弥陀如来の本願にうなずきながら、他力の大信心を領解させていただくわたくしたちには、罪深きが故にこそ救われるという、安堵と歓喜の人生が力強く展開されるのです。親鸞聖人は、「如来すなはち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり 凡地にしてはさとられず 安養にいたりて証すべし」と、また「信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたまふ 大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり」(浄土和讃)と讃嘆しておられます。
第59回 9 悟りの世界 ⑬ (2020.11.5.更新)
一切衆生悉有仏性 ②
いまこれを略図化しますと
仏性(大慈大悲―大喜大捨-大信心―一子地)=如来=一切衆生悉有仏性
ということになりましょう。成仏とは、われわれの中に蔵する仏性如来蔵(仏ー如来になる可能性)を開発して、本来自性清浄の仏であることを自覚することであります。つまり、凡夫にあっては、無明煩悩におおわれて迷いの生活を続けていますが、煩悩を断じて仏になることが、仏教の究極の目的であります。たとえ、成仏の時期に遅速はあっても、大乗仏教の目指すところは、まさに一切衆生悉有仏性にあるといわなければなりません。
しかしながら、人間には平等の理があり、仏性を悉く皆有するといわれながらも、わたくし自身を深くみつめるならば、善なるもの清浄なるものは全くなく、したがって聖者ではありません。
第58回 9 悟りの世界 ⑫(2020.10.10.更新)
一切衆生悉有仏性
仏陀観には、すでに述べたように、二身、三身、四身などの諸説がありますが、その基本は、法界に遍満する真如の理を悟れば成仏(真理の自覚者)することができるわけです。大乗の『涅槃経』には「一切衆生悉有仏性」と説かれているように、生きとし生きるものはすべて仏性を有するから、仏になり得るわけです。ところが、この仏性という語については、種々に表現されています。例えば『涅槃経』の一部には「大慈大悲を名づけて仏性となす。…この故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。大慈大悲は名づけて仏性となす。仏性は名づけて如来となす。大喜大捨を名づけて仏性となす。…この故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。大喜大捨は即ちこれ仏性なり。仏性は即ちこれ如来なり。仏症は大信心と名づく。…この故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。大信心は即ちこれ仏性なり。仏性は即ちこれ如来なり。仏性は一子地と名づく。…この故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。一子地は即ちこれ仏性なり。仏性は即ちこれ如来なり」とあります。
と
第57回 9 悟りの世界 ⑪ (2020.9.2.更新)
仏陀観の変遷 ④
以上の三身を「法報応の三身」といいますが、これはあくまでも法身を基礎して成り立っていることを忘れてはなりません。これら三身の相互の関係は、あたかも月の体と、月の光と、月の影のごとくであると、ある『論典』に示されています。すなわち、法身の理体が唯一常住不変であることを、月の体にたとえ、報身の智慧が、報身の理体から生じて一切を照らすことを、月の光にたとえ、応身が変化のはたらきによって、機に応じて現れることを、月の影が水に映ることにたとえたものであり、これを「一月三身」といいます。さらに仏の大慈大悲は、人類を救うだけではなく、広く一切の生きとし生けるもの、すべてを済度するという崇高な目的実現のために、さまざまな姿形に変化して異類を済度するわけですので、こうした異類身の仏陀を、変化身あるいは化身と称しています。そこで、法報応の三身にこの化身を加えて、「四身」とも説かれています。いま私たちは、仏陀観の変遷の概略を考察したに過ぎませんが、限りない大智大悲の妙用を仰がずにはおられないのではないでしょうか。
第56回 9 悟りの世界 ⑩ (2020.8.17.更新)
仏陀観の変遷 ③
これに対して、報身仏といいますのは、絶体完全な智慧をもって一切の衆生をみそなわし、衆生済度のきわまりない仏であります。報身仏の報は酬報の意味です。これは、菩9薩として因位にあったときに、立てた願と、修した行とに報いて、その結果として仏になられた仏でありますから報身仏といいます。次に、このような仏が、私たち人類を救うために、人間に相応した体をもってこの世に出られた仏、これが応身仏であります。ですから、歴史上インドという処に出現された釈尊こそが、まさにこの応身仏であります。
第55回 9 悟りの世界 ⑨ (2020.7.1.更新)教え
仏陀観の変遷 ②
仏教はすでに述べたとおり、智慧を親様のみがくことをもって修行の眼目とします。智の宗教でありますが、仏教でいう智慧とは、周知のとおり、世間一般でいわれている知識ではなく、あくまでも三世を貫く永遠の真理を、徹頭徹尾諦観する絶対完全な智慧であります。このように観ずる智慧(能観の智)が、絶対完全であるということは、観じられる真理(所観の理)もまた、絶対完全でなければならないわけであります。このように観じられる絶対完全なる真理は、真如・法性・一如・実相・一心・法界などといろいろ呼ばれますが、単に理ともいわれています。このように理と智とは、本来不二一体(能所不二)のものであぶつりますが、いましばらく、理智不二の理の一面と、智の一面とに分けて仏陀観に配当してみますと、理知不二の理の方をそのまま佛とみたのが法身仏であり、智の活動面を仏とみたのが報身仏であります。このような常住真実普遍平等の理体を、法身の本質となすとき、法身仏は、法界のいたるところに遍満しています。けれどもそのありようをいえば、色もなく形もましまさぬもので、しかも無始無終であります。
第54回 9 悟りの世界 ⑧ (2020.6.3.更新)
仏陀観の変遷 ①
ブッダガヤの菩提樹下で悟りを開かれた釈尊は、40余年の教化伝道をなされたのち、クシナガラの沙羅双樹の下で静かに入滅されましたそのことはすでに述べましたが、その化導を受けた仏弟子たちは、仏陀に対して限りない崇敬の念を抱きました。仏陀の肉身は滅しても、仏陀の説かれた法(真理)は永遠不滅であるとし、さらに、不滅の法を体得されたのが仏陀でありますから、法そのものを指して法身と呼び、この常住不滅の法身を尊崇するという、法身常住の考えが生ずるようになりました。ここに歴史上の仏陀である父母生身の生身仏と、歴史を超えた法そのものの法身仏との二身説が生じました。
第53回 9 悟りの世界 ⑦ (2020.5.2.更新)
六波羅密 ③
さらに、施す物に執着をもってはいけないのです。それは無報酬の行為、代償を求めない行為であり、純粋さそのものです。つまり施す者も、施しを受ける者も、施し物も、すべてが執われを捨てたものでなけれぱなりません。それは徹底した無自性の自覚、無所得の実践、いわゆる空無我でなければならないというわけです。諸波羅蜜は、実際的にわたくしたちにとっては、甚だ困難な行であります。しかもこの行は、永遠といってもよいほどに長い時間を必要とするのであります。
このように考察してまいりますと、末法濁世に生を受け、日夜煩悩に覆われ、無知・無能・無力のみならず、迷界のはて地獄への道を、一途に突き進んでいる罪悪深重のこのわたくしは、場合によっては、六波羅蜜のまねごとらしいことはできるかもしれませんが、どれ一つとりあげてみても、真に実行することは不可能といわなければなりません。まさに難行の道そのものであります。これに対し、阿弥陀仏の本願によって救われる浄土往生の道は、まことに易行の道であると確信されるのであって、この道がひとしお尊く有り難く領解されるのであります。闇夜の中に光明が、苦悩の中に歓喜が、不安の中に安心が、有限の中に無限の世界が、現実生活の上に力強く展開されるのではないでしょうか。
第52回 9 悟りの世界 ⑥ (2020.4.4.更新)
六波羅蜜 ②
といいますのは、布施・持戒などの前五波羅蜜は、この智慧にささえられ、裏付けられてはじめて此岸より彼岸にいたる行たりうるから、そこではじめて菩薩行としての意義が存するのです。ですから、智慧は、五波羅蜜の根拠として最も重要な位置を占めることになるわけであります。このような六波羅蜜は、部派仏教における行道が、戒律の厳守を強調するあまり陥った形式主義と、知識を尊重するあまり陥った煩瑣な教学との弊害を排除して示されたものであります。よって、この行は、無上菩提を求め、衆生を利益する大乗菩薩行であり、いうまでもなく成仏を目指す修行で、わたくしたちにとって理想の実践行に他なりません。さらに大切なことは、修行そのものに執着してはならないということです。もしそれに執着したならば、それはもう波羅蜜でもなければ悟りでもないのです。あるのはただ、無限の向上の躍動のみであり、あえて表現するならば、空無我とでもいうべきでしょうか。例えば、布施波羅蜜についていいますと、菩薩は布施を行いますが、しかし、それを行いながらも、自分がこのものを施すという心をもってしてはならないといいます。相手を意識して、相手に恩恵を与えるというような心を否定しなければなりません。
第51回 9 悟りの世界 ⑤ (2020.3.1.更新)
六波羅密
佛陀になろうという願いや悟りを求めてやまない心のことを菩提心といいますが、この菩提心を起こして仏道を修する行者を菩薩といいます。そしてこの六波羅蜜を行じることこそ菩薩道です。さて、⑴布施とは、貪欲の心を対治して、人に財を与え、法(真理)を教え、安心を与えることで、完全な恵みをほどこすこと。⑵持戒とは、悪業の心を対治して、身心を清浄ならしめることで、戒を完全に守ること、⑶忍辱とは、瞋恚の心を対治して、迫害困苦を耐え忍ぶことで、完全な忍耐のこと。⑷精進とは、懈怠の心を対治して、身心を励まし努力を続けることで、完全な努力のこと、⑸禅定とは、心の動揺散乱を対治して、心を集中し安定させることで、完全な精神統一のこと。⑹智慧とは、愚痴の心を対治し、迷いの心を離れて諸法の究極的な実相を見極めることで、完全な智慧のことです。
以上の六波羅蜜の中で、最も重要な意味をもっているのは、智慧であります。三学でも慧が重要な意味をもっていましたが、ここでいう智慧は、それと同等あるいはそれ以上に重要であります。
第50回 9 悟りの世界 ④ (2020.2.4.更新)
六波羅蜜
六波羅蜜は、梵語のパーラミターの音写語です。これはもとパラマ(最高)という言葉から派生した語で、完全とか完成という意味があります。それで般若(智慧)波羅蜜を、智慧の完成などと訳すわけです。しかし、普通は、波羅蜜を「到彼岸」(彼の岸に到る)あるいは「度」(わたる)と訳し、迷いの此岸から悟りの彼岸に度るための行法と解釈するようになりました。この波羅蜜に布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六種類がありますので、これを六波羅蜜(六度)と呼んでいます。これは、戒・定・慧の三学に見られる実践道の精神をさらに拡充したものです。大乗仏教の行者は菩薩と呼ばれ、その菩薩が修する道を菩薩道と呼んでいますが、この菩薩道を代表する実践法が、六波羅蜜に他なりません。それは、釈尊がかつて菩薩であったとき、この六波羅蜜を行じて仏陀になったと伝えられていました。六波羅蜜は、その佛伝に則って仏陀の行を模範とし、その行を追体験しようと心掛けた人々、いわゆる大乗仏教徒によって形成確立されたのであります。
第49回 9 悟りの世界 ③ (2020.1.5.更新)
戒・定・慧の三学
仏教徒は、右に示したように、仏陀の定められた戒を守って正しい生活、規律のある生活を営み、定を修して精神を統一し、心を落ち着け、慧をみがいて正しい世界観をもち、真理を悟るわけでありますから、この三学は独立した存在ではなく、慧に裏付けられることによって、戒も定も仏道として全うされるのであります。逆な言い方をしますと、智慧が生まれるには、どうしても定が必要であり、定がよく成立するためには、必ず戒が守られなければならないのです。このような関係において、三学の意味が完全に発揮されることになるわけであります。
第48回 9 悟りの世界 ② (2019.12.18.更新)
戒・定‣慧の三学
⑵ 定とは禅定・静慮ともいい、身心を静かにし、心を一つの対象に集中して統一を行い、思いが乱れない状態のことをいいます。禅定の方法は、仏陀以前からあったインド一般の修行法でありますが、ひとたび仏教に取り入れられますと、悟りへの道として極めて重要な実践法となって、三昧・坐禅・止観・観法と呼ばれるようになり、特異な発展をとげています。
⑶ 慧とは智慧のことであります。仏教でいう智慧は、世間一般にいう知識や知性、すなわち世間智ではなく、真理を見開く般若の智慧、すなわち出世間智で、理に達することです。ですから智慧はまた、煩悩のけがれのない清浄の無漏智のことであって、煩悩のある有漏智ではありません。また、智慧の修行の順序、いわゆる学び方に、聞慧(経典の教えを聞いて生じる智慧)・思慧(理を思惟して生じる智慧)・修慧(禅定を修して生じる智慧)の三種が教えられていますが、先にもふれましたように、仏教でいう学とは、仏道を行じることであって、仏教生活全体が学であります。したがってそれは、単なる学問研究という意味でないことはいうまでもありません。
第47回 9 悟りの世界 (2019.11.3.更新)
戒・定・慧の三学
戒・定‣慧の三学とは、仏道を修行するものの必ず修めなければならない、最も基本的な三つの行のことで、これは八正道の行法を要約した、仏道実践の大綱を示したものともいえます。三学の学は、梵語のシタシャーのことで修行というほどの意味です。ですからこの学は、今日一般にいう知性の働きによる学門という意味ではありません。三学はむしろ、内容的には三行といった方が適切だと思います。
⑴ 戒は仏教徒の生活規範です。仏教徒には、捨家棄欲の生活をして仏道に専念する出家の行者と、家庭にあってそれぞれの職業に従事しながらいましめを守り、布施(食物・衣服・医療などの物資を出家者に供給すること)をする在家の信者がいます。これら双方に男女の別がありますので、比丘(男の出家者)・比丘尼(女の出家者)・優婆塞(男性の在俗信者)・優婆夷(女性の在俗信者)に分かれますが、これを「仏の四衆」と呼び、仏教教団はこの在家・出家の二重構造において形成されました。しかし、出家・在家のいかんを問わず、仏道を行ずる教徒には、それにふさわしい生活をしなければなりません。その仏教徒らしい正しい生活をするには、仏陀の定められた戒めを守らなければなりません。その戒は、仏陀が時に応じ折にふれて定められたものであります。すなわち、比丘に二百五十戒、比丘尼には三百四十八戒(一般に概数としては五百戒)、優婆塞・優婆夷は五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒)、または八斎戒(八戒斎)が規定されています。
第46回 8 仏教の人生観 (2019.10.2.更新)
業について ⑤
なお、宿業という考え方について一言しておきましょう。宿業とは、宗教的体験をとおしてのみ会得できる世界であって、他に対してみだりに介入したり、他から論及されたりすることのできない、信心の世界であるといってよいと思います。つまり、人間の相対的な場における業論ではなく、あくまでも絶対的な仏との対応における、懺悔と歓喜の主体的な業論といえるのではないでしょうか。
第45回 8 仏教の人生観 (2019.9.11.更新)
業について ④
仏教では、人間の生きるいとなみは業によると説きます。神の支配によって人間の運命が決まるというような他律的運命論ではありません。また、個人の意志に係りなく宿命的に遠い過去からすべてが決められているというような宿命論でもありません。なぜならこれらはすべて、個人の意志の自由が認められていないからであります。ところが仏教でいう業報思想は自由意志によって自己の未来を選び、決断し、自由に自らの世界をきり開いていくことを教えているのです。本来的に業は、未来に向かって滅する絶対自由の世界をめざして、人間が努力することを強調したものです。わたくしたちは、自律的生活、主体的人生観に生きなければならないことを、業の問題を自覚的かつ内観的に考察することによって、よく知ることができるのではないでしょうか。また、意業、すなわち心のいとなみを見極めることによって、生死迷苦の問題を解決することが大切であるという、仏教における人生観の基調を、一層深く感得することができるわけであります。
第44回 8 仏教の人生観 (2019.8.1.更新)
業について ③
次に、業は因果関係と結合することによって、存続してはたらく一種の力のようなものとみなされました。そこで業の因果の法則を考えてみたいと思います。⑴には、ごく単純に、善因には善果、悪因には悪果という、道徳的法則が認められます。⑵には、仏教的な、善因には楽果、悪因には苦果という法則が見いだされます。この両者は仏教でいう同類因等流果という法則に順じたものと考えてよいのではないでしょうか。元来業報思想は、人生の苦をなくするために、惑業を引き起こす煩悩を絶たなければならないことを教えるものだからであります。⑶には、それをより積極的に推し進める法則として、仏教でいうい異熟因異熟果の法則をとりあげることができます。これは因は善あるいは悪でありますが、果は無記であることにおいて、因と果とは性質が異なっていますから、異熟因異熟果と呼んでいるわけです。このような業報論を展開することによって、より正しく仏教の業を理解することができると思います。例えば、過去の因が善あるいは悪であっても、果は無記であるということは、わたしたちの生き方が、すべて過去の決定性に基づくもので、現在から未来に向かって自由性が全くないというような考え方を否定している、と理解してよいと思います。
第43回 8 仏教の人生観(2019.7.1.更新)
業について ②
次に業によって、その果の報いを受ける時期に、異なりのあることを知る必要がありましょう。それは、⑴順現業、⑵順次業、⑶順後業、⑷不定業です。それぞれこの世で作った業に応じて、その報いを受けるについて、⑴はこの世で受けるもの、⑵は次に生まれかわった世で受けるもの、⑶は次の次以後の世で受けるもの、これら以上の三者は時期が定まっているから定業といいます。これに対して、⑷は時期が定まらないものの業のことですから、ごく近い明日という可能性とともに、また遥か遠い何世か経ってからという可能性もあることになります。理不尽の悪徳者がいて、たとえいまは栄えているとしても、その本人は将来、時期の定・不定はあっても、必ずその悪徳ぶりの報いは受けなければなりません。他人は見とどけることはできないにしても、それはいつの日か、自分自らに必ずあると、心得なければなりません。したがって、私たちは、平素から聞法に徹して三業を慎しまなければならないわけです。
第42回 8 仏教の人生観 (2019.6.8.更新)
業について
業とは、梵語カルマンの訳で、羯磨と音写され、造作、すなわちはたらきという意味です。私たちの行為や所作を指します。これを二業、三業、五業などと分類することができます。まず二業とは、思業と思已業です。心に思うことも行為(業)の中におさめるのが仏教の特色ですが、この心に思うこと、いわゆる精神作用のことを思業といいます。これはまた意業とも名付けています。思已業とは、心に思い已って、それが外部に現れた業のことをいいます。これには身業と語業(口業)とがありますので、前の思業とこの身業と語業とを合わせて三業と称します。身業とは身体の動作、語業とは言語のいとなみといってよいでしょう。次に五業ですが、業はその性質の上から、善・悪・無記(善とも悪とも記別できない中性)の三性に区別されますが、この中の、善と悪の身・語の二業には、それぞれ表業(外面に現れる業)と無表業(表面に現れずに後に残る業)とがあります。これらの四業に意業を加えた五業を指します。しかし、業の分類の場合、三業が一般的に用いられています。
第41回 8.仏教の人生観 (2019.5.3.更新)
惑業苦の三道
先に述べた十二縁起説は、人生の迷苦を明らかにすると同時に、悟界いへの還滅の縁起をも説いていますが、こうした理解の他に、この十二縁起で、惑・業‣苦の流転相続を説明することがあります。
まず十二縁起について、無明より受にいたる前際の七支と、愛より老死にいたる後際の五支とに分けることができます。さて、この前際の七支を惑・業・苦の三道に配しますと、無明は惑に、行は業に、識‣名色・六処・触・受の五支は苦にあたります。この場合は、無明が迷いの根本をなしているという点から、これを無明縁起といいます。次に、後際の五支を同じように三道に配当しますと、受‣取は惑に、有は業に、生・老死は苦にあたります。これは、愛が迷いの根本をなしているので貪愛(渇愛)縁起といいます。無明は知性的な煩悩の根源であり、愛は情意的な煩悩の根本です。このようにわたくしたちの人生は苦であり、その苦は業によって起り、その業は惑によって作られます。したがって、人生苦の原因は、惑と業と苦にあるわけですが、その苦の結果を招く直接原因(因)は業、間接原因(縁)は惑です。そこで業は、結果を引く最も重要なポイントであります。このような惑‣業・苦の三道は、わたくしたちが迷界を輪廻する次第を示したものですが、この惑・業を断ち切らない限り、私たちは永遠に生死の苦海に沈淪しなければならないことになるわけです。
第40回 8.仏教の人生観 (2019.4.2.更新)
十二縁起 ⑤
このように十二縁起は、人生苦によってきたる条件をつぎつぎに追及して、無明こそがむ、その根本の条件であることを示したものです。無明とは明がないということで、明を明としらない闇のことであり、迷いそのもののことです。
ですから無明とは、無常苦の実相を知らぬ惑いとも呼ばれているわけです。したがって、十二縁起は 相互の依存、条件関係において、最終的に無明とは何であるかということが発見された、十二の系列であるといえましょう。また、先に「無明によって行あり…生によって老死あり」(流転門)とか、「無明なきによって行なし…生なきによって老死なし」(還滅門)というように、説明する場合は、いずれも無明からはじまっていますが、しかし、迷いの生存の根拠を現実の無常苦から探求するという十二縁起説の趣旨からすれば、老死がその出発点にあることは当然のことでありますが、この点は大いに注目に価することと思います。
第39回 8.仏教の人生観 (2019.3.2.更新)
十二縁起 ④
つぎに愛が起る条件は何かといえば、それは「受」によるといいます。受とは苦受・楽受・不苦不楽受の三つに分けられますが、要は外からの刺激によって内に感受した苦楽の感情、好悪の感覚といってよいでしょう。このような受はいかなる条件によって起るかといえば、それは「触」によります。触は接触ということで触れることです。何と何が触れるかいえば、外界と心とが触れることですから、知覚とか感触と解せられます。それでは触はいかなる条件によって成立するのかといいますと、それは「六処」によるといいます。六処とは眼・耳‣鼻・舌・身・意の六つの感覚器官のことです。これによって、六つの認識の領域が成り立つわけです。では、何があるときに六処があるのかという条件の根本を追求しますと、そこには「名色」があります。名色の名は、心の働きのことで精神のことです。色は肉体で身体のことです。したがって名色とは心身の結合たる個体を指します。この名色の成立する条件の根拠は何かといえば、「識」であると説きます。人間の心身の具体的作用(はたらき)は、意識によって統一されていますから、名色を統一するものとしての識は、意識といってよいと思います。次に識があるための基本条件は何かということになりますが、それは「行」であると考えるのです。行は行為・行動のことです。仏教でいう業のことをさします。それならば、この行はなぜあるのか。言い換えれば、人間はどうして業をつくるのかと、その条件の根拠を探しますと、その基底には無明が見いだされるのであります。
第38回 8.仏教の人生観 (2019.2.1.更新)
十二縁起 ③
さて、このような観点にたって、十二縁起の順序を逆に観じていきますと、まず人生苦を代表する「老死」は、何によって起ったかの条件を考えますと、いろいろあるその中で最も中心的なものは「生」、すなわち人間に生まれたからです。それでは、生が存在するための条件は何であるかといえば「有」であると説きます。この有については、古くからさまざまな解釈があり、その扱い方は大変面倒なのです。学者によっては、業とか行動的自分とか行為的自己とか、いろいろ解されています。いまは簡単に、私たちの生存を意味していると理解しておきます。
それでは、その有のある条件を追求しますと、それは「取」であるとします。すなわち自己と自己の環境とか、自分および自分の対象に係わる物質的・精神的なものなどに執着することです。そうした取が起る条件はいろいろありますが、その根源は何かといえば、「愛」であると説きます。愛は渇愛とも呼び、煩悩の旗印です。このことについては、すでに述べてきた通りです。
第37回 8.仏教の人生観 (2019.1.13.更新)
十二縁起 ②
また、「無明なきによって行なし、行なきによって識なし…乃至…有なきによって生なし、生なきによって老死なし」というように、迷いを滅し、涅槃の悟りの方向へと観ずるのを、還滅門の縁起といいます。これは、宗教的な向上価値の縁起であって、わたくしたちの理想を明示したものです。まさに悟界還滅の縁起を説いています。
これらの両門は、いずれも無明にはじまり、老死に終わっていますが、ここでの中心点は老死であると考えられます。この老死とは、まぎれもなく人間が老人になり、死んでいく事実を指しています。私たちの日常生活においても、一日一日老いていき、一瞬一瞬死に近づき、遂には死に至ります。実はこの老死にまつわるわたくしたちの現実の苦しみ、その苦しみは無常苦にほかなりません。仏陀は人間生存の現実苦をまず凝視し、その苦のよってきたる原因を追究し、その苦の根源を断つことによって悟りに入られたのです。人生の無常苦を示した老死が、仏陀において最初に問題になったのは、至極当然のことといわなければなりません。仏教はすべてが現実から出発していることを、ここでもよく知ることができましょう。
第36回 8.仏教の人生観 (2018.12.13.更新)
十二縁起
十二縁起は十二因縁とも呼ばれていますが、これが十二縁起説として整備されて説かれるようになったのは、かなり後世に属するであろうことは、学者の指摘するとおりです。しかし、仏陀の縁起観の真意が、仏弟子ちによって形成され、総合されたものであることに思いをいたすとき、そこには大切な意味のあることを忘れてはなりません。
十二とは無明‣行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死の十二支を指します。この十二は相互の依存、条件関係において、人間の生存が成り立っていることを説いたものです。「無明によって行あり、行によって識あり…乃至…有によって生あり、生によって老死あり」というように、生死輪廻の迷いの生起す方向へと観ずるのを流転門の縁起といいます。これは、宗教的な向下価値の縁起であって、われわれの現実の相そのものであり、まさに迷界流転の縁起を示しています。
第35回 8.仏教の人生観 (2018.11.2.更新)
人生観の根本命題
「人生は苦である」とは、仏教の人生観の根本命題です。この命題は仏陀の根本教説である四諦の中の苦諦において、人間の存在そのものが苦であり、生きていること全体が苦であるという、徹底した苦観か表明されていることからも明らかです。このことは、仏陀が菩提樹下において、人生に対する深刻な諦観をなされたからに相違ありません。そこで仏陀は、人間存在の根本に根差す現実苦の実相を正しく把握し、さらにその苦をいかに超克して、悟りに達せられたかということの、心の推移を示したものとして十二縁起説があります。これはまた、わたくしたちの人生の現実の迷いの実態と、悟りの世界とを、縁起の立場から解明したものということができると思います。なぜならば、この縁起は、人間の生存が成り立っている十二の重要なポイントをとりあげて、その十二が互いに条件関係において、迷いの生存の根源を明らかにしたものであると同時に、それはまた、悟りの世界が開かれるという関係をも教示しているからであります。
第34回 7.仏教の中心思想 (2018.10.2.更新)
縁起の内観
私たちの現在の一瞬には、自己のすべての過去のみならず、人類の全歴史が、いな宇宙の一切の歴史が含まれています。さらに、一切の歴史の形成に、わたしたち自身が何等かの影響を与えています。また、私たちは、すべての社会や人類に、そして一切の世界に通じている存在でもあります。それと同時にまた一切の世界は、私たちと深く係り合いながら、私たちを支えている存在でもあのです。
このように縁起の道理に立って世の中を眺め、自己を顧みるとき、すべて人、すべてのものは、何ひとつとして無関係な存在ではあり得ません。私たちの世界は、互いに助けると同時に助けられることによって、どこまでもいつまでもつながっています。まことに宇宙法界は重々無尽であって、その相互関係は、いくえにも重なって尽きることがありません。
古人は、「袖ふれ合うも多生の縁」と、行きかう人と人との間にも曠劫多生の因縁を感じてきました。人と人との出会いを大切にし、おのれの人生を静かに味わい「ほろほろと鳴く山鳥の声」に亡き父母の慈愛の呼び声を聞くことができるのではないでしょうか。また一切の衆生は他力回向の信の一念において、老若男女、貧富優劣、善悪賢愚などのすべての差別を超えて、平等の救いにあずかる、阿弥陀仏の本願のかたじけなさにめざめるのです。そして「念仏は無碍の一道」と仰がれて真実一路、力強く生き抜かれた親鸞聖人が万人すべては平等であるという、四海同朋の願いを込めて「一切の有情はみなもと世々生々の父母兄弟なり」との尊くも深いこうした内観は、縁起の道理に根差したものと領解させていただくことができるのではないでしょうか。
第33回 7.仏教の中心思想 (2018.9.2.更新)
宗教的縁起②
苦諦とは、人間存在のありのままの真相は苦であるという真理です。この現実の苦は結果ですから、その結果から原因を追究すると、その因は存在の根本についての無明(無智)と渇愛(執着)による煩悩であるという真理のことで、これが集諦です。この苦諦と集諦の二諦は、苦しみの現実生存を繰り返す迷界流転の因果関係であるわけです。
次に滅諦は、このような苦の原因である煩悩の滅した境地が、涅槃であるという真理です。この煩悩を滅した理想の涅槃は結果ですから、その結果から原因を求めますと、それは涅槃に到達する方法として八正道があるという真理が道諦です。このような滅諦と道諦の二諦は、理想実現の悟界への還滅の因果関係であり、迷いの解消ということであります。
したがって四諦も、流転縁起と還滅縁起とを説くものです。前者は宗教的な向下価値の縁起であり、後者は宗教的な向上価値の縁起であるといえます。このように如実に知見し、正しく縁起を観ずるとき、智慧が極められ、観ずる人自身の煩悩が滅し、苦の生存から脱却して、涅槃に至ることができるのです。ここに宗教的(価値的)縁起としての縁起観が全うされるのです。
第32回 7.仏教の中心思想 (2018.8.17.更新)
宗教的(価値的)縁起
縁起説は、宇宙・人生の現象の一切が、時間的空間的に相依相関の関係として、あることを正しく考察するものです。しかし、単に客観的事実の現象関係を明らかにするだけのものではありません。もしそうであるならば、それは、現象の因果関係の法則を各方面から学問的に研究している、いわゆる現象学と何ら異なるところはないわけであります。
仏教は、哲学でもなければ科学でもありません。あくまでも、人間存在の本質的問題を、具体的に解決する宗教であります。仏教の縁起とは、人間の全存在をかけての人生の矛盾、実存的苦悩を解決するための縁起観(行)であることを忘れてはなりません。それは、迷・悟とか、苦・楽などの、人間の本質存在の根本に係る価値的行を説くのが、仏教の本来の縁起でありますから、そうした意味では、宗教的(価値的)縁起と理解すべきであります。
このような縁起論は、原始仏教から大乗仏教へと、いろいろ展開されるわけですが、それが基本的に説かれたものに十二縁起(因縁)があります。これは人間の生存が成り立っている十二の重要な点を取り上げて、その十二が互いに条件関係にあることを示し、それについて二つの見方、観じ方が示されています。このことについては、次の講で述べます。ここでは共通したパターンに立っていると考えられる四諦説を例に取り上げてみることにいたします。
第31回 7.仏教の中心思想 (2018.7.7.更新)
一般的(外的)縁起 ②
また、私たちは、常に家庭や学校、職場や社会などの空間的な環境の中にあって、それら周囲から、いろいろな刺激や感化や影響を受けながら生存しています。同時にまた私たちは、それらの周囲環境に対して、刺激や感化や影響をおよぼしながら、相互的な関係において生存しています。ですから、私たちは、周囲や環境など空間的にも、絶えず相依関係にあるわけです。
このように私たちの生存は、人格面のみならず、物的な衣食住の経済面や科学・芸術・文学などの諸般にわたっても、縁起の関係にあるといわなければなりません。このようにか考えますと、私たちは、すべての歴史と全ての世界と、時間的にも空間的にも相互関係にある縁起的世界に生きていることが知られます。そして、このようにしか生きようのない自己であってみれば、生きている自己は、実は生かされている自己であることに、気付かずにおられないのではないでしようか。
第30回 7.仏教の中心思想 (2018.6.6.更新)
一般的(外的)縁起
以下に挙げる語句は、種々の解釈ができると思いますが、縁起の基礎を説明したものといえます。そうした意味で、これは一般的(外的)縁起を説いているものということができます。(起ー生)と(滅)は、現象についての時間的な縦の前後関係を示したものです。(有)と(無)は、空間的な横の同時関係を示したものということができます。したがって縁起とは、一切の存在が時間的にも空間的には、また縦と横の関係においても、互いに因となり縁となって、相依相関の関係にある旨を明らかに示しているといってよいと思われます。
私たちは、この世に生まれてから現在に至るまでの、時間的な経験の総和によって成立しているのです。例えば、家庭における養育や学校での教育、職場での練磨や社会での訓練、あるいは様々な人との出会いなどによる、その時どきの経験などが、何らかの形で必ずその人に保存されて、人格が形成されていくのですね。ですから、私たちの人格存在は、相関的に今日まで時々刻々に経験してきたものの総合態にほかならないのです。
第29回 7.仏教の中心思想 (2018.5.2.更新)
縁起の二系統 ②
ここで注意すべきことは、因果関係といっても、ただ常識的な因から結果を考えるのではなく、迷いの現実という結果から、その原因を追究するとだいうことです。結果が生じるためには、必ずいろいろな多くの原因、すなわち直接原因(因)と間接原因(縁)がありますが、それらの中で最も本質的かつ直接的な条件は何であるか、その原因を究めた上でいう因果関係の意味なのです。
例えば、業感縁起における業(行為)、頼耶縁起における阿頼耶識(心識)などがそれです。ですから結果としてのわれわれの迷いの現実、苦の自己がどうして成り立っているかという、その原因根拠を追求していく因果関係が、縁起の因果論であります。これは仏教独自のものの見方、考え方ということができます。
第28回 7.仏教の中心思想 (2018.4.1.更新)
縁起の二系統 ①
縁起については、様々な意味がありますので、いろいろな説明がなされています。例えば、縁起における縁を重視する立場があります。いわゆる縁によってものが形成される存在についての相互関係を重く見る見方と、多様に存在する縁の中で、特に重要な縁を取り出してそれを因と呼び、その因から結果が起るとする立場があります。いわゆる因果の関係を中心として縁起を見る見方との二つの系統に分けて解釈することがあります。
前者は、縁に重点をおいた見方ですが、このような縁起の解釈は大乗仏教に至って発展した考えかたです。代表的なものとしては、初期大乗の『般若経典』における空の見方や、天台宗の諸法実相の解釈などをあげることができます。次に後者のように因果関係で縁起を解釈していく見方は、原始仏教から小乗仏教や大乗仏教へ展開しています。代表的なものとしては、原始仏教の十二縁起(十二因縁)、小乗の業感縁起、大乗の阿頼耶識縁起(頼耶縁起)などの思想をあげることができます。
第27回 7.仏教の中心思想 (2018.3.1.更新)
縁起の語義 ②
縁起とは一般に
A これある故に彼あり
B これ起る故に彼起る
C これ無き故に彼無く
D これ滅する故に彼滅す
と『経典』に説かれていますように、一切の存在は、相互に因となり縁となって、相依り相まって存在する道理をいっています。このようにものの相関性や相依性は、如実知見に住すれば明らかに知られる事実であって、法そのものです。「縁起をみるものは法を見る。法を見るものは仏を見る」といわれるように、仏陀も縁起という普遍の真理を達観し、自覚したところに仏となられたのであります。そこで仏教のものの見方は、一切の存在を縁起の関係において見るということでありますから、縁起こそまさに仏教の中心思想といわなければなりません。
第26回 7.仏教の中心思想 (2018.2.2.更新)
縁起の語義 ①
縁起とは、「縁りて起る」(縁によって起る)ということです。因縁ともいいます。この「縁りて」(縁によって)とは、「ある条件によって」ということで、「起る」とは「あるものが起る」ということです。そこで「縁起」とは、「ある一定の条件によって、現象が起る起り方」ということができます。現実の一切の現象は生滅変化してきわまりないものですが、その変化は無軌道・無原則のものではありません。必ずある一定の条件のもとで、変化し、ある一定の動き方をするものです。かかる変化や動き方が、ある一定のものであるという以上、それは原理法則ということですから、縁起とは「縁起の道理・理法」ということになります。この縁起の思想は、原始仏教から大乗仏教にいたるまで、あらゆる仏教思想の根底をなし、一貫してそれを支えている中心思想です。
世間でよく、「縁起がよい、悪い」とか「縁起をかつぐ」とかいいますが、この場合の縁起は、「ものの起るきざし」とか「前兆」という意味で用いられているようです。しかし、このようなことは仏教本来の縁起の意味とは違っているといわなければなりません。
第25回 7.仏教の中心思想 (2018.1.6.更新)
如実知見
お釈迦様は、涅槃の悟りを得る修行の道として、八正道を示されました。その第一に正見が説かれています。正見とは、人生に対する如実の知見のことです。これは仏教的な正しい人生観を確立することを意味しています。こうした正見が、八正道の出発点に置かれているところに、智慧の宗教としての仏教の特色がよく現れています。
如実知見とは、事実を事実として、あるがままにものを見ることです。あるがままにものを見るということは、単に客観的な事実を模写するだではなく、ものの真実の相を正しく見極めるということです。人生に対して、仏教の原理、普遍的な真理に基づいてあるがままにものを見るということです。それが諸行無常、諸法無我(諸法は無我であり、無自性である)です。
私たちの人生を如実に知見しますと、そこには何ひとつとして、それ自体単独で生起し存在しているものはありません。どのようなものであっても、必ず他の力をかりて起こるものです。他のものとの係りにおいて、互いに助けあって成り立っているのです。すべての現象は、まさに互いにもちつもたれつの関係においてあるのです。このような現象相互の生起・生存の関係を縁起といいます。世のありとあらゆるものは、すべてが縁起的に存在しているのです。
第24回 6.仏陀の根本教説 (2017.12.15.更新)
八正道 ②
⑷正業 身の行いを正見に一致させることで、正しい行為という意味です。これは邪悪な行いをしないということで、正しい自覚的行為ということです。
⑸正命 正見にかなった積極的な生活という意味で、正しく清められた生活を生きるということです。
⑹正精進 正見にかなった積極的な努力ということです。智慧の理想を実現するための懸命な努力を意味しています。精進といいますと、世間では、魚肉を食べないことのように言われますが、本来の意味は積極的に努力するということです。
⑺正念 正見にかなった正しい意識をもち、理想目的を常に憶念して忘れないことを意味します。そこで常に正しい反省と注意力とをもって、その念を失わずに生活することと理解するとよいでしょう。
⑻正定 正しい精神の統一を意味します。定とは、禅定坐禅のことで、精神をひとところに集中し統一することです。こうして初めて真実の智慧にめざめ、涅槃の悟りを得ることができるのです。ですから、この正定は欠くことのできない大切な道であります。
以上のように八正道は、第二の正思惟から第七の正念までの六種について、正見を根本として現実の生活のうえに具体的に展開されたものです。それが最後の第八の正定で締めくくっているということは、人生の実相をあるがままに見る正見が、禅定という実践によらなければならないことを明らかにしているわけです。このことは、苦を滅して涅槃を実現する道諦―八正道が、実践修行であることに、その大いなる意義の存することが知られるのあります。
第23回 6.仏陀の根本教説 (2017.11.2.更新)
八正道
道諦の内容を示したものが八正道で、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つを指します。これらはいずれも聖なる修行ですので、八聖道とも呼ばれています。
⑴正見 正しい見解の意味で、正しい見方とか考え方ということです。「正」とは仏教の根本原理である諸行無常・諸法無我の道理や縁起の理法のことです。「見」とは、知見ということです。したがって正見とは、道理に即した見解ということです。これは中道を実現するべく仏道を行じるにあたって、最初に正しい仏教的人生観を確立する必要があるということです。第二の正思惟以下は、どうすればこの正見に達することができるかということを、具体的に示したものということができます。
⑵正思惟 正見に合致するように心に思うことで、正しい意思・思索ということです。正しい意思や思索によらなければ真の仏道を歩むことはできません。
⑶正語 正見にかなうような正しい言葉という意味。正しい言語活動ということです。嘘を言わない、二枚舌を使わない、おべっかをいわない、他人の悪口をいわない、さらにいえば、自他ともに喜べる言葉、やさしい言葉などをも含めて、真語のことをいっています。
第22回 6.仏陀の根本教説 (2017.10.5.更新)
四諦
⑶滅諦ー人生の苦を滅した境地が、涅槃であるという真理
これは苦の原因である渇愛がすべて滅した絶対安住の悟りの境地のことで、涅槃と呼ばれる世界です。涅槃の意義については、これまでも述べてまいりましたが、要するに、煩悩のから解放され世界のことです。妄念が完全に消滅した状態で、迷いの根本が断ち切られた絶対自由、平等平和な理想の悟界のことです。それではこのような涅槃を実現する方法とはいかなる道であるのか。それが次の四つ目の真理となります。
⑷道諦ー苦を滅して涅槃を実現する道が八正道であるという真理
これは苦の原因を滅して、涅槃のさとりを得る方法を説いたものです。さとりを得る修行の道を具体的に示したものが八正道です。したがって、この道諦は「よく病を知りて対治し」であり、滅諦は「よく治病を知りて更に発動させない」ことに相当いたします。そこで先述したように、滅諦は苦の滅した悟りの世界(果)、道諦はそれを実現する道(因)を示したものですから、この両者は悟界(理想界)の因果関係を明らかにしたものです。
したがいまして、四諦とは、迷界の結果と原因の二つと、悟界の結果と原因の二つ、いわば迷悟両界の因果の四つの真理を示したものということができます。
第21回 6.仏陀の根本教説 (2017.9.6.更新)
四諦
⑵集諦ー人生の真相が苦である、その苦の原因は、煩悩であるという真理
集とは招き集めるという意味で、結果を生じるために集まった原因のことをいいます。ですから、人生の苦の原因、患者の病原のことをいっています。それでは、その原因は何かといえば、それは煩悩であると説きます。煩悩とは、私たちの身心を煩わせ、悩ますものです。その代表格が、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の煩悩と呼ばれているものです。こうした煩悩の根本は渇愛(愛)であって、欲望の満足を求めてやまない衝動的な感情です。このような欲望の根底にある情緒的な欲望が渇愛で、知的な欲望が無明と呼ばれています。ですから煩悩の横綱格は、渇愛と無明ということになります。私たちは、日夜この煩悩に覆われて日暮している、そう言っていいのではないでしょうか。
このように大医王たるお釈迦様は、「よく病を知り、その病の源を知り…」と教えてくださっているのです。人生の真相は苦であり、現実は迷いですが、その苦の原因、迷いの源は煩悩です。したがって、苦諦は結果であり、集諦は原因です。つまり結果の現実を正しく把握して(よく病を知り)、その原因を追究して明らかにして(その病の源を知る)くださったのです。この両者は、苦しみの生存の現実(果)とその理由(因)、すなわち迷界(現実界)の因果関係を明らかにしたものです。縁起の道理を現実の世界に具体的に適用した例であるといえます。このことは、つぎの滅諦と道諦との関係にもあてはめることができます。
第20回 6.仏陀の根本教説(2017.8.7.更新)
四諦
⑴苦諦ー人生の真相は苦であるという真理(前回の続き)
⑤愛別離苦。これは愛するものと別離する苦しみのことです。どんなに睦まじく愛し合っている夫婦であれ、親子、兄弟であっても、また友人・知友であっても必ず別れる日がやってきます。私たちの世界は会者定離の悲しく苦しい世界であります。
⑥怨憎会苦。この苦しみは愛別離苦の反対の苦しみです。怨念や憎しみを抱いている人とも会わなければならない苦しみです。社会生活をする上で、この人は気に入らない人だから、嫌いな人だからといって会わないわけにはいきません。そうした人とも社会生活をともにしていかなくてならない苦しみのことです。
⑦求不得苦。これは求てもそれが得られない苦しみのことです。私たち人間の欲望は多種多様で際限がありません。そのために、それらの欲望が満たされることのない苦しみのことです。
⑧五蘊盛苦。この苦しみは少し難しいようですが、要するに私たちが生きていること自体が苦しみであるという意味です。五蘊とは、人間の存在を構成している五つの要素のことでが、それらの要素は精神的なものと肉体的なものから成り立っていますので、文字通り人間の生存自体がもたらす苦しみということになります。
お釈迦様は以上のように、人間の営み全体、人間の生存の根底に潜む本質的な苦しみを八苦で示されました。そしてまさに人生は苦そのものであると、人生の真相を説かれているのです。名医たるお釈迦様は、私たち病める患者の容態をこのように正確に診察されたのです。
それで、その病の、私たちの人生を苦しみとしている病原は何なのでしょうか。それを明らかにしてくださったのか、「集諦」という第二番目の真理となります。
第19回 6.仏陀の根本教説(2017.7.3.更新)
四諦
⑴苦諦-人生の真相は苦であるという真理
これは四諦の教説に最初にあたって説かれる人生の真実相を示したものです。人生が苦であるというのは、お釈迦様の人生観の根本の命題です。私たちの人生はまさに病める人生です。その病める苦とは、生理的な苦痛、心理的な苦悩、感覚的な苦ばかりをいうのではありません。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦を合わせての八苦を教えてくださいます。
①生苦とは、生まれる苦しみのことです。この苦は、現実的には過去に属するもので、直接今日の自分で認知することはできませんが、生存そのものが苦である以上、生まれること自体が苦でなければならぬはずです。また自分を産んでくれた母親の生みの苦しみを思うとき、生まれる自分もまたそれが苦しみであると受け止めずにはおられないのではないでしょうか。
②老苦とは、老いる苦しみです。この苦は、若い時には理解するのが難しいかもしれません。しかし、身心ともに老化しますと、仕事も思うようにはかどらず、様々なことで思い通りにできないことが増えてきます。それが深刻な苦しみと受け取られるようになるのです。年をとるにしたがって、若き日を懐かしむことが増えてくるというのも、老いることを苦しみとして生きねばならない私たちの現実の相を物語っているともいえるのではないでしょうか。
③病苦とは、病の苦しみです。普段健康で生活している時には、忘れていますが、ひとたび何かの病気に犯されるとこの苦しみを痛切に感じます。入院とか手術とか、あるいは治る見込みのない病をもらったときなど、その苦しみは非常に深刻なものとなります。
➃死苦とは、死の苦しみです。死は、人間にとって最大の不安であり恐怖であります。それは誰一人として避けることのできない一番大きな苦であります。
このように見てきますと、生・老・病・死の四苦は、あらゆる人間の生存の根底を形成しているわけですから、生きるということ自体、その全体が苦しみであることをはっきりと示されているといただくことができます。
第18回 6.仏陀の根本教説(2017.6.3.更新)
四諦
四諦の諦とは、道理とか真理という意味です。ですから、四諦とは、四つの真理ということです。この四諦の綱格は、仏陀の実践的態度である中道の理想を四つの型で示したものです。仏陀当時の医術の型によったものであるともいわれています。すなわち、医者は患者の容態を把握するために種々の検査を行います。そして診察してまず正しい病状を知りますね。次に、その病気の根源を診断して、その原因を明らかにします。そして、その上で、患者に適切な治療を施し、病気を対治して、回復を促します。さらに、病気が治っても、すぐに再発するようなことがあっては、本当に治療したことになりませんので、再発することがないようにいたします。それが真の治療ということです。
経典には、名医とは、「よく病を知り、よく病の源を知り、よく病を知りて対治し、よく治病を知りてさらに動発させない」、これが本当の名医というものであると記されています。お釈迦様は、まさにこの名医と同じことをなさったのです。つまり、病める一切の衆生を癒して、迷える私たちを悟りの世界へと導かれるのです。それだからこそお釈迦様は、大医王と讃えられるのです。
第17回 6.仏陀の根本教説(2017.5.2.更新)
初転法輪 ②
なお、注意すべきは、「中」の一字でよさそうに思うのですが、それに「道」がついていることです。「中道」のことを、しばしば「中観」とか「正観」と呼ばれるようになりますが、「道」とは「観」であり、実践・実行を意味しています。本来的に「道」は目的を達するためにあるものです。道を進めば、必ず目的地に到達することができるはずです。「道」は歩むことにより、そして進むことによって本当の「道」となるのです。「中道」とは、その意味で、静止している状態をいっているのではなくて、絶えることのない躍動態そのものを指しているのです。ですから中道とは、中の実践、正の実践、調和の実践ということです。それを端的にいえば、真理の実践ということになります。それをまた別の言葉で言えば、真実の智慧に目覚めるということになります。
それでは、具体的に真理の実践とは、どのようなことをいうのでしょうか。それが、鹿野苑においてかつての修行仲間であったコンダンニヤら5人のために、釈尊が仏陀として初めてお説法された「初転法輪」になるのです。そのお説法は、まさに仏陀の根本の教説でありました。仏教における基本思想のひとつであり、仏教の綱格ともいわれるものです。その教説の内容は四諦八正道として示されています。
第16回 6.仏陀の根本教説(2017.4.2.更新)
初転法輪 ①
私たちの現実の世界は、苦楽の生活であるといってよいと思います。もちろん人間の究極的なありようは、苦以外にはありません。しかし、日常的な現実の生活においては、苦や楽のあることは事実ですね。この事実に即して、中道ということを考えてみますと、それは単に苦と楽との中間という意味ではありません。極端を排除して、対立の調和を実現する中正の道ということです。そこで、楽があれば、その楽を楽としてあるがままに受け取り、苦があればその苦を苦として受け止める。しかもそのどちらにも執着しない。そこに真の意味での「非苦非楽の中道」というものがあるのです。そして、それが自己中心的な我執のとらわれから、私たちを解放してくれる道ともなるのではないかと思います。
このような中道、それは調和を実現する道でもありますが、その中道を実現するためには、まず人生の全体を正確に見極めることが大切です。それは、人生の一時的あるいは部分的のものであってはなりません。宇宙的な全体観・一体観に立つ中正公平な精神がとても大切です。また中道について、哲学的な傾向の強い、有と無の問題については、「非有非空の中道」といい、またものの連続と断絶との問題に関しては「不常不断の中道」とか、ものの生起と消滅との問題については、「不生不滅の中道」というように、さまざまな説明が後世になされるようになりました。
しかし、いずれにしてもその要点は、あくまでも両極端な思想を排除して、二辺を離れることによって実現される中正の道、調和の道という意味おいては異なることはありません。
第15回 大乗の涅槃思想 ③ (2017.3.11.更新)
これまでお話してきたことは、仏教の根本原理である三法印の概要です。その趣旨は、生死の苦悩を逃れて涅槃に向かう仏教の面目を示したものです。すなわち、人生の一切は苦でありますが、それはなぜであるかといえば、人生の諸相のすべてが無常であるからです。その諸相が無常であることがわかれば、そこには自己の執着すべき固定的実体我の存在しないことも知られます。したがってそこには、相対差別の虚妄と愛欲を去って、無執着の絶対平等真実の涅槃を証得することが教えられているのです。ここに仏教の始終が示されていると同時に、仏教諸宗の教理が、さまざまに面目を異にしながらも、その根本の基調においては、三法印の原理がしっかりと働いていることを忘れてはならないと思います。
第14回 大乗の涅槃思想 ② (2017.2.22.更新)
次に無住処涅槃です。この涅槃は、煩悩を断じているから生死の苦海に住せず、といって、涅槃に住するかといえばそうではない。まさに住処のない躍動する涅槃ともいうべきものです。それではなぜそのような涅槃の在り方をしているのか。それは「大智のゆえに生死せず、大悲のゆえに涅槃に住せず」といわれるように、生死を厭うことなく、涅槃を欣うことなく、ただひたすらに衆生摂化のためにやむことない活動態そのものなのです。仏とは、智慧と慈悲の円満具足した絶対価値そのものです。真実の智慧、無限の大智なるがゆえに、広大の慈悲、無辺の大悲なるがゆえに、生死も涅槃にも執着することがありません。したがって、自利にとどまることなく、人の世と深くかかわりを持って、積極的な利他活動の世界を展開するのです。それはまさに衆生救済の大智大悲の活動に挺身する躍動態というべきものです。このような涅槃観こそが仏教の理想であり、大乗仏教の特徴であるといえるのです。
親鸞聖人は、ご和讃に「度衆生心といふことは 弥陀智願の廻向なり 廻向の信楽うるひとは 大般涅槃をさとるなり」と詠まれています。また別のご和讃には「往相廻向ととくことは 弥陀の方便ときいたり 悲願の信行えしむれば 生死すなはち涅槃なり」と詠まれ、無住処涅槃の理解に立っていることがはっきりわかります。
阿弥陀仏のはたらきはなんと偉大で尊いことでありましょうか。
第13回 大乗の涅槃思想 (2017.2.2.更新)
これに対して、大乗仏教になりますと、自性清浄涅槃と無住処涅槃という解釈が現れてきます。仏陀お釈迦様の大般涅槃は、単なる滅にして空空寂寂の状態に留まるだけのものではなく、お釈迦様の肉身は滅しても、法そのもの、法身は常住であるという考えかたが生じました。そして、その法そのもの、法身をもって涅槃の内容とする法身常住説も現れ、本来的に自性清浄である真如法性の理(真理)を涅槃と考える自性清浄涅槃が説かれるようになりました。これは簡単にいえば、仏性のことといってよいでしょう。この場合の仏性は、自性清浄の心性としての仏性であります。これには常(常住不変)・楽(永遠安穏な真楽)・我(作用自在な真我大我)・浄(清明澄浄)の四つの徳能を具えているので、涅槃に等しいとして、仏性を自性清浄涅槃といっています。
第12回 涅槃の意義② (2017.1.3.更新)
このお釈迦様の涅槃観について、消極的なものとして見るか、積極的なものとして見るかの相違が次第に生じてきました。それはどういうことかと申しますと、小乗仏教では、滅尽という意味にこだわって、人生の苦相を厭うあまりに、人の世を逃避して空寂の境地に入ってしまい、人生をまったく顧みない状態になることを理想の涅槃と考えるようになりました。したがいまして、そのような涅槃観をもつ人たちにとっては、人間には精神や肉体があるから迷うのであって、その根本である身も心もすべてが滅した灰身滅智の境地こそが涅槃であり、現世とは一切の交渉をもたない。極めて消極的な意味に理解したのです。このような涅槃観を強調していけば、どうなるのでしょうか。結局は、この涅槃を実現するために、深山幽谷にこもって世間との関係を完全に遮断して、ひたすら瞑想にふけるというような、文字通りの現実の人生を逃避する宗教となってしまいます。こうしたところには、真実の仏道は成り立たないのです。
第11回 涅槃の意義 (2016.12.25.更新)
涅槃とは悟りの世界のことです。寂とか滅とか訳されますが、言語はニルバーナで「吹き消すこと」とか「吹き消されている状態」ということです。原始経典には、「すべての貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽、これを称して涅槃という」というと説明されています。涅槃とは、一切の煩悩が吹き消されて滅尽した状態ということです。それは無苦安穏の状態であって、絶対安住の境地であるから寂静といったので、そこで涅槃寂静というのです。
お釈迦様以前の宗教家たちも、理想の境地を涅槃と呼んでいました。彼らは、涅槃に到る方法として、心の動揺を静めて安住せしめる修定と、肉体によって心の平静が乱されないように、専ら肉体の勢力をそぐ苦行を行いました。また、そこで求められた涅槃は、一時的な無念無想の境地に過ぎず、それが天上界へ生れる道であるとしました。
これに対してお釈迦様は、そのような自己陶酔的な境地は真の涅槃ではないと主張し、涅槃の意味を大きく転換して、あくまでも精神的な絶対寂静の境地であると説かれたのです。これがお釈迦さまの涅槃観の特徴です。
第10回 涅槃寂静印 (2016.11.18.更新)
諸行無常は自明の理であり、諸法無我は真理であるにもかかわらず、私たちはむしろ反対に、何か永遠不変の実体が私たちの中にあるかのごとくに執着をしますが、これが迷いというものであります。このような無限常住を願ってやまない人間の根本的な欲望のことを渇愛と呼んでいます。あたかものどの渇いたものが、無性に水を求めてやまないように、欲望の満足を求めてやまない衝動的な感情です。このような渇愛がもとになって煩悩が起こるのです。煩擾悩乱のことで、私たちの身心を煩わせ、悩ますもののことです。
それでこれを心の惑いであるということから惑といい、心のけがれということから心垢といい、心のさわりということからは障とよばれています。こうした煩悩の代表的なものとして、貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)を三毒の煩悩といっていますが、私たちはこれらの煩悩のために迷いの生活を続けているのですね。そこで、この迷いを転じて悟りを開くためには、煩悩の根源ともいうべき渇愛を対治し、愛欲の心を制伏して、再びそのような煩悩にわざわいされないような絶対安住の境地に達しなくてはなりません。このような仏教の究極の理想境
示したものが、第三の法印といわれる涅槃寂静印です。
第9回 無我の理論的意味と実践的意味 ② (2016.10.14.更新)
次に実践的には、無所得と無碍という二つの面があります。無所得とは、執着がないということです。「無我とはものごとに執着しないこと」とよくいわれますが、これはすべてのものに対する「われ」の観念を打破することでありましょう。ところが、わたしたちの日常生活の中では、我(自己)と我所(自己の所有)に対して、それが固定常在であることを希み、執着し続けています。こうした習慣性の中に生きる私たちは、当然のこと利己主義に陥ってしまいます。このような我執や我所執のないことが無所得ということです。
無碍とは、障碍(さまたげ)がなく、自由自在であることをいいます。これは、無所得の完成した状態における自由自在の活動のことですから、その活動は必ず法(真理)にかなったものであって、自分勝手という意味ではありません。このような無碍自在を日常生活の上に獲得し具現することが、人格完成の理想を実現する仏教の生活そのものということになるのです。
このように無我(空)を実践することは、自己中心主義を排除し、自他の対立を超え、差別の観念を否定して、常に正しくものを考え、行動する生活であり、一切のものに対する慈悲の心をもつ利他主義の展開にほかならないのです。したがって無我は、やがては積極的な肯定的表現として、真我・大我と呼ばれるようになるのです。
親鸞聖人は「念仏者は無碍の一道なり」(『歎異抄』)と、蓮如上人は「仏法には無我と仰られ候」(『御一代記聞書』)と示されています。
第8回 無我の理論的意味と実践的意味 ① (2016.9.3.更新)
無我とは、非我とも訳されますが、大乗仏教では、無我よりも空の語が多く使われています。禅宗の系統では、無という語が比較的多く使われますが、これらは大体同じ意味です。
さて、無我についての理論と実践ですが、これは本来的に不離であって、特に仏教では、実際的に併用されることが多いです。ここでは両面から、理論と実践のそれぞれの意味について考えてみます。
無我は、理論的には無自性として意味づけられています。無自性とは、ものには固定した体(本体)や性(性質)がないということです。もし、ものに実体的な固定性があるとすれば、他と係りなしに独一的に存在することになります。しかし、この自分にしても環境にしても、社会にしても、一切のものが、他と無関係に孤立して存在することなとあり得ないことです。したがって、あらゆるすべてのものは、無自性であり無我(空)でなければならないわけです。
第7回 諸法無我印 ③ (2016.8.4.更新)
諸行無常を自明の理としたお釈迦様は、「我」だけが生滅変化しないことはありえないとして、この我(霊魂不滅)の考え方を根底から覆しました。
しかしそうであれば、普通にいわれる自分とか、私というものについてどう考えるのか。これに対しては、「仮我」という意味で認めます。「仮我」とは、「五蘊仮和合の我」ということです。それは因縁によって五蘊が仮に和合してある我ということです。逆に言えば、因縁が解ければ、それはおのずと解体していくものであるということです。では
五蘊とは何か。それは色(物質)と受(感受・感情)と想(概念・表象)と行(意志・意思)と識(意識)の五つの要素のことです。最初の色は肉体のことで、後の四蘊は精神のことです。つまり身心の合生のことを指しています。したがって、それは仮に我という名を称えるだけで、決して固定的な実体我というものではありません。
第6回 諸法無我印 ② (2016.7.14.更新)
諸法無我の「諸法」とは、第三の「もの」ということになります。しかし、「もの」といっても、それは必ずしも物や者をさしているとは限りません。もちろん諸法には、物ー有形的物質と、者ー人とを含みますが、それ以外のものでも「もの」という場合があります。例えば「愛情というもの」とか、「責任というもの」、その他いろいろの状態や事象や現象を指す場合にも用いられています。しかし、これとてもよく考えてみますと、すべて因縁所生のものであって、常識的な、無為なるもの、すなわち因縁にかかわりなく、厳然として存在している真如法性そのものをも含めて「諸法」といっています。したがって、諸行無常の「行」は、有為に限りますが、ここでいう「法」は、有為と無為とを含めて言っていることに注意しなければなりません。
釈尊以前のバラモン哲学者たちは、身体や精神は変化するが、私たちの中には、永遠に変わることのない不生不滅の固定的な実体があるように考えました。それは先に述べたように、個人的な実体の根源としてのアートマンと名づけていました。この語源については、必ずしも一様ではありませんが、呼吸を意味する動詞から出た語であるといわれています。呼吸はもともと生命を維持するということから、霊魂の義とされ、「我」と漢訳されました。「我」について『論典』には、「我とはいわく主宰なり」と解説してあります。普通はこれを「常一主宰」の義といっています。常とは常恒ということで、変化しないこと、一とは独一で単独ということ、主とは主脳のことで自在ということ、宰とは司宰ということで支配するということを意味します。したがって「我」とは、
変化しない常住のもので、単独者としてものを自在に支配するもののことです。私という常住の一物があって、自己の全体を支配しているもののことで、固定的実体なるものを指しているのです。釈尊以前のバラモン哲学者たちは、このような我が、この世だけではなく、死後までも存続して輪廻するものと考えていました。
第5回 諸法無我印 (2016.6. 3.更新)
諸法無我印とは、第二の法印で、第一の諸行無常印から導き出される当然の帰結でもあります。その意味するところを一言でいうならば、すべてのものには、固定した実体我というものは存在しない、そういうものは一切認めないという原理です。難しい言葉でいうなら、一切諸法の実体非認の原理といってよいと思います。
「諸法」の「法」とは、どのような意味か。しばらく考察してみましょう。まず法とはダルマの漢訳ですが、経典の上からはいろいろな意味に用いられています。そこで、この法という語の一般的な意味を考えてみます。第一に法性・理性などの言葉で使用されている場合で、これは真如とか法則というような普通の真理を意味するものです。第二は、教法・説法などに用いられる場合で、これはお釈迦様の教えとか、経・律・論などの三蔵のことを指していると考えられる場合です。第三は、諸法・万法などの言葉で使用される場合で、これは万有とか、すべてのものを意味していると考えられる場合です。
大体が以上ような三つの意味があると考えられると思います。このように法を三つに分けて考えておくと、仏典における漢訳の法という言葉の意味が理解しやすくなると思います。
第4回 無常観 (2016.5.5.更新)
一切のものが無常であるということについて、直接的な宗教的訓戒と
実践的な意味を、仏教では無常観と呼んでいます。この無常観についてそれが私たちの実生活の上でどういう意味をもってかかわってくるのか以下の三点から考察してみようと思います。
⑴無常観によって、人生の有限性や限定性に気付き、自己の相対的存在であることを知ることができます。そして、そのことから絶対的価値を求める宗教心を起こすことになります。例えば、愛する者の死によって、この世の無常を感じて、宗教心が芽生える場合が多いことなどです。そしてまた、そのような痛切な体験は、自己を振り返り、自身の傲慢さを恥じることにもなります。そこから、大自然と人間の調和、自己と環境との一体感をひろげていくことにもつながっていきます。
⑵無常観によって、寸暇を惜しんで努力することの重要性が知られます。人生は再び取り戻すことのできないことに気付いて、いまこの一瞬に最善を尽くすことの重要性を教えてくれくます。そこからおのずと怠惰を慎み、今日という一日を精一杯に生き抜いていこうという向上心が起こることになるでしょう。そしてそのような思いから、社会の発展に貢献したいという前向きな姿勢を産まれてくることでしょう。
⑶無常観によって、この人生において何が真実であるのかを見る目が養われます。この世の虚妄の相を認識し、地位や名誉や財産などに執着する心を捨てて、真実を求め、真実に生きて行こうという心と態度を身に着けることになります。そこから、虚仮なる自由と平等を脱して、真実の自由と平等を求め、それらを体現して生きていく大きな推進力を手にすることになるでしょう。
第3回 諸行無常印 ② (2016.4.1.更新)
仏陀によって道破された諸行無常は、時々刻々に生滅変化するという「刹那無常」でした。刹那とは、ものすべては、一瞬毎に生滅変化を続けていて、一時も停止するものはないということです。例えば、私たちが 目にする河川で考えてみますと、流れている河川はいつも同じように見えますが、流れている水は決して同じ水ではありません。水は常に流れているのですから、私たちはいつも違う水を見ているのです。このような諸行無常の原理は、この世の一切の有為現象の常住性や永遠性というものを否定したもので、まさに仏教の根本的な立場を示したものです。私たちのこの現実世界は、無常転変の世界であり、文字通り火宅無常の世界であります。
お釈迦様の説かれた仏教は、まずもって現実の事実確認から出発していますが、この諸行無常印は、それを端的に教示しているのです。
また、仏教は、事実を事実として明らかにするだけにとどまるものではありません。「人生は無常であるが故に苦なり」「人生は無常であるがゆえに無我なり」といわます。この言葉が意味するものは、事実を事実と知ることによって、そこから人生の根本的な課題をみつめて、それを解決していく。それがなければ本当の意味がないということを教えているのですね。
第2回 諸行無常印 (2016.3.3.更新)
諸行とは、この世の一切の現象の事です。仏教では、一切の現象は、すべて因縁によって生起するものであるとします。そしてこのようなものを有為法といいますので、諸行とは有為法ということです。このような一切の有為現象は、常に生滅変化して、一瞬たりともとどまることがありません。常住のものはない。そのことを諸行無常といいます。
では、なぜ一切の有為現象が生滅変化するのか。それは原因(因)と条件(縁)とによって結果(果)としてあるという、因縁所生なるものだからです。庭にある一木一草も、春夏秋冬一時として留まることはありませんね。根を張り、芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶ。私たちの人生も然りです。瞬間瞬間に変化しています。聞けば、人間の肉体的細胞も常に新陳代謝していて、七年も経てばすべての細胞が新しくなってしまうというのです。精神面についても同じです。私たちの心はつねに移り変わって留まることはありません。
自然界も人間界も、肉体も精神も、すべて時々刻々に移り変わるという諸行無常の原理は、特に証明する必要のない自明の真理であります。ですが、この真理を明確に指摘したのはお釈迦様のみでした。お釈迦様以前の哲学者においても無常の事実に気が付いている人はありました。しかし、彼らのいう無常は、生・住・異・滅という、段階を経て変化する段落無常を主張したものでした。これは私たちの人生になぞらえて、生住異滅という順序で、区分的な段落無常にとどまるものでした。
再開 第1回 三法印
『阿含経典』(原始経典)には、「無常・苦・無我」の教えが説かれています。それが一定の形として四種にまとめられました。それがつぎの四法印です。
1 諸行無常印
2 諸法無我印
3 一切皆苦印
4 涅槃寂静印
この四法印の中の一切皆苦印を除いた他の三種が三法印です。
三法印というので、すぐに思い出されるのが、仏教徒に古くから親しまれてきた「無常偈」です。そして、この偈のこころを日本の歌にしたのが、「いろは歌」であるといわれています。
諸行無常 いろはにほへどちりぬるを
是生滅法 わがよたれぞつねならむ
生滅滅已 うゐのおくやまけふこて
寂滅為楽 あさきゆめみしゑひもせず
この偈は、三法印の趣旨を異なったかたちで表現したものといわれていますが、お釈迦様の三法印を巧みに説示しています。このいろは歌は日本人の心に深くしみこんで、私達の人生観を仏教の思想をよりどころとして育ててきたものということができます。