「お正月の準備の中で」
今年も残すところあと3日になりました。今年はコロナで明け、コロナの話題で終えるようです。
2週間前に、義母が入院しました。今は病状も落ち着き、洗濯物をとりに行くだけです。病院に用事がある人は厳重に体調をチエックされ、1階の待合室で要件をすませる仕組みです。先生や看護師さん、医療従事者の方がコロナにかからないよう配慮されています。
病院の待合室は、空気が生ぬるく、もわ~っとしています。この中で一日中働かれている方は大変だなと、改めて医療従事者の方々に感謝するばかりです。
来年は…そう…せめて子供たちが普通に学校に通えるようになるといいなと願っています。普通に…このことが有難く感じられる今年の一年でした。(12.29)
「突然の電話」
ご門徒さんから、〇〇県の親戚の遺骨を預かってもらえないかと電話がありました。お取り越しのお参りの最中でした。住職は出講中でした。
故人にはお身内がなく、体調を崩されてからは施設で生活されていたそうです。コロナ感染ということで病院に搬送され、そこで息を引き取られたということです。同県の甥にあたる方が遺骨を運んでくださいました。
当然、葬儀もなく、火葬してもらう間でも順番を待たれたということでした。
住職につけていただいた法名いただいたで、短いお勤めをさせて頂きました。後にご門徒さんから「よくして頂き…」と」お礼の電話がありました。
ご縁ありお寺に来られた方、いつもと変わらないことをさせて頂いただけなのに…かえって恐縮でした。
コロナで亡くなる方は、息を引き取っても葬式も出せない。娑婆はどこまでいっても娑婆、差別の世界です。
そんな世界で苦しみ、もがきながら、それでも生きていかなければならない私を、哀しみ慈しんで下さるのが阿弥陀様です。
どんな亡くなり方をしようが、法名を頂かれ、その命終えたときには仏様となって私を案じて下さっている。なんとも勿体ないことでした。(12,26)
「インスタグラム」
SNSで写真を載せて皆さんに情報発信することができるインスタグラムというものに登録しました。(と言っても若坊守が見れるようにしてくれましたが…)
覗いてみると、毎日のように写真がバンバン入ってきます。芸能の仕事をしていなくても…今はこんな時代です。不特定多数の発信者が自分で撮った写真とコメントを載せてアップしています。主に見るのはお寺関係で、全国のお寺様はどんな活動をされているのか…とてもよくわかります。そして、若いお坊さんたちが一生懸命お寺を守り、法を伝えようとされていることが嬉しいです。
時代は確かに変わりました。もう還暦の私には理解できないことが多く、時代の道具についていけません。でも…私でさえこれだけの情報が入るのです。多くのフォローをされている方にとっては、一日費やしても見たり読んだりは難しいだろうな…と。せっかくいい情報を発信されても、そのまま流されてしまうのでしょうか。
勿体ないなあと思いながら、読ませていただいております。(12.23)
「お浄土で」
お取り越しのお参り中、お葬儀の電話がありました。ご門徒さんではない方ですが、前々から「父がもしもの時はお願いしたい」と言われていた方です。入院されていたのですが、お医者様からは「もう手の施しようがない」と言われ、だったら本人の希望であった家に連れて帰ってあげようと、連れて帰った翌日、息を引き取られました。
息子さんとは幼いころから同じ学校に通っていました。臨終勤行に参らせていただき「よく家に連れて帰ってあげられましたね」と奥さん(よく知る同級生のおばちゃん)に言うと、それまで気丈にされていたおばちゃんの目から涙が落ちました。
家族が待つ帰りたい家に帰り、安らかなお別れであったと思います。
コロナ禍で、家族ですら、付き添いも病院見舞いも満足にできない時です。いざ臨終の時、納得のいくお別れが難しい時代になりました。そんな時代であればなおさら、何気ない一日が愛おしく、ますます教えに導かれた日々を送らせていただきたいと思うのです。(12.19)
「おいてきぼり」
先日、礼参に参ってこられ、お勤めさせて頂いた後、少し感話を話させていただきました。お若い方やそのお子さんもいらっしゃったので「あみだ様はどんな仏様」ということを話させていただきました。
「阿弥陀様はどんなときも私を置いてきぼり(方言でしょうか?置いていかないという意味です)にしないのよ…と伝えました。嬉しい時はともに喜んで下さる。悲しい時は、一緒に泣いて下さる方なのよ…。
これは今の私にとっての阿弥陀様が有難く思われ、一番強く感じていることです。
私の心はいつも揺れています。ですから、家族や親しい友達といても、毎回、いつも心を理解しあい、共感することは難しいです。そして本当の所、自分の心さえも、どちらを向いているのか分からない時があります。そんなときでさえも、「私はここにいるよ、哀しいね、嬉しいね」と待っていて下さる、一人じゃないなあと思えることが沢山ありました。勿体ないことでした。(12.15)
「お取り越しのお参り」
12月に入って、お取り越しのお参りをさせて頂いています。今日は若坊守が総代のMさん宅にお勤めデビューでした。私も後ろから、若坊守が導師を勤めるお経に遇わせていただきました。
終わったあと、奥さんが沢山、料理を作っていて下さり振る舞って下さいました。けんちょう、ぬた、サラダ、肉巻き、ぜんざいに小豆ご飯、手作りの漬物等々…おいしくてお腹と心がいっぱいになりました。齢90歳の総代さんに昔の話をあれこれ聞かせて頂き、(特に昔の葬儀の話は子供時代の記憶の中、懐かしいものでした)
お坊さんのお相伴させてもらい、これからは若坊守のカバン持ちもいいなあ…などと勝手に思いながら、今日のご縁を有難く思いました。(12.11)
「12月8日 成道会」
今日はお釈迦様がお悟りを開かれた日です。
今朝、ふと、ストンと腑(ふ)に落ちたことがあります。
「そうか、この世は仮の世だなあ」と。これまでお説教で聞かされ、教えていただいていたことです。やがて真に私が還って行くところ、お浄土に参らせていただくまでの仮の世界だなと思われたのです。何度か同じような内容の事をお聞かせいただいておりました。でも心の底からそうとは実感できずにいました。お浄土がどんなに素晴らしいところと聞かされても、今、参りたいかと聞かれると「はい」とは言えませんでした。
今は…この世が仮の世と言ってもらえることが幸せに思えます。やがて参らせて頂くお浄土に懐かしいあの人が、この人が、待っていて下さいます。
その日まで、仮のこの場所で(でも、ここを置いて今の私の生きる場所はありませんが…)「もういいよ、還っておいで」と言われる日まで、あの人の分も生きてみたいと思うのですよ。(12.8)
「拝まないときも おがまれている」
11月の法語カレンダーです。このお言葉が好きです。
拝んでいるときも、拝まない時も、大悲はあくことなく私を照らし拝み続けて下さっています。
「もうほっといてくれ」と自分の心の置き所がなくなった時でさえ、仏様は拝み続けて下さる。「あなたはそのままでいいよ」と、静かに念じ続けていて下さる。
勿体ないなあ。(11.26)
「ちょっとづつ報恩講」
今日はよく晴れました。母と仏花にお供えするお花と本堂の前の寄せ植えの花を買いに出かけました。
今週日曜日の報恩講に向けて、少しづつ準備中です。
今年はコロナ禍にあり法座が全くできませんでした。報恩講さまが始めての法要となります。とても嬉しいです。
例年ならお当番地区の方に手伝いを頂き、おみがきやお餅つきをいたします。今年はその声掛けもできず、住職と少しづつできることから準備しています。今年も報恩講さまに遇えることが幸せです。(11.24)
「まゆみの木」
お寺の山門の傍に「まゆみの木」が植えてあります。この時期に小さな赤い実を沢山つけます。山々の木々が紅葉を始める頃、イチョウの黄色と、赤いまゆみの実が可愛いコントラストで秋の風景を染めています。
友達も花瓶に生けた「まゆみの一枝」を写真で送ってくれました。家の手入れしていないまゆみの実とは違った愛らしさがあります。
祖母がまだ元気だった頃、この枝を手入れしながら「この木はまゆみの木だよ」と教えてくれたことがあります。実は私の名もまゆみといいます。ですから、この木を「まゆみ」と勝手に呼んで名づけているとばかり思っていました。
「まゆみの実」が実る頃、懐かしい祖母を思い出します。(11.18)
「報恩講さまのこと」
あと10日で今年の報恩講さまの法要がやって来ます。コロナ禍の影響により、報恩講さまが今年始めての法要となります。このまま感染が拡大せず、ロックダウンなんてことになりませんように…念じるばかりです。
思えば親鸞聖人の時代も、法を説かれるのに大変な時代でした。また聖人以降の祖師の時代も、法灯をともし続けるのにご苦労されました。
今日、法灯を受け継いでいけるのも、祖師の方々のお陰です。
小さな田舎の小さなお寺のこの場所で、一つのあかりを灯していけることを幸せに思います。(11.17)
「お供え餅」
ぺつたんぺったんお供え餅。
子供の頃は飽きるほど搗いていました。
今日は杵の音はせず、機械の鳴る音で少しのお餅をこさえて、住職とお供えしました。
11月の金曜日…いいお天気です。
有難いなあ。もつたいないなあ。(11.13)
「カレーライス」
「何が食べたい?」と聞くと、決まって君は答えたね。
だから今日も玉ねぎを切って、炒めているよ。
しっかりとあめ色に炒めたら、甘みとコクのあるカレーになるんだ。
時間をかけたぶん美味しくなるから、きっと君も満足してくれるね。
コトコト…煮えてきたら市販のルーを入れる。
市販のルーだもの美味しくできて当然なんだけど、だけど君は美味しい…この味がいいと言ってくれる。
褒められたのか否かねよくわからないんだけど…。
金曜日は君の好きなカレーを作る。(11.6)
「浄土真宗の救い」
久々に住職が法話集を編集して、本にして見せてくれました。以前布教先でご法話させて頂いたものを活字にして本にまとめたものです。B6判ページにして140ページですので、あっという間に読めてしまいました。
もう1年近くもご法座が開かれず、ご法話を聴く機会もありませんでした。
しばらく法話から離れていると、心が暗くなり、ただ毎日を送っているだけの生活です。
そんなとき住職からの法話集は有難かったです。改めて、教えを頼りに、拠り所として生活させて頂けることで、なんとか生きていけます。勿体ないことでした。(11.2)
「クワガタ」
週末、お寺に泊まりに来る孫が、大事そうに虫かごを抱えてやって来ました。中を覗くとクワガタが二匹います。一匹はお父さんが公園で捕まえたもの、もう一匹は職場の人が下さったものらしいです。秋から冬へ…クワガタも動きが鈍くなり、おが屑や木の切れ端の中に潜り込んでじっとしています。
「この冬が越せるかなあ」
毎朝、水吹きで木くずを湿らせることが日課に加わりました。
シュッと吹きかけるたび、小さな動きがあります。それを見るたびにほっと安心します。小さな命だけど、大きいです…。(10.26)
「秋」
風がひんやり心地よく
空はどこまでも限りなく
広く広く大きいの
こんな日はじゃぶじゃぶ洗濯して
すべての物を洗い流して
真っ新な自分になりたいな
立派な柿を頂きました。(10.21)
「私のカレンダー」
久々の北組坊守研修会でした。というか…今年に入って初めての研修会でした。
坊守の皆さん、お元気そうで✨笑顔や笑い声が眩しかったです。
山門をくぐると組長様が待ってて下さり、来年度のカレンダーを受け取りました。お取り越しの時お持ちする、門徒様のカレンダーを注文しており、それを組長様か゛取りまとめて下さっていたものです。
「何もしなくても来年は来るのか…」
これまで何気なく見ていたカレンダーですが、この数字は一日一日を表しているんだな、来年のこの日はなにをしているのかしら…予定なき私のカレンダーはいつも日記がわりの事後報告を記している。多分、来年もそうするだろう。
来年の今日はどんなことが記されているのかしら…明日をも知らない命だと教えられても、カレンダーに期待してしまう。馬鹿だなあ…。(10.16)
「 風音 」
指にとまる小さな虫
空にかかるすじを引いた白い雲
時期を逸して慌てて咲き誇る彼岸花
みんな秋の空に溶けていく
音のない静かな午後です(10.8)
「深呼吸」
ひとつ呼吸
なもあみだぶつ
もひとつ呼吸
なもあみだぶつ
大きく深呼吸
私の中に
なもあみだぶつの親様が
生まれて下さる
有難いなあ(10.5)
「つくつくぼうし」
9月の終わりの日に、遠くでつくつくぼうしの鳴き声を聴きました。ほんのひとなきでした。耳を澄ましても、もう鳴き声は聞こえません。まるで、夏とのお別れを告げるように…まるで、別れを惜しむかのように…。
さあ衣替え!冬支度に向けて、少しずつ。新しい命を頂いたような気持ちで頑張ろう。(10.2)
「お通夜の日」
喜びのあと、悲しみがあるなんて、知らなかった。
涙は後から後から泉のようにわき上がり、枯れることはないんだね。
でも、哀しみのあとに、慶びがあるのかもしれないことも、今は知らない。(9.28)
「お浄土のこと」
今日はご門徒様のお葬儀です。長年にわたり地区総代としてお世話下さったNさんです。
Nさんは先住職と同世代で、昭和の良き時代をバリバリ働き、平成の時代はお寺の重鎮のひとりとして、ご法義繁盛のために尽くしてくださいました。
男気のある方で、住職がお寺のことで相談に伺うと二つ返事で引き受けて下さる、頼もしい方でした。
そんなNさんもお浄土に…今ごろは先住職と「やっと肩の荷がおりたな」と話しているのでしょうか。いやいや、お浄土はそう甘くはない所らしいです。お浄土に安住という訳にはいきません。お浄土に往き、仏となった方は、すぐにまた仏様としての仕事があります。それは、未だに現世で苦悩し、救われない私達を救いたいと、還ってきてくださり、私を救わんと「なもあみだぶつ」になって下さり、働き続けることらしいです。
仏様はお人よしです。自分が悟りを開き、お浄土で安穏と過ごせばよいものを…こんな私を悟りの世界に導きたいと、ご苦労され続けておられるのですから…。
不可思議のこと、勿体ないことです。(9.26)
「 痛快!サファリパーク 」
お彼岸にかけて、遠方に嫁いだ娘たち家族が帰ってきてくれました。(世間ではこの期間をシルバーウイークと言うそうです)
もうじき3歳の孫…コロナ渦であまり遊びに連れていってあげれなかったので、三密を避けた秋吉のサファリパークに行くことにしました。秋吉台の広々とした所でお弁当を食べようと、朝から準備。さあ出発!
受付をすませ、自家用車二台が連なり、そろそろと動物たちのいるゾーンを走ります。象、カバ、シマウマ等々。猛獣ゾーンに入るとライオンやチーター等々、檻のない傍て゛見ると圧巻でした。
ところで、動物園では動物たちが檻に入れられ、窮屈そうにしてにしていますが、ここでは反対に人間が車という限られたスペースの中から動物たちを見ます。いや、動物たちから見られているのです。先導を行くシマウマのおしりをながめながら…なにか謙虚な気持ちになれます。人間が一番偉いと錯覚していたことを正してくれます。(9.23)
「寂しい時」
時々寂しい時、ネット検索します。最近では「NℍKハート展」をよく開きます。障害者の入選作品が載せられている、その詩を読んでいると、なんとなく心が落ち着きます。
簡単な言葉で綴られています。でもその言葉は時に重かったり、心が宙を浮くくらい軽々と飛んで行ったり…辛い事、哀しい事、嬉しい事などをストレートに表現されていて共感します。
ごたごたした器の中から、今、飲みたいコーヒーのカップを取出したような気分です。(9.9)
「台風」
台風の季節が到来。昨夜から今日午前中にかけては、ここ山口県でも暴風域に入っていて、心配しています。幸い、強い風が吹きましたが、朝は電気が付きほっと安心しました。テレビをつけると長崎の某地域で町が水浸しになっている映像が飛び込んできました。
いつも思うことです。台風が来るときは少しでもいいから、私の住んでいる地域から離れて下さい…と。そして、私の子供たち、友だち、親戚、門徒さんなど等、私に関わりのある人達を災害から守って下さい…と、念じているのです。
でも、台風はどこかを通るので…誰かが辛い思いをするのです。その誰かは私と、私に関わる人以外の人であって欲しい。
なんとも情けない、浅ましい根性です。
いつも、台風シーズンになると思います。(9.3)
「こんな日はピンクオレンジのTシャツ」
気持ちが揚らず,なんとなく浮かない日があります。そんな時は私の中で一枚だけ持っている明るい色のピンクオレンジのTシャツを着ます。
そもそも、お寺の坊守は悲しみ事に立ち会うことが多いです。お寺にお参りにこられるときは,皆さん黒っぽい服で来られます。それは悲しみを表す色です。ですから必然的に、私も黒っぽい色の服が多いです。もともと黒が好きなのでタンスの中はほぼ黒です。
そんな中、唯一明るい色のTシャツは、母から貰ったものです。元気が欲しい時、引っ張り出して着ています。すると、何となくやる気が出てきます(単純なのです。)
今日一日、元気を少しだけ分けてもらい、ご報謝させてもらいます。(8.27)
「お慈悲はぬく(温)いね」
日々の事に追われていて、仏様へのご挨拶もお礼もそこそこに、アッという間に一日が終わってしまいます。お寺に住まわせて頂く者が、このような始末…😭
本来、信仰するものは信仰心厚く、熱心に教えを実践しなければならないのでしょう。そうしなければ地獄行きで、死後も無限の苦しみが待ち受けているのでしょうー
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし」(恩徳讃)
親の御恩が知れたなら、身を粉にしても、ご恩に報いるため一生懸命、尽くすべきなのに…歌の内容とはかけ離れた生活です。
そんなことはわかっておるよ…親様は私の事をお見通しくださり、どこまでも親様の広い懐に抱かれて、ぬくぬくとさせて頂いております。勿体ないな。
赤子の親に抱かれる姿を眺めながらふと思わせて頂いたことです。(8.12)
「孫」
最近は孫中心の生活をしています。子供のパワーは凄まじいものです。
この子が大人になる頃には、この世界はどうなっているのでしょうね。少なくとも戦争だけはない、平和な生活が送れていることを念じるばかりです。
これまでひとりの時は親の愛情を一心に集めていた孫もお兄ちゃんとなりました。赤ちゃんに半分愛情を持っていかれたような錯覚をして、夜泣きや、わけのわからない我がままが出ます。親は2倍の愛情を注いでいるつもりでも、やきもちは収まりません。その姿を愛おしく思えるばばは気楽ですが…。
「二人目の子を持ってみて始めて、一人目の子の親になれたのよ」…なんてチョッとカッコいいことを娘に言いました。
自分が子育てをしていた時、真剣に思っていたことがあります。それは赤ちゃんが生まれたら、その子を育てるお乳が自然と出るのに、二人目の子が生まれた時に、もう一人を抱っこする腕が2本生えてこないのかなあ」と。
独り子として私を見て下さる阿弥陀様はやはり偉大です。(8.11)
「みんなのヒーロー あんぱんマン!」
孫が大好きなあんぱんマンを録画して、何度も繰り返し見ているこの頃です。
あんぱんマンのストーリーは2歳7か月の子でも面白いらしく、ここぞという場面では食い入るように見ています。あんぱんマンは私の子供たち時代からの永遠のヒーローです。
(ちなみに、ご存知ない方のために)あんぱんマンというヒーローは顔があんぱんでできています。地域の平和を願い、困った人やお腹が空いた人がいたときには自分の顔のちぎって食べさせてあげます。顔が欠けるとパワーが落ちてしまします。そんな時にすぐに顔を焼いて新しくとりかえてくれるのがジャムおじさんとバタコさん、そして、私が大好きな犬のチーズです。悪者役のばいきんまんが、色々とちょっかいを出してあんぱんマンのストーリーを作ってくれています。その他、ドキンちゃんや食パンマン、カレーパンマンetc.愛するキャラクター達が登場します。
このあんぱんマン…まるで菩薩様のようです。困った人をみると救わずにはおれない、それがあんぱんマンの喜びになっているのですから。また、自身の顔をお腹が空いた人に差し出す…仏様のようです。困った人がいることがあんぱんマンの存在意義になっているようです。
こんな奥深くすごいストーリーを、子供たちは自然と受け入れ、楽しんでいます。
いつか孫が質問してきたら、言ってあげたい。「阿弥陀様ってなあに?」「あんぱんマンのような、優しい人。お腹が空いて力が出ない時、お腹を満たしてくれ、心に元気をくれる人。そしていつも君を見守ってくれる人だよ」(8.5)
「一番行きたいところに…」
昨晩、友達から電話で、ご尊父様往生のお知らせを頂きました。
長い間、布教使としてみ教えを伝えられ、住職を勤められてこられました。
「父は一番行きたかったところに、行くのだと思う…」とありました。
どんな言葉も見つかりません。「どんな風な言葉をして、彼女の心を慰められるのだろう…」とか考えていましたが、逆に、この一言で私は「そうだね」と口を閉じることができました。
一番行きたいところ…お浄土が用意してある。そして、そこでは懐かしいあの人にもこの人にも会えるのだ。また、今生では、泣きながら別れていかなければならなかった、あの人の傍に、ずっと寄り添い見守ることができる。そしてお浄土の話しをしてあげることができる…そんな仏様としての働きができるお浄土に迎えとられて行くのです…と。
同じみ教えを頂いてよかったね。南無阿弥陀仏。(7.30)
「画面の中の大きな出会い」
「突然のお電話にて失礼します」と福岡のお寺の坊守様からお電話を頂きました。電話の内容は、自坊にて寺報を作っていますが、その中に宝林寺のホームページを紹介したいので、掲載してもいいですか…というものでした。
福岡のお寺に入寺されて4年、いろいろな活動を広げていきたいと申されていました。
電話から聞こえる、まだ30代のお若く、快活なお声が、これからの宗門を支えていかれる方たちなのだなと、頼もしくおもわれました。坊守様との会話が楽しく、初対面(?)電話ということも忘れておしゃべりをさせていただきました。
難しい時代であることは間違いないようですが、お若い方たちのパワーが、また新しい伝道の在り方を披いて下さることでしょう。お若い方にも導かれ、仏法が広まることが、楽しみです。(7.27)
「初参式」
遠方に住む長女が無事、二人目の出産をしました。孫の中、初めての女の子です。
遠方なので上の孫も初参式を頂いていませんでした。今回二人そろって、おじいちゃんの住職に本堂で初参式を上げて頂きました。
産まれて間もない小さな手にお念珠をかけていただきました。小さな手が、これから大きくなって、沢山の人を助けてあげれますように…手を合わせお念仏申せる人になって下さいと…ジジ、ババからの願いです。(7.21)
⁂今年予定の蓮仏教婦人会秋法座ではコロナの関係で「初参式」が中止となりました。毎年、可愛い赤ちゃんが本堂に参ってこられたのに、とても残念です。来年は「初参式」が行えますように念じています。
「コロナ時代の葬儀について」
先日ご門徒さんのお葬儀がありました。
ご遺族からの要望で「家族葬」ということでしたが、私も出勤してほしいと仰って下さったので、参らせていただきました。
本当に遺族のかただけでした。それでも、孫、ひい孫と揃って25人くらいでしょうか…。
温厚で人に優しい方でした。それだけに、ご近所の方の中にもお別れを言いたかった人はおられたでしょう。
「コロナと共に生きる生活」を模索しながら動く世の中になっています。コロナ時代の葬儀の在り方も少人数だけの「家族葬」が定着しそうです。
「遺族代表挨拶」「弔電」などがなくなった時間は故人を偲んでスライドショーがあります。思いでの写真を流してもらい、遺族で懐かしむのです。葬儀が内に向けての哀しみだけの場になりました。
本来人間は「死んだら」終わりではなく、死んだあとのお仕事があります。後の人を仏に導くーそれは故人にしか成すことができない、大きな仏様としての仕事です。だから、ご縁ある方の葬儀は哀しみだけではない、言葉にするには難しいのですが、とても有難い安らいだ気持ちもあります。「この方に導かれて、しばしの間お別れですが、またお浄土で会えますね」という気持ちです。この気持ちをお伝えしたいのですが…本当に難しくなりました。(7.18)
「孫に手を引かれて」
里帰り出産のため、2歳9か月の孫と嫁いだ娘が帰省しております。日に日に大きくなる(と…勝手に思っています)娘のお腹と、孫のお腹…Oh…
子供の成長を肌で感じ、自身の体の衰えを感じながらも、楽しい時間を頂いています。
こちらでの孫の日課に、朝起きて、御内仏にお礼するのが加わりました。
朝ごはんの用意をし終えた頃、孫たちが起きてきます。それから朝の野菜ジュースを飲んで、頭がスッキリしたところで、お内仏に向かいお勤です。時には朝の準備が終わらずゴソゴソしていると、孫がわたしの手を取り、お内仏まで引っ張っていきます。習慣とはすごいものだなと感心します。
孫に手を引かれ、仏様に導かれている…あべこべの様ですが、何処にも我が善知識様がおわしますことは、本当に幸せだと思います。(7.13)
「災害のこと」
令和2年7月九州豪雨災害は今も心配のただ中です。被災された方々の健康を案じ、また、未だに捜索中の方が一刻も早く探し出されることをお念じ申し上げるばかりです。
毎年のように雨や風による大きな災害が起こり、自然の前には無力な人間を、いやというほど思わせられます。
ちょうど2年前になります。こちら中国地方でも大洪水がおこり、山口県でも被害がでました。同じ時期の7月だったと思います。山口別院からの呼びかけで、災害ボランティアを募集していたので、住職にお願いして参加させてもらうことにしました。当時はまだコロナ騒動もなかったのですが、熱中症が報道を賑わしていた頃です。大き目のリュックサックを購入したり、熱中症対策グッズを揃えて7月末に出発!
当然山口県の全ケ寺に呼びかけられていたので、若い僧侶の方がたくさんおられるだろう、私みたいなおばちゃんは足手まといにならないよう気を付けないと…と思っていました。参加者は3人( ^ω^)・・・。それと別院の先生二人でした。そんなわけで、戦力の一員に思ってもらえたことが、少しだけ嬉しかったです。
家に入り込んだ土砂をかきだし、土嚢袋に入れる作業でした。水に浸かった家財道具、畳、大きな柱等、全てゴミ置き場にやられてしまいました。大切な思い出の品々だったのだろうな…と振り返ると思います。
毎年、繰り返される災害に、毎年、思い出します。(7.9)
「夏用マスク製作がんばるぞ!」
ご主人の月命日に納骨堂にお参り下さるMさん。納骨堂と本堂は離れた場所にあるのですが、坂を上がってこられ必ず本堂にお礼参りして帰られます。
いつもお会いできるわけではないのですが、参られた印に小さなメモを残し、マスクをお持ち下さいます。
コロナ騒動でマスクが手に入らなくなった時から、本堂に数枚、手作りマスクを置くようになりました。参ってこられた方に、コロナでお茶も差し上げられないので、せめてお持ちください…との気持ちもあります。
コロナが収まりつつあり、マスクも出回ってきた頃から、私の手作りマスクの需要が減り、籠に置かれたままになってくることが多くなりました。マスク不足が解消され嬉しい事ですが、それはそれで、少し寂しい気持ちです。
そんな中、Mさんはいつものように参ってこられ、「今日もお寺に参られた印に、マスクを頂いて帰ります。」とあり、とても嬉しかったです。
マスク製作意欲を失くしていましたが、Mさんが頂いて下さるので、夏用マスク製作がんばります!
どうぞ、おまいりの方も、必要に応じてお持ちくださいね。(7.3)
「父の忘れ形見」
前住職の父が残してくれたものは沢山あります。その中の一つに、石垣に植えてくれたツツジの花たちです。今もその季節になると咲いて楽しませてくれます。
宝林寺の境内は狭く、お庭と呼べるようなものはありません。ですが、本堂を出ると広々とした小野湖畔が目に飛び込んできます。小野湖の自然を取り囲んで、美しい山々が我が庭です。これも小高い場所にある本堂だからでしょう。殺風景な石垣に、ツツジを植えてくれ、そのツツジが周りの景色に溶け込んでいます。
前住職はもう往生して今生で遇うことはできませんが、こうしてツツジの咲くころに、改めて父を懐かしく想います。(7.1)
「6月の花火」
里帰り出産に伴い帰省した孫に花火を買ってきました。夜になって暗くなると眠ってしまうからと、無理やり明るい夕暮れにしました。当然のこと線香花火など、小さな花火の光は見え辛かったです。
6月の花火は少し早すぎましたね。
夕暮れの花火は寂しいです。
花火はあたりが暗ければ暗いほど、美しい光を見せてくれます。なんだか底なし人間の煩悩のようですね。美しい光は仏様です。私の心が真っ暗な時、仏様の光だけが輝いて見えるのでしょう。(6.28)
「ライオンの親子」
台所にはいろいろな動物の親子を写したカレンダーが掛けてあります。キリン、像、ラッコ、白熊など等…。象の親子は子供が親から離れないよう、母親の足にくっついている写真です。きつねは数匹の子供が一斉におっぱいを加えて母親の体に埋もれている中、母キツネは襲われないか周りを警戒して、鋭いまなざしをしてこちらを見ています。キリンは同じ方向を向いて空を眺めています。
そうそう、それぞれの動物の親子はこんな感じ…と納得しながら眺めていました。
ふと、ライオンの親子が目に止まりました。子ライオンは親ライオンを真剣な眼差しで見上げています。親ライオンは後ろ姿ですが、厳しい顔で何かをさとしているようです。
ライオンは子供が産まれてしばらくすると、渓から突き落とし、そこから這い上がってこれた者だけを育てる、と聞いたことがあります。(真かウソか?)自然界において一人、いや一匹で生きていかなければならない厳しい現実の中で、生きていく者だけが淘汰されるようです。どの親も子供を一人前に育てるのに必死です。
どこまでも厳しい自然界、その中に人間も含まれ生きているのです。最終的には辛い、一人ぼっちの人生を歩いていかなければなりません。仏様はその私を哀れみ、ここにおるぞと呼び続けて下さいます。(6.24)
「心のビタミン」
昨日、母が本堂前のプランタンに夏のお花たちを植え替えてくれました。まだコルセット着用中ですが、随分と元気になってくれました。
赤、橙、黄色の花たちが勢揃いして、殺風景だった本堂前が賑やかになりました。私がこの時期好きな花の色は黄色です。黄色の花を見ると元気が出てきます。暑い夏であるからこそ、それに負けない光の色です。(と、勝手に思っています)
其の季節ごとに、様々な種類の花たちが、目を楽しませ、心を和ませてくれます。
花はしゃべりませんが、見ているだけで心を満たしてくれる心のビタミンですね。(6.17)
「無常ということ」
長女が二人目の出産のために帰省しています。そのため孫は今、小野保育園に通わせて頂いています。
大きくなりました。ついこの前までは意志の疎通が難しかったのに…今は自分の意志や欲求を表現しています。月日が経つことで、成長している孫の姿に、これも無常と、一つとして変わらない物はない「無常の理」を教えてもらいます。
保育園から元気で帰宅した孫を迎えるひいばあちゃん(私の母親)と並んでアイスキャンディーを食べています。そんな姿を見るにつけ「母もこの子の様に、子供の時があったよね…」と思います。
無常を切り取ったような、一つの場面を眺めながら、冷たいアイスを頬張る二人を微笑ましく見つめています。(6.13)
「あれから…」
今日は法事が重なってしまいましたので、私もお参りさせて頂きます。久々の法事です。
今日のお家には男の子がおられます。まだその子が小さかった時、一緒にお勤めしてくれました。勿論字が読めませんので、「ふにゃふにゃ」口真似してくれているだけですが…。
勤め終わった時「僕、上手にお勤めできたね」と申し上げると「この子はお坊さんとお経がすきなのです」と親御さんに教えて頂きました。
あれから…この小さかったお坊さん好きの男の子は中学生らいいです。今でも一緒にお勤めして下さるかしら・・・今日お参りするのが楽しみです。(6.7)
「もう、ひまわり?」
昨日JAグリーンコープに仏花を買いに行きました。暑くなる時期、お花がすぐに枯れてしまいます( ^ω^)・・・。
本堂の阿弥陀様にお供えし、朝の勤行の時に住職が「もうひまわり?」と驚いた様子。わたしの行くお店には季節を先取りした花が沢山なので、別段驚きもしなかったのですが、言われてみると確かにこれは驚くべきことです!
ひまわりは真夏の景色にあるものでした。夏休みの宿題に追われ、うちわを片手に机に向かい…と、窓の外には真っ黄色のひまわりがこちらを見ている。ひまわりの顔は「それごらん、早く宿題をしないと夏が終わってしまうよ」と呟いているようでした。ひまわりを見ると宿題に追われていたあの頃が思い起こされます。
今の、私の宿題…もう済みましたかね?…まだまだこれからです。(6.3)
「最近嬉しかったこと」
末娘が高校を卒業し、自身の部屋の片づけをしていた時です。クリーニングした比較的綺麗な小学校の制服が出てきました。末娘は小学校高学年になって、グンと背丈が伸びました。それで小学校の6年生の時、制服を新調したものです。まだ十分着れそうななくらいのもので、もったいないから誰か貰っていただけないかなあ…と、部屋の片隅で最登板を待っていた制服です。
幸いピアノの生徒さんの親御さんが頂いて下さいました。数年は経っていたと思います。差し上げたことをすっかり忘れていました。
それからまた数年たち、新しい生徒さんの親御さんが「○○さんから制服のお下がりをいただきました。名前入りで、なんと先生のお子さんのお名前でした!」と報告下さいました。聞いたときは私も驚きました。と同時に本当にうれしかったです。お下がりのお下がりを貰って下さった。と、言うことは最初に差し上げた方が大切に着て下さって、次の方に渡して下さったのですね。そして巡りて私の元に嬉しい報告をもたらしてくれたのです。
「そんなことがあったね」と、本人すらも忘れていたことを、制服の名前は思い出させてくれました。
子育て時代は忙しくて、心に余裕がありませんでした。子供たちには詫びることばかりです。でも今振り返ってみて、子供たちから楽しいことを沢山もらいました。最登板の制服の様に、もう少し世間のお役に立つことができるかしら…。(5.28)
「お詫び申し上げます。」
先週月曜日に「動画で仏教讃歌を配信します」と、予定しておりました。ところが…このホームページ内では、ユーチューブ配信、Facebookなどからはコンタクトでき、配信できるのですが、ただの動画貼り付けは難しいようです。
ユーチューブやFacebookは不特定多数の方が見に来られるものなので、ちょっと躊躇します。
そのようなわけで「ごめんなさい」配信取りやめになりました。
コロナの緊急事態宣言が解除されました。まだまだこれからも気を引き締めての生活は続きます。が、7月くらいからボチボチ法座も開座出来たらなと住職と話しております。三密にならない法座のあり方を模索しながら、またお寺でお聴聞できることを念じております。(5.25)
「6月衣替えの前に」
はや5月も終わろうとしています。本当に早い!
昨年を振り返ってみると、義父の1周忌法事、末娘の結婚式末で新潟へ参り、お寺の各団体の総会、念仏奉仕団に参加等々…盛り沢山の行事に追われていました。
今年は法事以外はあまり人に会わず、それでも5月は終わろうとしています。
「何もしなくても、それでも充実した5月だったね」
忙しいとついつい日々の小さなことに気づかないで過ごしてしまうのですが…そう駆け足のマラソンランナーですが、ゆっくりとした散歩の中では色々な発見があります。
幸せの具材は沢山あるのに、その具材を上手に調理していないことが多いことに気づかされました。(調理しないままに腐らせてしまうこと)勿体ないことです。
6月が来る前に、沢山の具材を見つめ直して、衣替えをしたいと思います。(5.23)
「前髪ぱっつん!」
緊急事態宣言が解除されて、街を歩く人の流れが戻ってきたようです。私の暮らす小野には、三密の心配がないくらい人が歩いていません。でも、仕事、買い物、病院通い等々…生活する上で人との関わりをなくすことはできません。宣言が解除されても小野の風景は変わらず、人の往来も目立った変化はありません。とても恵まれた環境です。
それでも、国民のひとりとして、わたしも自粛生活をしていました。やっと晴れ晴れと仏花を買いに農協さんに参れます
ところで、髪の毛はコロナの心配をよそに、伸びるものですね。特に前髪…うっとおしいので切ることにしました。以前から、美容院に行くのが苦手で(待つ時間や仕上げてもらう間の時間が勿体ないと思うタイプの人間)カットは1000円カットに決めています。それすらも自粛、自前で五分で済みました。想像以上の出来で、住職にすぐに見破られました。前髪ぱっつん、これは笑えます。(5.19)
「母と娘と…ときどき師匠」
レンタル介護ベットの上の母が言うのです。
「母と子が反対になったみたいね」
そんなときの母の声は、ひ弱くて、いかにも頼りなさそうです。身体が弱って思うように動かない時は、特にそう思うのかもしれませんね。
「いいじゃん、時々私の子になってみても…」と、励ますのですが。
そんな時は昔の話や、分からないことを尋ねるのです。するとみるみるうちにしゃきっとして、声にも張りが戻ってきます。
反物を見つけたので、「住職の作務衣の作り方を教えてよ」と、母を師匠に作り方をコツコツ習っています。一枚の長い布から衣ができるのも凄いことです。和裁…というのでしょうか、その作り方には、布に対して全く無駄がなく、日本人の知恵の素晴らしさを思わせてくれます。
このまま、母に教えてもらわず仕舞いでいたら、なんとも勿体ないことだったか…そんなことが山の様に残っています。
よし、いいチャンスだ!母の無尽倉にも見える生活の知恵を本気で教わろう。
時には母として、時には娘として、そして最強の師匠として。これからもどうぞよろしくね。(5.15)
(⁂5月22日現在はお陰様で杖を忘れるくらい元気に回復しています)
「主婦力はかる万歩計」
一日に歩く理想的な歩数は8千歩から1万2千歩くらいだそうです。法座が軒並み中止の住職は運動不足解消のため朝の散歩を欠かしません(日中は草刈り、作物の水やり、掃除等々…それでも仕事には事欠きませんが…)
住職が万歩計をつけて測ったところ、おおよそ8千歩クリアしていました。住職は家にいることが多い私に「君は歩かないから2千歩くらいだろうな( ^ω^)・・・。試しにつけてみ」というのです。
それでは、と、一日つけて測ってみました。朝8時から夕方6時くらいまでの歩数がなんと7千歩…意表を突く数に「嘘だろう…」と住職。私も驚きました。と同時に「どうだ、主婦の家事運動量を見たか!」と、誇らしく(`・∀・´)エッヘン!!
こんなことをしながら、健康に気をつけ遊んでいます。(5.14)
「緊急事態宣言解除に向けて」
昨日、阿倍首相より、緊急事態宣言の解除に向けてのインタビューがありました。大型連休は三密を避けて「不要不急以外はお家で過ごそう」という、要請により80パーセントに近い国民が要請に従い、不要の外出を控えたということです。
この事に関して、海外からは「強要されない、罰則もない、国からの要請だけでみんなが守ろうとする日本人」に対して驚きと称賛の声が多数あるそうです。
私も国民のひとりとして嬉しいです。
さて、この連休の間にお家での過ごし方や遊び方に関して様々なユーチューブ配信がありました。特に話題となったのが、猫の家を、段ボールを使って戦車を作る「猫戦車」です。買い物にいけないので、宅配してもらうと、沢山の段ボールがたまってきます。それを使って創作し、猫と遊ぶのです。なんとも素敵な…楽しいおうち時間です。
私たちができることが「お家にいること」だとしたら、その時間を持て余すのではなく、工夫して楽しむ。そんな思考ができる人は素敵だなと思います。
まだまだ終息には至りませんが、今、自分ができることを一つ一つする。それが、昼夜を問わず働いて下さっている医療現場、福祉現場、政治、教育現場等々…方々へのせめてものお手助けとなるのですね。(5.8)
「鯉のぼりのこと」
4月12日より、朝の勤行が終わり鯉のぼりを上げることが住職の日課となっています。今年は一番見せたい孫たちにはコロナのため見てもらえず、それでも毎朝元気に、鯉のぼりは泳いでいます。
「空気を一杯吸って、空に泳ぐ鯉のぼりの姿を見るだけでも気持ちいいよね」鯉のぼりを上げ下げするだけでも手間がかかり大変なのに、住職は楽しそうです。
コロナのことで生活自体を見直すことをせざるを得なくなりました。これまでスーパーマーケットには必要な時、いつでも買いにでかけていました。作るより安い早いという理由で、安易に購買していました。
ある程度の要求はお金を出せば手に入るものという環境がありました。でも…。マスク一枚を探して右往左往している人(自身を含めて)を見せつけられました。困った人の心の弱みに入り込み、高額な値段で商品を吹っ掛ける。ネットでコロナ患者や、家族への誹謗中傷、それでも止めないわがままな人の姿、等々…追いつめられた時の人間の姿があまりにも哀しいです。
こんな姿を哀れみ、いたみ、かなしみ、泣き続けて下さっておられる如来様です。そのお心を感じながらも、自分可愛さから離れられないです。
今日は子供の日、大人も子どももみんな如来様のひとり子です。大空に泳ぐ鯉のぼりにありがとう。(5.5)
「マスクのこと」
未だに市販されている紙マスクは入手困難なようです。
先日、子供たち夫妻に手作りマスクを送りました。一番反応が良かったのが末娘でした。彼女は病院の看護師をしています。当然病院からマスクも支給されるから…と安心していましたが、そうでもないようです。送ったマスクを大変重宝してくれているようで、「またマスクを送ってね」と言ってくれて嬉しかったです。
ケアマネージャーをしている友達にもマスクを送りますと、同じような反応が返ってきました。仕事で使ってくれているそうです。すぐに追加のマスクを作って送りました。
病院や介護の現場で働く人には当然マスクが行き渡っているものと、勝手に思い込んでいました。とんでもないことでした。病人や高齢者といった、感染すると命の危険リスクの高い人達に接することが多い方々に、最優先でせめてもマスクくらいは十分に行く届いて欲しいです。だって、自らの感染リスクも高い中、第一線で仕事をしてくれている人達です。
今回の騒動で何もできない自分がもどかしいです。で、せいぜい限られた方たちの無事を念ずることくらいです。一日も早く平穏な日々でありますように。そしてまた、安心して法座が開けますように。(5.2)
「ありがとう」
私の母は4月5日にこけて圧迫骨折をして入院していました。当初1~2ヶ月の入院予定でしたが、24日で退院してきました。ここ数日は介護保険の申請、ケアマネージャーさんのお願い、介護ベットのレンタル等々…。母が安全に過ごせるには障害がある昔造りの母の家です。
当初の予定より退院が早まったのは、やはりコロナに関係しているように思われます。院内感染をさせないために、少しでも早く、元気になった患者さんには退院してもらう。また、ウイルス患者の受け入れのためのベット数を確保するための協力方針がとられているのだと思います。
報道されているようなことが、病院に通っているとよくわかります。(母の入院中は面会謝絶。洗濯物の受け渡しのみでした)
まず、病院の玄関でサーモグラフで検温され、額に体温計を当てられ、やっと関所をくぐり抜けて受付の窓口で洗濯物交換のお願いを申請します。入院階のナースが降りてこられ、入院中の様子を話して下さり洗濯物を受け取るという仕組みです。家族には不便で、母の心配もあります。
しかし、本当に心配が多いのは先生、ナース、病院のスタッフの皆さんです。
厳戒態勢の中、患者さんに多く接することを禁じられ、ナース本来の仕事は最低限の関わりの中でこなさなければなりません。自身にもウイルスの危険が身近に及んでいます。今はそういう時なのです。
医療従事者の皆さんに本当に頭が下がります。それ以外にも宅配の方々、役所の方々、スーパーマーケットのレジの方々…数えれば限りない方々が、危険と隣り合わせの中、お仕事をしてくださっています。
そんなことが、今さらのように思えるのです。(4.28)
「近日公開予定!」
法座が開座しにくくなった今日です。また、いつ再開できるかも見通しの立ちにくい今日です。
「動画で住職の3分間法話をホームページに貼り付けたら、法話を聴きたい方が聴いて下さるかなあ」
と、いうことで、住職と準備する事になりました。
どうぞよろしくお願いいたします。(4.24)
「それでも4月は忙しい」
コロナウイルスの影響で、自宅で自粛生活を余儀なくされておられる方が多いと思います。家でテレワークや、子供たちは学校から出された宿題をしたり等々…幾分かはスローライフになったようではありますが、それでもやることはあります。
お寺も法座や研修会が全て中止となり(別院、宇部北組も)すこしは緩やかな生活ペースになるかなと…思っていましたが、いやいや、むしろ平時より忙しい4月です。
法事は平時と同じように勤めさせて頂けるのですが、遠方からは勿論帰ってこられず、家族だけの小さなものです。また、「お寺で法事をさせて下さい」と、言われる方も多く、法事用のお荘厳やお茶の準備をさせて頂きます。とても忙しいです。
でも「こんな時、法事が勤められるかと案じていましたが、お寺で勤めさせて頂けて気持ちが安堵しました」と清々しい顔で帰って行かれるところを見ると「ご縁に遇えてよかったな」と私も嬉しいです。
早く終息してほしいのですが、その間が外出できないつまらない日々ではありません。今だからこそできること、そしてコロナウイルスによって、命の儚さをより感じさせられることで、いよいよ仏様の願いに身をお任せする日々でありたいと思うのです。(4.12)
「法事のこと」
昨日義父の3回忌法事を、養福寺ご住職様にお勤め頂こました。コロナウイルスのため、神奈川県に住む義姉たちはご法事にお参りすることができませんでした。また、私の子供たち、孫たちも同様です。近くの妹夫妻が参ってくれて、少人数の法事となりました。
最近の葬儀は感染防止を考えて、家族だけでお見送りする葬儀が主流だそうです。また、法事も県内の僅かな人数、施主様だけが代表してお寺に参ってこられるパターンもあります。戦々恐々の中、皆さんがそれぞれ工夫して、法事を勤められています。
コロナウイルスで亡くなった方は葬儀もできなく、火葬された後、御骨が家族のもとに返されるそうです。
本当に寂しい今生のお別れです。
たまたま、法事を勤めることができたことに感謝しながら、法縁を繫いでいくことの意味を、今一度、考えさせられた昨日のご法事でした。(4.19)
「お寺の壁の塗りかえ工事」
足場組立の撤去が終わり、3日間かけての工事が無事終了しました。
そんなに劣化していると思わなかったのですが、塗り替える前と後を見させていただくと、一目瞭然でした。真新しい壁は太陽の光に照らされて白く反射して眩いくらいです。(壁は柔らかいアイボリーホワイト)
普段、気が付かないのですが、本当の色に照らしてみると、その劣化具合がよくわかります。
同じように、我が身も光を浴びると劣化の状態がさらけ出されるのでしょうかね( ^ω^)・・・。
何よりも、本当の光に照らされることで初めて知らされるのですね。
「おはずかしい」という言葉は光に遇ってこそ( ^ω^)・・・。(4.16)
「今日から再開!」
今日から小学校の新学期が始まります。と同時に「緊急事態宣言」が総理大臣から出されます。
折角の新学年なのに、新一年生を迎える心が晴れ晴れとしません。一生に一度の小学校入学式…なのにね。
子供たちは本当によく耐えています。
私のレッスン教室もお休みしていましたが、親御さんからの問い合わせで再開することにしました。が、本格的なレッスンはもう少し落ち着いてからでないとできません…と申し上げ、とりあえず短い時間で弾いてきた曲を聴かせてもらうということにしました。
大切な小野の宝である子供さんに何かあってはならないのです。消毒液、マスクはもちろんですが、窓を開けてできるだけお子さんに触れないこと。充分すぎるくらい気を付けても、足りないくらいです。
当たり前の日常がどんなに幸せなことかと、改めて感じることです。(4.7)
「今年の桜」
今年も桜満開の季節を迎えました。しかし、今年の花見は様子が違っています。コロナウイルス予防のため、賑やかなことは自粛ムード漂う今日です。
特に名のある花見の名所に行かなくても、お寺から見下ろす公園の桜は見事です。いつもここからお花を楽しませていただいております。
花たちは何も要望しなくても、時期が来ると花を咲かせ、人々の心を和ませてくれる。無言で微笑みかけてくれているようです。
ありがとう…ふと気付くとそこにいてくれるね。(4.5)
「一枚の葉書」
葉書が届きました。「感謝のはがき」とあり、送り主は福島県のKさんからでした。東北震災から9年目の街の復興状況をお知らせ下さり、同時に感謝をはがきの文に込めて町人の皆さんが企画されたものらしいです。
以前、本山発行の「めぐみ」の記事を見たのがきっかけです。復興の一助として、あまり布からわらじを作っておられる楢葉町のグループからの呼びかけでした。「あまり布」があれば送ってほしいとのことでした。
友人や寺の門徒さんに声を掛け、集まった布を数回、送らせていただきました。以後、時々(一年に一回~)、お電話や文通でご縁を繫いでくださっています。
樽葉町からの葉書には復興した建物、小学校の運動会、鮭漁の再開などの写真がありました。特に子供たちの運動会の写真は嬉しかったです。
「コロナウイルスに打ち勝つ」そんな言葉が聞こえてくる今日です。本当に今、まさにウイルスと人類との戦争なのだ…と、解説者の話です。
9年前から今日まで、「震災に負けない」と復興を推し進め、日本中の人が心を一つにしました。でも、その現実はまだまだです。
東北の震災復興は「勝つ」とか「負ける」の話ではなかったように思います。勿論、歯を食いしばって日常を取り戻されたかたもあったでしょう。でもいつも「あきらめ」があったように思います。自分ではどうしょうもないことを「明らかに見る」「あきらめ」それが静かな復興の原動力となっているように感じます。
多くの愛する人の命を飲み込んだ海ですが、「それでも海が好き」と仰っています。全てのものを破壊した自然の猛威が今、また、癒しの力となってくれています。
そんなことを一枚の葉書は教えてくれています。(3.31)
「お寺のマスク(めいどいん宝林寺)」
3月に予定していた永代経法要が休座になりました。連日の報道からコロナウイルス感染者が世界各地で広まり、パンデミックになっています。この状況からやむを得ない決断でした。
4月予定の御降誕生会も、3月22日の地区総代会で6月上旬に延期となりました。
地区総代会をするにあたり、消毒液やマスクを用意しました。消毒液は何とか入手できましたが、マスクはどこの店にも置いていません。
「無ければ作るか」と…ネットで作り方を検索して、白木綿で作成しました。
この白木綿は、今でこそあまり見なくなりましたが、昔は法事の御引きに必ず頂いておりました。僧侶の御着せ替えとして、この布で白衣や半襦袢を縫って身につけさせて頂いております。これまで頂いた白木綿を、前坊守が大切に保管しておいて、住職や私の衣を縫ってくれていました。
「皆さんからお布施して頂いた綿で、皆さんが必要とされるマスクになら使わせて頂いてもいいかな」と、その木綿でマスクを作りました。
ちょうど春のお彼岸、お墓にお参りされ、本堂に参ってこられます。その方々の中で必要とされる方に持って帰ってもらおうと、用意しました。
毎朝1時間、出来ない時は夜に作業します。裁縫は不得意ですのでせいぜい2枚作るのがやっとです。でもミシンが助けてくれますので、市販されている紙のマスクのようです。(自画自賛!)
本堂から入られたところの籠に常時5~10枚置いています。必要な方はどうぞお持ち下さいね。(3.24)
「お彼岸に」
春のお彼岸を待つかのように、oさんは逝ってしまわれました。毎回のご法座を欠かさず参って下さったお念仏者でした。
同じ年に御尊父様とご主人様を見送られ、25年の法事を4月に控えておられた矢先のことです。
彼女にはお子様がなく、電話を受けたときは「兄妹だけの家族で慎ましく送ってやりたい」とのことでした。
お通夜、葬儀の日は彼女のことを聞きつけたご近所、友人の方で沢山の方が参ってこられました。花を手向けられる皆さんがハンカチで目を拭っておられました。
命尽きた最後の葬儀の場で、大きな働きをされて、お浄土に還っていかれました。
確かなことはお念仏の中に彼女がましますということでした。(3.22)
「急ぐべきこと」
3月の行事の大半がコロナウイルス感染予防のため中止になりました。春法座、学校卒業式、山口教区坊守研修会など…それに乗っかかるように、私のピアノ教室とコーラス練習を見合わせています。
予定していたものがなくなる、拍子抜けした日々です。マスクでも作りましょう…と作り始めました。簡易ミシンと苦手な手縫い作業で、やっと一枚完成しました。22日の地区総代会にあわせて、地区の総代さん達に差し上げようという野望を立てていましたが…15枚…難しそうです。
早朝電話…やはりお葬儀のお知らせでした。ご催促されているような電話でした。
「この命、いつまでもあると思うことなかれ。急ぐことをはやくなせ」と言われているようでした。(3.17)
「3月11日に」
東北大震災から9年目。今年は新型コロナウイルスが世界的に流行り、震災の記念式典も縮小されてしまいました。それでもご遺族や関係者、友人、知人にとっては昨日のように、忘れられないことでしょう。
私は9年前のこの日、小野中学校の卒業式の伴奏を練習していました。(小野中学校は統合されて、今は厚東川中学校となりました。)テレビから飛び込んできた映像を食い入るように見ました。あの日のことが甦ってきます。
小野中学校の卒業生の答辞の中に、震災のことが触れてありました。そしてこうして卒業式を迎えることができることは、あたりまえではないんだという言葉が綴られてありました。
「卒業できなかった君に」という歌があります。一緒に卒業するはずだった君に贈る卒業式の歌です。
この歌を作られた方のインタビューを聞いたことがあります。「いつも少数の方の人に対して歌が届けばいいなと思って歌を、作っています。歌います。」優しい歌はこの人から生まれるのだなと思ったことです。
嬉しい時、楽しい時、その陰で見えない人が、悲しんでいないだろうか。涙を流していないだろうか。
3月11日はそんなことを想わせてくれる日です。(3.12)
「消毒液を求めて3千里( ^ω^)」
今日は宝林寺で宇部北組臨時役員会があります。数日前から消毒液を探していました…が、どこのお店にも置いてアリません。当然と言えば当然ですね。ネットには販売があります。しかし、ネット販売は使ったことがないので困っていました。
ところがです。病院の売店に置いてありました。勿論お一人様1個限り…さすが病院です!すこし高額ですが、背に腹は代えられない…すこしでも感染防止に役立つならと、一つ買いました。
試しに使ってみました。通常のアルコール消毒薬とは違って、手に優しいです。「これで効果あるのかな?」でも病院の売店を信じることにしました。
いろいろな方面で影響がでている今回のコロナウイルスです。でも今回の事で、微生物と呼ばれるウイルスの数が沢山、存在していることを実感しました。人間は自然界の頂点に偉そうに君臨しているけど、目にみえない小さなウイルスに翻弄されるくらい弱くて頼りないもの…もっと謙虚になりなさい、との警告かもしれませんね。(3.10)
「あっぱれ武勇伝!」
私には3才違いの妹がおります。その妹が手術入院をして、退院まであと1週間くらいです。元気な入院患者です。
その妹の手術前日はさすがに眠れず(3歳若い妹に先を越されたような感じ)、あれやこれや昔の事が思い出されます。
その昔、田んぼの苗植えに来ていた母を迎えに、二人してお寺の田んぼに歩いていきました(昔はお寺も田を作っていました)。妹は当時小学高学年だったと思います。止めてあった母の自転車の横でふざけ合っていたら、自転車が横転し、かごの中から母の財布が転げ落ちてしまいました。なんと田んぼの水を引くために作られた傍の小川に( ^ω^)・・・スローモーションビデオを見るかの様に母の財布は川に沈んで行きます。私はただ見入っていました。そこへ妹がジャバジャバと服のまま、川に突入。私の頭は真っ白になりました。「妹が死んでしまう」…思うと同時でした。素早くキャッチした財布を手に、ニコニコしながら上がってくる妹…まるで何もなかったかのように、濡れたスカートのすそを絞っています。
この妹の勇気と瞬発力のお陰で母の財布は無事で、叱られることもありませんでした。
でも…今もあの時の事を思い出すとヒヤッとします。もしあの川が深かったら、何かに足をとられて川から上がれなくなっていたら…。
妹の武勇伝、あっぱれな姿。忘れられない小さなころの思い出です。(3.6)
「2月のこと」
「2月は逃げる」本当に逃げていきましたね。はやかったです。2月は年度末の事務作業に追われていました。次年度に引き継ぐ報告書の整理など…山口教区、宇部北組坊守会の会長役もやっと終わります。役を受けてみて、やはりそれなりに大変でした。これまで、会を維持し繫いできて下さった方々を、有難く思えた2年間でした。
その上プライベートでもいろいろなことが重なってきました。自身の年齢のことを思わずにはいられない…本当に年はとりたくないなあ…でも老苦を垣間見ることで、生活の整理整頓を少しづつ始めました。
全世界的に懸案事項のコロナウイルス感染予防対策。ネット社会になり世界中のことを心配せざるを得ない状況に「この地球はどうなるの?」と…世界が狭くなりいいのか悪いのか…早い終息を念じるばかりです。(3.2)
「かえるの続報」
水道検診器の中に冬ごもりを決めた我が家のかえる、元気でおります。母と私が時々、顔を見に蓋を開けます。じっとして動きませんが、目だけはこちらを覗っています。「もうじき春が来るよ。君はここから出ていくのかな?」
土の色をしているので「つちがえる」の種類かなと思いました。でも「つちがえる」にしては大きい。とても堂々とした風格です。水道検診器の蓋を開けるたび、場所を移動しているのが面白いです。このゆったりとした動きで、小さな空間を移動しているのでしょうか。君の目線で、この世界はどんな風に見えているのでしょうね。
次に生まれてくるときは人間に…そして仏縁が結ばれますように、我が家のかえる君に…(2.27)
「日が昇る」
この時間の朝の光がとても美しいです。
静かにゆっくりと、周りのすべてに気を使いながら、朝が明けていく時間が好きです。
大きく息を吸って、朝、この日の始まりです。
すべてを包んでくれる光に感謝!
まだやれることが残されていることに感謝!(2.26)
「グリーフケアのこと」
同じ組内の前坊守様がご往生されました。満95歳でした。
20日にお知らせを受け、23日に門徒相によるお寺でのご葬儀でした。美しいご遺影は88歳の米寿のお祝いの時に撮られたものだそうです。先住職さまが63歳でご往生されてから、得度、教師資格を受けられ、また自動車の免許も(当時最高齢)得けられたとのこと…そのことをうかがうだけでも、本当に努力家の素晴らしい坊守様であられたことがわかります。
みなさんが坊守様を慕い、お寺のかなめであられたことが、
立派な門徒葬からもうかがうことができました。悲しいお別れでした。
「グリーフケア」という言葉をテレビのドラマ「アライブ」から知りました。
「親しい人との死別を悲しむ人に寄り添いからながら、その悲しみから立ち直らせること」とあります。3つのポイント「1.悲しみを共有」「2.哀しみを表現させる」「3.葬儀を行う」ということです。
近年では死を病院で迎える人が多くなりましたが、昔は自宅で親しい方々に囲まれてお浄土に参られていました。その中でグリーフケアは遺族や近所の方がお互いの哀しみを言葉で表現できなくとも共有し合い、きちんと葬儀をすることで、その悲しみから立ち直ることができました。
今日ではグリーフケアという資格や教則本があるそうですが、昔の方たちは、そのことを頭ではなく心で感じ実践されていたのだなと思います。それも根底にはお念仏という仏様の智慧が働いてくださってのことだったのでしょう。(2.25)
「2月は逃げる」
早いです…もう2月もあと1週間となりました。この間、世界ではコロナウイルスのことが大きな問題となり、今もって終息の声が聞けない状態です。それどころかまだまだウイルスの勢力は増しているということです。3月の山口別院での研修会行事は全て取りやめとなりました。ほんとうに一刻も早く終息してほしいですね。
一個人ができることは、不要の外出を控え、睡眠、栄養を養うことです。あと手洗い、うがいもこまめにするということです。
しかし…あっけないものです。新聞で〇〇人がウイルス感染。死者○○人と…毎日のように亡くなっています。その数だけ、その人の人生があるのに、いつしか数としか見れなくなり「まあ大変ね」と他人事になりつつあるのが怖いです。
2月は逃げる…コロナウイルスも一刻も早くどこぞへ逃げて下さい。(2.23)
「消すに消せない( ^ω^)・・・」
このコーナーを始めてから6年目となるのです。毎回読んで頂き本当にありがとうございます。
写真の容量が一杯になり、平成27年度を消せば、その分また新しい写真がアップできるかなと思いました。
いざ、その年度を見返していますと、その時々の写真には当時の方や、風景など、懐かしい…これを消去したら本当に見ることができないな…と、消すに消せないでいる状態です。しばらく写真無しで通信をさせて下さい。
さて数日間、通信をお休みしていました。2月はお寺の法座は常例法座だけで、あとは法事などがあるだけです。比較的時間がとりやすい…と思いきや、いやいや今年はそうでもありませんでした。年度替わりに向けての各種、会議や、それに向けての資料作成(ファイル整理が苦手)等々…パソコンとにらめっこです。通信機器が発達して便利なのか、そうでないのか…天秤にかけるところです😥
地区では「人権大会」別院では「同宗連による人権・同和問題に取り組む研修会」があり、参加してきました。
ネット社会を駆使した嫌がらせなどの問題が新たに起きていることなど…人間はどこに行きつくのでしょうかね。
(2.19)
「日曜日」
2月11日の建国記念日に忘れられない思い出があります。京都を離れ、本格的に山口に帰郷した年。その年の建国記念日に「小野で平原岳に登ろう」という企画があり参加しました。長男は4歳、長女は2歳。二人を連れておにぎりのお弁当を持ち、登ること1時間弱。山上から遠くに海が見え感動しました。長女は最年少で登山した記録を頂きました(当時)。薄っすらと雪が残るところもあって…心配しながらも無事たどり着いた時、始めはなんで登ろうなんて考えたのだろう…と思っていたことがイッペンに飛んで清々しい気持ちになりました。
子供たちの幼い頃のことをあれやこれやと思い返すことがあります。この子育てでよかったのだろうかと考えることもあります。寺の生活はプライベートな時間が曖昧ですから、家族旅行も少なかったように思います。でも、あの時はそれなりに精一杯でした。
今もあるようでない日曜日です。(2.12)
「まあるい死」
昨日の午後から山口教区ビハーラ研修会があり、鳥取県から徳永進先生のお話を伺うことができました。先生は「野の花診療所」の院長をされていて、ホスピスケアを行う診療所です。
1948年生まれの74歳…医者として数多くの方をみとってこられた、その個々の事象の「死」を通して感じられたことをお話しくださいました。
聞かせていただく中でふと、住職から聞いた話で、信楽先生(元龍谷大学学長、広島のお寺の住職)のことが思いだされました。信楽先生のお父様とそれを看取られる友のお医者様との会話です。その場におられた信楽先生は「大らかな死の受容」と表現されていました。
徳永先生は患者に「寄り添う」という言葉でなく「そばにいるね」という表現をされました。「寄り添う」ことなんておこがましくて、できない。「死」と向き合っておられる患者さんはとても敏感です。病室に見舞う時も、「体と心」を運ぶことの難しさも教えて下さいました。
余談ですが、先生…鉄腕アトムの「お茶の水博士」の髪とひげをとった実写版…?(2.9)
「朝の挨拶」
いつもホームページを見てくれている友達が、私の更新がないと心配してくれるのです。
「おはよう、元気?」この挨拶は友達が住み慣れた山口を離れて、娘さんと生活を始めたときからです。「元気だよ」( ^ω^)・・・いつも決まって同じ会話です。でもいつも決まって「元気だよ」と報告することができることは、本当に幸せなことです。僅かな時間の朝の会話です。でもそのわずかな時間が「一日頑張ろう!」と思わせてくれます。
今、地球では何か大変なことが起こっています。温暖化の影響で自然は壊されていくし、中国からはウイルスが発生して人間の手に負えないくらいの猛威を奮っています。これまで自然に対して人間がしてきた行為が、どこかで間違っていたのでしょうか。
今朝も当たり前に「おはよう」と挨拶できること、でも、当たり前でない朝を有難く思うのです。(2.5)
「かえるの隠れ家」
母の家の水道管が調子が悪いと、水道メーターを検査して下さった方が教えて下さいました。
メーターの蓋を開けてみると中にはかえる!じっとして動かないから心配していたら「私は生きてます」とでも言わんばかりに、身体をこちらに向けて目があってしまいました。
野生熊もこの暖冬で深い眠りにつけず、冬眠しようとしても直ぐに目がさめてしまうらしい。そんなことをTVで言ってたよと母が教えてくれた。このかえるもそうなのかしら?カエルは冬眠する?
そもそもこのかえる、どこから入ったのだろう。うえの蓋は鉄で重たく、密閉されている。中を見回していたら、水が通る程の穴を見つけて…安心しました。この管を登って来たのね。しかし、ここを隠れ家にするとは…。
母曰く「寒いだろうから果物の下に敷いてある木くずを敷いてやろうかね」
お寺にお参りがあるからと、準備でせわしくしていたところ、この言葉で一気に気が抜けました。( ^ω^)・・・1/30)
「仏具について」
お仏華を入れた後、必ず確認することがあります。自分ではこれで良しと、入れたお花ですが、本堂から見るとなんか違う…ということが多いので、本堂から仏華をチエックします。その後、余間に上がり後ろからもチエック。よく入った時のお仏花は後ろ姿も安定しています。その折に飛び込んでくるお名前があります。この花瓶(かひん)をご寄付下さった3名のご婦人の名前です。そのほかにも寄贈下さった仏具にはお名前がはいっています。
この花瓶は京都参拝の記念に、3名の方が買って下さったもののようです。もうずいぶん昔です。
宝林寺はその昔、2度の火事に見舞われました。大方の物が消失しました。祖母は御本尊と聖人、伝師様をはずし、布にくるんで大火事を免れたそうです。ご苦労の多い如来様だったことを幾度となく聞かされました。
仮の本堂が建った時、お仏具が何もないので周りのお寺様が使わないお仏具を分けて下さったそうです。それで宝林寺には片方だけの仏具もあります。
一対の立派な花瓶に仏花をいけることができる…その時の祖母や母の思いはどんなものだったかと想像します。
仏具の一つ一つから、ご往生されたご門徒さんも見守って下さっているようです。(1.28)
「お見舞い」
暮れから気になっていたご門徒さん、近所の方のお見舞いに、報恩講が一息ついた住職と行きました(住職は今週末の報恩講出講で概ね終わり)まずは伊佐の市立病院です。すでに退院されていたので、ご自宅まで行ってみました。お元気そうに玄関まで出て来て下さったので、安心しました。
次は宇部医大です。ご門徒さんが手術をされ入院中です。午後2時の面会時間を待って、病室にお訪ねしました。病状経過を聴き、安心しました。また近所の方も同病院に入院しておられるので見舞いさせてもらいました。
今回はみなさん元気になられて、自宅に帰ってこられるような方々でした。そんなときのお見舞いは気持ちが軽く、見舞ってよかったなと思います。でも逆の場合はなんともいえない、暗く重苦しい気持ちになります。
何を話せばいいんだろう…そんな時は患者さんが気を遣って、自身の病状を話はじめられます。「患者さんに気を遣わせている」ことが申し訳なく思います。「見舞いのプロ」にはなかなかなれません。(1.23)
「 親 」
義姉たちに最近とった写真を送って下さいとお願いしていました。やっと届いたので今日、義母に見せてあげよう。
義母の最近の写真を送ってあげたら「顔の表情が乏しくなって驚いています」という返事をもらいました。確かに、寝た切りになってからの数月間、反応が鈍いなと…心配しています。でもこれが老化なのかとも…。
いつも見舞いに行くと、しばらくは反応が乏しく、目の焦点が合わないのです。でも親ですね。息子や、姉たちの話をしてあげると、ぴくっとして、うんと頷いてくれます。さっそく義姉たちに最近の写真を送って下さいと頼みました。
義姉たちや、その家族の写真も送ってくれました。これを見ると、元気になってくれそうな義母の顔が浮かんできました。親ですね。自分の一日のこと、何を食べ、いつお風呂に入れてもらったか。どんな人がお掃除をしてくれたか等々…覚えていません。でも子供たちの事はいつも心にあるようです。
日々の生活に追われ、親の事を忘れていることもしばしばあります。でも親は忘れませんね。一番大切なものなのでしょう。自分と同じように、いやそれ以上のものなのかもしれませんね。
「如来大悲の恩徳は」「身を粉にしても報ずべし」…報ずることができないからこその「恩徳讃」なのかなと、思うのです。(1.17 )
「浄念寺様報恩講」
宝林寺は12月に報恩講法要を終えています。御正忌にはどことなく寂しいおもいがしましたので、浄念寺さまの報恩講に参らせていただきました。14日から16日(ご満座)まで勤まります。
午後からのお勤めは「正信念仏偈」の音楽法要でした。その前に浄念寺さまでコーラスをされているので、仏教讃歌を聞かせて頂きました。美しいハーモニーが堂内に響き渡りました。
ご講師は九州からお越しでした。ちょうど「お荘厳」についてお説教下さいました。その中、お浄土の相がそのままお荘厳されているのが本堂の内陣で、御燈明、お香、仏華などはすべて浄土の相を表してくださっています。そして浄土には妙なる美しい音楽が常に響き渡っているとのこと。この世で聞く音楽でも、その美しさに時に感動して心が揺れることがあります。ですから「お浄土の妙なる響き」どんなに美しいものなのでしょう…それだけでもお浄土に興味がわいてきませんか?
私のために仏様はあの手この手で、浄土におさめとる手立てを施して下さっています。そして「念仏のみぞまこと」と教えて下さった親鸞聖人の御恩に「お念仏申す」ことで報恩させて頂く。有難いご縁を結んで下さった浄念寺さまに感謝です。(1.16)
「プロフェッショナル」
昨日、横浜と山口の実家を行き来されているMさんから、納骨堂にお参りさせてくださいとのことで、お茶を用意して待っていました。お参り後、お茶でいろいろとお話していたら12時を回ってしましました。
Mさんの予定がわからなかったので、お昼も用意していませんでしたので…この後の予定をお聞きして、お昼を近くの食堂でご一緒することにしました。
さすが連休の中、お店は一杯でした。予約を済ませ、外で待ちました。待機用の長椅子が4ツ用意されていてその一つに座ろうとした時のことです。足の不自由なお婆さんとその家族の人も椅子で待機しようとした時、Mさんはさり気なく「どちらの椅子が座りやすいですか?」と…。背もたれがついた椅子と、背もたれが付かない椅子のことを尋ねられたのです。
そうか…Mさんはケアマネージャーの仕事をされているのだった…。同じ場面にいても、ご老人、不自由な体の人が目に飛び込んでくるのでしょうね。
お寺で話を伺っていた時は細かいことはいちいち気にしない、穏やかで、大らかな人だなと感じました。でも、ご老人に対する気遣いは半端ないものでした。これぞプロフェッショナル!Mさんを頼もしく(誇らしく)感じました。(1.13)
「如来様のお仕事」
昨日は前日葬儀の後の礼参に来て下さいました。布教で不在の住職の代わりに私がお勤めをさせて頂きました。お勤めが終わりお斎を頂きながらいろいろと話を聞かせて頂きました。
普段ですと、亡き方の思い出話など…しんみりする場面も多いのですが、昨日は2歳の曾孫さんのおかげもあってか、笑顔が沢山の時間となりました。
おじいちゃんは曾孫さんまでお寺に連れて来て下さいました。
「お寺をあずかるものは如来様のお仕事の邪魔をしない」
こうしてなき方を偲び、その別れをご縁として参って下さった如来様の客人に、心を込めてお接待させていただく…しかできない私です。
どうか、このご縁がお聴聞を始められる縁となりますよう…お若い人達に念ずるばかりです。(1.9)
「義母に届いた年賀状」
義母に2通の年賀状が届きました。一枚は昔お世話になったお友達、もう一枚は神奈川にいる義姉さんからでした。義母に年賀状を届けにお世話になっている施設に参りました。
義母のようにお正月でも家に帰れない施設のお年寄りの方がたくさんおられました。また、お正月だからと、施設のショートステイに泊まっておられる方もあります。職員さん達は交代で平日もお正月も無しでお世話して下さいます。本当に有難いと思います。面会が終わり、帰る時はエレベーターまで見送りして下さり「有り難うございました。」とお礼まで…。
「親を見てもらう立場の自分たちがお礼を言われては、何ともやりきれないな…。」と、住職。
義母の体の機能は、自然と少しづつ、草木が枯れていくように衰えていっています。仕方のないことですが、老苦のありようを私達に見せてくれています。しばらく話していると、こちらのことを思いだしてくれたのか、笑顔が浮かびます。その笑顔を見ると安心します。
一日のほとんどをベットで過ごす義母に「頑張って明日も生きよう」と、大きな声では言えないものがあります。でも「明日も生きていてほしい」それは私と住職の我欲ですが、義母がそこにいてくれるだけでいい、と思うのです。(1.6)
「今年もよろしくお願いします。」
今年も除夜の鐘を突きながら、聴きながら、新年を迎えました。大晦日の朝は寒くてどんよりしていましたが、徐々に穏やかなお天気になってきました。お陰で、沢山の方が鐘を突きに来て下さいました。
この行事を恒例にしてくれているお子達もいます。暗い夜がパッと賑やかに、光に満ちた新年が来るようです。一年に一度、参って下さる方もおられます。
過疎の寺行事、除夜の鐘突きも難しくなりつつあります。でも続けていれば、ふと思い出したように参って来てくれる方もあります。
ご縁を繫ぎとめてくれるお寺での行事のひとつひとつを、大切にしながら、仏様の声を戴いてまいりたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。(1.2)