「 なんか変? 」
体調を崩して車を走らせ、土曜日の朝一番で病院に駆け込みました。女性の先生ですが今回2度目。優しく親切な先生のお陰で、随分と回復しています。
これまでは自身のことで病院にお世話になることはあまりありませんでした(親が丈夫に生んでくれたお陰です)。
しかし…年々年を重ねている訳ですから、多少の変化はあります。車だって車検があり、定期的に悪いところの部品を変えて頂くのですから、60年以上も使い込んできた身体に悪いところがでてきても当たり前ですよね。
診察を終え、ふと見ると「インフルエンザ・コロナワクチン申し込み」の用紙が目にとまりました。受付の方に「まだ65歳に達していませんがコロナワクチンを接種しょうと思います…」と、問い合わせたところ「高いですよ、15、000円…でもインフルエンザは3、000円ちょっとで受けれます」とのこと。「ではインフルエンザワクチンを受けます」…
帰りの車中、スーパーマーケットの野菜の安売りのお野菜を選んだ時のようなお得感を感じながら「なんか変よね」とつぶやいていました。
これからお取り越しお参りも始まり、人に会う機会も増えますので体調万全で頑張ります!(11.17)
「タンスの片隅夏に夏シャツが一枚」
秋の衣替えの季節はなかなか遠かったようだ。それでもやっと秋らしくなってきましたね。
元大総代の岡本保則さんが柿と大根が取れたからと持ってきて下さった。
季節の異変のせいか、今年は柿が取れなくて、お寺の畑の柿もまだ実っていなかったころ、仏様に初物のお供えをさせて頂くことができました。
秋の実りをお供えできたようで、その日は嬉しかった。
タンスの衣替えは大方進んだが、夏のTシャツ一枚は、また暑さがぶり返した時のためにしまい込めないでいるのです。
秋冬に混じって、肩身が狭そうに置いてあるTシャツ…暑い夏はあんなにお世話になったのにね。本当に喉元過ぎれば熱さを忘れる(恩知らず)とは私の事ですね。(10.26)
「それでも秋は訪れる」
今年はまた記録的な気温で、これまでとは比較にならないくらいの自然災害が起こりました。まだこれからも、いつ、どこにでも起こりうる自然の猛威です。
今年の1月1日、早々に起きた能登半島の地震災害、やっと力を振り絞ってもう一度復興をと立ち上がった矢先でした。その気力を根こそぎ剥ぎとる大豪雨、壊滅的な能登の街が映し出される度、自然を我がもの顔に征服しようとした人間の愚かさと、無力さを感じます。多くの大人たちがこの地球の行く末を考えました。でも…もう取り返しのつかないところまできているのだと、ある学者さんの言葉です。
明け方の風の心地よさを纏って、小さな虫たちの囁き声が聞こえます。それでも秋は訪れてくれたのですね。人間の(私の)愚かさを見限ることなく、自然は緩やかに動いてくれているのですね。
この穏やかな風が、傷ついた人達の心を癒してくれるまで、ただ念じるばかりです。(9.30)
「変わらないなあ…」
新しいいのちを生きようと思ってからの丸4年、その思いは最初の内だけで自性はちっとも変わらないなあ…重たい鉛は沈んでいるままです。
苦しいともがいている内に、それが常態化してしまい、いつの間にか自分の心も誤魔化しているのです。
み名を呼びたいのに涙でいっぱいになって呼べない。
寝苦しい秋の夜長はあの人の笑顔を思い出しながら…
心も体も透明になっていくような…(9.30)
「お浄土のこと」
夏休みのイベントに山口別院で一泊子供会があり、孫も参加させて頂きました。(8/19日~20日)
今回のメイン行事は「段ボールをつかってベットを作る・別院内での宝さがし・そうめん流しなど」でした。お若い僧侶の方が先生としてご指導くださいました。
住職と私も、もう少し若かった頃( ^ω^)・・・、「光の子ども会」をしていて、夏はお寺に一泊泊まる行事を住職が催していました。その時の心痛など経験しているので、今回もお若い先生方のご苦労が本当に有難くかたじけなく思われました。
二日間を終えた孫をお迎えに住職と行きました。晴れ晴れとした孫の顔を見るや「楽しかったんだな」ということがすぐに分かりました。お昼はそうめん流しを頂いたので「善幸くん、そうめん流しはどこでしてもらったの?」と尋ねました。
「お浄土から出たところにお庭があって、その横でしたんだよ」とのこと。
孫は、阿弥陀如来様のましますお別院を「お浄土」とお呼びして、手を合わすことを教えてもらったんだな、と素直に教えを頂いている姿に少しウルっとしました。(感動しました)
小さなひと夏の経験でしたが大きなものを頂いたようです。(9.15)
「2024年 秋法座のこと」
日本列島を縦横断しながらゆっくりと進んでいった台風10号の心配の中、去る9月1日(日)に秋法座が勤まりました。今日をお迎えできたことを住職と喜びました。
ご講師は下関市照蓮寺住職の岡村遵賢先生でした。
当日の法座は一日を予定しておりましたが、コロナ感染がまた増え、台風のこともあったので半日となりました。
先生は親鸞聖人の「教行信証」のお書物の総序をご讃題にあげてくださいました(内容の真の意味は分からずとも、私もこの総序が大好きです)。
ご法話では「人間に生まれ、仏法を頂くことができることのよろこび」を、ご自身の身近な事柄を喩えにされて、嚙み砕いて教えて下さいました。
今日の法座には初参式参加がお二人ありましたので、特に心に響くものでした。
これまで幾度となく「人と生まれさせて頂いたことはよほどの因縁」とおきかせ頂いたことでしたが、この度はまた違った意味で味わうことができました。
私もこの世に生まれさせて頂き子供時代を生き、成人、結婚、親となり孫もあずかる初老のばばとなりました。振り返ればこの人生が当たり前のように思えますが、その時々で多くの選択肢がありました。でもそれらはすべて阿弥陀如来様に手を引かれ(抱かれて)、お導きの中の今であったことだったと、改めて教えて頂いたことです。
そして、一人でも多くの子孫が手を合わせ、お念仏申す人生を歩んでいけるよう、如来様のお仕事の邪魔をしないよう念じるばかりです。
既に私にみ名が届いて下さっているお救いの事実を、そのよろこびを、共々に味わえた今日の「われひとりのためなり」のご法話を有難く思うことでした。(9/6)
「お寺の夏休み」
今年もお盆参りを無事に終えることができました。毎年毎年、身体の老化のバロメーターとなっています( ^ω^)・・・
さて、お盆参りが終わりホットしたのも束の間、若坊守の教師教修に伴い孫との1週間の夏休みを過ごすことになりました。
この間お別院では「一泊子供会」や「キッツサンガ」の開催がありました。新発意は昨年も参加させて頂き楽しかったので今年の一泊子供会を楽しみに参加させて頂きました。段ボールでベットを作りそこで寝る…寝相に関しては天下一品の孫、案の定、何度もベットから落ちて広いお別院の夜を賑わせたようです(ほかにも同じようなお友達がいたそうです)
次の日はキッツサンガがありました。せっかくの機会なので兵庫に住む孫2人を迎えに行き孫3人と住職も参加させて頂きました。普段忙しく朝を送り出される孫たちにとって仏様に手を合わせ、お友達とお念仏を称えることができたことは嬉しい事でした。
終わってみればアッという間の孫たちとの1週間でした。が…またすぐに同じことをするのだよとなると、身体が持ちません。
子供の熱量に耐えられるだけの体力を、なんとか保ちながら、ばばの役目を果たしたいと思います。(8.27)
「夏盛りのお盆参り」
7月の終わりから、住職のお盆参りが始まりました。私は8月に入ってから住職と一緒に遠方の二地区にお参りさせて頂きます。
高齢化の日本にあって山間部のお寺はどこも同じような問題を抱えています。とくに人口減少、少子化は切実な問題( ^ω^)・・・
でも考えてみれば、これ以上にご門徒さんが増え、夏のお参りが増えたら、これはこれで大変です。
ゆっくりとご門徒さんのお仏壇の如来様に手を合わせ、お勤めをし、お茶を頂き近況を教えて頂く…その時間はとても大切な時間だからです。高齢で足腰も弱ってお寺にお参りが叶わない人にとっては特に(お接待は大変だけど)喜んでいただけます。
お寺で法事をさせてほしいという方が増えてまいりました。それぞれに都合があっての事です。でも都合が悪いからという理由で法事をパスする方はいらっしゃいません。
ご先祖様の御恩に報いる唯一のことはご法事を勤め、私自身がご先祖様から伝えられたこの御実りに遇わせていただくことだと、肌で感じておられるからだと思います。
暑い暑いと言いながらこの夏も終わっていくことでしょう。でも、毎年繰り返される夏を、毎年違ったひと夏としてお勤めさせて頂くことが有難く勿体なく思われます。(7.30)
「京都の夏も暑かった」
教師教修の後期を終えました。
自坊を離れての6日間(前泊)でした。山口に帰る日はちょうど祇園祭の巡行の日でして、焼けるような暑い京都の夏を体感しながらも「ここで15年間過ごしたのだな」と懐かしく思いました。
教修はといいますと、若い人達と机を並べて、お経の練習や、作法、ご法話など…盛りだくさんの内容でした(今回は私が一番年長者)
終えて、本願寺のお朝事をお勤めさせて頂き、親鸞様のお姿を目に焼き付けて帰りました。体力的にはキツイ日もありましたが、ここでしか聞くことのできないご法話、朋友、先生方に出遇えたことは幸せなことでした。
お勤めもお作法も、本当にダメダメの僧侶であることがよくわかりました。ご門徒さんにお許しいただきながら、精進して少しずつでも上手になれるよう頑張ります。
辛いことも多くあられたであろうに、晩年の親鸞様の「念仏のみぞまこと」と言い切られ生き抜かれたお姿に、今更ながら頼もしくも、かたじけなくも思われます。(7.27)
「今年の夏法座も無事に終わりました」
今年の夏は暑い。と…毎年ぼやいている坊守です。でも今年の夏法座も終わってみると安心感と、どことなく寂しさがあります。それは年を重ねるごと、毎回のご法座を終えるごと、強く感じるようになってきました。「一期一会のご法座」に出遇うことが「有り難いこと」だったと実感せられる年齢になったということでしょう。
さて、今回の夏法座は子育て真っ盛りのお若い「黒瀬英世先生」にお越しいただきました。先生のお寺は今は宇部市の街にありますがその昔は宝林寺と同組の車で20分くらいのところに建っておりました。住職がまだ駆け出しの布教使の頃から住職さまや、坊守様にお育てを頂いていました。その坊ちゃんが今度は私達のお寺にお説教に来て下さり、親鸞聖人のみ教えを説き、ご讃嘆くださっているのです。そのお姿を見るにつけ時間が経ったことが実感されました。
前席はにこやかなお顔で、優しく正信偈の御文を説いてくださいました。特に「五劫思惟之摂受」(如来様は五劫という長い間、私達凡夫を救わんがために思惟くださったのです)との御文のお味わいを教えて下さいました。
五劫とは気の遠くなるような時間だと教えて頂きました。それほどの時間をかけ思惟しなければならないほどの私の煩悩…その重さを感じたことです。
ちょうど毎朝の時間に私も「正信偈」を頂いておりましたから、黒瀬先生のお話がありがたかったです。
夏法座は通常の法座よりお参りが少ないのですが、この度は遠方の岡山や、下関、また美祢市よりお同行様が参ってくださいました。それから、黒瀬先生のお寺のご門徒様がお聴聞に来て下さいました。
「お参りが多いとか少ないとか、一喜一憂せずに法座をコツコツと繋いでいくことが大事だね」と住職が申しました。
浄土真宗のお寺をあずかる乞食坊主に無上の教えを説いて下さった如来様の御恩徳をかたじけなく思うことです。地道にコツコツと、次の世代に…(7.15)
「お同行さまのこと」
別院の常例法座にお参りした時のこと、
懐かしいお顔にお会いできました。いつも我が寺のホームページを見て下さっているSさまが住職に用があるのでお伺いしたいとのことでした。二つ返事でお待ちしますと申し上げ、日取りをラインで確認しました。
当日定刻に来られたS様は大きな袋と新鮮なトマトを箱いっぱいに持ってこの坂を上がって下さったのでした。
いつもお会いするたびにご法義のお話をして下さり、住職とのご法義談義に花を咲かせて下さる、そんなS様の来訪は私にとっては嬉しく、また「もっとシャンと生きなければ」と思わせて下さる有難いお方です。
「実はこの度、二人の娘が築地本願寺で帰敬式を受けました。なにか本を送りたいと思っていたので、先生のご本を2冊づつ分けて頂きたく参上いたしました」と仰ってくださいました。
遠くに嫁ぎ、また就職された娘さん達に持たせてあげれることは「お念仏のみ」と仰せです。本当に頭が下がりっぱなしの時間でした。
本願寺教団はこのようなご門徒様お一人お一人によって支えられ、今日まで、そのみ教えが続いてきたのです。その後世に名を残さない門徒一人が欠けても、ダメなのです。
お正信偈の「衆生」とは私の事です。私一人が如来様のお救いのお目当てです。
この私が救われて行く教えに出遇えたこと、本当にかたじけないことです。
S様の後ろ姿を何度も何度も拝ませて頂きました。(7.4)
「新幹線でのこと」
前期、教師教修を終えて新幹線に飛び乗った日のことです。
その日は夕方の6時半ころが解散でした。
教修の終わりに先生から「布袍輪袈裟で西山の門を出るように」と言われていたので、僧侶の恰好のままバタバタ走り、何とか指定の新幹線に間に合いホッとしたのが束の間…私の指定席がない…チケットを二・三度見返して私の指定席に若そうな男の人が爆睡して寝ておられるのです。
隣の席のウオークマンを聞いておられた男性がチケット番号を確認して下さり、私は斜め横の席が空いていたのでとりあえずその席に座らせてもらいました。
ウオークマンの男性は爆睡の男性を起こそうとして下さったのですが、あまりにも気持ちよく寝ておられたので気の毒に思い、「起きられるまでこの席でしばらく待ちましょう」と申し上げ、本来座る席ではない斜め前のお若いご夫妻にぺこりと頭を下げ、隣に座らせていただきました。お若い男女の方も新山口駅で下車とのこと、親しげな笑顔を下さり、私の予約席を気にかけて下さいました。
しばらくして爆睡の男性が目を覚まし、ウオークマンの男性が事情を話してくれていました。次の駅で下車の爆睡男性は「すみませんでした」とぺこりと頭を下げ新大阪駅に…
わずかな時間でしたが私と爆睡の男性、ウオークマンの若者、そして二人の若いご夫妻に不思議な繋がりを感じました。
私から見れば本当に若い世代の方々、「今の若者は宗教に無関心」と言われている世代の方です。でもとても親身になって下さいました。その一つに私が僧侶の恰好をしているお坊さんだからではなかったかと思ったのです。5日間を終えて大きな荷物を三個、引きずりながらやっとたどり着いた席に座れないで困っている、彼らからすれば女性のお坊さんはすこし変わって見えたかもしれません。初対面にもかかわらず本当に親切な彼らに「若い人に嫌われていない」ことが嬉しかったです。
新大阪駅で下車した爆睡男性を車中から残された4人は「乗り越したのかもしれないね」「気の毒だね」などと話しました。
爆睡男性の手にも大きな荷物がありました。私と同じようにどこかの研修会に参加しての帰りだったのかもしれない…本当にお疲れ様でした。次は乗り過ごしたらだめだよ( ^ω^)・・・(6.12)
「山口別院常例法座のこと」
毎月5日の午後は山口別院常例法座の日です。コロナ以降お参りが減ったと言われていましたが、確かに減っています。
私も久々の常例法座に参らせていただきましたが、別院においてもこうなのかと…これからのお寺の未来を想像しても明るいイメージが描けません。
ご講師は中山先生でした。お話の中で「上原泰教先生」のお名前が出てまいりました。とても懐かしく思いました。上原先生がまだご存命であられたなら、今の教団の行く末をどうご覧になっただろうかな。あの独特の歯に衣着せぬ命がけのお説法が、もう一度聞きたいと思いました。
お浄土から、見守って下さっている先生方に、もう一度𠮟られてみたいものです。(6.7)
「梅もぎのこと」
ご門徒さんから毎年「お寺さんは梅がありますか」とお声掛けて頂きます。今年は実をつけたと思ったらぼたぼた落ちてしまって、梅干しが作れないなと思っていたところでした。
さっそく次の日、梅をもがせていただきに〇〇さんの梅の木山に参りました。もぎやすいように整えられた梅の木は、今はお浄土に還られたご主人の忘れ形見となってしまいました。ご主人は「この2本の木はお寺さんのもの」と仰って、梅の季節にはもいで届けて下さっていました。定年後、この小野の地に奥様と帰って来られて、悠々自適なスローライフを奥様と送られていました。お二人とも都会暮らしから一変しての生活、ご苦労も多かったと思います。
よく本をお読みになる方でしたから、仏教での質問を受けることもありました。難しい質問は「住職に聞いてきますね」と回答をペンディングにしたり、仏教書を届けたりしました。
でも、そのことが信仰心に結び付いたかは疑問です。もっとお話する事ができたのではないか…そんな現代人を代表するような〇〇さんでした。
でもお浄土に還っていかれて、奥様を導いて下さっています。お参りのときに、手作りの梅で作ったお茶請けを出して下さって、ひときわご主人が懐かしく思われたことです。
〇〇さんは頭では受け入れられなかった仏様のお働きを、ご往生されたのち、仏様となって奥様や子供さんのことを仏事を通してお導き下さる仏様となられたのだな…目には見えないけれど梅もぎの季節になると懐かしく思い出されます。(6.4)
「無事に前期を終えてまいりました」
教師教習の前期日程を終えてまいりました。僅か5日間でしたが、団体行動のなかの教習はこの歳にはなかなかきつかったです(笑)。
大学院生や学部を卒業して得度を受け、そのまま教師を教習という子達も混じっての勉強や勤式作法、いつもの様子とは違った時間を過ごさせていただきました。
身体は正直です。反射神経も鈍く、一度に覚えられない、頭で理解してもそのように身体が動きません。ずたずた、ずぼずぼでした。
毎回のように声をあげて指摘して下さる先生方に、申し訳なく思ったことです。僧侶としての資格を返上したいくらいの気持ちと、でも一から学び直す機会を与えられたことに感謝でした。
この学びをご門徒さんに還元して、よりよい仏事ができるよう一歩ずつ頑張ります。
でも…出来る事なら後期の教習には行きたくないなあ( ^ω^)・・・
ご門徒の仏婦役員さん達や友達からラインで労いのメッセージを沢山いただきました。
有難い…この人たちはいつも背中をそっと押してくれる朋友です。(5.30)
「教師教習のこと」
5月22日から「京都西山別院」で教師の教習を受けさせていただきます。
僧侶における「教師」とはあまり聞きなれない言葉ですよね。子供たちに勉学を教える「教師」とは違います。こちらはお坊さんの資格の一つで、こちらを教習していないと西本願寺の「住職」や「布教使」の資格を得ることができないものです(もちろん住職や布教使などは更に別の勉強が必要です)。
私が山口別院に申し込みの手続きを持って行った時、冗談交じりに先生が「市川さんは教師教習をされて…何か?」( ^ω^)・・・
「いやいや他意はございません。ただご門徒さんの法事に参らせていただく時、きちんとしたお勤めができるようお勉強に参らせていただくのです」~なんて優等生のお応えと思われたかもしれません。
本当にそうなのです。住職に代わって法事を勤めさせて頂く時、頂いた後、「もっとましなお取次ぎができないものか」と施主様に申し訳なく思います。
半分は住職に進められて思い立ったものの、いざ勉強の準備に取り掛かると、まあ大変です。一つ覚えると3つ忘れてしまう。ご住職様たちはこれらの経本をお勉強させたんだなと、ただただ尊敬…。
この間88歳の母はショートステイデビュウしてもらい5月21日~26日までと7月19日24日(後期予定)は坊守は留守です。皆様の後押しがあって勉強させていただけることに感謝しながら受けてまいります。(5.12)
「ご往生のこと」
ご門徒のO様が5月の8日にご往生されました。以前からのご病気で心配はしていましたが、連休明けにお知らせを受けました。
いつもO様は奥様と、お寺のご法座に足繫く通いお参り下さり、穏やかで気さくなお人柄の誰からも愛されるお方でした。責任総代も務めて下さり、大変お世話になりました。
大きな会館でのお通夜も、地域の方々やこれまでお世話になったという方々が多くお参り下さいまして、O様のお人柄を反映していました。
お葬儀のお見送りは多いに越したことはありません。なぜなら、ご往生され仏様となられた故人様の最初のお仕事は、ご会葬の皆様にお葬儀のお勤めに遇っていただく事だからです。そして、やがて、いつかお浄土に参らせていただく私自身を見守り「お念仏称えてくれよ」と念じてくださるのです。
先に往き、私が迷わないように明かりを灯し続けてくださるのです。
優しく微笑まれているご遺影のO様に「お疲れ様でした」ではなく「これからも引き続きよろしくお導き下さいませ」と合掌させて頂きます。
住職が拝読される「御文章」のお言葉が心に沁みるお葬儀でした。(5.12)
「ネット門徒さまから」
昨日下関市のOさんから「ネット門徒です。ご降誕会はお参りできませんからご仏前をお送りさせていただきます。」と、綺麗な封筒のお手紙と「ご法礼」が送られてきました。Oさんがお寺に参って来て下さってから、かれこれ6年が経ちました。
コロナで法座が開けなかったり、彼女のご母堂様の介護などでなかなか思うようにお聴聞が出来なくなられたのです。
でも、ラインで当山のホームページを見て下さっていたり、私もOさんのお母さまのお写真を見せて頂いたり、季節折々のお便りを頂いていたので、6年経っても昨日お会いしていたかのような親しみを感じています。
「喜捨」というお言葉があります。文字通り「喜んで捨てる」という意味です。このお言葉は仏教に限りませんが本来の仏教の「喜捨」または「布施」は「言うは易く行うは難し」と私は感じています。大変難しいです。
本来の私は喜んでもらうことはできても、喜んであげることは、なかなかできません。
「断捨離」という言葉が流行り、終活の一環として必要なくなったものを捨て、シンプルに生きるという生き方がはやりました。この時の捨てものとは、自分に必要なくなったもののことです。
喜捨は自身に必要な、大切なものを相手に差し出す…と私は理解しています。
自身に必要なものですから、差し出すときは悩み、心が痛みます。でもそれを上回る喜びが「喜捨」という行為だと思います。
いつもため込み、手放すことができない執着心の塊が私です。
今回のお手紙から教えて頂いたことでした(4.27)
「大谷選手のこと」
今期から大リーグのドジャースに移籍した投手・打者二刀流の大谷翔平選手がやっと調子を取り戻しつつあるようです。
韓国で開幕した大リーグでした。その前に婚約発表して、そのお相手(真美子さん)と公私ともに幸せいっぱいのスタートを切った大谷選手に想像だにしていなかったスポーツ賭博問題が沸き上がってきました。そのことの起こりは長年大谷選手の相棒として通訳していた方の裏切り行為からでした。まだ捜査段階で明らかな事は言えないまでも試合後のインタビューで大谷選手の口からはっきりと関与していないことを公言されました。
私はこの事件が起きるまで、大リーグ野球のことはあまり関心がなく、大谷選手に対しても普通に海外で活躍してくれる選手の一人として応援していたくらいです。
でも、これまで輝かしい成績と日本人ならではの心遣いを持って世界中の野球フアンから愛され、尊敬をされてきました。そんな大谷さんが築き上げてきた尊敬と信頼が足元から崩れそうな時、それ以降の大谷さんがどんな野球をするのか見てみたくなりました。
事件が発覚する前は、真美子さんの隣には通訳のかたの奥さんがサポートし、仲良く観戦を楽しまれていました。発覚後の真美子さんの両脇には、これまで前面にしゃしゃり出ることがなかった大谷選手のご両親が真美子さんの側に座っておられました。(発覚後の一日だけちらっと映像がとらえました)
マスコミは挙って大谷選手も関与していたのではないかと貶め始めました。日本のマスコミや弁護士さんも、アメリカの報道を伝えていました。これまでは日本の宝だと、誰もが得意げに騒いでいたのに…。
大谷選手が一番苦しい時に誰が側にいてくれたか、このわずか数秒の映像が私の心に響きました。大谷選手のご両親のお心は阿弥陀様のようです。一番悲しい時、悲しいのです。
そして、大谷選手をだました通訳の方にもこの仏様のお心が届きますように…(4.10)
「永代経法要」のご縁」
今年の永代経法要には岡智徳先生がご講師としてお越し下さいました。久しぶりの一日法座で3席を頂きました。
先生のお話は分かりやすい言葉で仏様のお心をかみ砕いてお説法くださいました。 体調が万全ではなかった若坊守も「大変ありがたいので、午後席のご法話も聞かせてください」と申しました。
午前中は今、最も話題の「大リーグ選手大谷さん」のお話でした。野球をしたことがない新発意さんのお話でした。大谷選手のグローブが新発意さんの通う学校にも届き、手にはめた時の感動を帰宅後、先生に話され「マジで野球をしようかな」と、おっしゃったことを、驚かれたそうです。
「野球をしようぜ」と書かれた大谷選手のメッセージと共に送られてきたグローブを素直に受け取り野球に興味を抱いた新発意さん、その心を動かすものとは何なんでしょうね…。
先生は大谷選手が大リーグで活躍できるまでの道のりは決して独りの力だけで為せたことではなく、それまでに道を開いて下さった先輩たちのお陰であることを教えて下さいました。そのお陰を知る大谷選手の感謝の心が、グローブという形になって次につながる後輩たちに届いたのです。将来、大リーガーとして活躍する子供が現れるかもしれませんね。
今日の「永代経法要」のご縁は、私がこの世に生まれた意味を仏となったご先祖様は教えて下さっています。そしてこの命が終わる時、必ず浄土に生まれさせると御誓い下さっています。大谷選手のグローブは将来大リーガーが生まれるかもしれないという可能性のお話ですが、如来様の下さった「なんまんだぶつ」はすべての人が仏となる真実の親心のお話でした。そして私が仏様にならせていただく主人公であることをお聞かせ下さいました。
午後席は若くして夫がご往生された奥さんのお話でした。お浄土を拵えて待って下さる如来様の国があることが、どんなに有難いことかをお聞かせいただき…深く心に響きました。なんまんだぶつ(3.26)
「お浄土にて」
3月は悲しい別れが沢山ありました。
地元ではMさんがご往生されご自宅での通夜となりました。これまで優しく声を掛けて下さり、最長老としても沢山の方から慕われておられたMさん、その訃報を聞きつけて、仏間続きの二部屋は会葬の人で入りきれないほどでした。
住職の挨拶の中で「お寺のお父さんと思っていました。心の大きな支えを失ったように悲しいです」とありました。住職は全く無縁のこの山口の地で、仏様を中心とした人間関係を結ばせて頂きました。その中でも住職よりもはるかにご年配の「総代さん」に教えて頂きながら、歩ませていただきました。そのことは誰よりもよくわかっていますから、住職の言葉の重みを感じました。
お寺に居ると悲しいお別れが多いです。だからこそ、「そんなお前を待っている」と用意して下さっている浄土を恋しく思います。やがて、参らせていただきます。なもあみだぶつ…。(3.21)
「 遠方からの電話 」
2月の5日に聞きなれない名字の方から電話がありました。聞けば静岡県に嫁いだ娘さんから、お母様の葬儀のご相談でした。この方はご門徒さんのⅠさんの義理のお嫁さんに当たる方です。ご高齢のため実家を離れて娘さんを頼って静岡県を終の棲家にされました。
住職に電話を代わり、通夜を二日後にしてもらい繰り合わせて葬儀をお勤めさせて頂きました。
静岡県の葬儀を終えない内に、今度は福山県からお葬儀を勤めてほしいとの電話を頂きました。
お寺の周りは空き家が目立つようになりました。ご門徒様も一年ごとに年をとられ心細くなる頃、実の娘さんにお世話になると、住み慣れた土地を離れる人もいらっしゃいます。淋しいです。
でも、またこうして最後のお別れをさせて頂けることは幸いです。ご門徒さんを縁として、最期の大事なお勤めを任せていただけるからです。
「また遇える世界(お浄土)がありますよ」とお伝えすることが出来るからです。
淋しいけれど、また遇える日まで…お導きくださいね。なんまんだぶつ(2.16)
「 朝の5分間 」
立春の声を聞くともう春なのだと感じるのですが、まだまだ寒い今日の朝です。
いつもは住職が鐘をつくのですが、不在の日は私の番です。6時23分、ラジオ番組「今日は何の日」を聞きながら鐘をつく用意をして、25分一打目のスタートです。
東の空が薄っすらと赤みを帯び、刻々とと明ける空を見れるのも鐘を撞く楽しみの一つです。ダイナミックな空の動き…私ひとり何とも言えない神秘の空気に包まれているようです。
ラジオからは日常の生活や社会の動きなどの情報が流れてきます。「日常の生活を豊かにするために」というテーマです。
今朝の私は大きな空の動きを見上げることができたことで、心が満たされました。豊かさは求めて得ることはできないかもしれないけど、求める前から既に用意されているものなのかもしれないな…そんな朝の5分間でした。
「お同行様のこと」
久しぶりに和歌山からお同行様がお寺を訪ねて下さいました。今回は奥様とご一緒でした。来寺の2時間くらいをお茶を飲みながらご信心のお話をいたしました。
Yさんとの出会いはインスタグラムからでした。私のたわいもない投稿に真摯に向き合って下さり、不思議なご縁を感じました。仕事で1か月に1度下関に来られる機会を借りてお寺を訪ねて下さってから今回が4度目です。住職が京都でお説教をするときも、聞きに来て下さいました。
「不思議なご縁ですね。でも縁とはそういうものでしょう」と、住職。
私にはYさんに謝っておきたいことがありました。それは今回の「領解文」の問題です。
Yさんは仕事をされながら中央仏教学院の通信教育で学ばれています。実はそういう学びの機会もありますよと教えて差し上げたのが私でした。すぐさま3年間の通信教育を始められました。そこまではよかったのですが…
もしこのまま学業を終えられ、得度を受ける…ということにでもなれば、当然カリキュラムの中に「新領解文」が入ってきます。Yさんは新領解文を暗記しないと得度式を受けることができません。Yさんのように真っ新の状態で真摯に学んであられる方にとっては難しい選択をしなければなりません。本当に申し訳ないです。
同じように悩んでいらっしゃる方があると聞いています。
教団の分裂は避けたい、でも真実の教えを広めるための教団です。教団のための浄土真宗ではありません。親鸞様はもしかしたら今の教団の有り様を一番に憂いておられるかもしれません。(2.3)
「南無といい 息継ぎ足して 阿弥陀仏」
大坂「常見寺」の坊守様の亡くなっていく前に詠まれた歌を、正覚寺のご住職様から教えて頂きました。
坊守様は肺を患って、最後には一息にお念仏を称えることができない程に身体が弱っておられました。その時に詠まれた歌にはっとさせられました。
私は今、健康でお念仏を唱えることができる、何という幸せなことか…勿体ないなあと思いました。
いつでもお称えできるお念仏に仕上げて下さった如来様のお心、そのお名前に込められた願いを想う時、そうであったか、やがてこの私もお念仏を称えることが叶わなくなったり、忘れてしまうかもしれない…それでもそんな私にも忘れない親様がいて下さるかたじけなさを、この坊守様のお歌から教えて頂きました。
何の心配も要らない心強いお念仏のお心でした。かたじけなく勿体なく…称名。(2.1)
「仏前結婚式」
去る1月13日に甥っ子の結婚式をお勤めしました。コロナ禍で式が挙げられなかった甥っ子でしたが、両親の願いを聞いてくれて佛式の儀式で誓いを立ててくれました。
当日は式場のスタッフさん達も協力して下さり、神式の祭壇を佛式のお荘厳に変えて、厳かな雅楽に合わせての入場でした。若い二人が本当に美しかったです。
最近の結婚式は、神様や仏様を立てずに「人前式」というのが多いそうです。親族やお友達を前に二人の永久の誓いを立てるそうです。
普段、神仏を信じていないのだから、あえて結婚式に神仏の前で誓わなくてもいいだろう…という考えでしょうか。なるほどとも思います。
しかし私は残念に思います。
親と子、親戚には血縁で繋がれた切っても切れない縁があり深いものです。しかし、結婚のお相手にはどのようなご縁があったのか、考えてみると不思議です。よほどの浅からざるご因縁で出会い結ばれたご縁だったのでしょうか。その因果を考えるとき、やはり人知を超えたものに引き寄せられていたと思うのです。
独りの人生からパートナーと出会い、おたがいに寄り添いながら並走して完走できる人生になるよう、その一歩を仏様の御前で誓わさせていただくのです。
尊い一歩をお念仏申しながら歩き出した二人に、心強く後押ししてくださる存在があることが嬉しいのです。なんまんだぶつ…。(1.21)
「元旦の地震のこと」
能登半島で一月一日に最大震度7をこえる地震が発生してから10日が経ちます。日を追うごとに震災の様子が映し出され、
死傷者の数は増え続けています。故郷を離れた人が正月を楽しみに帰省され、家族団らんの最中だったかもしれません。想像するには余るほどの苦しみ、先の見えない不安、なぜこんなことになってしまったのか…予想だにしなかったことでした。
明けての2日には災害地に支援物資を運ぼうとした海保機と日空機の事故で、海保の隊員5名の命が失われてしまいました。
「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」一休禅師のお言葉です。
毎年のお正月にはこのお言葉が思い出されるのですが、真にそうであったと深くおしえていただいたことでした。
無常を知ることは命の儚さを知ること、この命はたまたま生きて、生かされている命であったと、ただただお念仏申させていただきました。
災害時にこんな私にできることは限られています。公の支援作業車の邪魔をしないよう見守り、心を寄せていくこと、そして災害地の手助けになるよう、できるところでの支援金をさせて頂く…ことしかないのです。長い長い道のりです。
ひとりぼっちで絶望感を抱かれている方にもお念仏が届いて下さることを念じています。(1.10)
「明けまして南無阿弥陀仏」
昨年頃からコロナ対策が緩和され、お寺の行事も少しずつコロナ前に戻りつつあります。
昨日は除夜の鐘を皆さんとつき、一年を振り返りながら感謝申し上げました。午後の部で108ツの半分以上をつき終え、夜の部では雨の中、傘を差しながらの除夜会でした。
普段のご法座ではお会いできないような方たちも沢山お参り下さいました。
除夜の鐘を終えた朝9時から修正会を寺族のもので勤めさせて頂きました。こちらの写真は典型的な四世代家族の写真です。子から孫へ…その灯は消えそうで揺らめく時もありますが、法が確かな真(まこと)である限り、法灯を絶やすことなく、勤めてまいりたいと思います。
世界を見渡せば各地で争いや、戦争の火種が絶えません。何の罪もない赤ちゃんや幼い子が命を奪われる映像を見せられるにつけ、胸が苦しくなります。私があの赤ちゃんの母親であってもおかしくないのに…。偶々(たまたま)今の時代に生まれ、偶々日本という国に生まれさせて頂き、親鸞聖人のお聞き開いて下さったお法に出遇うことができました。本当にかたじけないことです。
今年もお念仏を申させて頂きます。なんまんだぶつ。(1.1)