「別れと出会いの今年もあと5日」

 今年も悲しい別れがありました。28年度の2月に、責任総代の石川さんを始めとして、数人のご門徒さまをお見送りしました。

 私の中でのご門徒さんは、ジグゾーパズルのようだと、時々思います。

どの一枚が抜け落ちてもいけない。100枚パズルの99枚そろっても、折に触れ、欠けた1枚を探しては、思い出す…。

 既に亡くなった方は、その場所を埋めることはないのです。分かっていても、寂しいなと思います。

 でも、その寂しい別れが、新しい出会いをもたらしてくれます。亡き連れ合いが、亡き親が、亡き子が…縁となってお寺に導いてくだいます。

 

 埋まることのない深い寂しさを抱えながらも、新しい出会いの中で,

また笑顔が生まれる。そんなことを繰り返し、わたしもやがて、懐かしい人達のお浄土に参らせていただくのです。(12.26)

 

「クリぼっち」

 今日はクリスマス。イエスキリストのお誕生をお祝いする日だ。

にわかづくりのクリスチャンが、テレビやマスコミを賑わし、スーパーなどでは、クリスマス商戦でにぎわっている頃…。

 最近はクリスマスをお一人様で祝う「クリスマス」+「ひとりぼっち」で「クリぼっち」が流行っているらしい。

 次から次へとよくまあ…と感心してしまう。日本人の柔らかい心から生み出される商売意欲とでも言いましょうか…それに乗せられる人達もたくさんいることに驚く。

 

 クリスマスはクリスチャンの方々からすれば、厳粛な宗教行事である。でも、今や日本においては、そんなことを言うことも、考えることも憚られる。なんだかな…変なの。(朝ドラ「べっぴんさん」の口まね)(12.25)

 

「阿弥陀様が何をして下さったか」

 

先日の報恩講のご講師の深野先生のお話です。「今日くらいは、私達のしたことを話すのではなく、阿弥陀様がして下さった事を聞かせてもらう日にしましょうや」とおしゃったことが心に残った。

 日頃でも、本当に自分の事ばかり話したがる。そのことは、知らず知らずのうちに自慢話になっていく。

 せめて、報恩講の日くらいは、こんな私を心配し、悲しんで下さっている、如来様、親鸞聖人のことを聞かせてもらい、「そのまま救う」とおっしゃってくださいます如来様のご本願のいわれを聞き開いて下さった親鸞聖人の御恩徳を報ずる日にしたい。(12.21)

 

「今年の報恩講」

 今年も無事、報恩講に遇うことができました。毎回思うことは、今年も沢山お参りがあるといいな、ということ。それと、あと何回こうして報恩講を勤めることができるかしら、ということ。

 今年は昨年より10人くらいお参りが多かった。初めてお寺に参ってきて下さった方もあった。身近な方を失うことで、亡き大切な方が、こうしてお寺に足を運ばさせて下さった。

 まだお取り越しの最中、おじいさんの入院騒動もあり、心は落ち着かない。が、今年の今を、報恩の思いで勤めたい。(12.20)

 

「あと13年…。」

ふと、住職が言うのです。「先住(幸雄さん・父)が往生した年まで生きられるとすれば、あと13年だな…」と。命の約束はないので、このはなしは余り意味がないが、住職は若院達のことを考えているのだなと、思った。

 先住から住職を受け継いだ時は、前坊守(房枝さん・母)の助けもあって、寺の業務?もスムーズに移行できた。寺といえども小さな会社のようなものである(ただし、お金の売上を考えるものではないが)。

「寺の仕事を教えておかなければ…」と思う。反面、教えて出来る仕事は限られているな…とも。

 寺の仕事は生まれてくるものと思う。また、生み出していくものともいえる。何もなさねば暇な時間を持て余すが、何かをしょうとするものなら、いくら時間があっても足りない。

 

 世の中、何か変だーと思うこの頃である。お寺がしなければならないことは沢山ある。(12.15)

 

 

 

「島の中のお寺」

 お取り越しのお参りをさせてもらっていて、門徒さんが年をとられているのがわかる。それだけ、私も歳をとっているわけだが…。お参りを終え家につき、住職を待つ間、言いようのない不安が襲う。

 

 島に立つお寺の住職をしている友達がいる。その島は人口400人。平均年齢70歳以上。子供さんのいる若い人は、島を離れ、まさに限界集落にきているという。その島を船で行ききし、寺をまもっておられるという。わが寺の一部集落も似ているところがある。ご門徒さんの家が絶えたらお寺は必要とされなくなる。

 

 お寺は門徒さんが浄土真宗のおみのりを聞かせてもらうために建てた道場である。そのおみのりを聞く人がいなくなったら、寺も必要なくなる。もう数十年の内には、寺の統廃合が進んだり、廃寺の寺も沢山出てくると言われている。現に今、進行形…。

 

 貧しかった時代、門徒さんたちはその日の生活もぎりぎりの中、身銭を布施して立派なお寺を建てた。立派なお寺は門徒さんの誇りであり、信仰の証のようなものであった。この方たちの思いは裏切れない。

 私にできることは限られている。が、このおみのりが真実である限り、それを聞かせてもらう道場を守るお手伝いを、させて頂く。(12.14)

 

「命の仕舞い方」

 ラインをしている友達が、こんな新聞記事を送ってくれた。

 

「親が老いていくということ/それは萎んでいくということ/小さくなっていくということ/小さくなって軽くなって/それでもあなたの親であるということ

親が老いていくっていうこと/それは命の仕舞い方を あなたに教えてくれているということ/あなたもいつかこうなるのだと/それは最後のプレゼント」

 

 このラインが送られてきた丁度その日に義父が入院。まるでこちらの状況をお見通しのような文章だった。

 でもこの日は心のゆとりがなくて、「命の仕舞い方は何度も、繰り返し義父から見させてもらっていますが、なかなか仕舞えないものです…」と、ちょっと皮肉ぽく返答してしまった。

 そもそも、命なんて、私が出したり仕舞ったりと、勝手にできるものではないので、まずこの言葉にひっかかったのだ。でもこの筆者が言わんとしていることは解かる。この私もやがて行く道。老いも病も死すらも、このおやが、我が身を砕いて、こんな惨めな姿になってまでも、教えてくれているのだ。何度も何度も…。その時が過ぎればすぐに忘れてしまう、バカな私に。

 仏教では「生老病死」の根本問題を私の身に問うている。今がその時で、私の問題なのだと気付かされる。

 友には感謝したい。(12.11)

 

「暮れの恒例行事」

 師走になると急に世間が慌ただしい。師(昔はお坊さんのことをこう呼んでいた)が走り回っているという暮れの12月、まさしく、年中行事のお取り越し報恩講(各門徒さんの家の報恩講)をお参りさせて頂く。

 

 と、同じく暮れから年明けにかけて、恒例になっているのが、義父の緊急入院である。主な症状は誤嚥性肺炎による発熱である。(インフルエンザ・打撲の心配の時もあった)点滴は嫌がって引き抜き、酸素マスクもはずしてしまう。痰の吸引はよほど苦しいのだろうー看護師さんに暴力で抵抗する。義父はお墨付きのリスト患者だ。

 

 隣の患者さんも義父と同じような症状だ。義父より7~8歳若い80歳台のおじいさんだ。看護師さんのしてくれる治療に、毎回必ず「有難う」と答えられている、優等生だ。どこの世界にも優等生と劣等生はいる。

 

 そんな二人に(感情は抜きにして)早く元気に退院して欲しいと、同じように治療、看護を施して下さる方がいる。ありがたい。(12.10)

 

 

「七日参り」

 昨日は2軒の七日参りを勤めた。二七日と、三七日のお宅だ。葬儀が終わり満中陰まで七日ごと、お参りする。おつとめの後、故人のお話をさせて頂く。あんなこと、こんなことと、ご遺族のかたとともに、故人の思い出話しをさせていただく。故人が生きておられた証を、心に刻む。

 これまで、声に出してお勤めすることがなかった奥さんの「正信偈」の声が後ろから聞こえる。「故人は仏さまとなられて、奥さんを導いておられる」そのことが、本当に嬉しい。(12.6)

 

「隣寺の報恩講」

 昨日は隣寺の報恩講さまに参らせて頂いた。中島正念先生のご法話を聞かせて頂いた。先生は御年81歳、外見はおじいちゃんに見えるけど、お話は若々しい。それに謙虚なお姿が見ていて美しい。

 年寄りになると、年下のものには何も学ぶことがないと、若者を遠ざける方もいる。でも先生の周りには、いつも若い方が安心して集っておられる…と聞く。それはご法話からも伺えるのだが、社会、世間に対するアンテナを常に張り、感性を磨いておられるからだと思う。

 

 お話の中では「世間食」と「出世間食」のことを教えて頂いた。「世間食」はいいものを食べたり、見たり、触れたりすることで、満たされていき、私を育ててくれるもの。でもそれだけでは、人間として足りない。仏様の教えを私の問題として、向き合い、歩ませていただく。それをおしえてくれるのが「出世間食」ということ。

 

 しかし、いずこも似たり寄ったりだけど、お聴聞の方の高齢化が深刻。お聴聞者の中で、わたしが一番若いのは問題だ。

 お説教の終わり頃、廊下を走り回っていたお寺の幼児がお堂にはいって来た。大人に真似て「なんなんだぶ」と称えて笑いを誘った。せめてもの救い…かな。(12.5)

 

「今年の練習納め」

 今年最後のライトコールアンサンブルの練習が終わった。

今年も沢山の仲間に支えられて、色々な活動ができた。

 自坊以外のお寺様もコーラス部を持っておられるところが増えてきた。そんな中での我がライトコールの特色は,門徒さん以外の歌好きの友達も沢山集ってくださっている( ^ω^)・・・ということだろうか。これは、一般の合唱部では当たり前のことだが、お寺の世界では大変なことである。

 まだ自分のお寺ですら、敷居が高いと感じられている方も多い中、気楽に寺を訪ねて下さり、如来様の前で大声で歌い、それがそのまま仏徳讃嘆させて頂いているという事実…自覚のないままにお育ていただいているのだ。(もちろんこの私も)

 それを許して下さっている他門徒の菩提寺の住職様に感謝して、来年もますますパワーアップして、コーラスも楽しく頑張りたい。(12.4)

 

「友の声」

 昨日は学生時代の友だちの誕生日だった。電話で声を聞き、お互いの近況報告をするのが、毎年の祝いの儀式のようなものである。

 そして、こう言ってから電話を切る「必ず、会おうね」

 そんなに遠い距離ではない。会おうと思えばすぐ会いに行ける距離である。でもそれが叶わない。

 「事が成る」ってこういうことだろう。思いがあっても、周りの状況や、その時の環境全てが整わなければ為せない。「そのうち、そのうち」と思っている間に年をとって身体が重くなり叶わなくなる。

 お聴聞も同じこと「そのうち時間がとれたら」なんて言っている場合でない。今、あちこちで報恩講のお座が立っている。自分へのご催促だ。お聴聞させてもらおう。(12.2)

 

「「墓なし、弔いなし」の記事を読んで」

 今朝のトピックスで、記名なしの上記のような内容があった。個人的な宗教感だから仕方ないのだが、私としては寂しい。

 

 私のお寺で、最近新しいご門徒ができた。その方はお母さんが亡くなったことがご縁となり、「門徒になりたい」と訪ねてくださった。

 65歳という若さで亡くなり、急な出来事だったらしい。元々は山口県の方ではなく、お寺さんとの付き合いもなかった家だった。きちんとした葬儀もなく、寂しいお別れとなってしまったお母さんに対して、何かしら子供として心残りがあられたのかもしれない。見るからに優しい人だ。

 「人は何のために生まれ、死んだら何処へ行くのか」

お母さんの「死」を通して、初めて信仰の門を叩かれた。

 

 「自分の命の終わりは自分で決める。その後は何もなかったことに…」…なんて勝手な思い上がりでしょう…残された遺族は、愛する方の死を受け止め、これから生きていかなければなりません。何もなかったことになんてなりません。何を残すかはその方の自由ですが、人間として生まれてきた意味と目的は、後世の愛する人達にも伝えなければなりません。と、私は思います。(12.1)

 

「お取り越し報恩講」

 今日で11月も終わる。明日からは宝林寺のご門徒さんの各家の報恩講を勤める。わたしも住職に言われたところの地区を一緒にまわらせてもらう。

 ふと、あと何年、こうしてお勤めすることができるのかしら…と思った。

 初めてお参りさせていただいたのは、祖父に連れられて小学校5年の時(まだ得度しておらず、無免許)だった。祖父がお参りする後ろに座り、母に作ってもらった布袍をきて着て、一緒にお勤めする。終わると必ず、小さなお膳を用意して頂き、お酒好きの祖父は、これまたお酒好きの亭主にすすめられ、ひるからあかい顔になりながら、門徒さんの家を練り歩く。「早くお斎が終わらないかな…」子供のわたしには、お勤めよりもながいおときの座が理解できなかった。

 お寺には車がなく、今の様に交通機関も良くなかった時代のことである。長い間、距離を厭わず、遠方から来てくれた老僧を労い、また敬いの心の現れだったのだろう。今もって、遠方の地区の方が門徒でいて下さるのは祖父や父のお陰である。大切にまもってくれたのです。(11.30)

 

「布ぞうり組の小尾さん」

 福島で震災復興のため、Tシャツを結わえて、ぞうりを作っておられる小尾さんに電話した。2日前に届いたぞうりのお礼も兼ねて、なんとなく声が聞きたくなった。

 あれから5年…3月がくると6年になる。その間、熊本地震、鳥取地震と、大きな地震が立て続けに起こった。先日はまた東北地方で余震。

「揺れたよ。あの日を思い出し、怖かった。でも、熊本、鳥取にも地震でしょ。山口県は大丈夫だった?」と逆に心配されてしまった。

 こちらは大した揺れはなかった…と言うことが憚られる…。

それほど、被災地ではまだ復興には程遠く、余震も収まらない。こちらは平和に暮らせていることが申し訳なく思える。

 「頑張れ…」と心でつぶやきながら、「必ず小尾さんに会いに行くからね」と約束して電話を切った。(11.29)

 

「山口別院報恩講」

 昨日、お別院の報恩講でした。昼の時間に仏教讃歌を披露させて頂き(「のんのさま」[群青])、皆さんと「報恩講の歌」を歌いました。

 「一人いてしも、喜びなば 二人と思え / 二人にして 喜ぶおりは 三人なるぞ / その一人こそ 親鸞なれ」

二番の歌詞です。嬉しい時も、悲しい時も、共に寄り添って下さる。それが親鸞さまです。

 この歌詞が好きです。特に「嬉しいとき、喜んで下さる」という。真の教えに出会えた時の喜びを、朋と語り合い、そのなに親鸞様がおわしますと申される。いや、もっと小さな、日々の些細な喜びをともに喜んでくださるのです。

 今日はご満座。朝からお聴聞してきます。(11.28)

 

「母と暮らせば」映画会復活!

 昨日は久しぶりの御堂シアター上映となった。

「母と暮らせば」は母(吉永小百合さん)が息子(二宮君)を長崎の原爆で失ったことで始まる物語である。若くして命を落とさなければならなかった医学生の青年が、幽霊もしくは母親の幻影として、母の前に現れ、一時を過ごす。無念にも亡くなった人の思いと、大切なひとを

失った人の思いが、丁寧に描かれていた。

 時代は違えど、亡くなった方に聞いてみたいことは沢山ある。逆に亡き方が残したかった言葉も沢山あったろう。

 その声に耳を傾けながら、亡き方と今を生きる。そして亡き方に導かれて、私もお浄土に参らせて頂く(ただし映画はクリスチャンでしたから、天国)…そんな内容でした。(11.25)

 

「お浄土について」

 深夜の電話は、誰かが亡くなったという知らせの電話である。一昨夜の電話も突然だった。

 長く東京の方でお勤めされていたIさんが、退職され、この故郷に帰って来られた。近所付き合いも、ほとんどなく(近所に家はなく山の中の一軒家)それでも、お寺とのお付き合いは、夏の盆参り、冬のお取り越しとお参りさせて頂いた。

 Iさんは一見すると取り付き難く、堅物のように見える方だった。が、趣味で書いておられた随筆を読ませて頂いた時、作家独特の観察眼で登場人物をユーモラスに切り取っておられて、才能溢れる作品に感動したことがあった。そう、夏目漱石のように純粋に人生を漂っている方…そんな印象に変わっていった。一言でいうと、私の中では興味深い面白い方になった。

 

 お会いするたび、住職は色々な仏教書を進めてきた。私がお参りするときも、雑談の中で宗教、浄土真宗の考え方を小出しに伝えていった。教えに帰依されたら、Iさんはどんなに楽になられることか…そう思えたからだ。

 でも、Iさんが何に悩み、何に躓き、宗教を否定されていたのか本当の所わからない。Iさんには伝わらなかった。申し訳なく思う。(11.24)

「5年前のこと」

 今朝、妹からラインが入った。「また地震よ!」急いでテレビを付けると、赤い文字が眼に飛び込んできた。津波が発生。はやく避難して…というアナウンスの声だった。

 またも…東北。誰もが5年前の悪夢を想像する。にもかかわらずアナウンスは容赦なく「5年前の津波を思い出して、一刻も早く高台に避難して下さい」と呼びかけている。

 避難された方の中には、5年前を思い出したくないくらい辛い思いをされた方もあったろう。やっと暗い闇の中から新しい生活に向けて、頑張ろうと立ち上がった矢先の出来事だ。

 

 残酷にも聞こえる呼びかけの効果もあってか、今回は津波の被害からも逃れることができた。でも、直接の被災者でない私にも辛い呼びかけの朝のアナウンスだった。(11.22)

 

 

「が」と「で」の違い 

 ご法事の案内を受ける。忙しい時期、住職はお参りできないとき「私がお参りさせて頂いてもよろしいですか?]とあらかじめお断りする。

勿論、私もお得度させて頂き、れっきとした浄土真宗の僧侶だから、こんなお断りは必要ないものである。ただ、門徒さんは理解しておられても、親戚の手前や、余宗の方が参られたとき「女の坊様か…」と思われ、ご法事の施主様が何か後ろめたさを感じられたら嫌なので予防線を張る。

 大抵の門徒さんは「勿論、坊守様お参りください」と暖かく迎えて下さる。こんな日の法事は特別頑張っちゃう。

 それに対して「坊守様いいです。」と言われたり、「坊守様でも」と言われるとテンションが下がる。

 勿論、僧侶だから同じようにお勤めをさせて頂きます。でも気持ちは多少違います。(情けないことだけど…)

 今日のご法事は誠心誠意、頑張っちゃうぞ!(11.20)

 

「病院でのこと」

 義父の薬を頂きに、病院に来ています。病院へは1ヶ月ごと定期的に薬を頂きに来ます。診察までの時間、会計までの時間、おくすりを頂くまでの時間など…お年寄りが言われるように、一日もしくは、半日仕事です。「忙しくて寺参りどころではない」のも無理からぬこと。

 

 そう昨年、私も病院にお世話になりました。母が熱があるからと、病院に連れて行き、その待ち時間が暇だから私も風邪薬をもらっておこうと、軽い気持ちで診察してもらいました。結果、インフルエンザにかかっていて、帰宅。母と二人が隔離された部屋で、お互いに看護しながら、なんとか治りました。

 

 こんな時は薬の有難さが身に染みます。一日を費やしても薬をもらいに行く気持ちが解かります。身体が辛い時は病院で治してもらいます。    身体の不調には自覚症状があるからいいのですが、心の不調にはなかなか気付き難い。きづいた時は遅かった…ということになりかねません。

 定期検診を受けるつもりでもいいですから、お寺のご法縁に遇わせていただき、お聴聞させて頂きましょうよ。(11.18)

 

「苦」がない?

 住職と話していて「はあ?」と思うことがある。

 今朝も「自分は特別な苦しみを味わったわけでもないのに、よくこのような教えに導いてもらえたものだ…と」。

 確かに住職には「苦」と感じるようなことがないのであろうな。元々、仮に棘の上を歩いていたとしても、「この道は自分で選んだ道だから」と特別な「苦」にはならないのだろうな。

 私は結構、棘が痛いと感じてきた。夫婦として寄り添い、同じように歩いてきたつもりでも、棘の道を選んで歩いているという住職と、引きずられて歩かされていると思う、違いだろうか。住職との結婚までのごたごた、住職という大黒柱が学生になり子供をかかえての生活、京都を引き上げ山口でいちからの生活…と。思い出せばエトセトラ…。今もって「人生は苦なり」である。それは個々のうけとめかたの違いによるものだろうか…?(11.17)

 

「ありがとうございます」

 昨日、ご門徒様がお亡くなりになった。長く千葉の方でお勤めをされ、定年後は寺の総代としてお世話戴いたきました。法座の案内をすると必ず、奥様と一緒に参って下さいました。お会いすると、寺報やこのホームページを楽しみに見ていますと、言って下さった方です。

 そんな折、病気が見つかり、治療しながらも総代として勤めて下さいました。誠実に真面目に…。

 半ば「このお寺の仕事は最期のご報謝になるかもしれない」と、心を決めておられたー今にして思うと、そう思えます。

 

 覚悟があったとはいえ、本当に残念です。私にこの坊守通信を書かせてくれる、その原動力になってくれた方であったかもしれませんら…。

 

 金曜日、住職と二人でお参りさせて頂きます。これまで優しいお言葉をかけて頂き有難うございました…と。

 そして長く読者でいて下さって有難うございました…と。(11.16)

 

「幸せの匂い」

パン教室に行ってきました。組内の坊守様宅に寄せて頂き、パンの作り方を教えていただきました。

 沢山のパンと美味しいお昼まで用意して下さり、帰る時はかごに入りきらないくらいのパンをお土産に持たせて下さいました。至れり尽くせりのパン教室です。

 帰宅の車中は焼き立てパンの匂いで充満。なんとも幸せな匂いです。

今日は常例法座の日、皆さんに食べていただけるのが、また楽しみです。それにしても、坊守様の焼くパンはプロ級です。(11.15)

 

「朝の誓い」

 朝が来ました。いつも週の始めは身体が重い?

 でも、そんな時はこう思うのです。「今日も眼が明いて下さった。有難う。」と…。

 近くの柿の木に今にも落ちそうな柿が一つ…薄暗くなると、遠くを灯すあかりのようだと、誰かが言っていた。かわいい発想だけど、灯にはすこし足りない。

 

 お釈迦は「自灯明 法灯明」と仰った。よく整えられた自らをたのみ、法をたのめよと、仰った。この言葉は決して傲りからではなく、お釈迦入滅後は、残された正しい教えを聞き、それを自らのともしびとし、教えに育てられる自らをまた、省みながら、ともしびとしなさい…と。そのともしびの中に私を見つけよーと。

 

 月曜の朝は身体が重い。あの柿はいつ落ちるかしら…(11.14)

 

「14回忌法事」

 今日は先住(私の父)の14回忌に当たる月命日でした。妹と母とで慎ましく法事をお勤めしました。

 もう13年も経ったのか…父がいた時の記憶が少しずつ、薄らいでいます。でも、こうして布袍を身につけ、袈裟をかけさせてもらい、法事を勤めさせてもらう度、父のことが思い出されます。

 面白いもので、思い出す顔は父が嬉しそうに笑った顔ばかりです。普段の父は、あまり楽しそうな顔をすることがありませんでしたから、よけい、笑った顔が印象に残っているのでしょう。

 

 父からそのまま譲り受けた布袍で、父の法事を勤めました(11.12)

 

「和顔愛語」

 ラインの友達から赤ちゃんの写真が送られてきました。なんて!可愛い!…。としか表現できないくらい、見ている全ての人を笑顔にする赤ちゃんのお顔です。

 

 仏教の教えの中に「和顔愛語」というお言葉があります。「和やかな顔に美しい言葉」という意味です。教えを聞いた人に備わる「徳」にも挙げられています。

 赤ちゃんの時は、みんな仏様の徳を備えているのではないかと思います。現に、こんなにも私の心を穏やかに、楽しくさせてくれるのですから…。仏様の功徳があってこそ、周りの私にまで、その功徳が波及して幸せになれるのです。

 朝のお目覚め一番は、この写真を見ることから始めます。(11.11)

 

 

「御同朋のお勤め」

昨日は当山を会所で、宇部北組の「実践運動推進協議会」という研修会がありました。会議の名前だけを聞くと難しい研修会のようですが、早い話、「みんなが仲良くたすけ合える社会にしましょう」ということでしょう。その一助になるための研修会でした。

 法中様が沢山来られたこともあり、お勤めの声も本堂に響き渡りました。この瞬間はまさに御同朋の社会ではないかな…と思いました。

 今年から山口別院の教務所長に就かれた「木下先生」のお話も大変参考になりました。なんといっても、先生の顔がいい!温厚で見るからに優しいお顔です。お別院にお参りすると、木下先生に会えますよ。(11.10)

 

「 は か な い 」

 昨夜は、本当に義父が死んでしまうと思った。夕食中、いつもの御かゆと、ハンバーグの刻み、サラダの刻みをスプーンで美味しそうに頬張っていた義父、突然、いつものように「ひいーひい」と言い出した。

「大丈夫、いつものことだから」と思いながら、義父の背中をトントンしていた。おさまらない。向かいに座っていた住職も立ち上がり「大丈夫か」と声をかける。見る見る内に下唇の色が青ざめていく。あわてて、住職は義父の口に指を入れる。私は救急車を呼ぼうと、連絡。

 「は~い、慌てないで。お名前と住所を教えて下さい」と隊員…これが慌てずにおれようか…おじいちゃんが死んでしまう…

 言われた通りにずっと背中を強く強くトントンして隊員の到着を待った。口内の絡みついた痰と一緒に、小指大のハンバーグが出て来た。

「こいつか!おじいちゃんの命を左右していたのは…」

 また、慌てて救急隊員におことわりの電話を入れた。隊員は「それごらん、慌てないでと、いったでしょ」と言わんばかりの口調で「はい、では車を折り返します」と一言。

 何事もなかったかのように、パジャマに着替えさせられたおじいちゃんは、自分のベットに入り、眠りについた。(11.9)

 

「もうじき先住職の14回忌」

 先住つまり私の父が11月12日に往生(亡くなって)して、もうじき14回忌を迎えます。今年はちょうど土曜日なので小野田にいる妹も参ってくれるでしょう。

 11月は土曜・日曜ごと、何かしら行事に追われていて、心が落ち着かないです。加えて来年度に向けて、ご門徒さんの過去帳の繰り出しや、法座準備など、あれこれ忙しくしていて、心を滅ぼしています。

 父はこんな私を見て「慌てるな。どんと構えて事を為せ」と言うでしょう。父の往生がこの時期であることまでも、私をなにかしら教えに導いてくれているようです。

 「慌てても、死は免れんよ。急いでも五十歩百歩の人生を、今、為さなければならないことを、1つずつさせてもらえばいい」と…。

でしょ?…お父さん。 (11.8)

 

「SEKAI NO OWARI」

親戚でライン友から「今(世界の終わり)というグループの曲を聴いている。」とありました。時を同じくして住職が布教先の会所の坊守様からも彼らのことを教えてもらい、昨夜は夕食後、我が家でCDライブとなりました。

 もともと、リズムを刻み早口で歌うような最近の歌は苦手で、若い人の歌を聞こうともしませんでした。だが…聞いていくうちに、フカセさんの詞がぐいぐい心に入り込んできます。シンプルな言葉で、素直に表現されている言葉の端々から、仏教観が伺えます。この歌が多くの若者達から支持されていることが、驚きでもあり、嬉しいことでした。

 私の中では(いきものがかり)というグループ以来の、久々のヒットグループとなりました。若い人の歌も聞いて学ぶことが沢山あります。(11.7)

 

「秋を告げる水鳥」

 深まる秋の散歩の中、水鳥達を発見しました。写真の黒いつぶつぶはカモたちの一軍です。今年もようこそ小野湖にお帰り。

 何でもないことのようですが、小さな鳥たちがはるばるこの地、この湖を目指して渡ってくるということは、大変なことです。方向音痴の私は渡り鳥にはなれないと思います。大空を飛ぶ中、どうして東西南北がわかるのでしょうかね。

 ともかく、寒い冬を一緒に越してくれる、愛らしい水鳥達にも支えられています。ようこそお帰り。(11.5)

 

「川元先生のこと」

 先日、川元医院の奥様がお寺にお参り下さいました。

 川元医院は総合内科医院として、小野で唯一の病院でした。現在は閉鎖され、小野には病院がありません。(歯医者さんは一軒あります)

私と私の子供たち、親子二代に渡り、お世話になりました。私の子供の時は、病院は苦手な場所でした。しかも、少し面長の川元先生の顔は注射を連想させ、先生の顔をみるとびくびくしていました。でも子を持つ親になってみて、病院が近くにあり、先生がいて下さることの安心は、私のみならず、小野の皆さんが感じておられたことでした。こどもの高熱にうろたえながら、深夜に電話をしたこともあります。祖父の往診にも来て下さいました。数えればきりがない位、お世話になりました。(11.4)

 

 

「ここ掘れ シシ君!」

 一昨日、住職の畑に散歩に行きました。なんと!また見事に畑が掘り起こしてあり、驚きました。イノシシの家族が昨夜の間にこの仕事を終えたのでしょう。

 果樹を植えていますので、草を刈るのも大変です(と…住職が言っております)イノシシのお陰で綺麗になりました。

 周りの農家専門の方の畑は、全て囲いがしてあります。なんの囲いも施してない住職の畑を目指して、必然的にイノシシの親子はやって来ます。のびのびと掘り起こす親子の姿を想像して、おかしくなりました。

 私は田舎に生まれ育っていながら、土いじりが苦手です。相手がどんな生き物であれ、見事に土を掘り起こす、この仕事ぶりは感心します。

 

 しかし、よく掘った…興味のある方は一度見にきてね。(11.2)

 

「ユニセフからの贈り物」

 ユニセフから小さな贈り物が届きました。住職が20年間贈り続けた、支援金のお礼らしいです。中には柱にかける小さな時計と、感謝状です。住職の支援金は僅かな金額です。

 私が驚いたのは、経理管理がきちんとなされ、行き届いている素晴らしさです。ユニセフには世界中の方々から支援金が送られてきます。その一人ひとりに対し、ユニセフからは、ユニセフが行なっている活動レポートが送られてきます。

 何も私に言わず、20年間送り続けた住職もすごいと思いますが、それを忘れずにいてくれるユニセフも凄いなと思いました。僅かな気持ちが、小さな子供たちの命を守るお手伝いをさせて頂けます。

 

 仏教讃歌「のんのさま」の歌詞に

 「ノンノンノンの のんの様 / この子の命まもりゃんせ

  この子の明日まもりゃんせ / この子の未来まもりゃんせ…

 …七つの海に橋掛けて / 世界をつなごう 手をつなごう

  橋は橋でも虹の橋 / 世界の子供が遊ぶ橋

と、あります。親が子の幸せを思うが如く、のんのさまも願い、働き続けていてくださるのです。その時間は未来永劫です。(11.1)

 

「新しい朝」

 朝が来ました。月曜日の新しい朝をいただきました。

 昨夜は姫路に出講していた住職の帰りを待っていたので、少し寝坊をしてしまいましたが…。

 10月も今日で終わり、秋がさらに深まってまいります。小野湖の湖面は、山々が小さく色を変えていく姿を静かに映し出しています。お寺から見下ろし、その変化を楽しめます。

 秋は駆け足、急ぎ足。

 だから、私は動かないで、ここで見届けましょう。(10.31)

 

「供華のこと」

 お別院で、寺族婦人連続研修会をに参加してきました。今回は「仏華」について。講師は中央仏教学院華道講師の「弓場洋子先生」でした。

 「仏前供華」を略して「仏華」といいます。浄土真宗では池坊の立華形式にのっとり、法要時には松一式や檜を真にして立てます。(この真は中央の木ものをさします)「真」は「心」とも書き、真っ直ぐでないといけません。花の色には格式があり、一番格が高いのが白色、黄・赤・青と連なっていきます。

 スプレー菊よりも一輪の大菊が格が上です。禁花は造花・毒花・刺のあるもの(刺を除けばOk)等々…

 

 いろいろと教えて頂きましたが、仏花の世界も格付け社会・・・?

立華式仏華は花がやや少なく、寂しい印象があります。でもせっかく習ったのだから、一度は立ててみないとね。

 先生は生け花を見ると生けた人の心情が解かると言われました。確かに真っ直ぐの「真」が歪んでいると「心」が乱れているというこだろうか。華道は「心」、深いのです。(10.29)

 

「介護の現場SOS」

 昨日は義母を老健施設にお迎えに行きました。家に連れて帰ったまではよかったのですが、階段を上りきった所で、へたばってしまい、ぺたんと尻餅をついたまま動こうとしない、押してもだめ、ひいてもだめ…

無理もありません。義母のおせわになっている施設では、一日のほとんどが車椅子の生活です。この階段を手すりを当てにしながら、よじ登っただけでも大したものです。「さて困った。このままではトイレにも連れていけない」(勿論、あててはいますが…)

 

 そこで、お助けSOSの井上先生の顔が浮かびます。先生はデイサービス小野のセンター長をされ、義父がお世話になっています。まだ30歳代の男性ですが、義父はこの方が大好きです。寺からは走って5分。

 血相を変えて走り込んだ様子を察知され、すぐに助けに来てくださいました。義父はその様子に感動の涙を流し、一件落着しました。

 このことから、二つ学びました。

1:住職が不在の時は義母を連れて帰らない

2:デイサービスは近くにお世話になるのが望ましい。

この方たちのお陰で、私みたいなひ弱な筋肉でも、なんとか在宅での介護ができるのです。

 昨日は長い、でも短い一日でした。(10.28)

 

「死にゆく道しるべ」

 昨日は山口別院で仏教講演会があり、お医者さまで、龍谷大学大学院実践学科を教えていらっしゃる田畑正久先生のご講演を頂きました。

 「死にゆく道しるべ」は仏教が2500年も前から示してくれています。しかし、現在の私達の文化にそのことが置き去りにされています。「医療は患者さんが元気になることばかりを追求する。勿論、それが医者の務めであるが、どうしても無理な場合だってある。そんな時、患者さんの心や医療従事者の心を受け止め、ケアしてくれ、死への覚悟と準備をさせてくれるものが仏教ならば、医学と仏教が共に同じ現場でささえ合えるのではないか。ちょうど、キリスト教のチャプレンの様に」というような内容でした。

 いつの頃から、仏教は病院から締め出され、僧侶が布袍を付けて行くのが憚られるようになってきました。坊様イコール死を連想させるからでしょうか。いずれにせよ、お医者様が話される現場の声は説得力がありました。(10.27)

 

「モモちゃんのこと」

 先週日曜日にご門徒さんの法事があり、勤めさせていただきました。

以前お参りした時には、モモちゃんという高齢の猫がいました。モモちゃんは、今風のスタイッシュなお部屋にピッタリな風貌をしていて、客人の私がいても「何しに来てもお構いしないわよ」というように、のんびり窓際の廊下で寝そべっていました。

 そのモモちゃん、昨年亡くなったそうです。人間の年齢にすると108歳、「大往生でした」とご家族の方…動物に「往生」という言葉があてはまるのか、ちょっと首をかしげながらも「モモちゃんは、部屋で一緒にお勤めを聞いてくれていましたね」と、その死を悼みました。

 モモちゃん、次に生まれてくるときは仏法を聞くことのできる人間に生まれてきてね。そしてお念仏をいただき、それこそ「往生一定おんたすけ治定とぞんじ、このうえの称名は、御恩報謝とぞんじ、よろこびもうしそうろう」(領解文)を共にいただけたら、いいね。(10.26)

 

「どんより気分」

 昨日は義母の所、顔を見に行って来ました。先週は家に連れて帰ってあげることができなかったので…

 義母はいつもの定位置でテレビを見ていました。しばし話をして、「また木曜日にね。」と言って帰りました。

 義母の施設から帰る車の中では、いつもどんよりとした気分になります。この施設の生活は、我が行く末を垣間見させて頂くからです。

 若い頃はがむしゃらに働き、自分の身を削って、子達を一人前に育て上げました。年老いて、時間はたっぷりあるものの、自分の身を持て余し、ぼーっと一日をテレビの前で過ごす…義母に限ったことではない現実です。

 「仕事が出来る間だけが、値打ちがあるわけではない」分かってはいるつもりでも、自分が社会から必要とされなくなる、いやいや、家族からも必要とされなくなる日が来ると思うと、切なくなります。

 そんな時、「なもあみだぶつ」の親様にたのめよと、聞かせて頂いております。「誰からも必要とされなくなっても、お前が大切。私のために生き抜いておくれ」と願い続けてくださっています…と(10.25)

 

「懐かしき声」

 昨夜は徳島の住職さまから、お電話をいただきました。同じ学部の同窓生で、サークルが一緒だったこともあり、真宗学も教えてもらった仲間です。

 普段の電話は相手の顔が見えない分、とても緊張します。でもいきなり「お~い、まるみ」ですから…学生時代にワープ、本当に時間とは、進むだけではなく、一気に飛び越え、懐かしい時に遡ることができるのですね。

 しばし、お互いの知り得る友人たちの近況など報告しあいながら、また、みんなで一緒に会いたいねと話しました。

 

 「声」はいいものです。如来様が呼び声となって時間を縦横無尽に駆け抜け働いてくださることが、よくわかりました。その声を聞くだけで、懐かしい時、場所に連れて行ってもらえます。(10.23)

 

「島 根 地 震」

 またしても昨日(21日)に島根を震源地とする大きな地震がありました。お昼過ぎ、お説教で徳島に出講していた住職から、電話が入りました。徳島でも大きく揺れ、一時中断。会所先のご住職さまがこちらを気遣って下さり、住職も急いで電話をくれました。

 幸い私の住むあたりはほとんど揺れを感じることがなく、テレビを付けて、やっと今回の地震の大きさを知りました。岡山、大坂に住む娘たちに連絡し、元気な声を聞いて安心しました。また、その近辺の知り合いにも…

 いつ何が起こっても不思議ではない、この娑婆を生きている私達。でもやはり、慌てます。自分にとって、一番身近な人から連絡をとります。この煩悩はやめられません。(10.22)

 

「ご報告ーつながる命」

 山口教区仏教音楽連盟が20周年を迎えます。その記念行事として、山口教区のオリジナル仏教賛歌を作ろうという企画があり、作曲は二階堂和美さんに、作詞は公募ということになりました。

 ダメ元で、我が団「チームライトコール」で応募してみたところ、なんと!その歌詞が採用されました。来年4月には歌ができ、再来年の仏教讃歌の集い大会でお披露目されます。

 どんな曲がついてくるのか、今からワクワクします。

 私達がお浄土に参らせて頂いた後も、この歌はここに残り、誰かが口ずさんでくれるかもしれない。そんな誰かとつながっていると思うと嬉しいですね。(10.21)

 

「のんのさま」

 今回11月27日(㈰)の山口別院報恩講では、昼食後にライトコールがコーラスをさせて頂きます。曲目は「のんのさま」と「群青」を予定しています。

 「のんのさま」はまだ練習に取り掛かったばかり。親から子へ、大いなる親様の慈悲の中に生きぬいて欲しいというメッセージが込められた歌です。

 ところで昨夜「のんのさま」のコードを教えてほしいと、若坊守からラインが…実は今、若坊守は秘かにウクレレを練習中。この歌にウクレレ伴奏を付けてくれます。

 ウクレレの、のどかな音色を思い、ハワイ別院ではやはり「恩徳讃」もウクレレで歌うのかしら…などと勝手に想像しては「あるある」と、ハワイ版「のんのさま」に期待を寄せる一夜でした。(10.20)

 

「美味しい季節」

 先日礼参して下さった方は、新しい本堂が建って初めてお参りされた方でした。亡くなられたご主人の奥様、長男夫妻が参って下さいました。

 お斎の手作り弁当を美味しいと食べて下さり、栗ご飯は初物と、おかわりして下さいました。

 

 「法座があるので、参って下さい」とお声掛けしても、機が整わなければお参りできない。「仏法は時間をさいて聞かなければならない」との先人の教えであるが、つい後回しになってしまう。でも今回は亡きご主人がやっと連れて来て下さいました。

 果物たちも、これから少しずつ実が熟し、口元に届く頃は美味しく仕上がっています。「美味しく仕上がったものを食べて頂くだけのご法義」です。そして本当に美味しいと感じたら、何杯でもおかわりして下さい。(10.19)

 

「伝灯奉告法要の幕開け」

 京都西本願寺では、第25代専如ご門主が、法灯を継承されたことを阿弥陀様と親鸞様にご報告され、そのみ教えが広く伝わることを願う「伝灯奉告」が10月1日に始まりました。

 浄土真宗の門徒としては、オリンピックとはまた一味も二味も違った、大きな法要です。歴代祖師が、一人でも欠けることがあれば、今日の教団はなかったかもしれない。安定感の中で、ご門主さまが法灯を守り繋いでくださったからこそ、至らない私にまで、このみ教えが届いてくださり、かたじけないことです。

 宝林寺は、第7期の来年4月にお参りいたします。今からワクワク、楽しみです。(10.18)

 

「行年57歳の覚悟」

昨日は私の56歳の誕生日でした。家族や友達から嬉しいお言葉をかけて頂き、幸せな一日でした。

 毎年、家族の写真の最新版をお内仏の引き出しに入れて、仏様に預かってもらっています。勿論、自身の葬式の時、使ってもらう写真もたまってきました。

 今頃の遺影はカラー写真で、微笑んでいる写真が多いです。私もできたら、喜びにあふれている写真を選んでもらいたいです。

 もうすでにお救いのいわれを聞かせてもらっているのだから、毎日が誕生日。お浄土参りの誕生日。(10.17)

 

「10月の常例法座」

 7・8・9月とお寺の大きい法座があるので、その間は常例法座はお休みしていましたが、久しぶりの常例法座です。

 いつものお同行に加わり、今回は山口市から仲野様が親子でお参りして下さいました。この常例は住職が山口県に帰って、本格的にお寺の仕事を始めた時から開座したもの。今年で25年になります。もちろん当山よりも、はるかに前から、常例法座をされているお寺様は沢山あります。かたじけないことです。

 

 開座当初からすると、お聴聞の方の相が随分と代わりました。お参りが私一人という時もあり、「もう今日はやめましょうよ。」と悪魔のささやきをしたこともあります。でもやんわり頑固な住職は「君にではない。私自身が話すことでお聴聞させて頂くんだよ。」と申したこともありました。

 

 地道に続けてこれたのも、お同行がお参りして下さったからこそです。やはりご法話を聞かせて頂くことは嬉しいことです。「大悲無倦常照我」仏は常に照らします…。(10.14)

 

 

「10月の常例法座」

 7・8・9月とお寺の大きい法座があるので、その間は常例法座はお休みしていましたが、久しぶりの常例法座です。

 いつものお同行に加わり、今回は山口市から仲野様が親子でお参りして下さいました。この常例は住職が山口県に帰って、本格的にお寺の仕事を始めた時から開座したもの。今年で25年になります。もちろん当山よりも、はるかに前から、常例法座をされているお寺様は沢山あります。かたじけないことです。

 

 開座当初からすると、お聴聞の方の相が随分と代わりました。お参りが私一人という時もあり、「もう今日はやめましょうよ。」と悪魔のささやきをしたこともあります。でもやんわり頑固な住職は「君にではない。私自身が話すことでお聴聞させて頂くんだよ。」と申したこともありました。

 

 地道に続けてこれたのも、お同行がお参りして下さったからこそです。やはりご法話を聞かせて頂くことは嬉しいことです。「大悲無倦常照我」仏は常に照らします…。(10.14)

 

 

「 坊 守 業 」

 「坊守」を広辞苑でひくと3つの意味が出てきます。

1.寺坊の番人

2.小さい寺の身分の低い僧

3.浄土真宗で、僧の妻。だいこく。ないほう。

 概ね3番の意味も合っていますが、昨今は男性の坊守さんもおられるとか…僧の妻に限らなくなってきました。

 この「坊守業」ある方に言わせれば、女性の職業として認知された、最も古い職業の一つではないか…いわゆる、職業婦人の最たるものよ、と言われたことがあります。「いやあ~お寺で主婦業をしているだけよ」と思う時もあれば、門徒の数だけそのお付き合いがあるから、創意工夫しながらも、大変な時もあり…私の失態が誤解を生む時があると思うと、ドキドキ、びくびく…。わたしでいいのかな?と思いながら、今も奮闘中です。(10.13)

 

 

「心 配 す る」

 奈良で育った若坊守から山口県の意外なところを教えてもらうことがあります。その一つが「ご心配です」という言葉。

 言葉の意味は二通りあり、「気がかり・憂い」を表す言葉です。もう一つは「心を配って世話をすること・こころづかい」という意味で用います。「心配する」に「ご」をつけて相手の心づかいに対して労いや感謝を表すときに用います。

 若坊守が山口県に嫁いで、やたらとこの慰労や感謝を込めた「ご心配」の言葉を耳にするようになったと…関西方面では「心配する」とは「憂い」の感情を表すことが多いらしいのです。

 

 浄円寺の坊守様からむいた栗を「栗ご飯にどうぞ」と頂きました。主婦にとって、栗は食べたいけど少々厄介なものです。皮の処理が大変です。そこをご心配くださり…まさに細やかな心づかいに感謝です。もしかして山口県には沢山の心づかいがあふれている?(10.12)

 

「命の終わりに」

 朝の散歩の前に納骨堂にお参りします。今日は先客がありました。

玄関に張り付いたバッタ。「お前さんも参ってきたのね。」歳をとると独り言が多いと言いますが、本当です。

 これから迎える寒さに、このバッタも死んでしまうでしょう。今も元気なく、やっとへばりついている様子です。でも死に場所をここに選んだのでしょうかね。

 次に生まれ変わる時は、仏法を聞くことができる人間に生まれてきなさい。そして決して惑い苦しむことがない仏の世界(お浄土)に共々参らしていただけるといいね。(10.11)

 

 

「 つ な ぐ 」

 昨日はご門徒さんの法事のお勤めをさせて頂きました。施主松本様ご夫妻と松本様のお兄様、3人の子供夫婦、孫たち、お婆ちゃんで「お正信偈」を頂きました。

 この3人の子供たちは若院と同世代で、昔、日曜学校に来てくれていました。昔取った杵柄…後ろから大きな声が聞こえてきて、頼もしかったです。

 しばらく見ないうちに、立派なお父さんです。この子達が自分の子供たちにも仏縁をもたせたいと、つれて来てくれました。(本当に縁を整えて下さったのは釈恩好さまですが…)

 「仏教の難しい教えはわからん、でも恩ある方の法事なら参らんとね」若者はボソッと言ってくれました。(10.10)

 

「とと姉ちゃん~ささやかな幸せ」

朝の連続テレビ「とと姉ちゃん」おわり、新しいドラマがスタート、この連ドラは面白いので録画しながら見ました。

 

 主人公の小橋常子は三人姉妹の長女。幼くしてお父さんを亡くし、一家の大黒柱として、戦中戦後をたくましく生き抜く姿が描かれました。戦後「あなたの暮らし」という出版社を起こすのですが、そのコンセプトが「生活の中のささやかな幸せのお手伝い」。戦後の荒廃した庶民の生活に役立つ雑誌をつくり続けました。このモデルとなった出版社は今もあり、東京のある場所から発信し続けています。

 ささやかなな幸せを、日々の中で感じられる人は幸せです。いや、日々の中にこそ、ささやかな幸せはあるのかもしれませんね。

そのお手伝いを頂ける方は…。やはり仏教徒の私としては仏様と申し上げたい。手を合わす日々の営みの中に、ささやかな幸せを感じるのです。(10.9)

 

 

「衣替えの季節」

10月になると一斉に衣替え。でも今年はなかなかそんな気分になりません。台風や多々の影響もあるのか、まだ気温は30度近くあるときも…。

 

本堂の打敷なども夏用から冬ようへ、準備中です。なかなか手がつかず、今日こそは整理しょうと10月からずっと思っていました。でもそろそろ住職も限界にきている頃、今日こそは整理します!

 お説教で中島先生がおっしゃったこと。「自分たちは夏がくれば、涼しい恰好に、冬が来れば暖かく過ごせるよう、それなりの衣替えをするのに、、仏様のご準備はいいのですか?」(10.8)

 

 

「難しい曲は易しく 易しい曲は難しく」

 

 先日の山陽小野田文化祭で素晴らしい演奏との出会いがありました。小さなバイオリニストのピアノ伴奏をされた「江崎さん」というピアニストの方の演奏です。

 市民文化祭はみんなの日頃の練習成果を発表し合うもの。朝のリハーサルから本番ラストの演奏終了まで、ざっと7~8時間。最後のほうは半分、眼が閉じながら聞いていましたら…。なんだ、このピアノの音は…優しいモーツァルトのピアノ伴奏が、耳から入ってきて、心にぐいぐい入り込み、もうピアノの音しか鳴っていないような…そんなモーツァルトでした。

 「マリア・ジョアン・ピリス」というポルトガルの女性のピアニストがいます。(1944年生まれ)この方のピアノ演奏を聞いたときの感覚と似ていました。

 繊細で正確なテクニック。音楽に真摯な姿勢がそのまま私の心に響いてきました。

 

 ピアニストの性格上、一般受けする華やかな曲で、また日本人が好きなピアノ曲でダイナミックに見せる…今日はそんな演奏会が多いのです。

 でも音の一つ一つに意味がある、そんなことを教えてくれる江崎さんの演奏でした。(10.7)

 

 

「行ける場所・帰る家」

 

昨日の18号台風の備えから、山口県内ほとんどの小中学校は休校になりました。

そして家のおじいちゃんの通う小野デイサービスも休業。昨日はずっと家のソファにもたれかけ、ウトウトしながら、テレビを見て一日を過ごしました。おかしな時間に寝たり起きたりだったので、夜寝る時間を朝と勘違いしたり…おじいちゃんもしんどかったでしょう。勿論私も…。

 

 木曜日以外、毎日のように小野デイサービスに通っています。もう10年のキャリアをもつおじいちゃんですから、一番の古参で、デイサービスでおじいちゃんが座るソファーの場所も決まっています。

 いつも7時過ぎには目を覚まし、着替えさせろと「おーおー」呼びます。介護されているとは思えない位、アクティブな老人です。

 

 デイサービスは優しく迎え入れてくださり、唯一おじいちゃんの行ける場所です。楽しみに毎日過ごせているのも小野デイサービスさんのお陰です。大げさですが、10年来の戦友のような(?)家族のような信頼をもっています。本当に有難うございます。(10.6)

 

 

 

 

「給 料 袋」

 今頃は現金でいただく給料袋は少なくなったのでしょうか。結婚前、私は出版社で働いていました。その頃は、月末になると社長じきじきに給料袋を手渡して頂きました。その時必ず慰労のお言葉を頂いたものです。

 現在、袋の中は○○金と書き込まれた振込用紙が一枚入っているだけの会社もあると聞きます。頂く給料に違いはないが、一ヶ月の労働の対価がこの紙切れかと思うと、少し寂しいような…。

 

 先日某寺族会議で面白い話を聞きました。住職さまが葬儀を終えて帰ろうとされた時、遺族に呼び止められたそうです。おもむろに小切手を取出し「葬儀料金はいくらお支払いすればいいの?」と…。仕事で遠方に住み、ほとんどお寺とは無縁の門徒。しかし、なにかわたしの手立てがたりなかったのでは、と嘆いておられました。

 お金に色はありません。でもお渡しする時の気持ちで色合いが変わってくるような気がします。(10.5)

 

「やったあ!ノーベル賞」

 またしても快挙。日本人がノーベル賞を受賞しました。

今回は東京工業大学の名誉教授大隈良典先生で「医学生理学賞」です。

「オートファジー(自食作用)の仕組みの発見」が評価されました。この賞を含めると、歴代日本人受賞者は25人…住職の興奮は治まらずです。

 

 昨日の朝、これからは毎日坊守通信(日曜除く)を更新すると住職に宣言。すると住職はこう言い放った。

「それは素晴らしい。しかしどうでもいいようなことを、つらつら書ける君。それも才能だよね。」・・・。

 褒められているのか、けなされているのか分からない。

確かに公共の電波を使って掲載するほどの内容か…と問われると否。

 

 しかし、ノーベル賞の記事と同じように、私のブログが載せられる日本という国。この事実は「ノーベル平和賞」並みにすごいことですよね。(10.4)

 

「山陽小野田文化祭」

 今回、文化祭に初めて参加しました。部員の人数はいつもより少なく、やや不安もありましたが、終わってみると、とてもよい一日となりました。

 「夕べの歌」「島唄」を歌いました。「夕べの歌」は仏教讃歌の中でも、一日の終わりを梵鐘とともに、静かに感謝する美しい歌です。これを市民文化祭で歌わさせていただくことは、とても嬉しいことです。

 街中のあるお寺様では、梵鐘が「うるさい」とのご近所さんからの理由から、せっかく立派な鐘があっても平素は突けないということを聞いたことがあります。確かに、仕事の都合で三交代の方など、生活リズムも違いますので…。残念です。

 

「静かに暮れゆくこの夕べ  鐘がなる  鐘がなる」

短い歌です。一日の終わりを仏様と共に…     (10.3)

 

 

「10月です」

 9月はあっという間に過ぎていき、私が好きな10月になりました。

なぜ?…自分の誕生月だからです。まあ、ある程度の歳をとると「もう誕生日はいらない」という方もあるけど、そんなこと、いうものではありませんよ。「誕生日」…その響きだけでもワクワクします。

 

 誕生日は自分を祝うと同時に、私を生んでくれた母を感じる日でもあります。父に育ててもらった年月を立ち止まり、感謝する日でもあります。また自分にこれまで関わって下さった方々を、思ったり、憶念する日でもあります。歳をとるほどに、そんな思いのほうが強く湧いてきます。

 

 「誕生日」沢山のご恩ある方々が、私の中で一つになる日。だから嬉しい日。(10.1)

 

マロングラッセ」

 隣寺、養福寺さまの坊守さまから「裏山でとれた栗よ」と沢山頂きました。大きい!

 さっそく栗の分配にかかりました。栗ご飯、栗ちらし寿司、お正月用の栗きんとん、そして住職が大好きなマロングラッセ等々…。

 「栗」と言えば「さるかに合戦」の栗を連想するくらい、私の中では和のものです。それが「マロン」とフランス語になると、途端にエッフェル塔が浮かんできます。ただの栗の砂糖漬けなのですが「まろんぐらっせ」は、遠くからお越し下さった外国の要人のごとく格上げされるのです。(9.30)

 

「お 弁 当」

 先日の坊守会で、もう一つ嬉しいことがありました。お昼は浄誓寺様がお弁当(注文)を用意してくださるのですが、これがそのお弁当です。近所の某温泉の食堂で作って頂いたものらしいのですが、このボリュームと、手作り弁当にもかかわず、これで1,000円!

 日頃はお接待がほとんどの日常、手かけずのお昼がいただけるだけでも嬉しいのに、こんなに豪華で、これで1,000円なんて…としばし感動。お味は…これまた美味しくて…。

 このお弁当を食べてみたい方、ご一報下さい。一緒に参りましょう。(9.29)

 

 

「宇部北組坊守研修会」

 27日、坊守研修会が浄誓寺様でありました。組内の坊守会は年に2~3回、会所は各お寺持ち回りです。

 今回は浄誓寺の鶴山景子先生に「讃仏偈」(構成と概要)の講義を頂きました。先生は本願寺布教

 

写真左:坊守様、中央:鶴山先生    使で、全国各地で布教活動をされていらっしゃいます。

 いつもの研修会は、ただ礼拝聖典を坊守の皆さんとで音読するだけでしたが、今回は先生が手引きくださり、偈文の深い味わいまで教えて下さいました。本当に有難く思われました。何気なくお称えさせて頂く「讃仏偈」でしたが、一字一句を頂くと、軽いきもちでは頂けないと、あらためて如来様の恩徳を偲ばさせていただきました。

 ご当山坊守様にはお心づくしのお茶やお菓子でもてなして頂き、心と体が大満足の、なんともいい有難い一日でした。(9.28)

 

「継続は力なり」

 本当に、これといった才能もなく、努力の嫌いな私が、幼少の頃から続けていることがあります。それは音楽するということ。

 そんなに豊かでもなかった時代、母は私にピアノを習わせてくれました。それは母自身が憧れていたことかもしれませんが。

 ピアノ演奏スタイルは、もう10歳の時にはほぼ決まっているといいます。テクニック・感性・曲の理解力等…ほんの一握りのプロのピアニストになるには、環境と、才能と努力が必要です。つまりこれらの条件の、どれ一つとっても、当てはまらない。いわゆる「日曜大工」ならぬ「日曜ピアニスト」が今のわたしです。

 お寺で仏教讃歌を歌うコーラスを始めて、かれこれ15年になります。メンバーの数が多い時も、少ないときもありました。そんな中、続けてこれたのは、歌いに来て下さる方がいたからです。それと、音楽をかじった私の使命がここにあるのかな…と。中途半端に続けていたからこそ、今の仏教讃歌や、メンバー達との出会いがあり、仏徳ご讃嘆させて頂きます。(9.26)

 

 

「梨のジャム」

 今、あちこちのお寺で彼岸会法要が勤められています。

 先日、住職がお取つぎさせて頂いた美祢の正現寺さまで珍しいものをお土産に頂きました。「手作り梨ジャム」です。坊守様を中心に、仏婦の方が店頭に並べられない梨をいただかれて、ジャムを作っておられるそうです。

 どんな味がするのか、早速お昼にいただいてみました。(上の写真がそのジャムです)ジャムの味なのですが、梨ならではのシャキシャキ感が味わえて、これはグットな味、パンによく合います。

 お店には並ぶことが出来なかった二級品の(?)梨たちですが、ひと手間加えられて、一味も二味も違う、美味しいジャムが完成!なんだか教えられます。手間と愛情で、どんなものでも一級品になれるのかな…と。いやいや、どんなものでも輝いていけるのかな…と。(9.21)

 

「敬老会のこと」

 義母のお世話になっている施設で敬老会の案内がありました。毎年この時期の日曜日に行われます。

 義母がこの施設にお世話になるようになって6回目。これまで慰問コンサートもさせて頂いたこともあります。ここ数年は住職はお説教、私は法務と、日曜日にゆっくり出席できていません。午前中法事を勤めさせていただき、そのままで義母の施設へ直行。もうお昼が大方すみ、かえっていかれる家族もあるところです。

 義母は顔をみるなり涙が…。2日前に、こちらに寄って義母に「仕事で少し遅れるから待っていてね」と告げたばかりなのに…。

 私も注文したお弁当を頂きながら、義母と雑談しながら(義母は私のおしゃべりにただ頷くだけですが)、静かな時間を過ごします。帰る時はまた涙…。

 住職に今日の報告をしたら、「もうおふくろは君のことを母親と思っているのかな。僕だと泣かないよ。」

 いえいえ、母は子供の前では、どんな時も「お母さん」なんです。子供には辛さや、哀しさはみせません。どんな時も…。それがお母さん。(9.19)

 

 

「ゴールボール」

 リオパラリンピックが連日、慎ましく新聞紙を賑わしています。まだ日本の金メダルは出ていないのですが…。

 パラリンピックでは今回、大問題となったドーピングから、ロシア国は参加できていません。そのこともあってか、テレビで流れる競技を見ていて、どこか清々しい気持ちになります。

 勿論、ロシアの人にとっては、とても残念で、潔白の競技者にとっては無念だったろうと思われます。

 

 視覚障害者の競技で「ゴールボール」というのを見ました。3人制でドッジボールのような大きなボールを転がし、相手のゴールに入れていく競技です。受ける3人は身体を使って防波堤のような壁をつくり、1.2㌔の転がって来るボールを阻止する。鍛えられた体力と、磨かれた聴覚がすばらしい。残念ながら日本は中国に惜しくもまけてしまいました。

 キャプテンのコメントには、自分たちが努力してきたことと、それから中国と素晴らしい試合ができたことがありました。爽やかな競技者の顔でした。共にたたえ合える、これがパラリンピックの清々しさです。(9.16)

 

 

「90歳の誕生会」

 先日満90歳を迎えた義父の誕生日会をしました。5年まえから施設でお世話になっている義母をお寺に連れて帰って、住職、私とでささやかなお祝いの歌を歌いました。

 義父母の、病気、老いを10年間見てきました。教えてもらったことは沢山あります。

 まず、なんといっても、病気では死ねないなということ。義父にしてみれば、何度も脳梗塞を繰り返し、今は何種類もの血液の薬を飲んでいます。この病気になって、言葉がでなくなり、身体も思うように動かなくなりました。人様のお世話になるくらいなら…大正生まれの義父には、本当に辛い病だったと思います。

 次に、自分のことすら、自分ではできなくなる時がくるということです。身体の不自由、記憶の不確かさなど、数えればきりがないほど、出来ないことがふえてきます。周りの人に気を使い、気配りの出来る優しい義母でしたが、今は自分の身が精一杯です。

 思い通りにいかない、いや、むしろ思わなくても順調に年をとっていて、自然界の道理に従い、老いと病に、例外はないということを教えてくれています。

 でも、そんな中、二人が安心して生活し、時には笑顔でいてくれることに救われます。いつもではありませんが、もしかしたら、義父母は、自我の強い私を諫め、教えてくださる仏さまかもしれないと思うときがあります。(9.12)

 

 

「ゆったりと、美しくPart2.」

有國先生は、あまり真宗用語を用いず、日常話している言葉を使って、理解しやすいようにかみ砕いて教えて下さる。農家の人には自坊の草刈りの話などをして、日常の営みに添って、その中から仏様の教えに導いてくださる。

 「大きな命(仏様の働き)は見ることができない。常に動いていて、私に働きかけてくださっているものだから…。」

 因幡の源左さんのお話のように、畑泥棒に入られた時も笑って譲れるほどにはなれないけれど、教えに出遇わさせて頂いたのだから、せめて今日くらいは、いい顔でいたいと思うのです。

 

 ところで、法座後、お茶を出しに行った妹がこっそり「お姉ちゃん、先生が見違えたと言ってらしたよ。」えっ!もしかして、坊守としての8年間の間に、なにやら進歩があり、少しは人格が磨かれてきたのだろうか…ワクワク…「要約して言えば、老けたっていうことよ」と、ひとこと妹。

〇×△…いい顔返上!            (9.8)

 

 

「ゆったりと、美しく」

 今年の仏婦秋法座は、長久寺の有國智光先生のご縁でした。

 自坊での有國先生のご縁は8年ぶりだそうです。そんなに時間が経ったのだろうか…意外でした。

 先生を初めてお迎えした時のことは、よく覚えています。先生はご挨拶をされるやいなや「布袍、輪袈裟でお出迎え下さり、有り難うございます」と、とても喜んで下さったのです。私に於ける最高の身なりでお迎えする…小さな心構えをくみ取って下さったのです。

 実祭、坊守は裏方の仕事があり、法座が終わるまで、なんとなくドタバタしています。それに最近は若坊守が布袍でご講師様をお迎えしてくれるので、安心でした。

 今回は若坊守も体調がすぐれず、私もエプロンを掛けた恰好で、ドタバタの中、先生の到着を迎えてしまいました。

 昔のご婦人方は、お寺参りの時は、ここ一番の晴れ着で、身なりを整え、お参りされていました。実際我が祖母も着物でお座に座り、お聴聞していました。その姿は美しかったです。

 このお聴聞が「初ごと、今生最期」と思えばこそのお寺参りだったのでしょうか。(次回に続く)         (9・6)

 

 

「大変!台風九州地方に接近」

 今週日曜日にかけて、台風が九州地方を直撃。そのまま山口県を通過するとの気象予報の見立てです。日曜日は初参式を併修した、秋の婦人会法座を予定しているのです。

 困った…雨や風が強いと、赤ちゃんは来れないだろうし、お参りの方も足元が悪いと、困難よね。あ~台風よ、できる事なら、こちらに来ないで…それが無理なら、秋法座を終えてから、ゆっくり来て~。

 なんと自分勝手な願いを並べ立てているのです。でもどこかで、この季節だから仕方ないかな…今回は東北や北海道は遠慮して欲しい…と、思う自分もいるのです。(9.2)

 

 

「涼しくなりました」

 台風の影響もあってか、急に涼しく秋めいてきましたね。

関東地方や北海道地方のこれからの台風の影響が心配されますが…。

 

 ところで、今朝の新聞にもう「おせち料理」のことが載っていました。つい先日、お盆を終えたばかりなのに…。

いくらなんでも早すぎませんか。

 長い夏に、覆いかぶさるように駆け足で、冬がやって来るよう。

こんなふうに、どんどん時間の感覚が短くなってきます。

年のせいにしたくはないけれど…。

地球も歳をとってきて、季節も急かされているようです。(8.29)

 

 

 

「kさんのこと」

 お会いできなくなって半年、病気のため入所されたkさんに、やっと会いに行くことができました。(母も一緒です)まだ建って1年に満たない、新しいケアハウスを訪ねて到着…木枠が施された玄関が暖かく感じられました。案内して下さった方も、これまた3日前に職に就かれたという新人さん。とてもフレッシュな若者でした。

 

 久しぶりなので、どんな顔をして会えばいいのか、私達のことを分かってくださるかしら…等々…そんな心配はよそに、ドアを開けた瞬間、kさんは驚かれて、涙がとまりませんでした。「よく来て下さったわね。もう忘れられたかと思っていたのよ。」

 ベットに座らせてもらい、しばらく話した後「また来るね」と言って別れました。エレベーターが動き出すまでの時間が切なかったです。

 半年の時間を埋めるようなkさんの笑顔、きっとまたこの笑顔が見たくなって、ここを訪れることでしょう。(8.26)

 

 

「 無花果のこと 」

 お寺の下の石川さんから、毎年、無花果(いちじく)をいただきます。今年の果は特に大きいです。

 「無花果」と書くので本当に花が咲かないのかとおもっていました。

実は花軸の肥大成長した内面に無数の花を付けるそうです。安心しました。

 どんなものでも、種を持ち、花を咲かせて実になるのですね。ちなみに「種無しスイカ」も、ちゃんと種があり、実をつけたところで種を無くす薬をつけると聞いたことがあります。

 自然界の法則は、きちんと守られているのに…人間だけがその法則に逆らって,無理をしているように思えてなりません。(8.22)

 

 

「君 が 代」

 今年のリオ・オリンピックではメダルダッシュ!深夜から明け方にかけての競技時間で寝不足の方も多いのでは…でも朝から嬉しいニュースを見ると元気をもらえます。

 ところで、女子のレスリングは驚異的な強さでしたね。6階級のうち、金4つ銀1つです。これまで厳しい顔で戦った選手たちも、表彰式では顔がほころび、安堵の笑顔であったり、うれし涙であったり…。そんな姿に感動し、朝からハンカチがはなせません。

 初出場の若い登坂選手が、表彰台で流れる君が代を歌う表情には熱いものがありました。試合直後のインタビュではー、勝った嬉しい笑顔でしたが、表彰台では、日の丸を背負い、日本人としての責任と、誇りを見るような表情でした。

 かつて「君が代」を学校の卒業式で歌わない…ということが論争の中でもありましたが、そんな人達は、このオリンピックでの「君が代」をどんなふうに聞かれたのでしょう。

 音楽的にも優れた曲の「君が代」を、若い世代にも誇りを持って、歌って欲しいですね。(8.19)

 

 

「盆踊りのこと」

 8月からお参りさせて頂いているお盆参りも今日で終わります。その折に、あたたかいお接待を頂き、共にお勤め下さって有り難うございました。

 ところで、伊佐地区の三吉さんから、こんなお話を聞かせて頂きました。

 「昔の盆踊りは大変に賑々しく盛大だったよ。初盆の家庭一軒一軒の庭先に、やぐらを組んで、踊り歩いた。昔は青年団も会員が多くて、皆、地区に関わる仏事も一生懸命やっていたよ。」とのこと。

 驚きました。と同時に、確かに盆踊りの由来を聞くと、各家庭の庭先で踊るのが本当かもしれないな、と思いました。

 

 盆踊りの由来は「盂蘭盆経」からきています。目連尊者が餓鬼となった亡き母を救うため仏事をし、その功徳によって餓鬼道から救われた母を見て、踊り喜んだといわれています。その踊り悦ぶ姿が、現在まで伝わっている盆踊りだと言われています。

 ですから、踊りの前に、丁寧な荘厳をほどこし、お経に遇うことが大切なことです。そのことを、先輩たちは分かっておられ、老若男女、仏事に関わってもらえるよう、楽しい志向も凝らしながら、盆踊りを今日まで伝えてきてくださったのだと、改めて教えて頂きました。(8.15)

 

 

「 暑中見舞い 」

 連日の猛暑、今年の夏は本当に暑いですね。

 そんな時、お友達から暑中見舞いを頂きました。後ろを見ると、蓮の花の写真がプリントしてありました。ピンクの濃淡を持つ蓮の花は仏様の花です。蓮華坐として仏が座り、またお立ち下さっています。

 蓮華はキレイな真水では育たないそうです。汚泥の中にあり、その地を栄養に変えて育ち、花を咲かせた時は、浄土を見るように美しく咲いてくれます。どこまでもいっても、この穢土(穢れた)私達の世界において、美しく凛と咲く蓮の花はどことなく、お念仏申す友の姿に似ています。この書中見舞いは台所の壁にかざりましょう。(8.11)

「 浄 福 寺 さ ま の こ と 」

 このお盆参りの時期になると、決まって、隣寺のご住職であられた、亡き鹿野先生の事を思い出す。先生は大変お酒がお好きであられた。

 おそらく、お盆参りの帰り道だろう。わざわざ二つ前のバス停を降りてから、宝林寺の坂を上がってこられ、これもまたお酒大好きな我が父と共に、一杯召し上がってから帰っていかれるのが常であった。

父には、いい酒飲み友達でいてくださった。

 

 その先生が、あるとき、こんなことをおっしゃった。

「嬢(私をこう呼んでおられた)わしはね、門徒の家にお参りにいったら、台所で一杯ご馳走になるんよ。坊さんはいつも決まって、お掃除の行き届いた仏間しかしらんやろ。でも「一杯飲ませろ、台所でもかまわん」といい、入らしてもらう。そこで、この家庭のいろいろな状況がわかるんよ。ちびちび飲んどると、その家の住人から、ぽつりぽつり、

話がでてくる。悩みらしきものもね。わしは聞いとるだけだけれど…」

 まだ、学校を卒業し、これからお寺の仕事をボチボチ手伝っていた夏休みのことだった。

 

 お会いするときはいつも赤い鼻をしておられ、長靴がトレードマークの先生だった。私が求める、清廉な住職さま像とは、少し違っていたけれど、浄土真宗のお坊さんらしい、素敵な先生でした。(8.8)

「 教 行 信 証 拝 読 」

 住職を見習って、朝の数分、親鸞聖人のお書物を拝読し始めました。

学生の時、学んだ「教行信証」ですが、改めて読み始めてみて解ったことがあります。それは、親鸞聖人は本当に謙虚な方だったんだな…ということです。

 言うに及ばず、凡人の私とは比べようがないほど、聡明で真摯に仏道一筋に道を求められた聖人です。その証ともなる「教行信証」ではご自身の言葉では、一切教えを説かれず、これまで自分を導いて下さった祖師の「経」をそのごとく頂かれておられるのです。またなんども、読み返し、85歳余までも、学ぶ姿勢に変化なく、祖師の聖経に全身を耳にして、聞かれていったのです。

 

 ちょっと物知りになったら、自慢げに、人に話したいのが私です。

恥ずかしいな…でも、やはりやめられない。

隣寺の掲示板に「耳は2つ」「口は1つ」の意味が説いてありました。

ここでも学びの姿を教えてくださっています。(8.4)

 

「釈明朗さまのこと」

 7月の終わり「釈明朗(しゃくみょうろう)」さまがご往生されました。行年88歳でした。

 

これまで、お参りに行くと、奥様と二人で待っていて下さり、大きな声でお勤めをして下さいました。

 ご夫婦仲がとても良く、お話好きで、なかなか予定通りに次のお宅にお参りできないこともしばしば。でも法名の如く、本当に朗らかな方で、お会いするとほっこりする、春のお日様のような方でした。

 子供の頃から私の事をご存知なので、お勤めに行くと、お菓子を用意して下さり、帰る時は沢山のお菓子のお土産を下さった。私のことを「嬢ちゃん」と呼び、結婚するまでそう呼んで下さった、なんとも心安い方でした。

 

 晩年は人の良い「好好爺」として、その地区内においても「いい味」を出しておられました。「昭和の常識」を絵に描いたような家庭がまた一つ無くなってしまって、寂しくなります。でもお浄土で必ずや、またお会いできるので、その時まで見守ってください。(8.1)

 

 

下に住職が写っています。
下に住職が写っています。

「樹齢800歳のクスノキ」

 結婚して30年になります。記念に近場だけど福岡へ小旅行しました。住職の都合で夕方5時に出発、明けての昼には帰宅という、やや忙しい旅行でした。

 以前、渓先生が話されていた「善導寺」にお参りすることができました。そのお寺は九州地方で唯一の浄土宗大本山です。

 大きな門2つをくぐって境内に入ると、なんとも大きな樹木が…。

樹齢800年だそうです。

青々と葉を茂らし、とても若々しいクスノキです。が、太い幹を見るとさすがに貫禄。800年を生き抜いてきた顔がそこにあります。

 「おまえたちは何者ぞ」と問いかけられているような…声が聞こえてきそうです。この木達は、私の人生を終えた後も、凛としてここにいて、人間の様を静かに見つめていくことだろうな。(7.28)

 

「56歳の50回忌法事」

 昨日はお寺で50回忌の法事を勤めました。行年6歳、わたしと同じ年のいとこの法事です。6歳という幼い歳でお浄土に帰っていきました。

 記憶の中では、私が経験した初めてのお葬式だったと思います。小さな棺の傍にはたくさんの花束がありました。もうすぐ1年生…そんな希望いっぱいの中、「小児がん」が彼の幼い身体を蝕んでいき、ランドセルを背負うこともなく逝ってしまいました。

 大人たちは皆、泣いていました。

そんな大人たちの泣き顔を見ていて、今日は特別な日で、大人たちが泣き崩れるくらい悲しい日であることが理解できました。でも実感として、その子が「亡くなった」ことを受け止めることはできませんでした。

 来年の夏になったら、いつものようにまた家に泊まりに来て、虫を追いかけたり、水遊びをしたり…でもそれはもう叶わないことでした。

 

 あれから50年経って、私も56歳になります。君が生きれなかった50年間を、君に褒めてもらえるような生き方ができていますか。

                          (7.25)

                

「 宝林寺お斎お子様ランチ弁当 」

 今日は葬儀後のお礼参りの日。夏休みに入ったこともあり、施主様の妹さんが3人のお子さんを連れて参ってくださった。お昼にささやかな精進料理の手作り弁当で、亡き方の思い出話を聞かせて頂く。

お子さんには、ゆで卵・ウインナー付きだ。小学生ということで…食べ盛りのお子さんには少し少なかったかもしれない。

 それでも、元気にパクパク食べてくれて、うれしかった。笑うにはまだ時間が必要な遺族の方たち。子供さんがいるだけで和やかになる。

 「おじいちゃんを忘れないでね」また来てね。(7.21)


「 働 き 者 」

 朝の散歩の途中で面白い光景を見た。

一匹のアリが、自分の身体の何十倍もある、いや、何百倍かも…大きな一枚のセミの羽を、よたよた引きずりながら歩いている。どうやら自分の巣に運んで行く途中らしい。アリは大きな獲物に、これ幸いと飛びついたに違いない。

 じっと見ていて、あることに気が付いた。「運んで一冬の蓄えができてよかったね。でもどうやって巣の中に入れるのかな?」

まあ、私が心配しても何のお役にもたてないけど…この信じられないような、けなげな努力が報われることを願いながら、その場を後にした。

                         (7.18)

 

「小さな来訪者」

 玄関の先に赤ちゃんカマキリがおりました。そういえば、小さなカエルもよく見かけます。この子たちの何匹かは、蛇やトカゲなどに食べられてしまうのでしょう。ここまで大きくなったのだから、がんばれ!と声をかけてあげたいです。ところで…

 「最近ゴキブリを見なくなったな、と思っていたら昨夜大きいのがいたよ。いるはずの者が見えなくなるのは不安だよね。こいつら、一番先に危険を察知するというから…」

 地震周期に入っていると言われる日本。また大気の汚れや、気温の変化など、やはり、地球が大きな変化の中で悲鳴をあげています。だからこそ、小さな来訪者には少しだけ安心をもらっています。

 ゴキブリ達の住める場所だからこそ、私も生かさせてもらえているのかしら…ゴキブリ君たち、時々でいいから顔を見せて下さい。本当に時々でいいから…ね。(7.15)

「哀しみと喜びの歌」

 昨日、第18回教区仏教讃歌の集い大会が山陽小野田文化会館でありました。コーラスフェスティバルには市民文化祭などいろいろ参加させてもらっているが、やはりこの仏教讃歌の集い大会が一番居心地がいいです。どこと競い合うでもなく、それぞれの団が、思い思いの歌で仏徳讃嘆をしていて、優しい気持ちになれます。ちなみにライトコールは「夕べの歌」「群青」を歌ってきました。練習不足もあり、思うようにいかないところもありましたが、大きな拍手を頂きました。

 「群青」は東北震災で被災し、友を失い、母校にもどれない中学生達が再会を念じて作った歌です。歌詞の中に「またねと、手を振るけど 明日も 会えるのかな」「遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない」とあります。当たり前の日常が当たり前ではないことと、亡くなった友とも、また再会できると…中学生のストレートに訴えかける言葉が胸にひびきます。「浄土」という言葉こそ出てきませんが、まさに、浄土を念じ力強く歩む姿がおもわれ、哀しくも悦ばしくもあるのです。(7.11)

「七夕さま」

 7月7日は七夕の日。今日はあちらこちらの学校や幼稚園、老人ホームなどの施設でも願い事の短冊を付けた七夕の飾りが賑わっていることでしょう。もともとはひこ星様と織姫様が年に一度相会する夜の年中行事で、奈良時代からのものらしいです。この日は短冊に自分たちの願い事を書き、その成就を祈る日とされています。

 もう何年か前になります。老人ホームに歌を歌いに来てほしいと言われ、お寺のコーラスで参ったことがあります。ここには100歳の元気で朗らかなおじいさまがおられ、一緒に歌った思い出があります。

 その施設にも七夕飾りが立てられていました。その方たちの願い事とは…色々ありました。でも、「元気になって、家に帰りたい」の短冊を見つけた時は、胸がズキっとしました。先ほどまで明るい笑顔で、大きな声で一緒に歌って下さって、そんな気持ちを汲み取ることはできませんでした。おそらくこの方達が、施設から自分の家に帰られることはないだろうな…そう思えた、七夕の思い出は哀しいものでした。(7.7)

「夏法座も無事終わりました」

 昨日、一心会主催の夏法座が勤まりました。毎回法座を勤めるに当たって、お天気のことが気になります。雨だと駐車場から坂道を上ってこられるのに、傘をさして頂くのが申し訳なく…ご年配の方は特に足元に注意がいります。

 しかし昨日は晴天。お陰で、お参りも多く、いい一日となり、有難かったです。

 「雨の日は雨の日の法座があり、これもまたよし」でしょうが…でもね…お参りされる方が無事に参ってこられ、終わったら無事に帰宅される。何でもないことのようですが、そこまでを終えて「今日のお寺参りはよかった」となるのですから…。

 昨日のお説教をまた味わいながら、本当に無事に法座を終えることができたと、喜ぶ今日でした。(7.4)

「かたつむり」どこだ?
「かたつむり」どこだ?

「6月の映画会」

 今日はお寺の映画会。5年前から施設でお世話になっている義母を迎えに行った。毎週木曜日がお迎えに行く日だが、義母の足腰が弱まり、二階を昇ることが困難になりつつある。いつまで義父のいる家につれて帰ってあげられるか…

 それにしても義父がこの階段を昇ることができるのは不思議。手すりを持って山をよじ登っていくような恰好だ。勿論、後ろから支える私達も必死だ。二階に上がれば、歩行器に身をまかせ、よろよろ歩いている。恐るべき大正生まれだ。

 

 両親を山口に連れて帰ってから10年が経つ。こちらもそれだけ歳をとったわけだ。片道40分かけて連れに行くのもおっくうになる時がある。それでも両親が、お互いの顔を見ると安心し、嬉しそうにしてくれると、連れて帰ってよかったと思う。(6.30)

 

「わらじ組のTシャツ

仏教婦人会の月刊誌「めぐみ」に、福島県の楢葉町で作っておられる布わらじのことが出ていました。東北震災にあわれた方が自立支援活動としてTシャツを使ってわらじを作り販売してこられたのですが、少しずつ仮設住宅を後に、自宅に帰られるかたも増えており、活動の縮小傾向にありました。この度、新たに「南小学校」で作業を再開。そのためTシャツが必要で、ある方は送ってほしいとのことです。(古着でも可)

 Tシャツの生地を問い合わせたところ、化繊が混じってもOk。Tシャツは手で長くちぎって、それを結わえるのですが、切り目がほつれないのがいいらしい…早速、友達にラインしたところ、沢山持ってきて下さった。まとめて近日中に送ります。また、ご協力下さる方、お寺の方にお持ちください。(6.27)

「地震(ナイ)の地に 水見舞い聞く

           今朝も雨」

 昨日の句会で読んだ句である。九州地方の大雨でまた大切な命が亡くなった。これでもかというくらい、自然の猛威に無力な人間の力を感じる。何もできないでただ悲嘆する。

 雨が悪いわけではない。干ばつで水不足に困っている人には恵みの雨になる。植物や動物たちにも命を育む雨のはずだ。しかし…

「よく降ったな」ですませられる内はいいが、今回のように命を脅かされては雨を疎ましく思わずにはいられない。

 

 お説教ではこの命は阿弥陀様からお預かりした命。だからいつお返ししょうとも文句は言えない。その預かりものの命がある限り、今生で精一杯ご報謝させていただくと、教えて頂いている。私のこの命が尽きる時まで、私は何をご報謝できるだろうか。

 いやいや何もできない、ただ「なもあみだぶつ」だけであったと…。

                          (6.23)

「お堂でコンサートを終えて」

 6月18日に第二回のコンサートを無事終えることができた。今回は土曜日ということで、どのくらいの方が来て下さるのか心配していたが、その心配に反し満堂で、パイプ椅子を用意したり立ち見の方々もいたりと…ちょっと心苦しくも嬉しい音楽祭になった。

 中でも2つ、嬉しいことがあった。一つはアンケートをお配りし書いて頂いたのだが、「お寺(宗派問わず)に参られたことはありますか」の問いに「初めて」と答えられた方が何人かおられた。このコンサートがお寺参りのきっかけになったら嬉しい。

 もう一つ。デイサービスの2か所から「聞きに連れていってもいいか」と問い合せがあった。おじいちゃん、お婆ちゃん達十人以上が参って下さった。お寺だから、参りたいと思われ、遠方から(宇部市内)足を運んで下さったのだろうか。連れて来て下さった職員の方にも、感謝したい。

 最後は「念仏」の歌で締めくくった。淋しさを抱えている人の心にも、今日のお念仏が届きますように…(6.20)

 

「とかげ」ー文章とは関係ありません。
「とかげ」ー文章とは関係ありません。

「ダンゴムシのこと」

 体は長楕円形で背が丸く、敵に襲われると体を丸くする虫。そういえばどこでも見かけることのできる虫だろう。唯一、私が手に触ることのできる虫だ。

 このダンゴムシ、動きはスローで、攻撃性がないものだから、ちっとも恐くない。それどころか、体に触ると危険を察知して、体を丸くして死んだふりをする。この虫のどこにそんな「死んだふりをする」という知恵が働くのだろうか。自らの身を守るために、必死で考えた結果が、あの丸まった姿だ。なんともけなげである。この虫たちにも、何かしら大事な役割があるのだろうな。頑張れだんごむし!(6.16)

「紫陽花の…」

 紫陽花がつぼみを付けたと思ったら、もう色鮮やかに目を楽しませてくれている。いつとは告げず、その時期になるとちゃんと色付く。誰かに教えられたわけでもない。頼まれたわけでもない。この季節に相応しい自分の姿になる。

 

 その土地のその地質に順応した色に変化し、あたかも最初から自分の色はピンクであったかのように、咲いている。紫陽花は自分は青色がよかったとは言わない。

 阿弥陀経に「青色青光、黄色黄光。赤色赤光、白色白光」とある。それぞれの色を完成し、自分らしく輝いていく。それを仏様は讃えて下さる。(6.13)  

「天皇陛下のこと」

 先日の読売新聞の記事です。熊本地震地に天皇、皇后両陛下が見舞いに入られたとのこと。にこやかに見舞われるお二人の姿と、熊本の震災に遭われた人達の笑顔の写真です。

 御歳80歳を超えられ、自身のご病気も抱えていらっしゃる陛下の、現地見舞いです。それが仕事とはいえ、すごいなと脱帽いたします。

 先の東北地方の地震は余りにも遠く、ボランティア活動にお手伝いに上がれなかった。熊本はそれよりも近いので、行かなきゃーと思うのですが…余震や、宿泊施設などの声を聞くと、なかなか難しく実行に移せないでいます。また行っても足手まといになるのではと…あれこれ考えると…難しい。コツコツ、事あるごとに小金をため、それを役立ててもらうくらいです。

 今日は山口別院の永代経。来週は自坊でも「お堂コンサート」があります。小さな募金箱に、償いに似た感覚で、せめてもの募金に小銭を入れさせてもらいます。(6.10)

「葬儀のあとで」

 我が寺では、お葬式は特別な事情がない限り、2人で参らせて頂きます。

 お葬式をお勤めさせていただいた後は、とても疲れます。式はほんの1時間位のものですが、故人の在りし日のお姿が、葬儀のお勤めをしていると思いだされてきて、哀しく、切なくなってきます。

 お勤めも、一緒に称えさせていただいた「お正信偈」ですから、なおさら鮮明に故人との思い出がよみがえってきます。

 

 会館に精一杯のお念仏を響かせたい、それが故人が一番喜んで下さることだから…私のすべてのエネルギーを声に変えて、お称えさせていただきます。恰好だけは一人前の僧侶…大きな声でお勤めすることしか、私にはできません。今日までお育てを頂き、本当に有り難うございました。(6.6)

 「アジサイの季節」

 アジサイの季節になると、神奈川から義姉二人が、義父母の顔を見に、山口に遊びに来てくれる。両親が山口に来てくれて今年で丸10年。七夕にはまだ早いが、彦星さま、乙姫さまの再会のようだ。

 こちらに連れて帰った当初からすると、時を経て、随分と変わった。みんな歳をとった。両親も義姉たちも、もちろん私たちも。でも一つだけ変わらないことがある。それは義姉たちに再会したとき、両親の顔がくちゃくちゃになって、目から涙がこぼれることである。

 

 こちらの生活では、デイサービスや施設のみなさんにも良くしていただき、もちろん息子に支えられて、安心して生活できている。多分両親を山口に連れて来たことは正解だったと思う。でも…

 「また来年…」この言葉は重い。

 義姉たちは幸せだと思う。両親が元気でいてくれて、一年に一度の大きな親孝行をさせてもらえるから。またそのお手伝いをさせてもらえる住職や私も幸せだ。(6.3) 

 

「仏教讃歌のこと」

 昨日は山陽小野田コーラスフェスティバルが開催され、我がライトコールアンサンブルも参加しました。山陽小野田・宇部から9団体が日頃の練習の成果を披露し、リハーサルを含めて音楽づけのいい1日でした。

 

 私達の団は毎年「仏教讃歌」を歌います。音響のいいホールでお念仏を歌うのです。参加始めの頃は、ほとんどの団が西洋音楽、またキリスト教の讃美歌など…そんな中の仏教讃歌でしたから、新鮮な驚きの眼差しを受けました。今ではライトコールといえば仏教讃歌と認知してもらっています。そして長く歌い続けていると「仏教讃歌って、いいね。」と言って下さる方もあります。内心「そりゃそうでしょ。なんたって親鸞聖人が作者だもんね~」とニヤリとします。(5.30)

「さりげなく」

 新山口のアルクに買い物に行きました。精製食品のコーナーをぐるっと見て歩いていると、横から若い女性が店の買い物かごの中に何やら入れて、すっと立ち去った。うん?その品はこれか…

くまもんはここでも頑張っている。

 今どきの若い人は…などと言われることもあるが、どうしてどうして…

 被災地ボランティア活動の中心として、頑張ってくれている。また、声を挙げないまでも、ウインナーを買って、さりげない形で応援している。誇れるほどのことではない、小さなことだ。でもその気持ちが暖かくていい。被災地の復興支援にはほど遠いけれども、誰かがどこかで、誰かのために…そんな積み重ねがきっと復興の一助となると思う。

 私も若い人をまねてみた。(5.12)

「法中会」

 今日は、宝林寺でH.28年度の「宇部北組住職会」が開かれた。住職様といえば、会社でいうなら社長。各お寺の代表責任者である。そんな偉い人たちの集まりだから、ちょっと緊張する。

 初めにお勤めーこの会に関しては、私は部外者だけれども、お勤めは一緒にさせて頂いた。さすがにお勤めのプロ集団…美しい勤行が本堂に響く。妙なる声に浄土を想う。

 

 それにしても…こんなにも沢山のご住職にお勤めいただいて、有難かった。でも、やっぱり気づかれした。(5.9)

「子供の日に」

 GWも今日で終わり。

 今日は「子供の日」。あちこちで子ども達のイベントが考えられて連休のラストを飾ることだろう。私もまだ子供たちが小さかった頃は、動物園や公園へとお弁当を持ってでかけたものだ。懐かしい記憶である。「子どもの日」は、「子供の人格を重んじ、幸福をはかる趣旨で制定された」とある。子供たちと、その親達にとっても「子供の日」は記憶に残る楽しい一日になるはずだ。

 

 今回の熊本地震で、大学生の方の捜索が一旦終えられた。どんな形であれ、息子の帰りを待ち望み続けられたご両親の心中は察するに余りある。楽しかったであろう「子供の日」を過ごされた記憶の中で、今日をどう過ごされるのであろうか。

 東北の地震でも、行方がわからず、家族の帰りを待ち続けておられる方があると聞く。賑やかな日とは裏腹に、ひっそりと家族の帰りを待つ方がある。哀しい。(5.5)

「薊(あざみ)の花」

いつもの散歩道にアザミが咲いていた。私の好きな花である。持ち帰った一輪を仏様にお供えできないものか…

 仏華では、においのきついもの、棘のあるものは好ましくないと教えてもらったけど。だったら…とげの葉っぱをとり、ギザギザのところを全て除け、つるんとした茎だけにしたらいいのではないか。実行。

 ああ…なんだか、変なアザミになってしまった。アザミがあざみに見えない。気の毒なことをしてしまった。

 

 我が身の煩悩を思った。この煩悩があるから仏になれない。だったらそぎ落として、清らかな身になればいい。とげの葉を取り除き、つるんとした茎だけになったらいい。…浅知恵であった。それは、アザミではなく、私でなくなってしまった。しょせんは誤魔化した姿だ。

 棘の葉を持つこの身のまま、光に注がれている。そのままで包まれている。有難いな。

 それにしてもあざみには…本当にごめんなさい。(5.2)

「お聴聞力」

 今年の降誕会のお説教は、若院・若坊守による夫婦法話であった。私は二人がどんな話をするのか、気になりながらも、お斎の準備に追われていた。すると本堂からいつもとは違う、笑い声。優しい暖かな声が…。

 

 私もご法事などでお話させて頂くことがある。そんな時、いつも思う。ご門徒様は聞き役の天才。どんな話でも仏様の話なら、うんうんと聞いて下さる。また、殊に若院夫婦には親のような、祖父母のような、暖かい眼差しで「若者がなにやら、はなしちょる」と応援してくださる。ご門徒様はどんな変化球でも受けて下さる名捕手だ。

 

 ご門徒様のお聴聞するお姿から、教えて頂くことばかりである。また、僧侶はご門徒様に長い時間をかけてお育ていただくばかりである。(4.28)

 

花御堂で甘茶をかけ、灌仏。
花御堂で甘茶をかけ、灌仏。

「子供の声が聞こえるお寺」

 昨日は親鸞聖人のご降誕会。今年のチャレンジとして、お斎に皆でお餅つきをして、にぎやかにお祝いすること。沢山の方がお参りして下さって、準備した椅子に座りきれなかった。

 また、御餅を杵で付くのに、若者が手伝いに来て下さり、その親達の子供が本堂に明るい声を響かせてくれた。

 

 門徒会館の外に出てのお斎は、開放感もあり、つきたて杵つき餅はパクパク。大根おろし、黄な粉、いそべ、あんこと4種類をお好みでいただく。喉をするすると、お餅が入っていく。炊き込みおにぎりと、つきたて餅だけだったが、なんと贅沢なお斎。美味しかった~。

 

 熊本震災に気持ちばかりの募金をと、箱をまわしたが、予想以上の金額が集まり有難く思われた。復興ボランティア活動は始まったばかり。お寺も門徒さんとともに、出来ることをさせて頂きたい。(4.23)

「頑張れ くまもん!」

 震災から一週間。地盤が緩んでいる中、雨が降り、行方不明の方の捜索がままならない。

 長崎の友だちにラインをしている。お姉ちゃんが熊本に嫁いでおられるので心配は尽きないだろう。

もうすでに、善意のボランティアも始まった。自分たちのできるところで、お手伝いをする。そんな人を頼もしく思う。

 本願寺では「たすけあい運動募金」の受付が始まった。今、私のできることといえば、小金を貯めて、すこしでも被災された方のお役に立てたらということ位だ。恥ずかしいけど、今はそれしかできない。(4.21)

大阪:津村別院
大阪:津村別院

「大阪から帰って参りました」

 娘の結婚で大阪に行ってまいりました。お別院の本堂で式を挙げて頂き、一連のパーティーを終えてホッとしたところに電話。門徒さんからでした。「病気の弟の容態が芳しくない。もしかのときは住職にお願いします」とのこと。

 

 2日前には、九州で大地震が起こり、今も眠れない夜を過ごす方々がいる。私には何もできないことが苦しい。

 私の小さな日常の中でも色々なことが起こる。喜びも悲しみも、心配事も苦しいことも、この数日のうちに、一度に押し寄せてきた。

 

 目の前にある日常が愛おしい。当たり前の毎日…でも当たり前ではないこの日、一息が、特別な一日の積み重ねであることを愛おしく思う。(4.18) 

「筍掘り名人」

 毎年、春のこの時期になると、おおきな飼料袋をかついで、伊藤さんがやってくる。袋の中は筍。伊藤さんは齢70を越えた門徒さん。身体はあちこち病気を抱え、元気そうには見えない。「これを食べてくれさん」と…いつものあまり上手とは言えないぶっきらぼうにも聞こえる言葉で、どんと玄関に袋を差し出してくれる。

 「有難うございます。」とにこやかに喜ぶ私の顔…でも頭の中では「筍のゆで方、どうだったっけ…この分量は半端でなく多い…大変だ~」と騒いでいる。

 しかし、伊藤さん…お参りに行くと、今日はどこそこの病院、明日は病院の予約と、忙しそうなのに…それに筍を掘るのだって重労働。か細い身体が沢山の筍を掘ってくださったのね。お陰で今年も筍づくし。

かたじけない。有難い。(4.14)

「ぶっちゃけ寺ーNo.4」

(最終回)もともと「まことの心がない」身が頂く布施である。割り切ってアマゾ〇がしておるように定額制にして頂く方がいいのかも…大根一本100円というように、読経30分〇〇円てなように…?。その方が頼み易いと仰せのかたもあるという。あ~あ、お経が大根と同じ所に陳列されてしまったか。

 

 生きていくためには、なんだってする。この身があるから食べなきゃいけない。稼がなきゃいけない。お経さますらも、切り売りする時代になってしまった。

 そんな身を案じてのお念仏でしたかと…今さらながらに有難い。

 

 布施一つとっても、清浄な行からほど遠い。そんな自分に「いっぱい悩め。いずれにしてもお前の浄土はここにまします。」と仰せである。

 

 アマゾンの坊さん宅配便は私は反対である。でもいろいろ考える問題を提起してくれたことには感謝する。(4. 12)

 

「ぶっちゃけ寺ーNo.3」

 (前回の続き)仏教の「行」について…どの行をとってみても難しい。真宗に身近な布施一つ上げても、清浄な「行い」にならない。このもどかしさはいつも付きまとう。

 お布施を頂き、多ければ喜び、思っていたより少なければがっかりする。こんなことではいけない、これは仏様から戴いたものだから、どんな時でも、ありがたく頂戴せねば…と思うのであるが、でも多いほうが嬉しい。

 情けない、これが坊さんか…と思う。恥ずかしさと、でも欲の狭間で日々を送る。いや、恥ずかしいという感覚すらもマヒしているかも…

 

 アマゾ〇のお布施額が多いのか少ないのかは問題ではない。むしろ、その額を頂いて当然と思う心の方が問題であると、私は思っている。

また、布施をする側であれば、これくらいならよかろうと思っている心が問題であると思う。きれいごとでは仏教が廃るーと頑張っているのもわかるが、方法を誤ると、本質から離れてしまうのではと、危惧しているお坊さんも多いはず。…いよいよ結論に続く…(4.10)

「ぶっちゃけ寺ーNo.2」

 (前回の続き)お寺離れ、仏教離れを食い止めようと、どの宗派のお坊さま方も必死で頑張っておられるーのは分かる。アマゾ〇で「お坊さん宅配サービス」と銘打ち、お布施を明記し、かれこれの内容をサービスします…とある。

 「蛇の道は蛇」とばかりに、賛同する坊様がTVでは3分の1くらいだったか…。

 ただ、私がひっかかったのは「お布施」だ。お葬式の読経の見返りの布施として「〇〇円」と提示している。これは明らかに布施ではない。布施は佛教では尊く、最も難しい「行」の一つと私は思う。

 布施行は3つの清浄が整い始めて成就すると習った。その1は布施する人が清らかな心であること。その2は布施を頂く人が清らかな心であること。3は布施するものが清らかであること。この3つが整い始めて布施行が完成する。こんな清らかな行は、今の時代を生きる人には難しいのかも分からない。…続く…(4.7)

「 ぶっちゃけ寺ーNo.1 」

 門徒さんが面白いというのでタイトルのテレビ番組を見てみた。ちょうどア〇〇〇で営業している「坊さん宅配サービス」のことを取り上げていた。

 ご存知ない方もあるかもしれない。今インターネットではお坊さんを提供するネット上のサービスがあるのだ。葬儀・法事などの仏事で困ったとき、ここに申し込むと、あらかじめ登録されたお坊さんのどなたかが、規定の料金で仏事をして下さるというわけだ。びっくりポン!

 最初はこんな会社があるのか、登録を希望するお坊さんがいるのか…半信半疑だった。でも実際は「ぶっちゃけ寺」で出演されている僧侶の中でも意見は分かれていた。

 都会では宗教離れが激しく、葬儀も「直葬」という形で、亡くなるとすぐ火葬ということで、仏事をしない方が増えていると聞く。その一つの方策として、亡き方を縁として、仏教に縁を持たせたい…というのがア〇〇〇推奨派だ。確かにそのご苦労もわからんでもない。…続く…(4.5)

「深夜の出来事」

 また義父が救急車で緊急入院。

 深夜1時頃、義父が痛みを訴えている。普段は医者嫌いの義父で、自分から救急車を呼んでくれとは言わない人である。でも今回は違った。救急車事情は新聞でも取り上げられ、何でもないことで救急車を呼ぶことが話題になっている。躊躇いながら電話をする。すぐに駆けつけ、病院に搬送してくださった。2階から義父を下ろし、車に乗せるのは大変だ。シートに移動、そして住職も手伝いながら4人がかりで乗せて下さった。

 義父の検査中、また緊急患者が運ばれ、終わる頃、別の救急車が入ってくるのを見かけた。毎夜毎夜のことなのだろう。お医者さんも看護士さんも働いてくださっている。私が寝ている間も、要請に応じて働いてくださる。有難い。

 阿弥陀さまのことを思った。私達を救わんと、働き通しの阿弥陀様である。勿論、要請なしの御働きである。有難いな。(4.1)

「永代経法要を終えて」

 今年も永代経法要に遇わせていただけた。法座の終わる毎に、また来年この法座に遇わせていただけることができるだろうか…と思う。

 当山では永代経法座は特別に、1周忌のご遺族をお招きして「阿弥陀経」を、お勤めする。あの方も、この方もお浄土と…お浄土の住人の方を懐かしく偲ばれる。「お浄土が賑やかになったな」私も賑やいだお浄土にやがて参らせて頂く。こうして美しくお荘厳された、阿弥陀様のましますお浄土に帰らせていただく。そのお約束があるから、それだけで、今を頑張れる。(3.28)

「 春の草取り」

 固い土を割って、春の陽射しとともに、小さな命が芽吹き始めた。「おや、こんなところにも」というような場所にまで、おかまいなく草花は生えている。

さあ、私もお寺の前の小さな花壇の草取り開始。

 朝の20分くらい草取りの作務にあてる。素手で一本一本草を抜いていると、「手袋をあてないと手が黒くなるよ」と住職に注意される。お客様にお茶を出すことが多い私の手、黒く、爪の間に土があっては、お茶を出された人も気持ちいいものではない。確かに…ほんに、ほんに。

 

 私がする作務は、農家の方々から見れば遊びみたいなものだろう。この草を取ることが、生活の糧に直結するものではない。だったら、とことん遊びの草取りだ。でもそんな遊びに命を取られる草花はたまったものではない。せっかく冬を超え、芽生えた命なのに…

 私の手が、草花の命を少しでも感じることができるため…。黒い手でお茶を出すことは許してください。(3.24)

「 お彼岸に 」

 

 春が来たのに 寂しい

 うぐいすが啼く 水仙が香る 朝日がまばゆい

 そのことが 寂しい

 

 春が来たのに 哀しい

 病気で年老いた友が 冬のコートを着こみ 独りで寂しい夜を過ごす

 そのことが 哀しい

 

 昔と変わらぬ声で 昔と変わらぬ笑顔で

 私のことを「いい人」と言ってくれる

 そのことが 哀しい

 なもあみだぶつ              (3.21)

「 子育て中に考えたこと 」

 もう何十年前の、3人の子育てに追われていた頃、私は真剣に考えたことがある。なぜ、腕は2本なのか…と。

 2人目は上の子と2歳しか歳が離れていない。上の子は「お兄ちゃんだから」と言ってはみるもの、まだまだ甘えたい歳である。下の子をだっこしていると、自分も抱っこしてほしいと甘えてくる。こんな時である。なぜ腕は2本しかないのか。せめて、子育て中だけでもいいから、にょきにょきと腕が生えてきてくれないかしら…と。赤ちゃんが生まれると乳腺が発達してお乳が出てくる。だったら子供の数に応じて、子供をだっこしてあげる手が生えてきてもいいのではないか…。本当にバカなことを考えていた。

 「まんまんちゃん」と息子が仏様に手を合わす。ふたつの手はこのためのものと教えてもらった。それ以上は必要ないよと。

 中村久子さんのことを偲ばせて頂く。合掌   (3.17)

「 おまかせ 」

 何かしら、大きな問題が起こると、もうそれは自分には解決できない、越えられない壁なのではないかと思えてくる。若かりし頃は特にそうで、夜も眠れないくらい「くよくよ」して何日も煮え切らない時を過ごした。

 最近は歳をとってきたこともあり、「悩むべき事柄」を少しは静観ーいや自分をごまかすことが上手になってきた。つまりこうだ。「この問題はそこまで悩まなければいけない事柄だろうか?」てな塩梅だ。ここまでくると開き直りに近いともいえるが…

 これまで生きてきた時間と、これから生きていく時間を比べると、明らかにこの先の時間の方が少ない。くよくよしてたら勿体ない。これは歳を重ねたおばさんの「おばさん力」である。

 

 自分の身体に背負ったものを、そっくりそのまま背負ってくださる方がある。そのまま「おまかせ」して、スリムに生きたい。(3.14)

 

「 小さい 小さい 」

 3月は年度を締めくくる月である。行事も多く、何かと忙しい。そんな中、今、楽しみに待っていることがある。それは小野湖にかかる下小野橋の補強工事の完成。

 早く満々とした小野湖が見れるようになればいいなと思う。いつもの風景だけど、毎日違う顔がある。そんな風景を今日も拝めることが、嬉しい。

 

 ところで、3月になると思い出す事がある。それは、私にとって人生の大きな壁ともいえる事柄にぶつかった時のことである。そんな時、支えてくださった言葉がある。故河村とし子先生のお言葉である。先生は「如来様のお慈悲を思えば、こんなことは小さい、小さい」と励ましてくださった。どんなにかこの言葉に救われたことだろう。

 今もその言葉と共に先生の顔が浮かぶ。「小さい 小さい…」

もし若者が人生の岐路に立ち、悩める時は、私もこの言葉を贈りたい。

「如来様の大慈悲を思えば、すべてのことは、小さい、小さい。だから安心して今を生きよ。」と…。(3.10)

 「 卒業式に… 」

 あと3日で小野中学校の卒業式である。今年もピアノ伴奏で臨席させて頂く。今日は3年生の練習に立ち会った。今回が小野中学校としての最期の卒業式。つまり来年度からは学校が統合し、小野の子供たちは厚東の中学校へと通うことになる。私自身も卒業し、我が子達もお世話になった学校がなくなる。

 

 この時期になると落ち着かない。3月11日の震災から今年で5年。

震災の翌年、私はやはり卒業式のピアノ伴奏を弾いていた。卒業証書が手渡されるときのBGMの一曲に「明日という日が」(震災復興を願われて作られた曲)を入れた。多くの命が失われ、沢山の若い命も失った。卒業式を前日に控えた中学生たちも…。

 「ごめんね、君たちの何倍も多く生きた私が生きてて…。」私に限らず、あのテレビ映像を見ていた大人たちは思ったことだろう。「無常」の理を、これでもかと言わんばかりに知らされた。

 

 今年ラストの卒業式はどんな式になるのだろう。(3.7)

 

「インフルエンザになりました。」

何十年ぶりかで、インフルエンザになりました。今日で4日目。熱もおさまり、元気バリバリとはいかないけれど、起きれるようになりました。病気になって始めて、身体が思うように動けることの有り難さが身に沁みます。優しい言葉や、介護されるかたじけなさを有難くおもいます。病気にならないとなかなか思えないことです。(3.3)

「大きな背中へ有り難う」(会葬御礼より)

長きにわたり拙寺の責任総代を務めて下さった石川様がご往生された。年齢90歳(行年92歳)。

前日の通夜、葬儀会葬者を合わせると三百人以上の参列があり、多くの方が石川さんの死を悼んだ。市会議員であられたので、相応の社会的地位の方の参列もあり、改めて政治家としての石川さんの顔を見させて頂いた。

 お寺の整備面では門徒会館を兼ねた私たちの庫裏を建てるときの保証人になって下さったり、前住職との約束であった本堂建立を、住職と共に大きな額の寄付をしてくださり、成し遂げる力となって下さった。

 でもお寺でお聴聞される時の石川さんは、住職を立てて下さり、座る席は住職の席を空けて、次の席に決めておられた。

 私達寺の者は、よくお叱りを受けた。が、それ以上に心配して下さり、助けてくださった。住職が文芸で受賞し、新聞に名前が載った時など、朝一番に電話をかけてきて、喜んで下さった。

 会葬御礼の葉書に、ご遺族からこんな言葉が綴られていた。

「大きな背中へ「有り難う」と伝えます…と。

 大きな背中がまた一人お浄土へ還っていかれた。もう本気で叱ってくれる人がいなくなったと思うと、本当に寂しい。(2.28)

ファーストぺんぎん(First Penguin)」

 石川様がご往生された。行年92歳。今日はご葬儀。

 先住職から、長きにわたり宝林寺の責任総代を務めて下さった。

 石川様にはよく叱られた。若院・若坊守の時の石川様の印象は「いつも怒っている」…だ。でも言ったことは必ずやってくれる、そんな頼もしい方だった。

 群れで行動するペンギンの親分みたいな方でもあった。ペンギンは餌をとるため、どんな大敵がいるかもしれない大海に飛び込まなくてはならない。飛び込んだ瞬間、サメにパクリとやられてしまうかもしれない。そんな危険な海を最初に飛び込むペンギンのことをファーストぺんぎんと呼ぶらしい。多くの方から頼りにされ、それに応えようとされた方だった。もう叱ってくれる人がいなくなった…寂しい。合掌(2.24)

「 満 開 」

 この道を、昨日久しぶりに通ったら、梅の花が満開。いつの間に…

「2月」は「にげる」。昔の人はよく言ったものだ。

 忙しい人が「時間に追われる」という。でも、確かに2月は時間が逃げていく。追いかけようとしても捕まらない。スルリといつの間にか時間だけが過ぎ、気が付けば3月。なんとなく人生を感じさせる。

 何度も梅の花が咲きほころぶ様を見てきた。でも日々じっくりと、花が開く様を見て来ただろうか。自然の姿にふと、考えさせられる。(2.22) 

「2月の常例法座」

 寒い2月の常例法座も、お参りして下さる方々のおかげで、無事開くことができた。2月15日はお釈迦様涅槃の日にちなんで、そのお話しを聞かせていただいた。

 「正信偈」のなかにある御文。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(教主世尊は 弥陀仏の 誓い説かんと 生(あ)れたもう)とある。お釈迦様がお生まれになられた、その意味は、この本願念仏の教えを説くためだったと…親鸞聖人は味わっておられる。本当にかたじけないな。

 私は寒いと、外に出ることがいやで、しかもお寺の坂を降りたところに建つ納骨堂のお参りは難儀。住職に声をかけられ、重い腰がやと…。これは一例だが、こんな日暮らしのものが、どうして救われようか。それをみそなわしての、本願念仏であったことを聞かせてもらった。

 手前みそですが、本当に住職のお説教は有難い…合掌(2.19)

「 善い行い 」

 仏教は細やかに、行いの善悪を教えてくれる。

 例えば身・口・意(こころ)という三つの行いを清めることーそれは生き物を殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さない。偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、無駄口たたかない。貪らず、瞋らず、よこしまな見方をしないーなどというように…。

 NHK朝ドラ「あさがきた」の主人公「あさ」は実業家でいわゆるやり手の女性。でもつい、一言多く、そんな時は口にチャックというシーンがある。あさを愛おしく思える瞬間である。と同時に人間は成長しても、大して変わらん、本質はいつまでも「善い行い」とはほど遠い者と、教えてくれる。

 仏教で説かれたものは解かりやすい。三歳の子でも理解できそうだ。でも「行い」は?…だからこそ、あえて説かれたのだろうか。言うは易く…である。(2.15)

「 白 髪 」

私は時々髪を染める。まだら模様に入っている白髪を黒く、もしくはこげ茶色に染め、少しでも若々しく見せようと企てている。齢55歳…多少の白髪があってもいい年齢ではあるが…。

 久しぶりに髪を染めましょうと、鏡に向かい髪を解かしていると長い白髪がはらりと落ちてきた。一本をつまんで見る。白髪20センチメートルはあるだろうか、感心してしまった。色素が抜けて、一般的には老化と考えられる白髪だが、元気に伸びている。老化の大敵と、邪魔者扱いの白髪はそれでも頑張って生きようとしていたのか。

 白髪一本が、なんとなく愛おしく思えた瞬間でした。(2.12)

「 群 青 」

 今「群青」という歌を練習している。この歌は、あの原発事故半径20㌔に生活されていた南相馬市小高区の中学生と音楽の先生が作った歌だ。

 この歌を練習で歌っているとき、隣で歌っているメンバーの女性のすすり泣きがきこえてきた。私は初めての楽譜に音を追うのがやっと、歌詞の内容まで入ってこなかった。

でも、帰って改めて楽譜を見直し歌ってみた…涙で歌えない…。

 今も町を追われ、避難生活をされていると聞く。

 子供たちの生の声が詰まっているこの歌を、大切にしたい。もうじき3月11日…。(2.8)

「 冬を咲く 」

 寒い冬の間をずっと咲き続けてくれる花がある。あたかも寒さで縮かんだ心を慰めてくれるかのように。

「花は寒くないのかね」

 散歩コースの道端に、いつもの顔で咲いている。「がんばれよ」とは言わないけれど、その姿を見るだけで、今日、一日頑張れる気がする。

 こんな花のような人を知っている。こんな花のような人から沢山の励ましをもらった。(2.4)

「 風の人 」

 今日は住職と私にとって大切な朋友のご命日。

 葬儀の時の、坊守さまの挨拶が忘れられない。「彼はこの地にやってきて、風のように逝ってしまった。本当に優しい人でした。」と…。

 沢山の時間をかけて、築いた友達関係ではない。お会いしたのはほんの数回。それでも彼の自由な、飾らない人柄が好き。人の心を傷つけなさそうな所が好きだった。現に彼を慕う沢山の方々に見送られ、毎朝突かれていた梵鐘の音に見送られての葬儀だった。

 見ててくれてますよね。坊守さま頑張っていますよ。

 音楽仲間が、お二人のために作られたCDを聞きながら…

                         (2.1)

「 愛を積む人 」

昨日はお寺の御堂シアターの日。

「愛を積む人」が上映された。

東京の町工場で生計を営んでいた定年前の夫婦が会社倒産。妻(樋口可南子)の希望で北海道に移り住むことから映画は展開される。

 実は妻には大きな心臓病があり、そのことを夫(佐藤浩市)には隠している。妻は移住して間もなく死んでしまうのだが、残される夫へ手紙を3通残す。その手紙を道しるべに、夫は自分の居場所を見つけていくという内容。

 

 映画の中で死を覚悟した妻は夫に「石塀作りには棟梁のお弟子さんも手伝いに来る。周りに塀を作って欲しい」とお願いする。1年がかりの作業で完成をみることができなかった妻だが、夫は重い石を積みながら、こんなことを少年に言ってきかせる。「石にはいろいろな大きさがある。どっしりとして大きなもの、形がいびつなもの、小さくて使いものにならなさそうなもの、でも塀を築き上げていくにはいろいろな石が必要で、それらがあるべき所を補い合いながら、収まって立派な塀になっていくんだな」と。それを気づかせてくれたのは亡き妻で、最後の妻からのプレゼントだったと思う。

 多くのメッセージが込められている映画だった。(1.29)

雪のカーテン(H.28,1,25撮影)
雪のカーテン(H.28,1,25撮影)

「 雪の思い出 」

 近年にない大雪が降った。朝の納骨堂お参りも、滑らないようにしてきたところ。

 私が子供の頃、かれこれ45年くらい?前はこんな雪は珍しくなかった。学校へ行けば雪合戦、雪だるまと楽しい雪景色の中の思い出が沢山。普段の授業ではパットしない子たちも、この時ばかりは生き生きと雪合戦に興じている。勿論、私もその中の一人。

 べちゃべちゃに濡れた靴や体操服までも、楽しそうに教室の隅で干されている。なんでもない一コマだけど、忘れられぬ雪の思い出だ。

 

 その勢いのまま、家に帰って、お寺の坂道を使って友達たちとそり滑りをした。お寺の坂は、そり滑りの子供たちにとって絶好の傾斜。ワイワイと夕暮れまで楽しく遊んだ。

 しかし、この日の夕方、急展開の悪夢が襲ってきて、母にこっぴどく叱られた。

 父が買ってくれたアップライトのピアノがやってくる日だったのだ。ツルツルに整えられた雪の坂道を…母は真っ青になりながら業者の方に謝っていた。仕方なく、もう一方の階段がある坂から、運んでもらったようだ。

 未だに、このピアノは我が部屋に君臨し、子供だった頃の私から、大した進歩もしていない私を見守ってくれている。(1.25記)                   

「 恩徳讃 」

 今日は常例法座が勤まった。2~3日前に大雪が降り、大寒の今日も寒い。お参りがあるかなと、住職と心配していた。近所の婦人3人が上がって来て下さり、母、私の5人で住職のお説教を頂いた。

 聖人のご一生をかいつまんでお話を聞いた。この「恩徳讃」は聖人が、ご自身の息子の善鸞様を義絶なさった翌年、ご和讃をお書きになった最後のもの。齢84という晩年の聖人が、我が息子を義絶するという事件が起こり、その絶望の中、如来大悲のかたじけなさを謳われたものであると…どんなにかお辛い、断腸の決断だったろう。最愛の息子一人も導くことができないわが身を悲しまれ、自身に絶望されたかもしれない。そんな中で歌われたのだ。

  如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし

  師主知識の恩徳も  骨をくだきても謝すべし

 

 有難かった。(1.21)

 

「 一カ月 」

 介護生活10年になった。今年は初めて冬1月の1か月間、小野デイサービスで義父をお願いした。(昨年8月の夏も1か月夏休みをしてもらっている)。

 暑さ・寒さが身に堪える月である。おじいちゃんのためにはいいだろうーと考えたこと。でも実は私の冬休みだ。この1か月間は、介護のことは何も考えないで、部屋も自由に使わせてもらえる。法事に行けば、お斎につき、ゆったりと門徒さんの話が聞ける。ピアノ教室はじっくりと子供たちに向き合うことができる。心の重荷が軽くなったよう。

 何も介護者らしきことはしていない。でもいつも心のどこかに、そのことがある。介護生活はひょうひょうといかないと、乗り超えれない。

それにしても1か月が早いなあ。(1.18)           

「 白鷺と切干大根 」

 下小野橋の補強工事に伴い、橋が半通行止めになった。また工事のため小野湖の水位を下げ、これまで満々としていた湖の跡形もなくなってしまった。が、一つ嬉しいことが…白鷺が遊ぶ姿を、より近くで見ることができるようになったこと。水とたわむれる姿はいいもんです。

 ところで、今年は大根を沢山いただき、切干大根を今、製作中。天候がはっきりしないので、なかなか捗々しい進展はないが、毎日、色の変化にワクワクする。橋の補強工事が終わる頃、茶色に変身した切干大根を見ることができるのではと…小さなワクワクが止まらない・・・

                                     (1.14)

「 法事のこと 」

10・11日の連休は、私がご法事を勤めさせていただいた。近頃の法事はコンパクトになり、若い方が多いと感じるようになってきた。うん?それは私自身が法事を勤められる親族の中においても歳が上の方になってきたということ…でしょうか。とにかく、以前より、お坊さんとしても、また社会における先輩(?)としての一端を担う上でも、責任を重く感じる。

 

 昔は、当家のお年寄りやご年配のおば様らしき方が、法事に細やかな目配りをして下さり、何を言わなくてもスムーズに法事が運んだ。ところが、核家族化が進んだ今日、お年寄りと一緒に住まわれない分、当然分からないこともあり、私に聞いてこられる。仏事のことを、お坊さんの私に尋ねてくださるのは正解。だから、ウソや間違ったことを教えてはいけない。そんな訳で、法事をお参りするのはちょっと気合いが入る。

 若い世代の人は宗教や仏事に関心が薄いのか…?そうは思わない。むしろお勤めも、私のたどたどしい法話も一生懸命聞いて下さる。どんなに世の中が変わり、便利になっても、人間の根本の悩みは変わらない。

むしろ、便利になった今だからこそ、苦しみが深まり、新たな苦しみも生まれている。若者からすれば、(私に限って)非合理的で何の生産価値も生まなさそうな坊さんの話や仏事であっても、何かしら、いいものに感じてくれているらしい。そこを信じて、コツコツと勤めさせていただく。

                                H.28.1.11

「 七草粥 」

賑やかだった正月三が日も終わり、お客様の帰った後の、片付けをしているうちに、もう七草粥を食べることになってしまった。速っ!

 私の、今年の最大の目標は「食べ物を粗末にしない。家計のスリム化に務める」…と、主婦の誓いをたてました。さっそく、お正月用に頂いた、台所にごろごろ侍っている大根を切干大根に…それでもまだ巨大化した大根が5本…今日はけんちょう、明日は大根のおでん。明後日はぶり大根等々…

 そういえば今年の初夢はイセエビの大群に追いかけられる夢だった。イセエビが大根になってしまったが、「命の食」をあずかる主婦としての使命を、今年は最大限に考え、務める。台所に修行あり…かな。この責任は重大!(1.8)

あけましておめでとうございます。

今年も「坊守通信」よろしくお願いします。

 

さて正月もそろりそろりと明けていきました。それぞれのお仕事を再開され、今日が仕事始めの方もいらっしゃると思います。

 いや、お正月がなく、お休みは今からの方もありますか?本当にそれぞれの方に感謝です。

 

 お寺の年末年始は除夜の鐘に終わり、修正会のお勤めに始まります。

これを繰り返し勤めてまいりました。今年は若い20代の方の参拝が多く賑わいました。

 地方の高齢化に伴い、お参りはあるのだろうか、鐘を突く人が来てくれるのだろうか…と心配しています。でも今年も出来たこと、いや、させて頂けたことに感謝します。一人では何もできない、でも一人から始まる…そんなことも思います。28年度、それぞれのスタートを念じながら…(1.4)