「慰問ミニコンサート」
毎年24日のクリスマスイブに施設から慰問コンサートのお願いを受けるようになりました。昨年はコロナ禍の最中で、伺えないで心苦しかったのですが、それにも関わらず今年もお声を掛けて頂きました。
平日の金曜日、コロナが少し治まっているとはいえ、やはりいつもより緊張感がありました。
施設ではステージとの距離を作って頂き、利用者さんとのふれあいは一切なしです。
また、伺う人数もできるだけ少ない人数でした。
一番最初にお声を掛けて頂いたときは「私達は仏教徒で仏教讃歌を歌うグループですよ」と、申し上げたのですが、それでもかまわないとのことでしたので、イブの日に仏徳讃嘆の歌を歌わせていただきました。施設の利用者さん達はとても喜んで下さったことでホッとしました。
勿論、イエスさまも偉大な方で、尊敬申し上げております。
でも、わたしは如来様の大らかさが好きで、このみ教えに救われたことを有難く思っています。
イエス様のお誕生を祝うクリスマスをご縁として、このみ教えに出遇えたことを慶ばずにおれません。そんな一日を下さった施設の先生方にも…ありがとうございました。
⇒写真コーナークリックしてね(12.24)
「たわいもない話し…」
寒くなりましたね。
今朝の気温は0度…これからお取り越しのお参りに行きます。
運転で25分のところ、少し早かったのでいつもの場所で時間調整していました。
見慣れた車が、おや住職の車でした。
お互い少しずつ年を重ねてきて、車の運転も安全に、早め早めのゆとりを持って出ます。
5分前に到着、ご門徒さんが笑顔で出迎えて下さいました。
一緒にお勤め、御文章を頂き、配布の本や寺報をお渡しします。ざっくり35分。それからお家の方が、暖かいお茶を入れて持ってきてくださいます。
体調の事をお尋ねすると、あちらこちらの痛いところをお話しくださいます。私も負けじと肩の痛み、腰の痛みを話…痛み自慢の会話( ^ω^)・・・
私が年をとった分、ご門徒様も同じように年をとられます。いつまでたってもこの差はちじまりませんね。こればかりは、追いつけません。
たわいもない会話を今年もご門徒様とすることができました。たわいもないことが嬉しい今年のお取り越し報恩講です。(12.20)
「ライブがいいよね」
お説教はお寺の本堂に参って聞かせて頂くのがいいなあと思うのです。
コロナの影響で、法座もリモートで行わざるを得ない時がありました。今はコロナが収まりつつあるので、生(ライブ)のご法座を聞かせて頂く機会が増えました。嬉しいことです。
今はお取り越しのお参りの最中、なかなかご法縁に遇えません。そんな時はユーチューブ配信の法話を聴かせていただきます。でも…何か違う、どこか違うのです。
有名な布教使の先生の配信法話で、確かに有難いのですが( ^ω^)・・・
よく法話はご飯のようなものだと言われます。同じご飯の味、毎日食べても飽きない主食
それがご法話だと言われます。そういえば、同じ主食にできるパンがあります。でも、やはりパンばかりは飽きてしまい、ご飯が食べたくなります。
ユーチューブ配信とライブの法話とは、パンとご飯のようなものだなと思います。
(勿論パンが好きでパンを食べないと一日が始まらないという人は別です。)
どちらも炭水化物で主食になるものです。でも毎日食べて飽きないのはやはりご飯です。
本堂に座らせていただき、法話を聴かせていただく。何度、同じものを聞かせて頂いてもいいと思えるのです。美味しく有難いご飯の味は、食べてみないと分からないのですね(12.12)
「お取り越し報恩講」
今、お取り越しでご門徒様の家を回らせていただいています。
部屋をぬくぬく暖めて頂き、待っていて下さることが勿体なく思います。
お勤めが終わって、お茶を頂きながら雑談…この時間が楽しいのです。
「あっちこっちの体が痛い」これまではふむふむと聞く一方でしたが、今年の私は一味違います。還暦の声を聴いてから、身体の保証期間は過ぎましたと言わんばかりに、身体に変調が…。今は肩と腰がギシギシ音を立ててキリキリと痛みます。
これまでの分を取り返すように、「実は私もあちこちが痛くて、夜が眠れないのですよ」と、ご門徒様に返答、挨拶がわりみたいなものです。
ご門徒さんは「まあ、坊守もそんな年に( ^ω^)・・・」と仲間意識が生まれます。
「あちこちガタが来て、この歳になるまで生かさせてもらえてよかったですね」
この一言が心から頷け、有難く思われる、そんな今年のお取り越し報恩講です(12.7)
「忘れていても…」
あれ…気がつくと師走。もう一年が終わろうとする月になりました。
今年も、沢山の悲しみと出遇いました。お浄土の住人が沢山待っていて下さり、いよいよお浄土を近く思わさせていただきます。
金子みすゞさんの詩に「お仏壇」というのがあります。大好きな歌の一つです。
『 「お仏壇」
・・・
忘れていても仏さま いつも見ていて下さるの
・・・
黄金(きん)の御殿のようだけど これは小さなご門なの
いつも私がいい子なら いつか通ってゆけるのよ 』
私達にとってのお仏壇の意味を味わわせていただきます。小さな黄金の御殿はお浄土を表して下さるもの、そのご門には如来様がいつも待っていてくださり、見守って下さっています。ここでは子供さんに諭すように「いい子なら」とありますが、良い子も悪い子も…いや親鸞の聖人のお言葉からは、誰からも見放された悪い子、でもその子がお目当てと、誰もが通らせてもらえるご門なのです。
そんな私を見守り、傍にいて下さる仏様に「ありがと ありがと仏様」と頭を下げていくしかない世界を、みすゞさんの詩は教えて下さっています。私のためのお荘厳、御灯明は暗闇を照らす仏様の智慧、お花は限りある命を教えて下さる仏様の慈悲を表して下さっています。そこに座って、お礼のまねごとをさせていただくだけで、仏様の側で全て任せよと仰せです。勿体ない、かたじけないことです。(12.3)
「山口別院報恩講」
11月26日~28日まで、山口別院で報恩講が厳修されました。3日間とも午後から法要が営まれ、ご法座2席でした。
私はご満座の最終日にお参りさせて頂きました。お別院にご法座でお参りさせて頂くのは、実に1年ぶりかもしれません。
コロナ対応で人数も少なく、リモートで法座に遇えるように工夫がされていました。前日のこの時間はリモートで輪番さまのご法話を頂きました。
今日はライブです。ご講師の渓宏道先生は自坊でもご縁をいただいており、また他の機会でも何度もお聴聞させて頂いております。同じ内容のお話を何度かお聞かせいただきます。でも、何度聞いても有難い、涙が出ます(こんな時はマスクで顔を半分隠せているので有難い)どっぷりとご法義の法水を浴びて、大変有難かったです。
何がどう変わるとは言えないのですが、「このままでこいよ」と仰せの通り、如来様に導かれ、親鸞様のみあとを私も歩かせていただくのだなと思うと勿体なく、ただただ有難いです。今年もお別院の報恩講に遇うことができました、なんまんだぶ(11,29)
「 悲しみが光ってくる
それがよろこびだ(金子大栄)」
このお言葉を聞いて最初は分からなかった。悲しみが光るってどういうことなのか、悲しみとよろこびは同じなのか…。
よくお説教では
「渋柿の渋、甘みかな」と、人間の煩悩を渋柿の渋に例えて、太陽の光があたると渋柿が甘い干し柿になることを教えて頂きます。煩悩の渋はそのままで、お日様の光に照らされて甘い柿になるのだと…。渋があるほどより甘みも増すのだと。
私の悲しみもそれと同じだと金子先生は仰っています。悲しい時は真っ暗、暗闇です。その悲しみが光ってくる、それは光に照らされなければなりません。外からの光に遇うことで初めて輝いてくる…如来様の光に遇うことでその悲しみも輝き、超えていくことができるとおしえてくださっています。
このお言葉に出遇ったとき、静かに涙がこぼれました。私の悲しみを一人にしないと、如来様は寄り添い、光を照らし続けて下さっていたことが、かたじけないことでした。
泣きながら笑い、笑いながら歩く、そんな人生を如来様と歩かせていただくのですね。(11.26)
「 Mさまへ 」
宝林寺の報恩講が勤まり、今日までいろいろなことに忙殺されていました。「いそがしい」とは「心」を「亡ぼす」…昔、この漢字を考えた人は凄いなと思います。
そんな中、臨終の電話が入りました。臨終勤行を終え、通夜、葬儀です。久々に多くのお参りの方を見ました。コロナが落ち着いてきたのもありますが、故人のお人柄の為せることだと思います。
必要以外の事はあまりお話にならないけれど、お優しい気遣いの方でした。ご子息様の会葬御礼は、在りし日のお父様を思い出させ、心のこもったご挨拶でした。
次の日、お礼参りに来られ、ささやかな時間をお父様の思い出と共に過ごさせていただきました。日を追うごと、想い出の人になってしまわれたことに涙されることでしょう。でも「お浄土に参らせてもらったのだから…」と言われた奥様のお言葉に、逆に安らぎを感じたことです。
やがて参らせていただくお浄土に、その日が来るまでお別れです。本当にありがとうございました。なんまんだぶ… (11.18)
「報恩講の歌」
令和3年度の報恩講のを無事勤めることができました。まだ、コロナがどうなるか分からない中、今年は例年より2か月早いものでした。こんなにも暖かい報恩講は初めてです。
講師は中山和泉先生です。時間短縮の午前中2席だけの法話を頂きました。有難かったのは、聖人のご絵伝に添って早足ながらもお話しくださったことでした。
「下から上に」ご絵伝を拝みながらお話される先生の姿勢が有難かったです。
先生のお寺にホールステイされた外国の方のお話が心に残りました。
「浄土真宗はどうですか?」とお尋ねになった時、「無理のない教えですね」と答えられたとのことです。
これはとても嬉しい褒め言葉です。親鸞聖人がご苦労され他力本願の真髄を聴き開いてくださったからこそ、私たちが日常生活を送る中での信仰に、何の障害もなく適うことです。
特別な場所に行くでもない、特別なことをするでもない。如来様の家に住まわせていただき、毎日のご挨拶を如来様にさせて頂く…そんな姿を誰よりも親鸞聖人が喜んで下さっているのですね。そして一年に一度、聖人のご法事をご縁として、お念仏のお話を本堂で聞かせて頂いています。かたじけないことです。(11.4)
「静かな夜」
明日は令和3年度の報恩講が勤まります。春の永代経法要から開けなかった法座がやっと開座の運びとなりました。
今回もコロナ対応による半日法座で、お斎はお弁当のお持ち帰りです。それでも法要が開けるだけで嬉しいです。
いつもは前日、ご報謝の方によるお磨きやお斎の準備で門徒会館はにぎやかです。今回は寺族だけで、お餅つきの用意をさせて頂きました。また賑やかに皆さんとお磨きしたりお斎作りの準備ができるかしら…そんなことを思いながら、今回はさせて頂きました。
夜、御内陣の灯りを灯ながら、お荘厳の確認をします。この時間が一番好きです。
小さな田舎のお寺のこじんまりした御内陣、一つ一つのご報謝が荘厳という形となって現れていきます。美しいお浄土の世界です。
明日は、皆さんとお勤めし、お聴聞させて頂きます。(10.30)
「秋の道中パート2」
久しぶりの長女の家で、2日間を過ごすことになりました。二人の孫たちも成長し、上の子(3歳)は「ばーばと寝る」と言って2日間とも一緒に寝てくれました。
成長したなあと、感じることができ嬉しくなりました。
葬儀から帰ってきた娘に「どうだった?」と聞くと「私一人が泣いていて恥ずかしかったよ」と言いました。
ご両親や、ご主人は突然の事で「故人の死」を受けとめる間もなく、通夜、葬儀の日を迎えられたことでしょう。誰の葬儀をしているのかすらも本当には理解できないまま、儀式を勤められたことだと思います。想像するだけでも辛い悲しみが伝わります。
「○○ちゃん、葬儀で悲しむのは当たり前の事だよ…学生時代の大切な友人だものね」
友人の死を悼み、駆けつける娘の姿を見てホッとするものがありました。
無事、駅に着いたとき主人が待っていてくれました。この日はお説教だったのですが、そのまま迎えに来てくれていました。
無事、我が家に帰って思うことです。今回の旅は目的があっての事ですが、道を間違えずに行き、帰ることができたこと一つをとっても当たり前ではないことでした。新幹線に乗りさえすれば、最寄りの駅に着き、分からなければ、口があり尋ねることができる。目的の方向に歩いてくれる足がある。整えられた表示の親切なこと…。全てが新鮮で有難い旅でした。待ってくれる家と人がいての旅、無事帰れるところがあるから安心しておれます。(10.26)
「 秋の道中 」
秋が早足で深まって参りました。そんな朝のラインで兵庫県に嫁いだ長女から
「お母さん、こちらに留守番に来てくれない?」と連絡が入りました。娘の学生時代の友だちが急逝され、葬儀に会いたいからというものでした。他ではない事の相談に二つ返事で留守番にいくことにしました。
コロナ禍でここ2年くらいは県外にも出ていないし、外食もしていません。不特定の方が突然お参りされることもあり、私自身が極力、感染しないことに気を付けてきました
。多分、ほとんどのお寺の坊守様も同じだと思います。ですから久しぶりの新幹線です。
新幹線の状況は指定席は片席のみの利用で、ソーシャルディスタンスがきちんとなされていました。当然ながら人は多い、仕事に行く人は皆さん急ぎ足です。
メモを見ながら、上の案内板を目印にキョロキョロしながら進む姿は、誰が見ても田舎のお婆ちゃん。だからでしょうか、道がわからなくなると、親切に教えて下さいました。
やっと着いたときはお昼でした。心配そうに待っていてくれた娘と、孫に再会できました。(パート2に続く)(10.22)
「死は沈黙の遺言なり(佐世保別院)」
「沈黙の遺言」ときけば、重たいものに思えます。文字にしたためて、相手の思いをきちんと文章にしてくれていたなら、どんなにか心が軽くなっただろう…親しい人が往生したとき、想ったことです。
私がその場に臨んだとき、何を文字に残すだろう…と考えました。○○年間生かさせて頂いた中で、伝え残したい言葉…言い尽くせるでしょうか…
本当に大事なことは、言葉では言い尽くすことが難しいです。「有難う、あなたのお陰です」でも…言い足りない。
その場に必ず立つときが来ます。その時私はどんな遺言を残せるのでしょう?
「お念仏の人生、なんまんだぶつ」といただけたら、これ以上のものは無いような気がします。(10.12)
「 名無しの権兵衛 」
私は家庭で社会の中で、いろいろな呼び名をもらっています。夫には妻と、子供たちからは母さんと、ご門徒さんからは坊守さんと、友達からは○○ちゃんと…。
どの呼び名も正しく、嬉しいです。でも時々思います。自分は何者?と…一体、私は誰なのでしょうね…
「阿弥陀様は無明のわたしを呼んで下さる」とは瓜生先生(大谷大学)のお言葉です。
場所や処によって、呼び名がころころ変わるように、定まりのない私の心、このままだと、無明の闇に苦しみ続けなければならない私を、呼び続けて下さっていた阿弥陀様でした。
「生きる」という舞台をいつかは降りるときがきます。一人生まれ一人去っていく私です。そんな時も、「私にまかせなさい、いつも一緒ぞ」と呼び続けて下さる、全ての呼び名を返上しても「南無阿弥陀仏」と名乗りをあげ、ここにいるよと抱き続けて下さるのですね。かたじけなく。(10.7)
「喜劇王チャップリン」
「人は楽しいから笑うんじゃない
泣かないために笑うんだ」
喜劇王として世界を魅了したチャップリンの言葉です。
チャップリンに憧れてお笑いの世界を目指した人は多いようです。コロナでご往生された志村けんさんも、その一人でした。
泣かないために…この言葉はチャップリンの恵まれなかった幼少時代を思うと、より深い意味を感じさせます。
幼い頃、彼の両親は離婚し、そのことで父親は酒量が増え、死んでしまいます。また、歌手だった母親も心労から声を失い、パートやパントマイムで一家の家計を支えるも極貧から精神に異常をきたし、施設に…。残された子供たちは孤児院や貧民院を転々とするーこんな幼少時代をチャップリンは送りました。
泣かないで歯を食いしばって生きることが、彼にとっての笑いだったのでしょうか…。
「人生は苦なり」お釈迦様のお言葉です。
「よろずのことみなもって そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」は親鸞聖人のお言葉です。(『歎異抄』)
いつもは幸せ病という、薄いベールに覆われているこの世の事は、何かの逆縁でベールが剝がれたとき、すべて苦しみ悲しみの世界であったと気付かされます。
そんな時、生きていくために笑うしかない我が姿を、哀しみ、ともに泣いて下さっていたのは、なんまんだぶつの親様でした。
チャップリンの言葉を借りれば
「人は楽しいから笑うんじゃない。 泣いて下さる親様がいるから 笑うんだ…。」(10.1)
「お浄土で」
先日の28日に同じ組内の前坊守さまがご往生され、お葬儀がありました。行年91歳でした。
山口県は独自の蔓延防止期間を26日まで設けてありました。今回は組内のお寺様全ヶ寺に会葬のご案内を頂きました。
住職と葬儀に会わせて頂きました。
久しぶりに、沢山の僧侶のお勤めを頂きました。美しいお経の調べは、お浄土そのもののようです。有難いご葬儀でした。
前坊守様がご往生され、仏様となって私達に美しい浄土の声を聞かせて下さいました。これまでもこれからも、仏様のみ教えを弘めるべく「なんまんだぶつの声」となり、働き続けて下さるのですね。かたじけなく。(9.30)
「 白いお花たち 」
命日にお供えして下さいと、お友達から花のアレンジメントを頂きました。真っ白い胡蝶蘭と彼岸花、白菊とトルコ桔梗、おおきな白いカサブランカ…
明日までの彼岸に合わせて、白いお花たちが嬉しい。白い花は赤ほどのインパクトはないけれど、清楚でお浄土を想わせてくれるには相応しいお花だと、勝手に感じてしまいます。
真宗寺院だけでなく、各地のお寺様でお彼岸の行事が勧められ、明日で終えられる。沢山の方が、お寺やお墓にお参りをされ、亡き方を偲びながらお浄土へ思いを馳せて下さる。有難いです…やがて私も参らせていただきます。それまで少しだけ待っていてくださいね。(9.25)
「祐護院釈白道の一周忌」
お彼岸入りの前日19日の日に寺族でご法事を勤めました。
有縁の方にはいろいろと御心遣いをいただき、まことにありがとうございます。
仏前にお供えさせて頂きました。
当り日は26日です。
お彼岸の期間が終わり次の日にお浄土に還っていきました。お育て頂きありがとうございました。(9.20)
「 ようこそお参り下さいました 」
先日のこと、インスタでお知り合いになった若院様と前坊守様(正教寺)のお二人がお参り下さいました。
若院様と前坊守様はもちろん孫とおばあちゃんの関係です(厳密にいえば神奈川県に嫁がれた孫娘様のお婿様)。お二人の楽しい会話や、ご法義のお味わい、坊守としてのご体験談やお寺の在り方等々…気がつけばあっという間の2時間でした。
若々しい前坊守様の心惹かれるお話はこれからの私に、とても沢山の勇気を与えて下さいました。若院様も気さくでフレンドリーなお人柄、これからの宗門を背負っていかれるお方です。神奈川県に帰省されてからのご活躍もお念じしています。
お二人の様に、善幸くんと私もご法義を語り合えるようになるかしら…楽しみです。(9.13)
「 見守り隊」
地区には無線の放送が流れ、地区行事や緊急連絡が放送されます。その無線を使って、周りの独居老人のサポートとして、緊急の場合、近所の無線に非常用ブザーが鳴るようにされ、お寺は2軒の方の見守り隊になりました。
ちゃんとブザーが鳴った時、すぐに駆けつけられるだろうか…心配していたら、取り付けに来られた方が「このブザーが押せるようなら、救急車を呼んでおられます」と、言って下さいました。確かに…。
自分の意識がある時は、救急車や、見守りブザーを押したら助けが来る。でも意識が無くなったらどうなるのだろう…。
阿弥陀如来様の横からのお写真です。少し前のめりにいつでも動ける立ち姿です。阿弥陀如来様の立ち姿は有難く、しかも前に傾き、今、救わんとされているお姿です。
意識がなく自分の力ではどうしょうもできないとき、助けを呼ぶまえから、わたしを案じ、動いて下さっています。「なんまんだぶつ」ただひとつが、私にできるご報謝なのですね。かたじけなく。(8.27)
「今年もお盆参りが終わりました」
今年も無事お盆のお勤めを回らせていただきました。今年は猛暑もあり、7月の終わりからお勤めに回らせて頂いたお陰で、お盆の最中は住職が初盆や上げ法事のみで、ゆったりとしたお盆でした。
私は8月の一週目から、ボチボチ歩かせていただきました。
久々のご門徒さんとの会話に花が咲き、お勤め25分、お茶を頂きながらの会話2時間と( ^ω^)・・・いう家もありました。
ご門徒さんは優しく、なんとも居心地の良いものです。同じ親様を頂いていることの安らぎがあります。
宝林寺の宝は、如来様とご門徒様です。(8.14)
「つながるいのち」
ひさしぶりに仏教讃歌「つながるいのち」を遊び弾きしながら歌ってみました。この曲は山口別院音楽連盟20周年記念の時公募の詞に二階堂和美さん(ジブリ映画かぐやひめの主題歌を作られました)が曲をつけて下さり、二部合唱曲に作って下さったものです。なんと我が団の詩が選ばれ、美しいメロディーに乗せて、二階堂和美さんが歌って下さった記念のものです。
当初はメロディーが如何にも二階堂さん…という感じで、私が想像していた曲調とは異なるものでした。でも今、歌ってみると歌詞が有難く、旋律も心にすっと届いてくれます。
歌詞はわざと普段使わない古語で歌ってみました。その方が、意味を考えてもらえるかなと思ったからです。当初は「古臭いなあ」という意見もありましたが、「仏教は古くて新しい」歌い廃れていった歌もたくさんありますが、時代に左右されずに、歌い継がれていくことを…いや、私がお浄土に還った後も、時々思い出した時、歌ってもらえたらなあと…ちょっと贅沢なお願いかしら( ^ω^)・・・(8.4)
「 すいかの味 」
「中を割ってみんと分からんけど…」
と、言いながら、毎年畑で作られたすいかをお供えに持ってきて下さる、総代の三吉孝之さんです。今年は息子様がお寺の坂を登って運んでくださいました。
確かに立派で大きいです。毎年の頂くスイカは大きくてそれに見合った甘いお味、さすがです。今年も美味しいはずです。
ところで、私は新鮮な野菜や果物を見極めるのが下手です。贈り物に差し上げる果物などは、大抵お店の方に「どれが甘くて新鮮ですかね」と尋ね、教えて頂きます。さすがにプロの目利きで選んでいただくと間違いがありません(と、思っています)
私が選ぶときは、割って見てよい、よろしくないを初めて知らされます。
果物の良し悪しなら、「これは選ぶのに失敗したね」で済ませることができます。でも私の後生の一大事は失敗したねではすませられません。
お盆まいりもぼちぼち歩かせていただきます。間違いのないみ教えに遇わせて頂いたことを感謝申し上げながら、この道の目利き「親鸞聖人」にお尋ねしながらの日々です。(7.30)
「筋書きのない舞台」
いよいよ待ちに待った東京2020オリンピック大会が幕を切っておとされました。多くの困難を抱えてのオリンピックです。
今朝の「産経抄」よりこんな言葉がよせてありました。
「ー(省略)ー 人間はときに道を間違える。空に照り曇りがあるように、人生も晴天続きとはいかない。だから一握りの勝者の歓喜より、数多(あまた)の敗者が流す涙に感情が揺さぶられる。会場の静寂も、冷ややかな世論も、気に病む必要がどこにあろう。筋書きのない舞台を担う若者たちの偉大さを思う。」
ここの文章で言うと、ほとんどの人が敗者の涙を流す人ではないでしょうか。努力しても報われず、静かに自分の人生を振り返る時、こんなはずじゃなかったがなあ…と、一度は思ったこともあると思います。報わわれないで流した涙も数知れず…。
でも、「貴方はよく頑張った、そのままでいいんだよ」と、誰が言ってくれなくても私を認め、応援し、抱き続けて下さる方があるのです。そして私の命が尽きたとき、「お前は誰にも代わることのできない、尊い舞台を歩いたね」とお浄土への道を整え、私色(わたしいろ)のメダルを用意して下さっている。気に病むことはないのですね。有難いなあ、勿体ないなあ(7.25)
「 絵はがき 」
お友達から素敵な絵ハガキで礼状が届きました。
私にできることは
小さなこと
でもそれを
感謝してできたら
きっと
大きなことだ(星野富弘;絵・詩)
星野富弘さんは車椅子の詩人・画家です(現在75歳)。群馬県の大学を卒業し中学校の体育教師になられたのですが、同年に仕事中墜落事故で頚髄を損傷、手足の不自由を失われます。入院中口に筆をくわえて文や絵を書き始められ、国内外で個展を開かれるようになりました。熊本県に富弘美術館会館があります。
一枚の絵を仕上げられることを、いつだったかテレビに出演された時話されていました。一人では筆が持てない。絵の色もチューブから出せない。いつもお母さんが助手となり色味を聞いて、その色を筆につけ、富弘さんの口にくわえさせられていました。ご結婚されてからは奥様のお仕事になられたと思います。
健常な人の何倍もの時間と努力をされて描かれた絵です。富弘さんはその分人の何倍もじっくりと被写体を見ることができるとおっしゃっていました。花を一つ描くのにも、葉を一つ描くのにも、お母様と二人三脚で描かれてきました。
じっくりと絵葉書を見る…本当に口だけで描かれたのかしらと、驚かずにはいられないくらい素晴らしい描写がされています。大抵印刷されたものは、色の深みが削られていくものですが、葉に当たる光の一枚いちまいを深い濃淡で描かれています。
身体が不自由ということが、どれほどの困難なものか、私には計り知れないものです。朝起きて手が動く、足が動く、顔が自分で洗える、歯が磨ける、勿論食事やトイレも自分の体が自分の意志で動いてくれるのです。それなのに感謝できているのでしょうか…。
富弘さんには全てが難しい事でした。だからこそ、人の手を借りて、なにがしかできることがあり難い事と、思われたのでしょう。
自分のできることは小さい…いつも、身をもって感じられていることだと思います。でもだからこそ自分に何かができることは目に入るものそうでないものも含めたお陰なのだと…すべてに感謝されたのです。沢山の繋がりの中にある自分は大いなるものの中に生かされている。それは大きなこと、大きな世界なのだと、仰っているようです。(7.19)
「 糸 」
昨日、WOWOWで録画しておいた「糸」という邦画をみました。2020年に制作され、映画館で放映されたものらしい…北海道を舞台に幼少期から成長したそれぞれの男女の物語でありました。
このタイトル「糸」は中島みゆきさんが作詞作曲もので、このタイトルから生まれた物語らしいです。
北海道のバター工場で働く青年と、親の虐待から北海道を離れて暮らさざるを得なくなった少女の恋愛模様を織り交ぜながら、それでもそれぞれの別のパートナーとの結婚生活を送るのです。父親となった主人公の奥さんは子供を産むとき、癌があることがわかってしまう。それでも子供を産む決断をするのですが、2年後には亡くなってしまいます。一人で娘を育てる中で、月日は廻っていきます。亡き奥さんの両親から「もう四年経ったのだから、新しい道を踏み出してほしい。貴方はまだ若いのだから」と、言われてしまいます。そんな中、昔の恋人に出会い、子供と三人で新しく人生を歩み始めるというものです。
見終わってから、考えさせられる良いストーリーで「人が望むコトは普通に生活できる小さな幸せなのだ」という思いが強いメッセージにあった様に思いました。
私が驚いたのは、両親の言葉でした。「もう四年も経つのだから…」勿論両親にとっては「まだ四年」自分の娘は何年たっても昨日の事…でもドラマの中の描き方には「もう四年」主人公の二人は昔の恋人と再会して、幸せそうに結婚をして、めでたしめでたしのように描かれていて、少し寂しく感じました。
今日のご法事に、3回忌が終わると仏事をしないと言われる方もあると聞きました。(都会の事で、流石に田舎のお寺はあまり聞きませんが)法事は亡き方に手向けるもの、との考え方では、「もう四年だから法事はよかろう」となるのでしょう。前を見向いて生きなければ遺された者は先に進めない…と。
小さな幸せを求めて懸命に生きる、でもまたいつかはこの幸せも崩れ去ってしまうものであることは亡き方から教わったことではなかったか。本当に幸せになるって?
あれやこれやと考えながら映画を観ました。「お念仏のみぞまこと」と教えて下さった聖人のお言葉が改めて聞こえてくるようでした。(7.16)
「金子みすゞさんの詩」
わたしがさびしいときに他の人は知らないの
わたしがさびしいときにお友達は笑うの
わたしがさびしいときにお母さんは優しいの
わたしがさびしいときに仏様はさびしいの
みすゞさんの詩です。この詩は浄土真宗のお寺の掲示板でも時々紹介されています。
お母さんは優しいの…我が子の悲しみを本当には理解できない親の哀しみがここにあるような気がします。自分が生み育ててきた我が子です。でも本当のところは分からない。分かっているはずの我が子の心が見えません。
仏様はそんな私を悲しみ、苦しいときはその苦しみを背負い、そんなお前だから離して置けないと、私を丸ごと抱えて下さる…時には血のなみだを流しながら…
勿体ない、かたじけないと、お念仏申さずにはおれないのです。(7.13)
「 睡蓮の花 」
お寺の玄関前の鉢に、毎年花をつけてくれます。気がついたら5年目?…。
いつも大きな葉の陰から顔をのぞかせてくれて、なんとも奥ゆかしいです。
「ねえ、もっと堂々と美しい花のお顔を見せてくれてもいいよ」と思うのですが睡蓮のここが素敵なところです。
朝日が昇る頃、少しずつ花開く準備を始め、じわじわ開き、気付くと花びらをピンと張り、開いている。そしてまた、お日様が沈むころじわじわと閉じる。一日の睡蓮の花の営みです。
なぜ、なんのために咲くの?その問いも答えも、持ち合わせていないように、ただ咲いて散る。でも開いた花が少しでも人の眼に触れるように、昼の時間を選んでいるように、私には思えるのです。花を見て、一時でも心が休まりますように…そんな願いが聞こえるのです。睡蓮は仏様の花です…。(7.6)
「ふっても てっても 日々好日
泣いても 笑っても 今日が一番いい日
わたしの一生の中の
大事な一日だから (相田みつを:愛知県瑞任天寺さまの掲示板より)」
私がもらった今日という日、どんな日になろうとも、今日が一番いい日だと相田さんは教えてくれています。
詩人で書家でもある相田みつを(1924~
1991)さんの詩は今日お寺の伝道掲示板などで広く紹介されています。その詩の精神は曹洞宗高福寺のご住職、禅師を在家ながら師事されたことによります。有名な詩集「人間だもの」で命の詩人として広く周知されることになります。
私の愚痴は留まることを知りません。お天道様までも自分に都合が悪いと愚痴が出て、天気のせいにしてしまいます。雨が降ったら雨の日の、晴れたら晴れの日の生き方があるよと、優しく肩を叩いてくれます。もう二度と笑えないな、と思うような出来事も、嬉しくてこのままずっとこんな日が続けばいいと思うような日も、どちらも自分を育ててくれる大切な一日だよと、教えてくれています。すべては親様のお計らいの中。なんまんだぶつ。(7.1)
「 桜は散る / 梅はこぼれる / 椿は落ちる / 牡丹はくずれる / 菊は舞う / 人は生まれる」
先日、友からきた手紙です。この言葉を使って法事の後、法話をしたことが書かれていました。上の言葉を述べた最後に「では、人は?」とお参りの方に質問したそうです。すると、高校生が「人はかえる」と言われたと…手紙に書かれてあったのを読まさせていただきました。
これらの言葉はお花たちの最期の姿を表現されています。だから高校生は「還る」と答えられたのかも分かりません。でも高校生の感性の素晴らしさに驚かされます。そして法事を勤めておられるご院住様(友達ですが…)のご教化の賜物と嬉しかったことです。
人はお浄土に「生まれる」「還る」どちらも同じ事を言っているように思いますが、私はお浄土に還りたい。死んだら終わりと言われる方もあります。でも死んで終わりでない、なお還る世界があることは、今生きている私の力となります。還っていく家が用意されているからこそ、安心して生きることができる。安心して死んでいけると思うのです。
頑張っている朋に「有り難う」(6.23)
「無農薬」
ここのところ体調が思わしくない。午前中は用事の合間に寝たり起きたりしながら数日過ごしています。住職は「60歳は一つの区切りだね。そろそろこの辺で身体がメンテナンスを要求しているんだよ」と、先輩らしく意見してくれます。
確かに、機械の様に油をさすわけでもなく、悪い部品を取り換えるでもなく、今日まで元気ですごさせてもらえたことの方が有難いのです。
ところでこの時期、住職の果樹園にはびわやプラムが沢山実を着け、食べられるようになりました。いつも頂いてばかりのご近所さんにおすそ分けしたり、来客された方に持って帰っていただいています。
この果実たちの自慢は「無農薬」であることです。見てくれや大きさではお店のものには敵わないところがあります。でも味は抜群です。いかにも無農薬の果実、酸っぱさの加わった甘みです。住職曰く「手入れをほとんどしていなくても、ちゃんと育ってくれて、実を沢山つけてくれて…偉いな」
草木は何も言わない、食べさせてやったぞと恩着せがましいこともいわず、毎年自分の務めを黙々と果たす。誰が見ていようといまいと、変わらずだ。
人間の私よりよほど立派だね。(6.18)
「 思い込み 」
前回の投稿でかたつむりの事を書かせていただきました。紫陽花の葉にかたつむりが止まっている所をみることができるということです。これは嘘であることがわかりました。確かに葉に止まっていることもありますが、基本かたつむりは紫陽花の葉を好まないそうです。葉にはかたつむりが嫌いな毒があるそうです。
何気なく付けたラジオで虫博士が教えて下さいました。むしろコンクリートブロックや石に多くのかたつむりを見ることができるそうです。コンクリートを餌に食べ、渦の家や自身を成長させているそうです。
思い込みでした。子供の頃の絵本には紫陽花の葉にとまるかたつむりが描かれていたり、梅雨→紫陽花→かたつむり等々、連想の中で刷り込まれた知識や思い込みだったのでしょう。
なんの疑いもなく、かたつむりは紫陽花の葉にいるものと今日まで思い込んでいました。それもまた夢があり良いこともあります。が、間違ってはいけない根本問題では思い込みや刷り込みの知識は困ります。
「後生の一大事」の解決は自分の人生の一番大切な問題です。この問いと答えが解決されないままでは、迷ったままです。思い込みではない、確かな答えを頂くまで聞かせて頂くことが大切なのだと気付かされたことでした。(6.7)
「 かたつむり どこで死んでも
わが家かな 小林一茶
(専修寺伝道掲示板より)」
俳人の小林一茶の句です。一茶の有名な句として
「われと来て 遊べや親のない雀」
「痩せ蛙負けるな一茶 ここに有り」
「やれ打つな蠅が手をする足をする」
など、子供たちにも親しまれているものが沢山あります。小さな生きとし生きるもの全てに、深い慈愛の眼で句を紡いでいます。上の伝道掲示板も、かたつむりが題材です。梅雨の時期紫陽花の葉には多くのかたつむりが雨宿りに集まっています。ふと考えると、かたつむりはいつも自分の家を背中にかるっています。のそのそ…どこに行くにも家付きです。だからいつどこで死んでも家の中、安心の我が家なのです。とても分かりいい句です。
ところで、この句を私に頂くとどうでしょうか。いつ、どこでこの命尽きようとも安心して帰る家の中、と言えるだろうか。死ぬときは畳の上で、こういう死に方がしたい…とかいろいろと注文がある。だが、あれこれ考えんでもいいのだ、死ぬときは死ぬ。しかも如来さまのあつらえて下さったお浄土の国、安心のお国なのだから…。大きな如来さまの慈悲の中で私の死ぬ場所さえも用意されているのです。勿体ない。(6.1)
「さもありなん」
最近のお葬式で感じたことです。最近のお葬式は葬儀会館で、こじんまりとした家族、親族のみでお勤めされることが主流となりました。(勿論、コロナ禍でもあり、そうなるのも仕方のないことですが…)
いろいろな理由が挙げられますが、慣れ親しんだ家から葬儀を出してあげることが難しくなりました。
先日もあったことですが、家から葬儀を出すのにお棺を抱えてあげる人がいない。
勿論葬儀社の社員に頼めばいいのですが、せいぜい男性社員は2人、あと少なくとも2人は必要です。この2人を頼める人がいない。少子高齢化で子は一人か二人、また高齢化が進んでいる中、子は70代の方もざらにいらっしゃる。足腰を悪くされた方には酷なことです。
必然的に会館なら車付きのベットに棺を載せて下さり、葬儀の車に運んで下さる。
遺族の方はお客様然として大切なかたをお見送りします。一日であっさりと終わってしまします。
でもそれも「さもありなん」仕方のない事なのでしょう…。時々昔の葬儀を懐かしく思うことがあります。(5.30)
「道化師のソネット」
1.僕たちは小さな舟に 哀しみという荷物を積んで / 時の流れを下っていく舟人たちのようだね~
2.僕らは別々の山をそれぞれの高さ目指して / 息も着かずにのぼってゆく山人達のようだね~
(さだまさし:作詞作曲)
シンガーソングライターのさだまさしさんの歌に「道化師のソネット」という歌があります。この曲は映画の主題歌として流れたものです。この歌詞に魅かれて映画も見に行きました。
この歌のつづきは「せめて笑顔が救うのなら 僕はピエロになれるよ」です。
目に見えない沢山の荷物を背負ってあくせく働き、気が付けば一生の大半が終り…何のための人生だったのかと背負った荷物の重さをかみしめる。こんなはずじゃなかったと、ふりかえっても時の流れを戻すことはできない、哀しい人生だと思います。
そんな私の肩の荷を一つ一つ請け負って下さる、いや重い荷物を背負った私丸ごと背負って下さるお方でした。なもあみだぶつの親様は、背負いきれないで今しゃがみ込む私に「重かろう」と、そのすべてを引き受けて下さっていたのです。哀しむより先に、背負いきれないで倒れこむより先に、「すべてをまかせてくれ」とお願いまでして私の代わりに、私ごとその重荷をおさめ撮って下さっていたのです。勿体ないなあ。笑顔でいないと如来様に申し訳がないよ。 なんまんだぶつ (5.23)
「菌をふりまかないはずのマスク越しに
よけいな事を言い
消毒したはずの手が
いたらんことをする
(福岡市浄覚寺掲示版より引用)」
コロナ感染拡大の勢いが止まりません。ぼちぼちワクチン接種も始まったようですが気が抜けない日々です。
上の伝道掲示版を頂いて、まことそうだなぁと思いました。
マスクを覆い、菌の撒かないように気負付けている端から、心ない誹謗や何気ない言葉で傷つけてはいないだろうか。綺麗に消毒したはずの手であれこれと障り、また、あの人がと指をさし、人をなじる手になっていないだろうか。
「万事が私のすることは中途半端でまことがない」と親鸞様のお言葉です。
この口はお念仏申し仏様をご讃嘆するための口、この手は仏様を仰ぎ合掌するための手…そのための日々の営みであることを教えて頂きました。(5.13)
「母の日に」
今日は上げ法事でした。市内にお住まいのご夫妻と福山から車を飛ばしてご夫妻が参ってこられました。お母上様の17回忌でしたので、お花を持ってきてくださいました。
明日は母の日…カーネーションが慎ましく入れてありました。母の日を祝いたかったお母上様に思いを込められたものだということがすぐにわかりました。
感謝を伝えたいお母上様はもう今生では伝えることができません。それでもご法事を通して、如来様にカーネーションを捧げたかったお気持ち伝わりました。
世間では「母の日」とありますが、伝えたくても伝えることができない方はこの日を、どんな気持ちで迎えられるのでしょう。「母の日」は素晴らしい日のはずなのに、この日に苦しい思いを抱く方もあるとすれば、手放しでは喜べません。
如来様は良きにつけ悪きにつけ、いつも私に寄り添い悲しんで下さっています。「この私を親と思い、頼りにしてくれよ」と私を呼び続けて下さっています。もう悲しまないでいいよ。親はここにいるよと、抱きとって下さっています。(5.8)
「今年のご降誕会」
今年もコロナ禍でご法座が開けませんでした。法座の開かれないお寺は何かさみしいものを感じます。とても残念です。
週末帰ってくる嫁と孫、85歳の母と里帰り出産で帰省していた娘でお勤めさせて頂きました。
お正信偈を頂く中で感じたことです。
お釈迦様のお生まれになった時代、聖人のお生まれになった時代もそれぞれに厳しい環境があったことでしょう。干ばつ飢饉の自然祭災害に加えて病気でも多くの人が命を落とすことは特別なことではありませんでした。その中で生死の問題を尋ね、教えを弘めていかれたのです。どんな時もこれがあれば生きていけるという心の柱となるみ教えを灯として、今日までも繋いでくださいました。かたじけないことです。毎回が後生の一大事を聴き開かせていただく場、有難くお勤めさせて頂きました。来年命あれば( ^ω^)・・・来年こそは、皆さんで賑やかにお祝いできることを念じています(5.1)
「ご降誕会と写真展」
コロナ感染第4波の勢いが止まらないです。連日ふえる人数に大きなため息…。ご降誕会も中止になりました。
例年のご降誕会では沢山の催し物が用意され、ご法話の後はバイキングのお斎、バザー、コーラス、くじ引き、餅まき等々。
今年の坊守賞も考えていた矢先の中止です。とても残念です。
でも…考えました!ご家庭でそれぞれにご降誕会をつとめていただき、その写真を送って頂き写真展が開けたらいいな…開けなくても「写真コーナー」で掲載できたらいいなと。早速ですがトップに応募内容を掲載しています。是非とも参加して下さい。
今日JAのお花屋さんに早朝より買いに行きました。お店が開店と同時に…三密をさけるためです。が…皆さん考えることが同じでした。お花、野菜や野菜の苗を買いに沢山の人が買いに来ていました。考えが甘かったと反省しています。
[ お浄土で ]
朋友から手紙が届きました。彼女らしい書きなれた文字で「もしも私が先に往生したらお浄土で待ってるよと、言い合えることが嬉しい」とありました。
一つ一つの言葉をかみしめるように、文字にしたためてくれる彼女からの手紙は、嬉しい。
当たり前のように季節は廻り、当たり前のように毎日が繰り返される。でも…
当たり前の一日なんてどこにもないよね。たまたま朝が来て、目覚めることができたなら、それは本当にたまたま、あること難しの朝をいただいたのです。これがたまたま、60年間続いてきて、たまたま今を生きている。生かされている。
午前中の雨が上がり、午後は晴れました。こんなことが嬉しい今日の昼下がりでした。(4.17)
「何を伝えるか 何が伝わるか」
ここのところご門徒さん以外の方の葬儀が続いています。昨日も82歳の方のご葬儀でした。ご門徒さんの親戚であったり、知り合いの方から「まだお寺様とご縁がないから」と住職に頼んでこられます。
これまでお寺様とのご縁がなかった方のお葬儀はとても心を使います。勿論ご門徒様の葬儀もそうですが、ご門徒様は日頃のご法座で、一度くらいはお説教にあっておられます。お取り越し、夏のお参りには一緒にお勤めして下さいます。ですからお念仏が口から出て下さいます。
ところが、これまでご縁のなかったかたの葬儀はご遺族にお念仏をお勧めしても、なかなか口にでないことが多いです。もっともなことで「念仏称えましょう」と申してもお念仏とはなにか、なぜ口に出さなければならぬのか…と思われるからです。
お亡くなりになったと、電話を頂きます。すぐに臨終勤行に参ります。それからお通夜、葬儀では式の還骨勤行、初七日の勤行…とお勤めが続きます。その折々に住職がお話しをさせて頂きます。少しずつ頷いて頂きます。葬儀中の焼香の時はまだ小さかった声も、納棺、初七日のお勤めの頃は一緒に勤めて下さるようになり、お念仏も声に出して下さいます。
お葬儀はご遺族にとってお念仏聴き開くための新たな一歩です。そのお働きかけは阿弥陀如来様です。そして近くは今回往生された大切な方でありました。
如来さまのおはたらきの邪魔をしないよう、お念仏をお勧めし、ご遺族がお念仏申して下さったら…今回のお葬儀は有難い。心して勤めたいです。(4.13)
「別れ路の
さのみ嘆くな 法の友
また遇う国の ありと思へば
法然上人」
(覚念寺本堂掲示板より)
浄土真宗お東の覚念寺さまの本堂掲示板から頂きました。 法然上人は親鸞聖人が師と仰がれたお方です。
浄土門を開いて下さった御開山、そのもとでお念仏一つで救われる道を聖人は聞き開かれました。その法然上人を父とも慕われていたことです。その御二人の間を引き裂く事件がおきました。お念仏を弾圧しその教えを広める僧侶を流罪という刑にあわれたのです。法然上人と親鸞聖人は別々の国に流されます。この歌はその時の御歌でしょう。
桜満開の便りも少なくなりました。あれだけ栄華を誇っていた桜もあっという間に散り、土へ帰っていきます。そしてまた、めぐる季節を待ちながらじっと耐えていくのです。
でもお念仏を頂いた人生は違います。たとえ今生のお別れが来ようとも、今度はすぐまたお浄土で遇える世界を頂いている。だから法の友よ、そんなに別れを悲しまないでおくれ…と法然上人は優しくお言葉を掛けて下さっています。勿体ないことです。(4.6)
「春の訪問者」
「おおい、来てみろ」と住職が呼ぶので何事?と、のそのそ外に出て見ると小さなかえる。春になったことをお知らせに来たのか…寝ぼけ眼でアロエの葉に乗っかっています。
もう春だね~これまで冬眠していた小さな虫や、昆虫などがもぞもぞ動き始めました。
小さな虫が当たり前に動き出し、いつも飛んでくる渡り鳥達がやって来る…当たり前じゃないことに驚き、また嬉しい。
今年も咲いてくれた桜は今年限りの花、でも散る様からもう来年の準備を始めている。
ダイナミックな自然界の動き、ぼやぼやしてはいられません。
急ぐべきことを急いでこの世のお仕事を終えたら彼の土へ参らせていただきます(4.1)
「桜の時期」
全国的には桜満開、もう散り始めのところもあるそうです。そんな中、のんびりしていた寺の前の公園の桜が咲き始めました。「やっとね…小野の桜らしいね。でも今年も咲いてくれてありがとう。」なんてぶつぶつ言いながら写真を撮らせて頂きました。
丁度の週末の永代経法要の時にはいい頃合いに開いてくれるでしょう。
代々の祖師、ご先祖様が何を大切に残して下さったのか、一緒にお聴聞できることが幸せです。(3.26)
「春のお彼岸に」
春の水
湖面に映る あなたの笑顔(釈影真)
本堂の戸を開くと宝林寺のお庭と称する小野湖が目に飛び込んでまいります。冬には枯渇しそうな水が春になると満々としてきました。
お彼岸の期、お寺の境内のお墓や納骨堂に沢山の方がお参りいただきました。やはりお彼岸には先に還っていかれた方々を偲ぶことが多いようです。
私も大切な方々を先にお見送りして、お浄土がいよいよ近く思われてきました。先に還っていかれた大切な人が待っていて下さると思うと、お浄土が良いところと思われます。(勿論まだ今生でやらなければならないことが残されており…)
その日がくるまで、お浄土への道を如来様と二人連れで歩かせていただきます。なんまんだぶつ(3.22)
「海と大地のこと」
「切なさを 抱きとる海
涙を受け止める大地」(浄土真宗本願寺派 専修寺掲示板より)
明日は小学校の卒業式でピアノ伴奏させて頂きます。今年もコロナで人数制限の中での式です。あるお母さんがおっしゃっていたことです。
「マスコミはコロナで医療従事者のことやオリンピックで活躍する人たちのことばかり報道するけどね。普通に学生生活を送る子供たちも、我慢を強いられた中よく頑張つたよね」
当たり前のことが当たり前でなくなった時、表に出ないたくさんの人たちが涙した。悔しくて切ない、やりきれない思いを抱き、どこにも愚痴を持つて行けないで苦しかつたよね。
海、大地は変わらずに、そこにいてくれる。私のすべてを抱きとり、受け止めてくれる。
明日は心をつくして、六人の生徒さんを送りたいと思います。入退場に「ビリーブ」と「未来へ」を選びました。
君たちの未来は今から始まります。南無阿弥陀仏 (3.18)
「三月の言葉…大谷派:円光寺様より」
冬というのは
命がない季節ではなく
命をはぐくむ季節
(「なかほら牧場」佐藤慧)
浄土真宗大谷派のインスタグラムで見つけたお言葉です。
佐藤さんが10年前の震災から立ち直れずおられたとき、岩手の中洞さんの牧場を尋ねられたことで勇気を頂かれた時の、中洞さんの言葉だそうです。
「山に降り積もった雪が地熱でじわじわ溶けていって、それが山の中に溶け込んでいく。長い時間蓄えられた雪が、春の芽吹きにつながっている(著書の中より)」
大自然の営みの中生かされている人間は、自然の中のほんの一コマにすぎません。でもそのコマたちが、営みの中で右往左往しながら、懸命に生きようとしている。表には表れない花のない冬の季節にも、大地はじっと準備をして動き続けている。
阿弥陀様の働きも同じだなあと思いました。うれしいときも、悲しい時も、辛い時も、楽しい時も…いつでも私を救わんがために動き、働き続けて下さっている…勿体ないなあ
(3月8日)
「春の風」
昨晩から朝にかけて、強い風注意が警報とでていました。安易に立っていると、時折びゆっと強い風が吹いて体を持っていかれそうになります。母の家の雨戸を閉めて、強風に備えました。
お寺は高台にあるので、少しの風でも怖いです。台風シーズンになると戦々恐々…母の天気予報を頼りに、雨戸を閉めたり、開けたり…😥やっと落ち着きました。
先日の友からきた手紙を思い出しました。「お寺はタンポポが沢山…私が思いっきりふうーって綿毛を飛ばすから・・・」
彼女らしいと思いました。風に飛ばされた綿毛は落ちたところで種となり可愛い花となり実を結ぶ。そのお手伝いをしている彼女の姿を想像しました。
至る所に花が咲く…風が運んでくれているのかもしれないと思うと、強い風も少しは我慢できそうです。(上の写真は昨年咲いたいちごの花)
「仏様のことば」
お前はお前でちょうど良い
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も冨も親も子も
息子の嫁も その孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ日月さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずはない
これで良かったと頂けたとき 憶念の信が生まれます
住職と結婚するとき福岡の光沢寺の坊守様から頂いたお祝いの言葉です。
作者は誰だったか忘れてしまいましたが…今、このお言葉がよく納得できるようになってきました。いかようになろうとも、仏様と二人連れの人生…なんまんだぶつといただきます。(2.27)
「インスタグラムより」
私のものさしで
問うのではなく
私のものさしを
問うのです(高田派:大雲寺掲示板より)
浄土真宗の派は10派あります。我が寺の所属している派は浄土真宗本願寺派といいます。今日の伝道掲示板は浄土真宗高田派のお寺様からです。
「で」と「を」では教えのお味わいが180度違います。私の物差しはいつも自分中心の見方しかできません。この当てにならない物差しを、仏様のものさしで問うてみる。どこまでも自分中心の殻に閉じこもった私であったと、教えられていくのです。この仏様のものさしをおしえていただくところが、お寺であり聞法の世界です。一緒にお聴聞させて頂きましょう。(2.22)
「雪の日に」
昨日の陽気とは打って変わって、今日は予報通りの大雪になりました。2月の半ばですもの、まだ雪が降ってもおかしくはない。
しかし…東北方面の方々はこの雪をどうご覧になっておられるだろうか。
地震復興から10年目を迎えたと思った矢先の地震である。天災と思ってもやりきれない。もういい加減にしてくれと叫びたくなる。
なにが起こっても文句を言えず、我が身に降りかかったことは、ただじっと耐えるしかない。でも、それにしても…。
何もできないで、ただ震災地方々に思いをはせるしかできない今の自分です。お許しください。(2.17)
「しろのお墓」
春がやってきて、私の花粉症もやって来ました。頭は痛いし喉はヒリヒリ、気分は最低です。春は本当に嫌いです。
そんな中、昨日しろ(寺犬)のお墓にお花を入れ替えました。赤、白、黄色の色とりどりのお花たち…。
春は生きにくいけれど、唯一いいところはお花が沢山咲くことです。また、仏華にも色とりどりのお花を添えさせて頂けます。
コロナ禍でお参りもなかなか勇気がいりますが、いつお参りになっても「気持ちがいいね」と言ってもらえるよう、仏華は絶やさぬように…住職が言っております。
私のためのお荘厳、お花の中に限りある命を教えて頂きます。仏様の限りなき慈悲を教えて頂きます。(2.13)
「恩徳讃」
昨日は喉が痛くて…まずいこれはコロナウイルス感染かな?と思ったのです。
熱はなかったので南天のど飴と、住職が電話ショッピングで買った宮崎県の金柑を食べながら休んでいました。
おかげさまで、今朝は普通に起きることができ、納骨堂にもお参りできました。
「恩徳讃」を歌いながら思ったことです。喉が痛い時、無理せずに声を出すことを我慢していたら、身体が健康になろうと働いてくれます。自然治癒力というのでしょうか…体のエネルギーは大したものです。また、身体を治そう、生かそうとしてくれている働きを感じました。
朝、恩徳讃を歌いながら、歌えることを有難く思いました。仮に声がでなくなったとしても「恩徳讃」を歌えれば幸せに思います。(2.11)
「 発達発表会 」
昨日は孫の保育園で発達発表会がありました。いつもと様子が違って、家族は2名まで、マスク着用、検温測定を受け、手の消毒を施し、室内に入れます。
園児たちも一学年ごとの発表でした。
面白いなと思ったのは、その会の名前です。普通は「学習発表会」や「音楽発表会」などとはよく聞く発表会の名前です。
でもこちらでは「発達」という言葉を使われていました。発達はそれぞれに違いがあります。発達の早い子もいれば、緩やかな子もいます。「みんな違ってみんないい」という園の保育方針を感じました。
それぞれに可愛く,頑張って発表している姿が眩しかったです。(2.6)
「あれ…気づくと2月」
2月の立春を迎えて、昨日は光が燦々としていました。こんな日は爽やかな気分になるのですが…でも光が強すぎると気後れしてしまいます。
これまで、寒くてじっと耐えていた心と体が一気に解放されて、糸の切れた凧のようにふわふわ不安定になりました。危ない危ない…。
気付くと庭の水仙が今年も咲いていました。寒い日を耐え、何も言わず今年も咲いてくれていました。それだけでいいのだと…
自分の役割を黙々とこなしていました。(2.4)
「お葬儀」
90歳のお母さんを残して、71歳(行年73歳)の方のお葬儀に出勤させて頂きました。ちょうど昨年暮れのお取り越しのお参りの時、ご自宅でお母さんと一緒に勤行して頂いてから1か月のことです。
ご病気だったので、ご自身でも「これが最期のお勤めになるかもわからない」と言っておられたようです。床で休んでおられたのですが、私の声を聞いてから起きてきてくださいました。
前日の通夜でお母様の姿が見えなかったので住職がお尋ねしたところ、急に体調が悪くなり病院に入院されたとのことでした。母親だもの、無理もないことです。とてもお辛いことです。
葬儀が終わり、帰りの車の中で涙が止まりませんでした。残していく方も、残された方も悲しい…やりきれません。
ここは娑婆、辛く悲しい事ばかりです。でも、だからこそのお浄土です。
仏様の呼び声が「なもあみだぶつ」と聞こえてきます。(1.28)
「満中陰法要」
今日はkさんの満中陰法要でした。kさんにはご家族がいらっしゃいません。
「今日は住職と二人でお勤めさせていただこう」と思っていたら、朝、電話があり、kさんの兄嫁に当たる方からでした。お寺に参ってくださるということでした。
kさんは義理のお姉さんを本堂に連れて来て下さいました。
kさんにはお元気なころ一度だけ、お父様の法事でお会いしたことがあります。
女性にしては寡黙で、スレンダーな上品な方でした。晩年は大阪の施設でお世話になっておられたということです。ご縁あり宝林寺へ…ようこそ、懐かしい故郷へ。そしてご縁を下さってありがとうございます。(1.26)
「小さな春」
虫かごのクワガタが、昨晩ゴソゴソと動いて、ゼリー状の餌に顔を突っ込んでいました。よほどお腹が空いていたのでしょう。ここまでたどり着いたようです。
そもそも、クワガタなどの小さな虫たちは冬をどう過ごしているのでしょう。カエルの様に冬眠して、春をじっと待つイメージがあったのですが、我が家のクワガタは身を潜めるどころか、毎日覗きに行く度、別の場所でじっとこちらの様子を伺っています。
周りの木やおがくずを湿らすため水を掛けたときだけ、手足を動かします。
「ああ…今日も生きていた!」と安心させてくれます。
春はもうそこまで…クワガタと一緒に暖かな春の到来を待っています。
[ 往復きっぷ ]
天国に往復切符があればいいな…と新聞の詩の投稿欄にありました。
天国に行った人はあのころ言えなかった言葉や伝えたかったことを話したい。
残された人は「あなたのことが今でも一番大切」と伝えたい。
でも天国は片道切符らしい。
お浄土には往復切符がある。
先に往った人はあとの人を導くために「お念仏」となって、還ってきてくださる。
称えるお念仏の声は、あの人の呼び声。
「ありがとう、あなたが大好きだよ」と称えたら
「私もだよ、ここにいるよ」とこたえて下さる温かい声が聞こえる。(1.19)
「お念仏でよかったね」
その方はこれまで仏縁がない方でした。ご主人が亡くなり葬式を出すことが、始めての仏縁となられました…いやいや、ご縁を頂くにはそんないお若くはありません。これまで、親戚のおじさんや叔母さんも見送られているので、そのご縁はありました。
でも、ご自身の本当に大切な人を喪主として見送られることでお念仏に出遇われたのでした。
「お経を一緒に勤めていると涙がでます」
私も一緒ですよ。なき方とは今生ではもう会うことはできません。でもお念仏の中では存分に泣いて、なき方と出遇う場所がある…そんなことをお話させていただきました。
大きな試練も仏様と一緒だったら乗り越えられる。こんな悲しみはもう二度とないだろう…と思うような悲しみも、お浄土への道しるべとなってくれる。
「お念仏でよかったね」そう思えます。今日は御本山のお逮夜です。(1.15)
「医療現場 迫られる命の選別」
先日の新聞記事です。第3波の感染拡大により高齢の入院患者が急増し、医療現場に厳しい判断を突き付けている…というものです。
複雑な内容ですが、要は持病を持った人がコロナにかかり重症化した場合、数に限りがある人工呼吸器をつけてもらえるか、ということです。(記事の内容はもっと複で、呼吸器を患者の方から拒むケースなどもあるということです)
例として60代の進行がん、40代の糖尿病の二人が同時入院で同時に人工呼吸器が必要となった場合、40代が優先される可能性が高いというのです。
「重症者の中でも人工呼吸器をつける人は若くて、闘病できる人を選ぶ時が来る」とありました。
難しいことはよくわかりませんけど、この記事を読んで、まずお医者様にそんな選択をさせるのか…と悲しく思いました。と同時に「命の選別」という言葉がなんとも恐ろしく心に響きました。
でも…もしかしたら知らず知らずのうちに私も「命の選別」をしているのではないか。「命」は人間だけに限ったことではありません。あらゆる生命の中で、役にたつ命、立たない命と無意識に振り分けているのではないか…と。
考えているとき、お葬儀の電話がありました。高齢のお婆ちゃんが往生されたと、瞬間、思いました。その家の主の息子さんでした。母であるお婆ちゃんは知らせを受けて泣き崩れ「私とかわってやりたかった」といわれたそうです。「もう十分生かさせてもらいましたから…」
私も60歳です。もしコロナで呼吸器をつけないと助からない命であったら、40代の方に託したい。このお婆ちゃんのように「十分生かさせてもらいました」と言えるような人生を送らせて頂きたい。そんなように生きたいと改めて思います。(1.10)
「生きてる!」
朝のお勤めあと恩徳讃を唱和
私の口から白い息が
揺れながら歌う。
白い息、後から後から流れ
上へ上へと昇っていく。
あれ、私生きている…と実感した雪の日の朝でした。(1.8)
「優しさ」ということ
「優」
人と人が憂いを共にする
これを「優しさ」と書く
インスタグラムでお見かけしたお言葉です。色紙に達筆な筆で、書かれていましたので、この書が目に留まりました。
これを教えて下さったのは福岡県の浄円寺のご住職様、お年は40代後半の子育て中のお父さんでもあられます。
「優」の字の成り立ちはにんべんに憂うと書き、漢和辞典にもあります。この字は本来は喪に服して悲しむ人の姿を表した字だそうです。
「喪に服す」…今では「喪中」の期間も短縮され、葬儀のその日に精進落としです。(勿論、浄土真宗では喪中の考え方はありませんが…)社会全体が忙しくなっているので仕方ないことなのかなあ…とも思います。
でも、いくら社会が動いて忙しくても、心はそれについていけないときがあります。周りの賑やかな雑音に心をだましだまししても、大切な人を失った傷愴感はそのままです。そんな時、思いをかけてくれる人がいてくれる…それだけでも救わます。
「優」の文字から、いつも私のために泣いて下さっている阿弥陀様を、もったいなく感じられたことです。(1.6)
「新たなスタート」
今日からお仕事という人も多いと思います。お正月に前年度の疲れを一新、さあ今日から心新たに頑張るぞ!…と思っておられる方はよしとして…私は昨年からたまりにたまった部屋のお掃除から始めます。
齢60歳…もういいお年になりました。そろそろと自身の後かたずけを始めねば、と毎年のように思ってきましたが、いつも思うだけでした。今年こそはシンプルな生活で、生活用品・様式もシンプルに、が目標です。
「お念仏のみがまこと」とすべてを捨て、一つに、生き抜かれた聖人のみ跡を聞き聴き、歩まさせていただきたいです。(1.5)
「今年も南無阿弥陀仏」
令和3年元旦、臨終勤行のご案内でお参りに行ってきました。いつとは約束がないのがこの臨終です。よくわかっているつもりでも、やはり元旦というのはこれまでの坊守歴の中、あまり例がありませんでした。
車で走らすこと40分、会館に到着すると、ご門徒のご主人様がいらっしゃいました。臨終勤行を終えると、奥様が「元旦早々すみません」と、申されました。すまないのは私の方です。慣れない道を走り、やっとたどり着き、予定よりも遅かった…こんな時は1分でも早く到着して、喪主様を安心させてあげたいのに…ごめんなさい。
「生は偶然、死は必定」たまたま生かされている命、2021年の年頭に改めて教えて頂いたことでした。
2021年11月18日