第3回 「真の幸福とは何か ?」
前回では、人が真に幸せになるためには、どうしても宗教が必要であることをお話しいたしました。それでは、人間にとって真の幸せとは何なのでしょうか。今回はそれについてお釈迦様がどうお答えになっているか、スッタニパータという原始経典から引用してご紹介することにいたします。
こよなき幸せ
わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(お釈迦様)は、サーヴッティー市のジュータ林の園におられた。そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジュータ林を隈なく照らし、師のもとに近づいた。そうして師に礼して傍らに立った。そうしてその神は、師に詩をもって呼びかけた。
「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています.最上の幸福を説いてください。」
諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、これがこよなき幸せである。
適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、これがこよなき幸せである。
深い学識あり、技術を身につけ、身を慎むことを学び、言葉が見事であること、これがこよなき幸せである。
父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、これがこよなき幸せである。
施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、これがこよなき幸せである。
悪を止め、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、これがこよなき幸せである。
尊敬と謙遜と満足と感謝と適当なときに教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。
修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎを体得すること、これがこよなき幸せである。世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、これがこよなき幸せである。
これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。これが、かれらにとってこよなき幸せである。(以上の引用は岩波文庫、中村元訳『ブッダのことば』によりました。)
お釈迦様はこのように真の幸福を教えてくださっています。
しかしながら、わたくしたちが、ここで説かれた教えのすべてを完全に実行することは、なかなか容易ではありません。いいえ、すべてどころか、この中の一つでさえも、実行できないというのが、私の正直な気持ちです。もしお釈迦様がこういう自力の道だけがこよなき幸せの道だとして、浄土の法門をお説きにならなかったのなら、私は永遠に真の幸せに至ることができなかったかもしれません。
ですが、お釈迦様はそういう真の幸福に自力では至れない者たちのためにも道をお示しくださいました。それが法然上人によって開かれ、親鸞聖人によって明らかにされた浄土真宗の教えです。私たちは、阿弥陀様の本願を信じ、お念仏申すことで、先にお釈迦様がお示しくださったこよなき幸せに至ることができるのです。世間にはいろいろの教えがありますが、浄土真宗の教えこそ、私たち凡夫が悟りを開くことのできる唯一の道であると、親鸞聖人が明らかにしてくださったものです。この本願念仏の道を一筋に歩いていきたいものと存じます。 (2014.9.30.更新)