今日は坊守通信(2019年度)

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「ようこそです」

 昨日はお寺で上げ法事が勤まりました。倉敷からMさんご夫妻が車で4時間かけて参って来て下さいました。私はお茶を出して、お取り越し参りがあったので失礼いたしました。せっかく遠方から来て下さったのに…申し訳ないことでした。

 

 Mさんには妹さんがおられます。その妹さんと私は幼なじみです。小野の中学校まで一緒でした。小学4年生の時お父さんがご往生され、続いて6年生の時,お母さまがご往生されました。あとには兄、妹と、おばあちゃんが残されました。そのおばあちゃんも私が大学生の時ご往生され、お兄さんと彼女は3つの大きなお葬式を若くして出すことになりました。

 

 大学生になりたての時の冬休み、おばあちゃんの臨終勤行に行きました。寒い冬の夜でした。「ごめんください」と縁側からあがり、親族がおられる台所をふと見ると、彼女が縫物をしていました。おば様に教えてもらい、愛想笑いをしながらおばあちゃんの着物を縫っていました。なんとも言えない哀しい気持ちになりました。

 その後、住み慣れた家を越し、宇部の街で一人暮らしを始めた彼女の下宿に遊びにいかせてもらったことがあります。さっぱりとした、必要なものだけが置いてある部屋でした。昔の写真を見せてもらおうとしたら、「写真は一枚もないよ」と言った彼女の横顔を今でも鮮明に覚えています。

 ようこそお寺に帰って来て下さいました。ここがお二人の故郷になりますよう、念じ…。(12.26)

 

「い・ま・る」のこと

 連日のお参りが、あと数日になりました。この時期にしかお会いできないご門徒さんもおられ、会うといろいろと近況報告を兼ねて世間話しにも花が咲きます。こちらが話そうとすると機関銃のような速さで話が来る…そうですか、そうでしたか…と頷きながら「私も悩みはあるけどなぁ」と、ご門徒さんが話されることに耳を傾けるのです。寺に帰る頃は、重たい悩みから、大丈夫ですよと受け応えられる悩みまで様々…悩み袋があるとすれば、サンタクロースのプレゼント袋では済まないかも…。

 帰ると住職とご門徒さんの近況を報告し合います。一人で受けた相談や愚痴話をため込んでいると、自分の心がパンクしそうです。「生きることが辛いね」実際、目にしてそう教わるのもこの報恩講の時期です。

 

 先日、朋友からこんなことを教わりました。「明石家さんまさん(芸能人)」さんの娘さんのお名前は「いまる」さんと言うそうです。そのお名前の意味を問われると「生きているだけで丸儲け」と答えられたそうです。

なんて素敵で明快な解答!さすが「さんまさん」…と思いました。

 簡単ではないけれど、私の「悩み袋」は生きている証。この袋がある限りは誰かが悲しい話をしても詰め込んでおれます。問題解決にはならないけれど、聞いてあげれます。辛いけれど、その辛さを少しだけ分けてもらいます。私も今日からこの悩み袋を「生きているだけで丸儲け袋」と呼ばせていただきます。(12.20)

「老化かなあ」

 お参りしていて、話題にあがるのが健康の話です。「お元気ですか?」と尋ねると「はあ、あちこち弱ってだめですわ」と言われる。

昨日は比較的お若いご婦人が「唾液が出にくくなって、のどが渇く…そんなことはありませんか?」と尋ねられた。「ありますよ!寝ていて喉がカラカラで目が覚めることがしばしばです」と私…少し安心したかのように頷かれました。聞いたら病院で漢方薬を処方され、それを飲んでおられるとのこと。

 「病院に行く」ということまでは考えなかったのですが、その奥さんにしてみれば、自身の身体の変化に違和感を感じてのことだったのでしょう。また別の病気を疑っての事だったのかもしれません。

 「つまるところ、老化なのでしょうかね…?」と、奥さん。「…老化です」なんて身も蓋もない解答ですが、実際、私の場合の喉の乾きは身体の衰えから来ていると考えられます。私は病院嫌いなので、身体が違和感を感じたら、「これは老化によるもの」と高を括り病院には行かないことが多いです。でも実際に痛みを伴う病気にでもなったら、いやでも病院に行かざるをえなくなります。

 「老化かなア…」と言えてるうちが、良いのでしょう。(12.17)

「忙しい」

 12月ー師走…という。「師走」は師が走るという意味で、「師」とはその昔は「お坊様」のことです。

 会う人ことごとく今の挨拶は「お忙しいですね」です。

一年を締めくくる12月、車も人も走り回っています。

本当に皆さん忙しそうです。ところで「忙しい」の文字はりっしんべんに亡と書きます。「心を亡くす」ことと、表されています。漢字を作った人はすごいなと思います。

 

 お寺の今は「報恩講」一色です。お取り越しのお参りのスケジュールを立てて回らせていただきます。このスケジュールが立たないうちは、気持ちが焦って何かに急き立てられるようです。でもスケジュールがきまり、アポイントがとれたら、安心してその日の日課を余裕をもってこなせます。ですから忙しくありません。

 日課以外の突然の事柄が舞い込んだときとき「忙しい」思いをするのでしょうか。できるだけ、余裕を持っていきたいものですが…。

 

 大切な時間です。心を振り乱すことなく、落ち着いた時をすごしたいです。と、思っているのですが…。「顔が疲れているよ」との友人の指摘。歳は隠せませんね。(12.15)

「百人なら百人の。千人なら千人の」

 ここ数日間、住職はお説教で遠方に出ています。

私が本堂のお朝事や鐘突きをさせて頂いています。またお取り越しでは、ご門徒様の如来様、親鸞聖人、伝師にお勤めでご挨拶させて頂いております。勿体ないことです。

 百人のご門徒さんがあれば、百通りの悩みがあります。それを聞くことで上手なアドバイスがしてあげれたらいいのですが、何も答えられないことが大半です。ただ黙って聞くばかりです。うんうんと頷くばかりです。

 お釈迦様なら、親鸞聖人なら、この方の悩みを聞いて、苦しみをとってあげれるのに…。

「ただ、お念仏」を申させて頂くばかりです。(12.13)

「勿体ないなあ」

 12月のお寺の報恩講が終わり、本格的に門徒様のお宅を一軒づつまわる「お取り越し」のお参りをさせて頂いています。

 地元の総代の三吉さんをお参りした時、けんちょう(大根や野菜を豆腐と一緒に煮たもの)やぜんざいを用意して待っていて下さいました。朝ごはんを食べた後でしたのでさすがにお腹いっぱいになりましたが、奥さんの料理は格別です!夕食用にと「けんちょう」を持たせてくださいました。その夜の夕食、一回で食べきってしまうくらい美味しかったです。

 

 お昼には伊藤様で「うどん」をご馳走になりました。「寒い時なので温かいものがいいかと…」あれこれ考えて下さったようです。足が伸ばせるコタツに入れてもらい、ぬくぬくとおうどんを頂きました。もちろん奥さんもいっしょに、あれこれ話をしながら奥さんとのプチ忘年会かのようでした。

 勿体ないなあ…こんなに良くしていただける人間ではないんだけどなあ。御衣を着させていただき、一緒にお勤めさせて頂くだけなのに。

 お寺に帰って如来様にご報告申し上げました。すると如来様「お前にではない、お前の付けている布袍、輪袈裟とに対しての御布施だぞ。だからいっそう精進せよ」とのお応えでした。(12.9)

 

「85歳」

 先日、宝林寺の報恩講が勤められました。講師は渓先生でした。そのお話の中で「恩徳讃」のことを教えて頂きました。

 

 如来大悲の恩徳は / 身を粉にしても報ずべし

 師主知識の恩徳も / 骨をくだきても謝すべし

 

この御和讃は聖人85歳の時の作です。当時人生50年とも言われていたくらいですから、そこからしても十分すぎるくらいお年を召されていた聖人です。

 83歳の時は住み慣れた家を全焼、84歳のときは最愛の息子、善鸞さまを義絶されました。普通考えたら、次々と起こる我が身の不幸、絶望の中の聖人のはずです。その中でこの御和讃をよまれました。

 どうしてこのような境地になれるのでしょうか…85歳…ここまで生きたら聖人がご覧になった境地にすこしは近づけるのでしょうか。

遠い遠い、道のりのような気がします。「ただ念仏]。が難しい。難中の難と仰せの通りです。(12.6)

 

 

「哀しいね」

 令和元年の報恩講を終え、一息ついたので夕方住職と義母の暮らす施設に行きました。ちょうど2週間前くらいに行ったときはぐっすり寝入っていたので顔を見るだけで、帰りました。

 今日も行ったときはベットで寝ていました。さすがに今回は住職が声を掛け、まだ眠たそうにしている義母に声を掛けました。義母は一日のほとんどをベットで寝て過ごしているようです。ご飯を食べるときはフロアーに出してもらい、施設の皆さんと一緒に頂いているようです。

 

 ほんの3週間前くらいは普通の車いすに腰かけられ、自分の体の寝返りもできていました。

今回、看護士さんから説明を受け、今の義母の状態を教えて頂きました。義母の車いすは特別仕立てで、身体に負担がかからないベットのような働きもする椅子です。つまり筋肉が本当に弱くなって、自分の体も支える事が大変になったということです。僅かな間に、筋肉が衰えてしまいました。

 

 この施設にお世話になる時、ここに入ってもらうことがいいことなのか…ためらいました。義母の介護でまだできることがあるのではないか…。施設のフロアーに座ってただテレビを見ているだけの義母に対して、申し訳なく、また哀れに感じていました。

 座ってテレビを見ることすら出来なくなってしまった今、フロアーに腰かけておられる施設の利用者さんが羨ましく思われます。一つ一つ自分で出来ることが奪われていきます。哀しいけど、これが現実です。そしてやがてそうなる私の姿です。

 何にも心配せんでいいよ…お念仏の声が義母にも私にも…それでも哀しいですね。(12.4)

「宝林寺報恩講・12月1日」

 12月1日(日)宝林寺の報恩講が勤まりました。ご講師は周南市より「渓宏道先生」がお越し下さり、一日のご縁に遇わせて頂きました。先生は親鸞聖人の史実に基づいてお話しくださいました。聖人のご生涯は法然上人と出逢われ叡山での修行を捨て「念仏のみぞまこと」といき抜かれたものでした。そのお陰で今、私がお念仏に出逢うことができるという、その報恩を教えて頂きました。

 私一人のために開いて下さった「浄土真宗」のみ教えを、有難く聞かせて頂きました。

 昨日はお手伝いに地元総代様、嘉万の総代様が来て下さいました。また、本日は嘉万の街の方4名が加わりお手伝い下さいました。

  「報恩ということ」

 溪先生は山口教区布教団の副会長をされていて、全国各地を布教されています。自坊では2年ぶりのご縁を頂きました。

 親鸞聖人がお出まし下さり、そのおかげで尊いご法に遇うことができました。そのご恩を「お念仏申しあげる」ことで「恩に報いる」ことが「報恩講」です。また、その御恩を、聖人の辿られた道をお聞かせいただくことで、より有難く尊い一日のご縁をいただくことができました。(12.2)


「報恩講、報恩講!」

 昨日は山口別院報恩講が勤まり、宇部北組の参拝日になっていました。加えてお当番組に当たっており、朝8:50分集合。それからそれぞれの担当場所でお手伝いさせて頂きました。駐車場係、お接待係、受付係、本の販売係、お弁当配布等々。

 宝林寺は伝供係になっていました。前日、住職、前坊守とでお供え餅をつきました。2升で2重ね一対のおおきなお餅です。お餅、お菓子、リンゴのくだものを、仏婦人会長の松本さんと前坊守、私、あとは正善寺様の3名でお供えさせて頂きました。静かに流れる音楽の中、山口別院の如来様、親鸞聖人様にお供えさせて頂けるなんて…本当に幸せなことでした。(写真👆お供え物がちょこんと写っています(笑))

 ご満座の28日、400席が埋まる参拝者で賑やかに終わりました。お掃除を終えてお寺に着くと、玄関に大きな大根、白菜が…岡本総代さんが届けて下さっていました。美しい大根に感動しながら、明日からの自坊の報恩講に向けて楽しみな3日間が続きます。(11.29)

 

「準備は着々と!」

 12月1日に向けての報恩講の準備は着々とされています。昨日は総代の福田さんがシイタケや大根など、お斎に使うお野菜を持ってきてくださいました。大きな立派なお野菜たち、お煮しめ、ふろふき大根、白菜の胡麻和えetc.あとは何が出来るかお楽しみです。

 母がパンジーを鉢植えしてくれました。今年はパンジーの花たちを参拝者にも差し上げるため、農協センターで買ってきました。喜んでいただけると嬉しいのですが…。(11.27)

 

「宝林寺の一年」DVDやったね!

 昨夜、報恩講に向けて「宝林寺の一年」という写真をスライドしただけのビデオを作りました。今年の寺行事の写真を撮りためたものから選び、作成しました。

 懐かしい人も写っている写真の数々です。これをお斎を頂いたお昼休みに映す予定です。

 お寺の大きい法座の時を中心に一年間を振り返ってみましたが、実際の日々はコツコツと地味、仏様のお給仕とお勤めとお掃除が日課です。

 代々のご門徒様やお同行様がつないで守って下さった、お法を聞くための道場であるお寺を、次に繋いでいくことがお寺に生まれ、御に仏飯に育てられた者の使命です。が、今や様々な理由から、お寺を護持することが困難になってきています。

 沢山の人の笑顔が写し出されているこのDVDです。この人達に支えられて(もちろん映し出されていない方も)、私もできる限りのことをさせていただこう…と思いを新たにしました。(11.26)

「息をするようにお念仏」

 昨夜、浄土真宗以外のお通夜にお参りさせて頂きました。お式は某葬儀屋さんが来られていて、式の段取りなど説明して下さり、「友人葬」という形で行われました。通夜は、どの宗派を問わず寂しいものです。ただ…寂しい時に口を出るお念仏が申せない(こちらのご宗旨からの決まりです)…ただただ目を閉じ手を合わせるだけでした。

 

 寂しいとき、哀しいとき「お念仏」を申せない、のはとても息苦しいものでした。初めて経験したことです。そして「お念仏」は呼吸と同じ…と言われたことが何となく理解できました。息をするように「お念仏」が出て下さる。吸って吐いてという意識しないままの呼吸のように、親の名を呼ぶ小さな子のように、です。気が付くと、ため息交じりにお念仏が出ています。心が落ち着き「大丈夫、よろずのことは小さい小さい」と大いなる声が聞こえてきそうです。 

 (11.23)

「まぜまぜ会のこと」

 下関のお寺の坊守様が始められた「まぜまぜ会」はみんなで一緒にご飯を食べましょう…というコンセプトです。

今、御本山で推進されている「こども食堂」のみんな版?ともいえるのでしょうか…。どなたでも参加でき、持ち寄った食材でその日のメニューを決めて、みんなでワイワイしながらお昼を準備し、一緒に食べる…というものらしいです。

 坊守様の実行力に感銘を受け、少しだけの食材を送らせていただきました。すると、翌日写真をラインで送ってくださいました。見事!素晴らしいお料理に変身した食材たちが、お皿に並べられ整列していました。

 一つの具材も無駄にしない、素のものを美味しく頂くお料理は、参加された皆さんに大好評だったということで、私もうれしかったです。

 特に、里芋のハンバーグ♡…食べたかったです。

 報恩講は精進料理が基本ですが、その精進料理の基本は「いのちの食材を無駄にしない」ところが大切なのだと、坊守様のお料理から教えて頂きました。

 少しずつ報恩講の準備をはじめています。また一緒にお勤めして、お説教を聞かせて頂き、お斎を頂く…淡々と楽しみながらの報恩講の準備です。(11.22)

 

「11月の常例法座」

 11月の常例法座もおつとめできました。今回が142回目です。大きな法座のある月を除いて、毎月お勤めさせて頂きます。お陰で、今回も近所のご婦人がお参り下さりお正信偈を一緒におつとめしました。後、住職のご法話です。

 阿弥陀様は私ひとりをお目当てのお救いの願を立てて下さった。我が身に起こったことはすべて我が身に受けていかなければならない、厳しい「因果の道理」であります。だれもわかってくれず、独り涙を流さずにはおれない時も、阿弥陀様は「分かっておる、ここにおるからね」と私の苦しみを共に抱き取って下さっている。だから安心して因果を受け入れ、私(阿弥陀様)にまかせてくれよ。

という、お話をお聞かせいただきました。本当に有難い時間でした。

 

 昨日は兵庫にいる長女から連絡がありました。近くのお寺様で「お内仏報恩講」があるからお参りしてくるね…というものでした。また御同行の方からも手紙にて、お寺様でお取り越し報恩講が勤まるので、お斎準備で頑張りますという連絡を頂きました。

 日本各地、報恩講一色、うれしい便りでした。(11.21) 

「七日参り」

 「お仏壇を申すまで、七日参りをお寺様でさせて下さい」

と、月曜ごとお参りされています。昨日も奥さんと子供たち、あと、親戚に当たる総代の丸谷さんが参ってこられました。

 その都度、御供物をお持ち下さいます。お若い二人のお子さんにそうするように言って下さった奥さんと、総代の丸谷さんに感謝です。

 

 お陰で、私もお勤めあとの住職のご法話に遇えます。短い時間ですが、昨日はこの世の無常と当てにならない穢土から、救いたいと願われた仏様のお話でした。

 七日参り毎、住職は短い法話をして下さいます。住職が法務や説教で不在の時は私が代わりに勤めさせて頂きます。

 とても大切な七日参り…だからこそ大切にしっかりお勤めして、最勝のご法縁を共に喜びたいと思います。(11.19)

「11月の寒い日に」

11月の寒い日の昼前、小包が届きました。あて名は以前宝林寺をお参り下さった「サラナの会」の事務局の住職様からでした。先日のお参りのお礼にと、会長と二人で贈ってくださいました。

 中を開けてみると…温かいマフラーとエプロンチュニックでした。「坊守さんのイメージで選びました」というメッセージカードが添えられてありました。

 普段、他人からどんなふうにみられているのかな・・・このようなイメージなのかと、自分を再発見しました。なんだか嬉しかったです。私を思いながら、お二人が一生懸命に品選びをして下さっている姿を想像しました。

 私も時々、プレゼントの品選びをすることがありますが、何を差し上げたら喜んでいただけるのかと、とても迷います。何度も店内を行ったり来たりしながら、挙句の果てには「今日決めるのは無理。また今度にしよう」などということもあるのです。それだけ、人様へのプレゼントは難しいです。だから万人受けする菓子箱等…決まらない時に使う手です。

 こんな風に、私のイメージで選びをして下さったことに感謝しました。なによりとても気に入りました。

この冬はこのマフラーで乗り切れます。これからの報恩講に可愛いお気に入りのチュニックエプロンでバリバリ働きます!(11.18)

「うどん券が大根とみかんに変身!」

 去る11月10日、小野の文化祭にてのはなしです。

数枚うどん券を購入していたのですが、そんなに家族はいないし、貰って帰ろうとしていました。そこに近所の方に出会い、これからうどん券を買って食べるところだそうです。

「沢山、買いすぎたので、これをどうぞ」と一枚さしあげました。

 次の日、その方から大根とミカンが届きました。

 

 田舎の義理、人情の厚さを感じます。

ひと昔まえの日本人が、みな持っていた感謝の気持ちです。

 ただ、うどん券を使ってもらえて、私がお役にたてたことが嬉しかっただけなのに、そのお返しを戴いてしまったのです。申し訳ないなという気持ちと、喜んでいただけたという気持ちです。

嬉しいことは2倍にも3倍にも膨らむものですね。

 お寺に帰ってきた住職に話すと「わらしべ長者」の「うどん版」と名付けてくれました。(11.16)

 

「生命の木」

 法事のために帰省してくれた娘と孫、母とで常盤公園に行きました。

アフリカの植物展を催していたので入館してみました。

バオバブの木はアフリカでは【生命の木】と呼ばれ、幹は「住居」・実や若葉は「食用」・樹皮は「薬」などに利用されているそうです。

太い幹に水分をため乾季を乗り越えます。最古のバオバブは樹齢6千年だそうです。

 不思議な形をした木です。その木には上に書かれてあるように素晴らしい働きをする力があるそうです。幹、実、若葉、樹皮どの箇所をとっても誰かのために役に立つ素晴らしい働きをすることから「生命の木」と名付けられたのです。乾季を生き抜くために今のような木の恰好になったのでしょう。

 ただしこの木自身は誰かの役に立ちたいからと、このような格好になったか…といえばそうではありません。きっと長い年月を経て、自分がこの乾季に耐えうる形に自然となったのでしょう。

 バオバブの木がそこにあるだけで、いろいろな役に立てている。だから、まず、自分が生きていることが大切なのだよと、教えてくれているようです。その上で、役に立とうが立つまいがそんなことはお構いなし。自分はひたすら生きていくだけよ、と、そう言っているようです。(11.13)

「大総代の岡本さん・父の17回忌」

 明日は元大総代をして下さった岡本さんの17回忌法事が勤まります。同じくして2日後には父であり先住幸雄の17回忌を勤めます。(命日は父が12日・岡本さんが16日)父の法事は既に終わりましたが、母、妹や子供たちと当たり日にもう一度お勤めさせて頂くことにしました。

 

 この時期になると毎年のように二人の事が思い出されます。父が往生して住職と二人で最初に葬式を勤めた人が岡本総代でした。

 岡本総代さんは私達の結婚式の仲人をして下さった方です。その方が、新住職と私が葬儀を勤める最初の人でした。何とも言えない岡本総代さんの御はからいを感じます。先に父が往生して、後を追うように岡本さんという…心の支えを一度に失ってしまいました。

 

 お寺の事務も来年に向けて忙しかったりします。(来年法事の案内など)

「しっかり、がんばれ!」と二人の励ましの声が聞こえるのもこの時期です。(11.8)

 

「サラナの会」

 小月組のビハーラ活動をされている「サラナの会」の皆さんが訪ねて下さった。午前中の研修会で「みのり園」(老健施設と障害者施設)を研修され、午後は自坊を訪ねて下さったのです。

 この活動は20年間続いているということです。サラナの現会長の重田さんはやまぐち別院の仏婦会長もされたことのある、知る人ぞ知る方です。(明るくてパワフルな女性)

 ミニ法話会の後、門徒会館でミニお茶会…おしゃべりを楽しみました。住職様、坊守様、門信徒と、ざっくばらんの会で、羨ましいくらい皆さん生き生きとされている姿に感動しました。最後に「ふるさと」の大合唱でお見送りしました。

 

 夕ぐれて、いつもの静かな小野、静かなお寺に戻ります。今日の御同行の方々との出会いをしみじみと有難く、大切な一日となりました。(11.1)

 

「令和元年第1回寺族婦人研修会」

 昨日30日に山口別院で寺族婦人研修会がありました。先生は本願寺派布教使:坂原英見師(三次組 東光寺)で「お寺のご縁づくり」という題で研修しました。

 後に班に分かれて「坊守としてのご縁づくり」を話し合いました。とても和気あいあいの話し合いで、活発な意見が沢山ありました。

 役員の方々と後片付けをしながら、大成功の研修会であったことを喜びました。

 また明日からの元気がもらえて一日頑張ります。(10.31)

「 悪 夢 」

 眠れない夜、やっと眠りについた…と思ったら、知らない砂漠みたいなところを彷徨っていました。道の傍には腐敗した死体?がゴロゴロ横たわっています。それらに触れると私の体が腐っていく…「ああ…私も死ぬんだな」と覚悟して、それでも「こんな所で死にたくない」と、先に進もうとする…進む恐怖と、留まる恐怖を感じながら目が覚めました。「夢かあ…」

 怖い夢を見ながら、「これは夢よ」と言い聞かす自分がいて、怖さのあまり夢を分析している自分がいました。

 寝る前にシリアにトルコが攻めているニュースを見ました。民間人(子供を含む)が砲撃を受けた映像が目に焼き付きました。きっとこのことが悪夢に繋がったんだ…と思いました。でも…。

 同時に仏説の中の「二河白道」のことが思いだされました。行くも地獄、還るも地獄。先に進むしかない白道のことです。「迷わず、仏道を歩め」それしか進む道はないのだぞと仏様は仰っているのでしょうか。今だ、迷いの中の私に。(10.28)

 

「念仏奉仕団」

 宇部北組念仏奉仕団に参加してまいりました。21日から23日までの2泊3日です。

宇部北組からバス1代の参加者、当初予定していた数からは半分くらいでしたが、とても素晴らしいご報謝をさせて頂きました。私にとってははじめての念仏奉仕団参加でした。(感想は追って…)

 中日にお葬式の電話がかかってきました。近所の総代さん達には京都参りの事は申してありましたので、すぐ電話が入りました。幸い京都駅近辺におりましたので、そのまま住職は山口に帰りました。

 半分の行程が残っていましたが、心はここに在らず…ご往生された方の顔が何度も浮かんできます。

行年72歳、まだまだ生きたかったでしょうね。一刻も早くお参りに向かえなかったこと、ごめんなさい。(10.24)

「10月の常例法座」

 昨日(16日)は常例法座をお勤めさせて頂きました。私を含めて3人のお聴聞者( ^ω^)・・・。

 近所の方々が参って下さっていましたが、皆さん年を重ねてこられ、病院通いやデイサービスに通っておられ忙しかったり、またお寺の坂を昇るのがしんどかったり…とetc.

 それでも、住職が京都から自坊に帰ってきて始めた常例が今年で35年目を迎えます。その間お参りの増減はありましたが、皆さんよく参って来て下さいました。

 さて昨日のご法話は「仏様の願い」という話でした。「仏様の願いはただ一つ、この穢土の世界で苦しんでいる人を、誰一人漏らさず救う」ということです。そのため願を建てられ、それが叶わなかったら私は仏にならないとまで言われたのです。

 ご法話の中では、ご主人を病気で亡くされ苦しんでおられる婦人の例話がありました。実際に住職が九州に出講した時の体験をもとに話されて、何度聞いても「まこと、まこと」と頷ける話です。

 ちょうど16日は私の誕生日でした。何にも代えがたいお話を聞かせて頂きました。(10.17)

 

「御同朋の社会をめざす運動」推進協議会(10.14)

 連休の14日、御同朋の社会をめざす実践運動の講習と話し合い法座がもたれ、各寺から3名参加しました。宝林寺からは仏婦会長の松本さんと住職・私です。

 テーマは「浄土真宗とSDGs」でご講師は岡崎秀麿先生(舟木正圓寺)です。SDGsは「誰一人取り残さない」という理念のもと、世界中で展開されている活動で、真宗教団もこの活動に協賛しているそうです。具体的な活動(世界を変えるための17の目標)は例えば

 〇貧困をなくそう

 〇安全な水とトイレを世界中に…などの実践項目があります。

 その中、我が教団では「子供の貧困」についてを重点目標に掲げて「こども食堂」など活動されています。

 

 分科会になって、それぞれ話し合いの班に分かれたとき、プラゴミが大気汚染や海洋汚染に繋がっていることの問題がとりあげられました。具体的にはストローを紙製にしたものを使う、ペットボトルの御茶は用いず、自前で用意する、などの意見がありました。誰が聞いても、とてもいい意見で実際、世界中からもそういった動きがでています。しかし…一方ではペットボトルの会社に従事している人はどうなるのだろう…職を奪われ貧困になる可能性は?…この考え方は極論ですが、一つの問題を解決しょうとすると、また違った形で問題が派生するのでは?

講師の先生の答えはこうです「人間の行動はいつも矛盾を孕んでいるものです。そこに心の痛みを感じながら、それでも良いと思うことを半歩すすめてみる」

 (仏様の願いには叶わない自己中心的な我が身)これでいいのかな?と自問しながらも、良かれと思ったことを実践させてもらう…この考えに頷きました。自信みちみちて、こぶしを振り上げ善き行いをする姿勢(とかく自分は善いことを為していると思っているときはそうなりますが)にはなにか違うと感じます。

 

 真宗の実践運動を考えるとき、いつも何か不安な、違和感を感じます。それは「これこそが正しい」と宗門を上げて皆が何の不安もなく突き進んでいく時の違和感です。勿論、正しいと思われることを為すことに異論はありません。小さな善き行いが世界を変えていくことも嬉しいことです。でも、正しき、善き行いが本当にできるのだろうか…とびくびくする姿勢も大切なのでは、と思います。

 

 真宗門徒ができること、宗門としてできることはやはりお念仏を弘め、ご相続だと思います。「仏様に願われ生かされている身」を知らされたら、実践運動などの広報も必要なく、それがあたりまえの行動になるような気がします。(10.15)

 

 

「一夜明けて」

 10月12日台風19号は関東地方を上陸し、一夜明けその被害の大きさが露わになってきました。神奈川には義姉たちがいます。一昨日の朝☎をしたときは台風の備えに忙しそうでした。停電の時に備えお風呂やご飯をおにぎりに…近年大型化する台風に対する備えは昔から変わっていません。

 昨日の夕方義姉から「停電も深夜8時間くらいで復旧したから、こちらは大丈夫でした」という声を頂きました。でも…それにしても…自然災害の大きさに改めて驚くばかりです。

 自然災害はいつ、どこで起こったとしても不思議ではありません。でも「因果の道理」からすると原因があります。人間が欲のままに「よき生活を追及」した結果がその一因であることは言われています。

 私達にできることはペットボトルなどの購買を減らし二酸化炭素の排出を少なくすることくらいかねーと義姉と話しました。(10.14)

「妙蓮寺様・みんなの家」

 宇部北組坊守研修会で下関の妙蓮寺さまと障害者施設「みんなの家」を訪ねました。参加者7名、厚狭駅集合で在来線を使っての研修会です。久しぶりの電車にワクワクしました。10時頃下関駅到着、そこからグーグルマップを頼りに徒歩で8分して妙蓮寺様にたどり着きました。

 妙蓮寺坊守様と学部時代の先輩が門徒会館の玄関で待っていてくださいました。二階の広い立派な本堂で若院様がお勤めして下さり有難かったです。

 お勤め後、一階門徒会館に移動して坊守様のお話をお聞かせいただきました。坊守様は「みんなの家」を創設された方です。友達に誘われて介護のお手伝いに行かれたことで、次第に障害者施設の介護を真剣に考えるようになられたということです。20年前はまだ障害者に対する社会の理解が進んでいませんでした。そんな中、善意だけに頼るボランティア活動に限界を感じられ、仕事として障害者をサポートする今のNPO法人「みんなの家」を建てられたのです。ここでは障害者が自立して生活できるような様々な工夫やサポートがなされています。ここは障害者、健常者という垣根を越えて、共に安らげる場所です。

 坊守様のお話を聞かせて頂く中で、心に響いた言葉は「本当に好きなことをしてきただけ。本当に好きなことは続けて(続いて)いける。」ということです。最初は小さな事でした。続けていくうちに理解者が増え、仲間が増え、気が付けば、少しづつ活動の幅が広がっていました…とのこと。

 研修会でのお話で、すごいパワーをいただきました。あれこれ考える前に、好きなことだったらやってみよう!

とても元気が頂けた一日でした。(10.10)

 

「スポーツの秋・芸術の秋」

 急に秋…テレビでは連日ラグビーワールドカップの熱戦が放映され、テニスでは大阪なおみさんが2大会優勝、世界陸上もしかり。バレーボールでは女子に続き男子が頑張っています。

ひとつのボールを追いかけひたすらに走る姿に感動します。

 芸術では…昨日小野田の文化祭にライトコールがコーラス出演してきました。コーラスの他にもリコーダーやバイオリン演奏、ハーモニカ演奏など等、音楽を満喫できた一日でした。

 

 昔、ある方が「映画館へチケットを買いに入る。これは感動を買いに行くようなものだ」と言われたことがありました。確かに昨日の文化祭での空間は感動を確かめに、一つの部屋に集結した人々の集まりともいえます(チケット料は要りませんが)

「いい演奏でした」と初めて出会った方に声をかけると、そこに浅からざるご縁を感じます。初めての出会いですが、何やら私にとっては大切な出会いの様に感じます。芸術の秋、音楽の秋…始まったばかりです。(10.7)

 

「プロのカメラマン」

 納骨堂を撮らせてください…と京都のさつま仏具屋さん3名が車を走らせてこられました。仏具屋の新しいカタログを作るためのものらしい。機材をセッチングして、パチパチ数枚の写真を撮られるまでの数分、緊張感が走りました( ^ω^)・・・。

 小さな納骨堂を?カタログの見本に?なるのかしら…と住職と内輪話。でも納骨壇は大谷本廟に収められているものと同じもので、大きさは宝林寺の方が少し大きいのです…(`・∀・´)エッヘン!!

 それにしても全国のお寺様を回って、写真を撮っておられるのだろうな、大変な作業ですね。カタログが出来るのが楽しみです。(10.4)

「第50回山口教区仏婦大会」

 消費税10パーセント開始の今日、教区仏婦大会がここ海峡メッセでありました。なんと今回は50回記念の大会で坊守会からも来賓としてお招きがありました。

 ご講師は備後教区の教専寺住職「福間義朝先生」でした。先生は布教使を育成する伝道院の先生でもあります。

 午前席では数々の震災や災害を通して、無常の中にある私達が本当の拠りどころとするものは何かを、笑いを交えながらも伝えて下さいました。

 午後席では「如来大悲の恩徳」を「恩徳讃」をご讃題に、ご恩がわかれば、身を粉にしても報ずる…親とはなにかを身近な喩から教えて下さいました。

 宇部北組の婦人方、約26人くらいがマイクロバスで参拝しました。心配された台風18号もまだ影響なく、仏様の冥加を感じた一日でした。(10.2)

「義母の敬老会に行ってきました」

 9月28日、義母のお世話になっている施設の敬老会に行ってきました。美しい飾りつけのホールに来賓・スタッフを含めて300人くらいでしょうか…お祝いをしました。

 普段のホールは少人数の利用者さんがテレビの前に座り、静かにくらしておられます。今日の非日常的なホールは義母にとっては刺激の大きいものだったようです。私が声をかけるまで不安な様子でキョロキョロしていました。声をかけるとやっと笑顔を見せてくれました。

 館長挨拶、多くの来賓の紹介のあと、バイオリン演奏で懐かしい歌を聞かせていただきました。のち、ビデオによる利用者さんの日常の様子が映し出されました。施設での催し物に楽しそうに参加されている笑顔の写真…どの写真も楽しそうに映し出されていました。でも…私には、何故だかわかりませんが、哀しいものに映りました。(9.29)

 

「いよいよ秋」

 日中はまだまだ半袖でも充分ですが、朝夕の風は秋ですね。昨日は思い切って毛布と冬用の布団を出しました。(今朝は室内23度…それでも寒さを感じ目覚めました)「暑さ寒さも彼岸まで」と先人たちは言われましたがその通りです。

 夏の暑さの賑わいから一気に、静けさで町を覆う風がそよぎます。これまでふわふわ浮きだった心が静まり孤独の極みに…ハマりそうです( ^^)・・・。

 「寂しいなぁ」ふと感じることが多いのもこの時期です。遠くに行った朋友に会いたいなぁ…。(9.26)

 

「敬老会」

 先日「敬老会の祝い」で慰問コンサートの依頼を受け、介護施設に歌いに行きました。「なぎの木」という施設で新山口駅近くにあります。もう10年も前になりますが、市川の両親も週末はショートステイさせて頂いたところです。

 デイサービスに通っておられる方々30人弱の利用者さんに、歌を聞いていただいたり、一緒に歌いました。仏教讃歌・唱歌などですが、最後に選んだ曲は「故郷」です。介護士さんたちも含め、その場にいた60人の全員で口ずさみました。

 「故郷」を歌うと懐かしいあの場所に一瞬で戻れます。きっと皆さんも同じような想いで歌ってくださったのではないでしょうか。「また歌いに来てね」と別れ際に声を掛けて頂きました。

 

 私も順調に年をとってきて、いずれ向かい側にすわる立場になります。順調であればこそです。そんな時「故郷」をどんな気持ちで歌い、聞かせて頂くのでしょう。

 「楽しい時間」は「哀しい時間」でもあります。これまで社会の一線で活躍されてきた方々の晩年に用意された椅子がこれです。どんなに綺麗ごとをならべても年をとることはやはり寂しい…。

 

 そんな中、大きな声で笑顔で歌って下さる老婦人「ごちゃごちゃ言っても始まらないよ。なるようにしかならないのが人生。それを受け入れて、わたしゃ今が一番(と言っておられるように感じました)」…慰問に行った私が逆に励まされ力をもらいます。

 

「なるようにしかならない人生」を仏様は「なるようにはなる人生」に転換させてくれる智慧を私に下さるのですね。老婦人を見ていてそう感じた敬老会の一日でした。(9.24)

「子供たちへ」

 秋のお彼岸です。(20日から26日)

お彼岸のことを記していて、はて?我が子供たちは「お彼岸」の意味が分かってくれているだろうか…と心配になり、慌ててメールを送りました。

 

 若い人のお寺離れ~と言われて久しいです。女性も社会に出て働く方が多く、たまの休みでは家事をすることが多く…と聞かされます。一週間がアッという間ですね。たまにお休みがとれたら、家族だけでのんびりしたい、というのもわかります。

 

 仏縁にいつ、どのようなかたちで恵まれるかわかりません。でも大人の私達、親たちが、今できることを、出来るときに伝えていく。たとえ、今は理解してもらえなくても。いつかは「親があんなことを言っていたな」と思ってくれるかもしれない…とほのかな期待を抱きながら( ^ω^)・・・。(9.22)

 

「お彼岸に」

 今朝は4時に目覚め、温度計を見たら室内が22℃…寒く感じるはずです。「暑さ寒さも彼岸まで」昔の人はよく言ったものですね。

 お庭にあった菩提樹の木を本堂に入れました。それまで秋の声を聞く頃、全ての葉が落ちてしまい、病気の相を見せていた菩提樹の木です。それを心配した住職が植木屋さんに相談して、室内に入れたころから冬も元気で越せるようになりました。

 

「菩提樹の木」は仏教徒にとっては神聖な木です。お釈迦様がこの木の下にお座りになり、お悟りを開かれた木です。

 こうしてはるばる日本の片田舎までやって来た菩提樹の木がお寺の本堂に佇んでいます。この木を眺めながら、遠くインドから教えを運んで来て下さった祖師を想います。教えを守って下さったご先祖様を想います。

お彼岸は教えを聞き開かせて頂く、善き日です。(9.21)

「なぎの木敬老会のお祝い」

 9月17日は林病院介護施設「なぎの木」の敬老会お祝いに行ってきました。午後1時50分から25分間を頂き、コーラスや皆さんと一緒に歌いました。

 通所リハビリで自宅から通われる方々30人弱の利用者さんです。とてもノリがよく、大きな声で歌って下さいました。

 利用者さんのご家族や、何処でどのように生きてこられたか分かりません。皆さん人生の大先輩です。たまたま今日のご縁で出会い、短い時間を共有できたことは有難いことでした。

 「また歌いに来てね」と言って下さった方のお言葉が胸にじーんと来ました。

 やがて、私たちもお世話になる時がくるでしょう。長生きを祝ってくれる人があることは幸せなことだと思います。それ以上に、年をとっても可愛いお婆ちゃんになれるように、施設の方々から学ばせて頂いています。(9.18)

「が・ん・ば・れ!」

 朝、目が覚めても、身体が思うように起きれない時…「年かな」と感じることがあります。連休の今日、連休であることすら忘れている…休みの日の感覚がないのです。(お寺はいつでも仕事、いつでも休み)そんな時「がんばれ!」と自分に言い聞かせます。

 社会で働く人も、お休みがまちまちで連休なんてお構いなく仕事に追われている人も沢山おられることと思います。その方たちに「がんばれ!」とエール。

 あなたの働きのお陰で、沢山の人が助けられています。笑顔で一日を過ごせます。だから「がんばれ!」「がんばろう!」(9.16)

 

「手作りの竹灯籠」

 祖母の33回忌に伯父様(父の妹の夫)からお供え下さいと、手作り灯明を頂きました。竹を切り、乾燥したところで作られたものらしい…長い時間をかけて作られた作品であります。

 門徒会館の名号の横に立てさせて頂きました。横の花筒も手作りです。細かな細工に、竹の素材の持つ優しさが伝わってきます。温かなぬくもりのある作品です。

 しばし眺めながら、お斎を頂き、久しぶりに集う兄妹たちの会話に花が咲きました。

 次に皆が元気で集えることを約束して、一日のご縁が終わりました。

 門徒会館は不特定多数の方々が集い、使われる場所なので、いつも安置するというわけにはいきませんが、興味のある方は見に来て下さいね。(9.11)

「父の17回忌に」

 来週の月曜日に祖母の33回忌と父の17回忌をお勤めします。法事で二つを一緒にするなんていけないことですが、法事を勤める遠方の親戚たちも再々集えないことから、祖母の当たり日に近い9月にさせてもらうことになりました。(11月の父の当たり日には改めて寺族と近くに嫁いだ妹達とだけでお勤めします。)

 13号台風を心配して昨日の内に買っておいたお花を入れました。

 お荘厳の灯明と佛華は、仏様を拝む私たちのためにあるもので、私の限りある命と限りある寿命を教えてくれています。

 でも、この時期たびたび入れかえなければ枯れてしまう仏花です。「私のために」とばかりは思えず、ついぞんざいにいれてしまう時があります。

 そんな時、法座や法事で本堂のお花を入れさせていただく時は、ご縁あり、こうしてお荘厳させて頂いていることを想います。有難い法事のご縁を通して、少しだけですが心を込めたお給仕でお供えさせて頂きます。(9.7)

「供華のこと」

 蓮仏教婦人会では「献灯・献花・献香」を致し、音楽法要で讃仏します。毎年行ってきて、今年で23年目です。

 いろいろな仕事をしてきた「手」ですが、最も美しい所作が仏様にお供えする時の「手」だと、私は思っています。大事なものを大切に抱え、静かに歩き、御仏様の御前に歩み出でて、住職様にお供えして頂く。

 常に掴み、がつがつと働いてきた「手」ですが、「献ずる」時の所作は、全ての物をいったん仏様にお返しします。

 お花は「仏花」にお供えされることが一番幸せだよ…と教えて頂きました。お花たちの命を私の命と重ねてみさせていただく時、お花が仏様の働きをして下さっています。勿体ないことでした。(9.3)

「佐賀県の水害」

 毎年自然災害による被害を目にします。昨日は大雨により九州地方、特に佐賀県の方々が大変な被害に遇われているということ。同時に山口県でも避難勧告のお知らせが次々と入り、実際に近くの集落で裏山が崩れ避難されています。

 毎年、自然の猛威が牙をむき、その力の大きさと、自然の前では人間の無力さを感じます。

 人の生き死にはほんの一瞬、儚いものだなあとニュースで知らされます。昨夜は我が家でも大雨が屋根を打ちつける音、雷でやや寝不足でした。

 そんな中、遠くの友逹や親せき、近くの方々からも心配して電話やメールを下さいました。会話の後どっと涙がでてきました。声を聞いて安心したのでしょう。心配してくれる人がいることの幸せを思いました。

 儚い命を今日生かされている…そんなことを味わえた日でもありました。(8.30)

 

「田舎の小さなお寺のホームコンサート」

 八月、夏休み最後の日曜の夕刻、市川ピアノ教室の生徒さんの小さなホームコンサートをいたしました。32歳からお教室を開き今日に至ります。20何年間、よく続けて生徒さんが来て下さったものだと…感謝します。

 ご家族(おばあ様や親せきの方まで)可愛いピアニストを見るために、いや聴きに来て下さるために、時間を空けて下さいました。

 3番目の子を出産して半年から細々とピアノ教室を開いてきました。(その子がこの春、結婚しました)あまり根気がない私ですが、長く続けてこれたのは勿論、ピアノが好きということがあります。その上で、お教室に通って来て下さる子が可愛い。今や、子供たちの「お母さん」から「お婆ちゃん」と同じ世代に突入した私ですが、生徒さんを見る目も変化してきました。とにかく無条件で可愛い。

 仏様の助縁助になればと始めたことですが、逆に子供たちを通して私がご縁に遇わさせて頂いています(8.26)

「小指について」

 お盆参りが始まろうとする頃、足の小指を痛めてしまいました。テーブルの角で思いっきり足の指を打ち付けてしまいました。「目から火が出る」とはこの時のことを言うのでしょう。自分がやらかしたことでしたが、打ち付けた痛みで逆にテーブルに文句を言う始末…。

 お参りのさなかは正座に苦労しました。座ってしまえばどうもないのですが、座る前の動作がうまくできません。足の指の付け根を動かすと「目から火」の痛みが襲ってきます。情けないのですが何とも無様な動きで、やっと正座できました。正座から立つときも同様です。

 普段は何とも思わない足の小指でしたが、いざ痛めてみますとこれまで大変な働きをしていてくれたことがわかりました。一番端で、控えめな位置にある小指ですが、小指が動かせないとロボットのようなぎこちない動きになります。また、よく言われていますが5本の指をしっかり地に着けて歩くことが、膝の痛みや体のゆがみを無くすことにつながるそうです。

 指一本、不調だっただけでもこんなに不便を感じます。体が不調を感じさせることなく動いてくれていることは当たり前ではありませんね。有難いことでした。

 お盆が終わり、夏休みも終わりにさしかかった頃、小指が普通に元気に動いてくれるようになりました。

「ありがとうね…」

痛い目を見ないと、小指に感謝できません。仮に今、感謝できてもすぐ忘れてしまい、愚痴がでる日暮しです。

でもそんな私にかけられた仏様の願いだからこそ、ありがたいのです。(8.23)

「蓮仏婦の役員会」

 秋法座に向けて仏婦の役員会をいたしました。平日の会議ということもあって参加できた人は住職も含めて7人でした。

 会を存続させることが何事においても難しくなってきています。高齢化、過疎化、少子化様々なことが全て当てはまるこの宇部北組のお寺です。その中にある我が寺においても同じ問題を抱えています。

 そんな中、役員さんから「お寺の婦人会会員でバス旅行をしましょう。親睦を深めることで、お寺参りのお誘いがしやすくなる」と仰って下さいました。前向きに考えようということになりました。

 あの手この手を駆使してみて色々なことをやってみる。それでもだめなら。またその時考える…さすがご婦人たちです。また新たにパワーを頂き、秋法座をお迎えする準備をさせて頂きます!(8.22)

 

 

「お盆が去って」

 お盆中に嫁いだ長女夫妻次女夫妻が帰省してくれました。長女夫妻には1歳9か月になる子がいます。兵庫県から満員電車を乗り継ぎ帰ってきてくれ、次女は新潟県から新幹線を6時間かけて帰ってきてくれました。

 仕事の合間の短い休みを使って、里帰りしてくれたのです。本当に楽しい時間でした。何をするでもない、ただ元気な顔を見せてくれること、それだけで一番の親孝行であることを嫁いだ娘たち、婿殿達はよくわかってくれています。孫の成長を垣間見ることができて嬉しく幸せなことでした。

 せっかくのお盆休み、自分たちだけでのんびり過ごしたいと思ってもいいはずです。貴重な休みの時間をじじばばのために使ってくれてありがとう。

 置いてきぼりにされた玩具、「またよろしくね」と部屋の片隅にしまいました。(8.20)

 

「8月16日」

 令和最初のお盆参りも今日で終わります。暑い中、後ろで一緒にお勤め下さるご門徒さんも大変だったことと思います。本当にお世話になりました。

 お盆最中、2件のお葬儀が入りました。82歳と62歳の方でした。なんとも…いつとは決められない「死の縁」です。

 頭がうまく回らない内にお盆参りが終わり、今日改めて振り返ると忙しい数日間でした。住職も「よく身体が持ちこたえてくれたね」と…思います。

 ご門徒さんも歳を重ねていかれます。毎年待っててくださったご婦人が施設に入られ、代わりに息子さん夫婦が町から来て下さったりしています。いつも会えると思っていた人に会えないことは寂しいことです。一日一日を大切に。私もご報謝させて頂く時間が短くなってきたように感じるこの頃です。(8.16)

 

「子供たちの成長」

 お盆参りの最中、一緒にお参りして下さる方は私よりもご年配が多いのだが、たまにお若い方もある。「お子さんはいくつになられました?」とお尋ねします。「中学になりました」「高校に入学しました」「・・・」と。驚きます。確かにこちらが年をとるわけです。

 お寺の初参式に来て下さった赤ちゃんが一年ごとに成長し、大きく育っておられるのを見せてもらうにつけ、頼もしく思われます。

 

 やがて、バトンを渡す時が来ます。その時にどんなバトンを手渡すことができるのでしょうか…幸せ色のバトン…ご先祖様から頂いたお念仏のバトンを、次に渡す。一番の幸せ色のバトンです。(8.8)

 

 

「墓掃除をしました」

 昨日は集落の墓掃除の日でした。男性は主に集会所周辺と公園の草刈り、女性は墓掃除でした。

 女性は私と母を含めて15人…年々参加者が減少傾向にあります。

 掃除を終え、アイスクリームとジュースを頂きながら休憩、女性たちの世間話が始まります。

 すべての工程を終え、盆参りから帰ってきた住職と夕食を頂きながら、一日あったことをしゃべっていました。

 ふと住職…「墓掃除のご婦人方の中で君が一番若いのでは?」確かにかんがえても見なかったことですが私がギリギリ50代。あとは皆さん60代70代80代…のご婦人でした。

仮に、私が20年、墓掃除をできたとして、何人の方が一緒にいて下さるのだろうか?考えると恐ろしいことです。

 

 でも私が20年元気で墓掃除できる保証なんてありません。ですからいらぬ心配をするより、今年も墓掃除ができたことを喜ばさせてもらおう…と思いました。(8.5)

「お盆の準備」

 昨日から住職は本格的な盆勤めに入りました。私も今週土曜日からボチボチお参りを始める予定です。その前に市川家のお盆の準備をしておこうと思い、昨日盆提灯を出しました。(写真は昨年の)

 

 提灯は往生された方が迷わずここに帰ってこられるための灯り…と一説に聞いたことがあります。真宗の教義とは少し違いますが…提灯はお盆らしくていいなと思います。また、昨年往生した義父のために義姉たちからも提灯を頂いたこともあり、その気持ちが嬉しくて、今年も飾りました。

 

 まだあかりは灯していませんが、本当に義父が我が家に帰ってきたように思います。教えの上からは、「亡くなった方はお浄土に往生され、仏となり還相回向の仏となりわが身の上に働いて下さる。」と、お聞かせいただいても、人情として、やはりお盆には特別な思いがあります。

 

 昨年までも沢山の有縁の方をお見送りしました。懐かしいお浄土の住人が

増えて、賑やかです。やがて参らせて頂きます。(8.2)

 

「障害者施設のこと」

 昨日は下関に用事があり行ってきました。

「みんなの家」という障害者デイサービスをしている所を訪ねました。訪ねるのは今回で2回目です。施設の立ち上げはお寺の坊守様です。かれこれ20年になるそうです。

 初めて訪ねたとき、何とも言えないほんわか元気を頂いて帰り、それ以来、大好きな居場所の一つになりました。大学の時の先輩(坊守様)がここの施設で訪問介護をされており、昨日は先輩に下関駅周辺を案内してもらいました。(10月の北組坊守会の下見も兼ねて)そこでなんと…このホームページで友達になったoさんとも偶然お会いすることができました。7月からこの施設で働き始められたとのこと。

 

 ここの施設の方々とおしゃべりしながらふと思ったことです。先の選挙で話題になった障害者の方2人の議員さん、騒ぎすぎかなとも思います。どんな人にもそれぞれに違いがあり、その違いをその人の個性というならば、健常者と言われている方と障害者と言われている方との違いは大したことではないのでは…。あえて「政党」をたてても、たてなくても障害がある方が、普通に選挙戦を戦い、当落を報道される。この普通のことが普通に受け入れられる社会になればいいなと思います。

 

 下関駅周辺をぶらぶらしながら、懐かしい学生時代のことを想いました。タイムスリップしたようなあのころに帰っていきます。先輩の優しさはいつの時も変わりませんが( ^ω^)・・・。(7.30)

「施設の夏祭り」

 昨夜は義母がお世話になる施設の夏祭りでした。薄っすらと暗くなり始めた夜7時、賑やかなBGMが流れ、夏祭りの始まりです。

 テーブルを用意して頂き、用意されたやきそば、タコ焼き、かき氷、そうめん等々…頂きながらカラオケや盆踊り、ラストは花火で締めくくられました。

 久しぶりの野外は義母にとっては竜宮城(亀の恩返し)から帰ってきた人と同じようだったかもしれません。周りを珍しそうに見まわす義母の顔は不思議なものを初めて目にする子供のようでした。

 

 昨年の夏は体調を崩し、義母は1ヶ月間入院をしていました。一昨年の夏は義父と二人でこの夏祭りに参加させてもらいました。

 遡って振り返ると同じ夏祭りでも違います。楽しいけれど哀しい…施設の夏祭りです。(7.27)

睡蓮の葉にかえるがいます。見つけてね。
睡蓮の葉にかえるがいます。見つけてね。

「お盆の準備、着々と」

 昨日でお寺の周辺の植木剪定が終わり、片付けのお手伝いをしました。毎年、総代の岡本さんが剪定に来て下さり、門徒の伊藤さんが片付けのお手伝いに入って下さっていました。その伊藤さんが御往生されたのです。

 住職と私、今年84歳になる前坊守の房枝さんもやる気満々で、剪定された木々を片付けました。

 台風や大雨と大型化する自然災害に備え、周辺の高い木々を胸の高さくらいに揃えてもらいました。切り込まれた木がトラック2台分になりました。(お寺の後ろ半分だけで)

 スッキリした周辺を見渡し、「よくまあ毎年、木々たちは伸びるね。」とその生命力を住職と讃えました。

 一方で、来年も片付けのお手伝いができるかしら…剪定して下さる岡本さんもいいお年で、私たちも充分、年々年を重ねていきます。一抹の不安を抱えながらも、何はともあれ今年もお盆をお迎えする準備が整いつつあることを慶びました。今朝はさすがに寝坊して…5時過ぎに起きました。(7.25)

 

「お天道様のお陰」

 昨日「仏教讃歌の集い」のDVD,CD、写真を整理して各団に発送できました。「終った~」という実感!

 改めて写真など眺めながら,沢山の方がお手伝い下さったんだなと、改めて実感。本当に世話になりました。実際にはご案内係、舞台運営係、駐車係、記録係、お昼のお弁当係等々…細かい仕事がありました。皆さんのお陰でつつがなく終えることができました。(何度お礼を言っても言い足りない)

 でも一番のお陰様はお天道様です。この日穏やかな日和を下さって、皆さんが安全に会場まで足を運んでくださいました。

 仏教では「仏様の冥加」と頂きます。どんなにすべての準備を整えようが、会が開かれないことにはどうしょうもないです。すべてのご縁が整い、開催され、終えることができました。本当に有り難うございました。

 

 8月からは本格的なお盆参りが始まります。それを終えると秋法座…今日の静かな一日にお盆の準備をしようかナ…。尽きることがないご報謝をワクワクしながら、させて頂きます。(7.23)

 

「一心会主催夏法座」

 去る7月14日(日曜日)一心会主催夏法座が厳修されました。会長の岡本利清さん導師でお勤めし、ご法座2席の昼法座でした。ご講師は下関市より浄満寺住職の新先生でした。

 新先生は御年42歳?のお若い先生です。住職を継職されて今年で12年目だそうです。静かな話しぶりで法を説いて下さいました。お若い布教使さんが次々と生まれ、法灯を伝えようとして下さるのは本当に有難いことです。お若くして住職になられたことで、沢山のご苦労がおありだったと思います。

それ以上に「ご門徒さんに助けられました」とおっしゃっていましたことが、立派だなと思いました。

 

 今年の夏法座は通常の法座のお参りの3分の1の人数でした。終えてから疲れがドッときました。これからの法座の在り方は住職と折に触れて話し合っていますが、事は急務!…人の話をじっと聞く事が難しくなってきた時代です。

しかし真宗のご安心(あんじん)は「聞」に始まり、終わるーのですから聞かせてもらわなければ始まりません。どうしたら聞く場のお寺まで足を運んでもらえるのか…と苦心。私が問われているのですね。(7.17)

「ムカデのこと」

 無量寿堂(納骨堂)にお参りしたいと、東京から参拝がありました。住職は出講中だったので、私が本堂でお勤めさせて頂き、坂を降りて堂にご案内させていただきました。

 住職の代わりなので精一杯お勤めさせて頂き「よし!今日は最高にいいお勤めができた!」と内心喜んでいました。

 

 全てを終え、無量寿堂を出たとき「きゃっ!」という悲鳴。

なんと、お花の水桶にムカデがお腹を出して死んでいます。しかもその大きさといったら…。

 お参りの方の一人が「まあ、このムカデ。作り物みたいね。おもちゃのムカデにそっくり」と言われました。

「はて?」玩具がこの生きたムカデを真似ているのですが…と言われて可笑しかったです。でも死んだムカデを前に可笑しいと笑うのも不謹慎で失礼なことです。

 たまたまお参りに来たムカデが、堂の壁を登っていたのに落ちてしまった。そこは水が張った花桶の中だった…と考えると、可哀そうなことをしてしまいました。ごめんなさい。(7.10)

 

「第21回仏教讃歌の集い」

 今年の山口教区仏教音楽連盟による「仏教讃歌の集い」がライトコールアンサンブルお引き受けで開催されました。

 総代さま、蓮仏教婦人会の役員さん朋友がお手伝い下さり、無事務めることができました。感謝申し上げます。

 一番気にかかっていたことはお天気でした。昨年の今頃は大雨による災害が西日本で起こり、被災された所ではいまだにその爪痕が残ったままです。

 今年は晴天に恵まれました。何とか無事に開催されたことを慶びました。

 

 仏教讃歌は仏様のお心を歌にのせて讃嘆するものです。美しい言葉が散りばめられた歌詞にメロディーがのせられています。聞くだけでも有難いのですが、大きな声で歌うと気持ちいいですよ。

 集いの最後には各団員と会場の皆さんとの全体合唱で盛り上がりました。

「仏ここにおわします」…仏様に抱かれた温かい一日でした。(7.9)

 

「 紫陽花 」

 やっと梅雨に入ったかと思ったら、九州地方は大雨です。ひどい災害にならなければいいが…と心配です。

 

 お寺に咲く紫陽花の花は青い色、もしくは紫いろに近いです。お寺の坂を下った所の紫陽花の花はピンク色をしています。同じ紫陽花でも、咲く場所によって色が違うのですね。土地の性質で色が決まるらしいです。

 

 紫陽花の花を見ると、画家「いわさきちひろ」さんの絵を思い出します。パールカラーの紫陽花の花にちょこんと腰掛ける花の妖精。真っ赤な傘をさした女の子が不思議そうにこちらを見ています…。本当に妖精が住んでいてもおかしくないような花です。

 

 梅雨の時期、ジメジメした時を優しく慰めてくれる花です。(7.1)

「プラム」

 気が付けば、6月の最後の金曜日!本当に早いですね。

下小野橋を渡ってなだらかな山道を登っていくと住職の果樹園があります。先代の父が大根を作っていた畑です。無農薬が自慢の畑は、気が付けばイノシシが耕してくれています。

 毎年、プラム・梅・キューイなど実をつけてくれます。何の肥やしも、大したお世話もしないのですが、その時期になるときちんと育ち、実を付けます。本当に立派です。

 

 昨日はその施しを頂きに住職と畑に行きました。丸く程よい赤みがかったプラムが、「ここにあるよ」と言わんばかりに実をつけていました。お日様に向かっているものや、鳥たちから実を守ろうと葉の影に上手に実をつけているもの、様々です。

「少しくださいね」と小枝についたプラムをもぎました。直ぐに折れてしまうような小枝にいくつもの実が連なっています。食べきれないほどの果実はご近所さんや、お寺に来られた方々に頂いてもらいます。甘酸っぱいプラムが食卓に並ぶと元気になれそうです。

 昔、父が畑に通う姿を思い出しました。愛用のおんぼろ自転車をこぎながら食べきれない大根を家に持って帰ってくれました。今年の11月、17回忌を迎えます。(6.28)

 

「ラストスパート」

 7月7日の山口仏教音楽連盟「仏教讃歌の集い」がせまってきました。今、メンバー達と当日の打ち合わせなど、少しづつ進めていっています。音連は山口県のお寺様の中14団体が登録され、毎年1回、「集い」が持ち回りで開催されています。今年は宝林寺のお引き受けです。

 メンバー以外にも当日ご門徒様や友達が12~3人お手伝い下さいます。ありがたいことです。

 

 「仏教讃歌」は仏様の教えを分かりやすく、誰でも口ずさんで頂けます。例え病気で床についておられても、歌を届けることができます。ご自身を励ましてくれます。

 会を続けることは、何れも難しくなっている昨今ですが、私の体と心が元気な限り続けていきたいと念じています。(6.23)

 

「ビハーラのこと」

 昨日は坊守・寺族婦人連盟総会が山口別院でありました。総会後、京都「ビハーラ病院」でビハーラ僧として在籍されている花岡先生のお話を聞かせて頂きました。

 ビハーラとは「やすらぎ」という意味の言葉です。ビハーラ病院は「終末医療」を目的に建てられた本願寺直属の病院です。ここでは余命宣告を告され、最期をどのように迎えたいかをお医者様・看護士・医療スタッフそれに僧侶が加わり、共に寄り添う病院です。キリスト教のチャプレンのような存在です。

 実際の患者さんのスライドを見せて頂き(勿論許可を得て)

ながら、その患者さんが入院されてから、お浄土に往生されるまでの「心」の変遷が映されていました。突然の癌告知から一年、お若く独身の彼女がこの病院を訪ねてこられた時の、院長先生の一言がうれしかったそうです。「よく頑張ってこられましたね」

 

 人生を歩く時、どんな時も前を向いて、辛い時も歯を食いしばって、泣きたい時も笑顔を作って…頑張っている。立ち止まったら、本当に涙が出てきそうで…もっと辛くなるから。

 でも頑張れなくなった時、それを認めてくれる人がいた。自分を丸ごと受け止めてくれる人がいた。それは彼女にとって、とても嬉しいことだったとおっしゃっていたそうです。

 

 ビハーラに必要なことは「寄り添う」ことだと教えて頂きました。ただ相手の言葉を聞き、頷き、一緒に泣くこと。本当に難しいことだと思います。その方を丸ごと受け止める…仏様のようです。

 話を聞かせてもらいながら、いつか私もどこぞの病院にお世話になるでしょう。その時どんな景色が見えるのか、分かりませんが…でも大丈夫。大丈夫だと思います( ^ω^)・・・。仏ましませば。(6.19)

 

「お聴聞の日」

 昨日は宇部北組仏教婦人連盟総会が萬福寺さまであり、中村教務所長のお話を聞かせていただきました。

 一昨日はお別院の永代経法要に遇わせて頂き、足利孝之先生のお話を頂きました。

 毎回お聴聞をさせて頂けて有難いです。お聴聞をしたからといって、私自身は何も変わり映えがしません。いや…年だけはとり、ますます我が強くなっています。「分かっちゃいるけど、やめられない」なんて進歩のない情けない我が身ですよ。

 足利先生は御年88歳。その上で壇上に立ち、お説教をして下さっています。以前聞かせて頂いた頃の先生と変わっておられず、若々しいお姿で、早口でお話されます。昔のお説教では「しゃんとせい」や「いやらし~い」を連発されて…それもお聴聞の方が退屈しないような配慮からでした。

 先生が子供の頃、お寺で生活された実話は、「そうそう、そんな時代だったな」と懐かしく思われました。

 

 偶然にも中村教務所長も同じように、ご自身の子供の頃、おばあ様にお育て頂いたお話は心に残りました。お念仏申す生活が念仏者として一番大切だといわれました。時代は令和…「温故知新」とは少し違いますが、新しい時代であっても、人間の悩み、苦しみは大差ありません。生まれたなら必ず死にますから…その中で自分は何を子孫に伝えることができるのだろう…時間は迫ってきました。(6.12)

 

「一心会」

 昨日8日は一心会の総会でした。この会は住職がまだ若院の時「自分と一緒に仏教を学び、お寺を支えてくれる同朋の会」として、会員を募り結成した仏教壮年会です。かれこれ26年になります。

 皆さん住職と同じように年をとられ、すでに「総代」職をされておられる方々も…経ってみれば早いものです。

 総会の後、お楽しみの懇親会です。今回は外でバーベキューをしてみようということで、野外で焼き肉です(お寺で焼き肉…というのもちょっと抵抗ありましたが…)

 私は専らお肉を焼く係でした。昨日は風が強い中、火の起こり具合を見ながら上手に肉を焼くのは難しいものです。でも皆さんがおいしそうに食べている姿を見るのは嬉しいです。

 

 会の終わりには焼きおにぎりの出番です。炭火で焼いたおにぎりは美味しい!おこげができたおにぎりを懐かしくおもいました。子供の頃はまだ釜でご飯をたいていました。その炊き加減は難しかったです。母におそわりながら、どうしたら効率よく美味しくご飯を炊くことができるか…まきも少なく(省エネです)生活の知恵を年上の人から教わったものです。釜のおこげをおにぎりにして頂きました。本当に美味しかった記憶がよみがえります。

 今は昔( ^ω^)・・・。(6.9)

 

「6月別院常例法座」

 昨日は午前中、山口市で総会を終えて午後からは楽しみにしていた別院での常例法座に会わせて頂きました。

 ご講師は「渓宏道先生」です。昨年度の常例法座でも渓宏道先生のご縁に会わせていただき、今年の宝林寺の報恩講でも渓先生にご出講いただきます。

 先生は「癌の手術をされてから5年が経ち、定期健診でお墨付きをいただきました」と話されました。すっかりスリムになられた先生です。一時期は住職と心配しました。布教団の副団長をされていて(団長は輪番様)、布教団を支えて下さる大切な方です。その先生が病気を克服されてお元気でこうして布教に立って下さることは嬉しいことです。

 

 昨日のお話で「お札を売らず、750年一番大きな教団として栄えているこの浄土真宗は不思議…と、思われませんか?」とおっしゃられたことが胸に残りました。浄土真宗は自分たちの欲の願いとは取引をしない。そんな欲の煩悩から離れられない私をみそなわし(憐み)私のための本願を起こして下さったのだと、教えて頂きました。

 誰もが如来様のお救いから漏れることのないよう、何の条件も付けることなく、ただ我を信じ、我が名を称えてくれよ…と、おっしゃる。本当にかたじけない親様(阿弥陀如来さま)です。

 また12月には先生のご出講を楽しみにお待ちしております。(6.6)

 

「 献音?」

 昨日はご葬儀があり、今日喪主様とその長男さんが礼参に来て下さった。

 お斎を差し上げながら、御主人様の在りし日のことを聞かせて頂く。想像していた人物像とは違い(外見から亭主関白と勝手に思い込んでいた…)内でも外でも、とても奥様に優しい方だということがわかった。

 奥様曰く「主人は優しい人でした。私は○○年生まれなので、夫婦喧嘩になると、主人は譲ってくれました」とのことでした。

 葬儀の最後にお孫さんから「献音」がありました。「献音」とは?こんな言葉があるのか分かりませんが、お爺ちゃんに最後に音楽のプレゼントをしたいということで、会場の電子楽器で一曲演奏されました。初めて触る楽器を弾きこなすのは難しい…それを分かっているので、内容は兎も角、青年がよく弾いたなと感心しました。

 

 これからも葬儀のスタイルはその時代に応じて変わっていくのでしょう。でもね…変わって欲しくないところもあります。もう私も昔人間と呼ばれる人種でしょうが( ^ω^)・・・。(6.4)

 

「こぶしの里~恵信尼さまの故郷へ」

 新潟に嫁いだ娘婿に車で案内してもらい、親鸞聖人や恵信尼様のご流罪の地を訪ねて参りました。

 いつか訪ねたいと思っていた新潟の地に、今、来れたことが不思議でした。末娘が新潟に嫁がなければ、このような機会にも早々に恵まれなかったことです。

 

 聖人が御着きになった居多ヶ浜を眺めながら、広々とした日本海を聖人、恵信尼様はどのような想いでご覧になったのだろう…と、こみ上げるものがありました。

 国府別院にもお参りさせて頂き、大きな聖人のお姿を拝し、お勤めさせて頂きました。国府別院は200年経つ、古い建物です。その横に新しく事務所が建て替えられていました。別院の方に少しお話を聞くことができました。現山口別院の教務所長である中村先生をよくご存じで、中村先生が初めて教務所長として任に着かれたのがこの国府別院だったと伺いました。

 のち、恵信尼様が顕彰碑を建てられたこぶしの森に行きました。こぶしも数本は大きく育っていましたが、森と呼べるように、これから沢山のこぶしを植えるような準備がされていました。恵信尼様の館では聖人と恵信尼様が如来様を中心に両脇に安置されておられました。とても嬉しかったです。

 

 何年後かには「こぶしの森」の木々は青々と葉を風に揺らせ、恵信尼様が愛でられた清らかな花をつけてくれることでしょう。その時、また尋ねてみたいと思います。(5.31)

「育む水・奪う水~親鸞聖人御降誕~」

 今日は新暦の親鸞聖人のお誕生日です。住職も朝早くから出講しました。

 

 昨日までは九州地方にかけて大雨になり、災害の様子がテレビに映し出されていました。年々大きくなる雨の災害です。昨年の事が思い出されます。大阪、広島、倉敷…と、雨による災害や地震が立て続けに起こりました。

自然の力の大きさ、怖さを知らされることが多かったです。

 全てを呑み込んでいく水の怖さは、経験された方でないとはかり知れないものでしょう。「恵みの雨」は、時には「命を奪う雨」になってしまうのです。

 

 何年ぶりかで、花を咲かせました。住職がどこかのお宅で頂いてきた球根がやっと花を咲かせました。(右写真)球根は水だけでグングン育ち、なんと立派な花が…何年もの間、花を咲かせる力を蓄えていたのでしょうね。しかもその源は「水」のみです。命を育んでくれる水です。

 自然の摂理に驚きと敬いを思いながら、今年も聖人のお誕生日に逢えたことを喜ばさせて頂きます。(5.21)

 

 

 

「 花音(はなおと) 」

「花音」と書いて「カノン」と読ませ、音楽用語や最近では人の名前に名付けられることもあります。美しい音の響きですね。

 以前、ある方から聞いたことがあります。

「睡蓮の花(だったと記憶しているのですが…)はね、最初に花が開く瞬間、音を立ててひらくのよ。耳をすませて聞き入らないと聞こえないくらいの小さな音。その花の綻ぶとき聞こえる音を花音(はなおと)というのよ」

 

 お寺にある睡蓮は今年も沢山の花をつけてくれました。睡蓮は朝日が昇るころゆっくりと花が開き、夕方になると「お休み」と花を閉じます。開く時まだ音が聞こえるかしら…その音を聞こうと、朝、待ち構えていますが、なかなか聴こえません。

 

 今朝、早くお寺を出かけて行った住職に代わり、本堂でお朝事を勤めていた時の事、荘厳の仏華がプチっと音をたて、揺れました。「あっ!ゆりの花音かな!」

 その時、プチっと音を立てたかどうかは、実際のところ分かりません。でも私には百合の蕾がほころぶその音が聞こえたように感じました。

 「花音」は聞こうと待ち構えて聞けるものではなく、静かな時間の中、心が静かな時に、たまたま飛び込んできてくれる「音」のように思います。

 「お念仏」を聞くことと、どこか似ているようにも感じます。(5.17)

 

「出来ないことよりも出来ることを」

 5月、気がつけばもう5月になっていました。この数日間は事務や会議があり、その準備に追われていたように思います。

今日は宇部北組の坊守会、明日は仏讃会議( ^ω^)・・・。

 準備も手こずることが多く、時間もこれまでの2倍かかるようになっております。面倒くさいなぁ…と言いながらぶつぶつ、一人でパソコンに向かっております。

 できないことも多々増えてまいりました。でも、そんなことを数えるより、出来ることをさせて頂く。できない時は人に力を借りればいい…と思えるようになりました。

歳を重ねた結果の妥協案、とも思える発想ですが。その方がより素晴らしいことができそうです。

 

 今年も睡蓮の花が咲いてくれました。赤は4つもつきました。3年目の今年も、花をつけてくれて、楽しませてくれてありがとう。(5.14)

「宇部北組、今年のスタート」

 昨日は宇部北組の法中方や実践運動委員会の方20名で、昨年度の行事報告、今年度の行事予定などが宝林寺で話し合われました。

 昨年アクトビレッジで行われた「花フェス」の反省会では、様々な意見が交わされ、また新しい今年につなげるような内容が沢山ありました。こうして法中方や委員の方の建設的なご意見を聞いていると、「私にも何ができるかな」と思わせられます。

 核家族化になり、仏法が伝わり難くなった時代と言われています。でも、組の取り組みから地域に仏縁が広がっていくことを念じてのことです。

 まだまだ、お寺として、坊守としてできることは沢山あります。だからこそ今、ここでできることをさせて頂こうと思います。(5.9)

 

「山口別院ご降誕会」

 5月5日のこどもの日に、山口別院では親鸞聖人ご降誕会が厳修されました。ご講師は「上原泰教先生」でした。先生は90歳を超えておられますが、お声の大きさ、張りといい…とても90歳には思えないくらい若々しい先生です。連休の中であったからか、普段の常例法座より多く、お若い方のお姿が見受けられました。

 先生はご自身の身の上から「念仏のみぞまこと」と味わわれ、お伝えくださいました。「地獄のエンマ大王に、私は無間地獄(真っ暗な闇の世界で地獄の中では一番恐ろしい地獄)に連れて行ってはならぬ、と言わしめた男である。なぜなら地獄にいる鬼の鉄棒や、煮出し釜などを奪って、鬼の商売をさまたげるから」と。確かに先生のお顔を見ると頷けるようなお話です(oh( ^ω^)・・・)。

 お聴聞の方を自在に泣き笑いさせ、残ったお話は「お念仏」だけでした。

長きにわたって布教団を牽引してこられ、今もって第一線で活躍されている先生のパワーの源は、やはり「ご信心」でしょうか。そのお姿を拝することができただけでも有難かったです。

 「50・60は鼻たれ小僧」とおっしゃる先生。私もこれからご報謝させていただきます。(5.6)

 

「10連休の中」

 大阪に嫁いだ長女夫妻と孫が、連休の3日間帰省してくれました。

 夫と「何処へ連れていってあげようか」と人並みに考えましたが、やはり山口県といえば「瑠璃光寺」でしょう。初めて見る瑠璃光寺に婿殿はいたく感動してくれました。

 山を抱えているとは言え、そんなに人里離れた場所ではないのに、門をくぐり抜ければ静寂が漂う寺の様子は、この世の喧騒をよそにまるで別世界のお浄土の様でした。搭を一回りして、茶店で冷たいアイスクリームを頂きながら、「はて?お浄土にも茶店があるかしら…」とその想像に可笑しくなりました。

 勿論、必要とすれば、茶店もあるでしょう。何でも満たされる場所だと聴いておりますから…。でもお浄土の住人はアイスクリームを食べたいという欲求がなくなるそうですよ。したがって茶店も必要ないということでしょう。

 お浄土の住人のただ一つの欲求?(願い)は未だ悟りを得られず、苦悩している人に苦しみのない世界(浄土)があることを知らせてあげ、必ず救うと誓われた仏様のお心を悩める人に届けることであると、教えて頂きました。

 でもやはり暑い時にアイスクリームが食べたい私は茶店を探します。未だ迷いの中…。(5.5)

 

「令和元年、駆け抜ける!」

 平成が幕を閉じいよいよ令和元年の幕開けです!

当山では29日平成最後の「親鸞聖人ご降誕会」をお祝いしました。連休の中日、また小雨も降っていたので、「お参りが少ないだろうなー」と住職と案じていました。前日は「もう飽きたぁー」というくらいお餅をこね、準備をしましたので沢山の人と共にお祝いをしたかったのです。

 開けて当日、予定を超えた参拝者に嬉しかったです。お子達も20人位お餅を拾いに来てくれました。幼児さんには特別景品を用意していたのですが、喜んでくれた可愛いお顔で私の胸は一杯になりました。

「次はもっと喜んでもらえることを準備するぞ!」

 

 「令和」時代は私にとっても最後の時代になるでしょう。この時代を立ち止まることなく、駆け抜けたいです。ご法義繁昌、仏様のお救いの邪魔をしないよう、励みたいとおもいます。(5.1)

 

「養福寺さま住職継職報告法要(28日)」

 28日午後一時より、宇部北組養福寺様で第15世住職継職報告法要が厳修されました。宇部北組の法中様がご出勤され、尊い記念法要の中、花を添える可愛いお稚児さんの行同も拝まさせていただくことができました。当山市川住職が記念法話をさせて頂きました。

 前住職様は40年間、ご法義繁昌と相続に勤められました。長きにわたり、お育て頂きましたこと本当に有り難うございました。また、前坊守様にも影で支えてこられたこと、本当にお疲れ様でしたと感謝申し上げます。

 現住職様の導師で美しい勤行が勤められました。沢山のご住職様がそろってお勤めをされる声を聞き、ここにお浄土がましますと思わさせていただけました。

さて、明日は宝林寺のご降誕会です。できるところでご報謝させて頂き、楽しみたいと思います。(30日に記す)

 

「ご降誕会の準備」

 

 昨夜はご降誕会のくじ引きの景品を買いに一心会の方と行きました。会長の岡本さん、村田夫妻、三吉さんの4人+住職と私です。皆さん住職世代のお仲間で、仕事帰りにお店に集合です。景品は約100個。加えて特別賞が10個くらいの豪華景品です。

 このくじ引きは先代からずーっと続いている恒例行事です。限られた予算の中で「ああでもない、こうでもない」と品選びをします。中にはしょぼい…例えばラップやたわし一つとか…が当たる人もいます。でも楽しいです。

 

 どこのお寺様もそうですが、法座の準備は大変です。

お花は沢山必要ですので、一抱え。また御供物のくだものや付け菓子etc.

 加えてお斎の準備、前日のご報謝の方々のお昼の準備。買う物を書いてお店に行き、そのメモを忘れてしまったり、と…なにをやっているのやら。

 そのうち車に乗れなくなったり、重い物が抱えられなくなったりする時が来るのでしょうが、できるところまでさせて頂きましょう。

 ご報謝は子供が玩具で遊んでいるような心持で…楽しみながら。そうでなきゃ、仏様に申し訳ありません。親鸞聖人に申し訳ありません。(4.26)

 

「寂しいよ」

 大切な友達が山口県から引っ越してしまいました。京都の学生時代に知り合い、山口に帰ってからもずっとそばにいてくれた友達です。(お互い仕事をしていたので実際に会うことはできなかったが、困った時いつも傍でよりそってくれた)

 これまで、同じ県内にいるだけで「いつでも会いに行ける」安心感がありました。でも友が引っ越してから、心が空っぽ…。

 

 浄土真宗を共に学び、教え合い一緒に遊んだ、言わば学友であり同胞。特に話さなくてもわかってくれる肉親のような関係でした。

 今はスマートフォンもテレビ電話もできる時代。でも寂しくて仕方ありません。こんな友に出逢えたことに今は感謝です。(4.24)

 

「義父の1周忌を終えて」

 昨日は義父「寛司さん」の1周忌法事を、養福寺ご住職様導師のもと勤めて頂きました。

 神奈川県より義姉2人が参って下さり、施設よりお義母さんを迎えに行ってもらい、久しぶりに連れて帰ることができました。

 我が母と妹夫妻、長男夫妻に孫…身内だけの小さな法事でした。

 普段は忙しさにかまけて、なにも思わずに過ごしていますが、法事でお勤めを頂きながら、在りし日の義父のことが次々と思いだされてきました。「読経」は時間を超えて、故人と再び逢うことができる「俱会一処」の場です。そう実感されました。

 市川家の納骨堂には義父のお骨と、小さなしろのお骨が入っています。

義父は何も喋れませんでしたけれど、その分じっと義父の顔を見ていた時間が多かったです。その表情から「喜怒哀楽」を感じながら、義父とのおしゃべりを楽しんでいました。懐かしく…思い出されます。(4.22)

 

「山口別院坊守理事会」

 今季山口別院における坊守(寺族婦人)会の理事会があり、今年の坊守会がスタートしました。

 私が理事長の任を仰せつかって2年目、今季が最後の年です。とても相応しくない役を頂き、当初は戸惑うことばかり…そもそも何事にしても一人でごそごそしたいタイプの人間です。組織の中で活動することは苦手です。

 そんな私が一年間させて頂けたのも周りにいて下さる理事の方々が優しいからです。勿論私よりも先輩の坊守様もいらっしやいますが、おおらかに見ていてくださるのです。

 「坊守」とひとことでは括れない多種多様なタイプの坊守様がいらっしゃいます。

でも、皆さん総じて明るくお喋り好き。と、言うのも普段はもっつぱら聞き役…だからではないでしょうか。ご門徒様や、ご近所のお付き合いにはとにかく話を聞くことが多いのです。その普段の何杯ものお喋り欲が、ここ坊守会で炸裂( ^ω^)・・・。「うんうんわかるよ」と、同じ同胞として同調し合えるのです。

 今年の最初の研修会では京都ビハーラ病院(あそか医院)でビハーラ活動をされている僧侶のお話を聞くことになりました。話を聞くことの難しさ、それを学ばせていただきます。楽しみな研修会です。(4.20)

 

「花フェス2019を終えて」

 宇部北組17ヶ寺による花まつり(お釈迦様のお誕生)をお祝いしての合同行事が、ここ小野のアクトビレッジで賑々しく開催されました。300人の方が参加され、晴天の中、それぞれのブースで楽しんで下さいました。

 10時からの仏讃ではご導師にならい、お寺様の清らかなお勤めを一緒に頂きました。その後、ご法話(明山寺ご住職)、甘茶かけを代表して宝林寺より仲野様のお孫さん(こうき君)がしてくださいました。

 マルシェは6店舗でました。雑貨・手作りおやつ・手作りポストカード・手編みかご・おはぎ等々。どのお店も午前中に完売するくらい好評でした。館内では「念珠・写経体験」に加え「お棺体験コーナー」もあり、私も入らせて頂きました。室内が明るく隣に光安寺のご住職様がいて下さったのでよかったのですが、本番は一人でひっそりとお棺に入るのだなと思うと、なんとなく感慨深いものでした。

 

 午後からライトコールの演奏会。野外でうたわさせていただくのは初めてでした。マイクを立てて頂き、プロのADさん(西教寺ご住職)が上手に指導して下さいました。独唱(土肥さん)フルート演奏(古谷さん親子)もぶっつけ本番のような形でしたが、素晴らしかったです。

 私の一番のお気に入りは「パプリカ」という踊りを交えての歌です。来年の東京オリンピックの応援ソングです。子供たちが一生懸命踊ってくれて楽しく盛り上がりました。歌の力は素晴らしいですね。

 

 来年…どうなるか分かりませんが、その時々を全力でご報謝させて頂けるといいなと思います。(4.16)

 

「 いいことも…」

 今朝の新聞の詩(うた)に載っていました。

 

  手術して/声をなくしました

  ご挨拶やお愛想を/言えなくなりましてね

  辛いことですわ!

  でもね

  いいことも/ありましたよ

  人の悪口や汚い言葉も/言えなくなりました

  何よりみんな親切で/人の優しさが/よくわかりました

      奈良市:75歳の方(選者 八木幹夫)

 

 義父の1周忌を迎えます。その義父のことを想いだしました。義父も病気で言葉を失い、辛いことだったでしょう。でも概ねニコニコ朗らかに笑ってくれていたので、訪問看護の方や、介護施設の方が「お父さんの顔を見ると癒されるね~」と言って下さっていました。義父は言葉を失った代わりに人の優しさをたくさん実感できたのだと思います。

 昨日は義母のお世話になる施設へ、住職と顔を見てきました。介護の方々に見守られながら、ゆったりとした時間が流れていきます。歳をとっていろいろなものを失っていきます。自分の記憶すらもおぼつかなくなります。やがて自分もそうなるのだなあと、両親を見て思います。

 でもこちらが忘れていても、忘れない親様(仏様)がいて下さるので安心です。「大丈夫!」(4.9)

 

 

 

「新しい年号」

 昨日新しい年号「令和」が発表されました。「れいわ」と読むそうです。「万葉集」からこの文字を選ばれ、この時代を生きる上での願いが「令和」という文字に込められています。

 この発表は日本国中の人の関心事だったと思います。いや、国内に留まらず、国外の方にとっても…。年号を用いる国は今や日本国だけだそうですよ。

 私の関心事はこの字が書き易いか、書き難いかでした。

「令和」の音の響きは好きです。が、「令」習字で書くには難しそうです。発表された、お習字は美しいですね。これを真似て書いてみましたが…形がとりにくいです。しっかり練習します。

「昭和」「平成」「令和」と世代を生きてこれました。まさに私にとっては「令和」は仕上げのご報謝の年号です。

 「初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」(4.2)

 

「お寺で17回忌…N家の皆さん」

 昨日はお寺でご法事が勤まりました。ご母堂さまの17回忌でした。N家ご夫妻は日頃から仏縁が深く、お寺の法座や地区総代など関わって下さる有難いご門徒様です。

 若い方、お子様を含めて20人位がお参り下さいました。

前日にはお供えをしたいからと、大きなお飾り餅や、お菓子をお持ちくださいました。

 立派なお荘厳をされて、当日は賑やかな中(可愛いお子達の声)お勤めが始まりました。お子達は不思議とお勤めの間は、きちんと席に着き、お参りをされていました。

 お婆ちゃん(ひいおばあちゃん)が来させて下さったお寺での仏縁を、お子達も感じ取っているのでしょう。

 これからの長い人生、いいことも、悪いことも、みんなお念仏の中。仏様にお育ていただきながら、どうぞ逞しく育っていかれますように( ^ω^)・・・。(3.31)

 

「 65歳ご往生のこと 」

 昨日は葬儀とご法事がありました。葬儀を住職が勤め、私は50回忌の法事に参らせて頂きました。午後、住職はほかの法務が入っていたので、葬儀の仕上げに参らせて頂きました。

 体調があまり良くなく、車の運転が不安でしたが、安全運転で何とか50回忌のお宅に参ることができました。

 法事は3人のご家族が勤めて下さいました。「親の50回忌を勤めることができるなんて幸せなのでしょうね…」施主様。

確かに、施主様が長生きをされないと叶わないことです。

 

 午後、葬儀場へ…安全運転安全運転。

60歳代…ご逝去の知らせでした。以前一緒に京都にお参りされ、ご両親の納骨をされたときの事が思い出されました。

 こじんまりとした会館に、火葬場から帰られていた親族が座っておられました。一緒に「阿弥陀経」「正信偈」をお勤めしました。大きな声でお勤めして下さいました。

「仏様となって、今、ここに、お念仏の中にまします」と実感されました。お勤めの中に故人を忍ばさせていただくことができる。お浄土があって本当によかった。

 

 いつ、どのような形で終えることになるかもしれない命を、いつでも、どこでも引き受けてお浄土に迎え入れて下さる。そして仏様の仕事をして下さる。あとに残された遺族が悲しくないように「お念仏」となって、寄り添ってくださる。(3.28)

 

「永代経法要の準備」

 昨日は小野小学校の卒業式でした。全国的に暖かく、晴れ渡り、天までも今年の卒業生を祝福してくれているようでした。(長崎で桜の開花宣言)無事、ピアノ伴奏を終え、ほっとくつろいでいるとき、可愛いお客様が…今日の卒業生を代表してお花を届けて下さいました。嬉しい心遣いでした。

 

 さて、次は永代経法要の準備です。時間の合間を見て、少しづつ準備をしていますが…年々動作が鈍くなり、思うようにはかどりません。買い出しもメモしていくのですが、そのメモを忘れてしまう始末( ^ω^)・・・。

 でも、思います。法要が務まる度、こうして黙々と準備をしてきて、仏様のお荘厳をさせて頂く。お餅をつき、お花を生けて当日の法要に供えさせていただく。なんとも贅沢な時間を頂いていることかと…。「自分のできる範囲で」ご報謝に対して、不十分だと責められることもないのです。

 子供が無心で砂遊びを楽しむように、ご報謝が楽しみであればいいなと思います。(3.21)

 

「 だいじょうぶ! 」

 春は様々なものが動き出す季節であるようです。自身の中に埋もれていた病気も…。

昨夜は、愛媛から帰ったばかりの住職、夜9時には床に就こうとした時でした。ご門徒さんからの電話…やばい葬式かも…という思いが過りました。

 其の直後、また電話…住職と二人で対応しました。いずれも葬式ではなかったので安心しましたが…深刻な相談の電話の内容でした。

 

 私の方は、春になると多い、心のご病気の方からの電話でした。聞いていると、やはりおかしいなと…明らかに心の平静をなくしておられ「苦しいんです。」あげくの果てには怒鳴りつけられる始末…。

 しばらく聞いていて、この方の不安が病気からくるものと、不安により病気を誘発してしまっていることがわかりました。

 「今日は亡き○○のお誕生日です。実家でお勤めをしてもらいたいので、今から行きます。」と仰るのです。 幸いご家族のかたもいらっしゃるので、ご家族に電話を代わってもらい、事情も理解できました。

 「宝林寺のご本尊様は、いつも見守っておられる。そのご本尊に朝夕、住職はお礼申し上げ、皆様を代表してお勤めさせていただいているのですよ。何の心配もいりませんよと、伝えて頂けませんか。それでも、心配でこちらに来ると飛び出されたら、もう一度お電話下さい」

40分経った頃、先ほどの電話の主からでした。先ほどはすみませんというお詫びの電話でした。薬もきいて落ち着かれたようです。ほっと安心しました。

 

 不安で仕方ない時、その方の不安がどこから来るのか…私には分かりません。治してあげることもできません。ただ、ご門徒さんとして、僅かなつながりの中で、「心配事」をすべて引き受けて下さる如来様がおってくださることをお伝えするのみです。「一呼吸」…お念仏はこの一呼吸を与えて下さるのだと思いました。(3.18)

 

「春のめだか」

 「めだかの学校は川のなか~」と歌っていたメダカ達ですが、最近ではメダカを川で見ることが難しくなりましたね。

 そんなことからか、お寺の鉢にいるメダカ達を覗きに来る子供もいます。沢山いたはずのメダカ達ですが、今は数匹が広々と泳いでいます。自然淘汰されて?この数になったのでしょうか。

 氷が張っていた寒い時期を鉢底でじっと過ごし、暖かくなったころ動きだします。氷河期に耐えぬいたこのメダカ達。丸々と大きな体に自信が満ちています。

 それにしても、どのメダカも泳ぎが上手ですね。(3.17)

 

「女子会パワー」

 昨日は来る4月13日の組花まつり(花フェスタ2019)に向けての話し合いを、仏婦・坊守でもちました。

 お昼のカレー作りについて、具材や手順などを話し合いました。出席者は20名…忙しい時間帯にも関わらず、有難かったです。

昨年からアクトビレッジで始まった17ヶ寺合同でお釈迦様の誕生をお祝いする行事です。

 

 昨年に従って、みんなで「ああでもない。こうでもない」と、色々な意見が出て、大いに盛り上がりました。

 今年は通常のカレーに加え、精進カレーも作ろうということになりました。どんなカレーができるのか、今からワクワクします。

 それにしても、三人集まれば文殊の智慧…といわれていますが、女子が三人以上集まったらどんな知恵が出てくるのでしょうね…とにかく女性はいつの時代も賑やかです。

 家の法事のお斎ですら、作れなくなってきている今日、お釈迦様の誕生を祝い、こうしてご縁のある方々が集い、お斎を手作りさせて頂くことは有難いことだなあと思います。(3.13)

 

「岡亮二先生13回忌法要」

 先日の7日、和歌山の念誓寺に参らせて頂きました。岡先生門下生による13回忌の法要が勤修され、その法要で住職がご法話のご依頼を頂きました。

 私が念誓寺にお参りさせていただくのはちょうど先生がご往生され葬儀に参列させて頂いた時以来でした。

 土足でそのまま中に入ることができる本堂は、静寂でした。横には現住職の京子さん(岡先生の長女さま)が教えておられる子供たちの習字が飾られていて、その文字にほっこりとしました。ご本尊は阿弥陀仏いち仏がお立ちになられて、思わず手を合わさずにはおれない尊いお姿です。

 ご導師に従い「仏説阿弥陀経」が勤められました。後住職によるご法話を頂きました。住職のお話は在りし日の先生を思い出させ、本当に有難いものでした。

 

 その後、ホテルに移動してお斎を頂きながらの門下生同士の懇親会がありました。岡先生の門下生には沢山の優秀な方ばかり…今日の出席者40人以上~の方は大学院に進まれた方がほとんどで、大学で教鞭をとっておられる和上さまも多いです。岡先生は優秀な学生を育てる天才でもありました(私を除いては)

 その一人一人に岡先生との大切な忘れられない思い出があり、その話を聞かせて頂けたことは何よりの嬉しいことでした。「ああ…岡先生だな。どの学生さんにも真摯に対面してくださり、熱くご指導くださっていたんだな。」とても誇らしく思えました。門下生の方々がそれぞれ岡先生の御意志を受け継ぎ、大変熱い活動をされています。個性的で面白いお坊様が多いのも特徴?(笑)です。

 

 これからも岡先生を偲んで門下生の法事が勤められていくことでしょう。勿論、先生のご人徳によるものです。が、現住職の京子様の素晴らしさもあります。我が子である京子様からも、絶大な尊敬をされている、岡先生の父親としての顔を伺い知ることができます。支えておられたご家族が、あたたかく素晴らしいのです。

 私も門下生の末席に加えて頂いたものとして、精進していきたいです。(3.10) 

 

「別院ご報謝の日~常例法座」

 昨日は朝から別院の奉仕作業(宇部北組)だった。

3年に1度の割合で回ってくるお掃除の当番日であり、午後には常例法座を聞法させて頂きます。午前中は外回りを綺麗に掃除して整え、午後は心の中を整える日です。

 仏婦のあるお寺から各2名、計22+1(組長である我が住職)が参加しました。宝林からは松本会長と私が参らせて頂きました。

 他のお寺さんは会長、副会長が参加しておられ、坊守の私は一人でした。副会長にお願いすることも考えましたが、普段お世話になっている別院のお掃除をさせてもらえることがあまりないので、いそいそと参らせて頂きました。

 午後は「山名真達先生」のご法話でした。山名先生は舟木にお寺があり、とても近しい方の様に感じます。

独特のユーモアを交えながら、「人生の目的」「摂取不捨」の如来様のお心を丁寧に教えて下さいました。

午前中は身体を動かし、午後は耳を傾け、働いてくれたからだに感謝しながら、爆睡の一夜でした。(3.6)

 

「春ですね」

 今年は珍しく花粉症に悩まされています。朝起きたら喉が痛い、頭がぼ~っとしている、身体がだるい…etc.これらは軽い花粉症の症状だそうです。必要最低限の外出にして、外には出ないようにしています。

 

 そんな中、小さな春の便り…お寺のコーラス練習の昨日、団員さんが庭に咲いた桃の枝を持って来て下さいました。可愛い桃の花が咲いています。今日は桃の節句ですね。

 春には春の、夏には夏の花が咲き、季節を教えてくれます。

寒い冬を耐え、可愛いピンクの花を目にすると「今年の春」を感じることができます。今年も春に会うことができたーそんな思いがふと、過りました。当たり前ではないこの春の訪れを有難いと思います。(3.3)

 

「100年の価値」

 今年も小学校の卒業式で声を掛けて頂き、ピアノ伴奏をさせて頂きます。いま、入場、退場のBGM選曲中…いいなと思う曲が多すぎて選曲に事欠きません。

 ただ、小学生が聴いていいと思われる曲となると、難しいです。

 

 子供たちへ、いい絵本を読んでもらいたいと主催されている本屋さんが、「お勧めできるいい本」の条件の一つとして、「100年読み継がれている本」をあげられました。「どの本を子供に与えていいか迷った親御さんには、私はこう勧めています。」と仰ったことを聞いたことがありました。

 

 音楽の世界でも、流行があり、また曲のジャンルを明確に判別することも難しい時代になりました。「ポップ」「クラシック」「ジャズ」「民謡」「演歌」などというものを超えて、新しいスタイルの音楽がどんどん生まれています。

 やはり聞いて安心するのは「クラシック音楽」です。しかし今の子ども達はそれに掛け合わせ、難しいリズムをすんなりと受け入れて聞いています。私なんかではとても太刀打ちできないくらいのリズム感です。

テレビ番組や、ユーチューブの影響もあるのでしょうか。また、斬新な音楽がボコボコ生まれています。これは素晴らしいことです。

 しかし、いざ心に残したい1曲を選ぶ…となると、本当に頭を悩ませます。卒業式BGM選曲に関しては、今、格闘中です。(2.26)

「山口別院寺族婦人研修会をいただいて」

 先日お別院で今年度第2回目の寺族研修会がありました。(2.20)

講師は大分県よりお越しの水之江陽子先生でした。坊守理事のかたより「女性のご講師のお説教が聴きたい」との声があり、今回の運びとなりました。

 先生は私より3・4歳お若く、可愛らしい容姿の方でした。ご自身の体験から「お念仏のみぞまこと」と戴かれた経緯などを、自らの言葉でお話しくださいました。先住職のこと、前坊守様のことなど、先生のご家族である、縦の繋がりの中で自分は願われている、生かされている身であったこと。また、私には頼りにできる家族などいないと言われる方にも「一人ではないよ。私が傍にいるよ」と横の繋がり、弘い世界のなかで、生かされて生きているということを、改めて味わえるお話でした。

 女性先生ならではの、柔らかい感性と味わいを、共感し共鳴できたこと…今日も有難い1日でした。(2.22)

 

「今日、誕生日の息子へ」

 今日は我が長男の32歳の誕生日です。私の母親としての32歳の誕生日でもあります。

 長男だけは京都で生まれました。通常、初産なので実家でお産も考えました。が、当時母には祖父母の介護やお世話があり、大変なことはわかっていたので、京都でのお産を決めました。それに何と言っても京都には御本山があり、夫がいる。それだけでも心強かったです。

 前日からお産の兆候が見られ、入院させて頂きました。入院と同時にぴたっと陣痛が止まり、病院の階段を昇ったり、降りたりしました。夜には夫の住職も泊ってくれて、食べられず、から嘔吐で戻しそうになる私の背中をさすってくれ、やっと次の日、生まれてくれました。助産師さんが、生まれてすぐに私のお腹に赤ちゃんを置いて下さいました。真っ赤な顔…お猿みたいな顔をしていました。大きく力強く泣く我が子の声は今でも覚えています。

 その次の日、山口から実家の父母が病院に駆けつけてくれました。あとで聞いた話ですが、祖母から初孫の知らせを受けた父は「生まれたか!」と、大声で叫んだそうです。普段は無口でしかめっ面の父でしたが、興奮して満面の笑顔で叫ぶ父の顔は想像できました。

 32年が経ち、市川の父、私の祖父母、父もお浄土へ還っていきました。自分たちの孫(曾孫)をお浄土から見守ってくれています。

32年間、いまだに私は息子に何もしてあげれていないような気がします。でも、あなたからは沢山の事を頂いています。私たちの子供に生まれてきてくれて本当に、有難う。(2.18)

 

 

「つれづれに」

 昨年から小野湖の水位が下がり続けていたが、やっと少しづつ戻ってきています。宇部市民の水瓶である湖、宇部の町から来た方が心配されるのも無理はないところ…。

 普段は何とも思わないでいる空気、水、お日様…いざ失う危機に直面して初めてその有難さがわかるのでしょう。

 「誰の力も借りないで、一人で大きくなった」ような顔をして生きている人がいるとしましょう。(この私も…)でも目に見えない様々な自然のお陰は否定できません。この「お陰様」に気づかせて頂けることが有難いです。

 

 写真は昨年から咲いてくれているポットに植えられた小花達。寒暖の差が激しい冬の時期を耐え、暖かい春を待っています。自然のお陰様を、身をもって感じている小さな花たちを見ていると、「何の心配もいらないな」と思わさせてくれます。(2.16)

 

「みのり会にて」

 昨日は山口別院でみのり会の創立35週年記念大会がありました。みのり会はすでに代替わりされた坊守様、また、仏婦会で活躍されていた方々を中心に、生涯聞法の教えに従い、自身がお聴聞させて頂き、後輩にもお法を伝えようということで山口別院の中、組織されたものです。この会は全国でもまれな会らしいです。初代会長は「河村とし子先生」です。

 私は坊守会長のお役目から、お招きにあずかりました。総会でお勤めが終わり、午前のご法話。お昼を頂きながら、ビデオを見させて頂きました。懐かしい河村先生や、森藤アヤコさんの姿が映し出されました。森藤さんは小野の方で、小野地区に仏婦の連盟組織を持たない時、お寺様とご苦労され小野仏婦連盟委員会を立ち上げて下さったお一人です。

 ご招待される立場は初めてでした。こころのこもったお接待、あたたかな会場の雰囲気…会を引き継いだ役員の皆様の心がそのまま反映された昨日の記念大会でした。

 生涯聞法をされてきた方々の、優しい心持は仏縁を通してでしか現れないものなのでしょう。

こんな会で、この場に一緒にいれることが幸せでした。(2.14)

 

「1月はいく 2月は…」

 

 「2月は逃げる」とはよく言ったものです。2月も

気付けばはや1週間が過ぎてしまいました。速い!

 

 この1週間は新規のレッスン生徒さんと、孫の保育園送迎で過ぎたような気がします。生徒さん2人も保育園児。2歳・3歳・4歳、保育園児のそれぞれの様子を見ていて、幼児さんの1年とはこんなにも成長していくものかと感じさせられています。

 

 私の1年間はどうだろう?成長…とは言い難く、退化するばかりの身体に加え、心も「悪いこと」ばかりに気をとられ、進歩していないなあ。さてさて、ここから気を引き締めてご法義繁盛のため、頑張るぞ。(2.7)

 

「SOS…孫が風邪をひいちゃった」

 早朝電話がかかってきました。なにごとぞ?と思いきや、山口市に住む若院からでした。ほんの1か月前から保育園に通いだした孫が風邪をひいてしまいました。二人とも仕事が休めない。そこで家で見ていてほしいとのことでした。

 

 熱は平熱に下がっていましたが、変な咳をしています。咳だけは一人前。大人と変わりません。午前中おもちゃで一杯遊んで若坊守が作ってくれていたお弁当を二人で食べました。

 お昼寝になったら、これまで平気で遊んでいた孫が遠慮がちに「お父ちゃんは?お母ちゃんは?」と聞いてきます。「お仕事だからね。お昼寝したら帰ってくるよ」

 なんとも、けなげです。弱った身体の時は誰が一番頼りになるのかを、こんな小さな身体は知っています。

 熱があれば、急いで病院に連れて行ってくれ、ゴホゴホと咳で眠れない夜を一緒に起きていてくれる。心配で心配でたまらない親の思いを、ちゃんとわかっているのです。偉いなあ。(2.1)

 

「月命日のこと」

 毎月、15日前後に宝林寺本堂と無量寿堂にお参り下さる方があります。ご主人さまの月命日にあたります。遠方の息子さん達やお孫さんを連れ立って参られることもあります。また、お友達を連れて来て下さることもあります。

 ご主人様のご往生を縁に、寺参りのご縁が深くなられました。「機が熟す」といいますが、奥様にとってかけがえのないご主人様との今生のお別れが、仏縁を深める助縁となられました。

 大切な方が往生され、墓参りを欠かさずされる方の話はよく聞きます。が、この奥様は必ず本堂にお参りされ本堂の如来様にお礼を申されます。尊いなと思います。

 

 日々の事に追われて、亡くなった方のことを想うことが少なくなっています。自分が生きていくことが精一杯で、死んだ人のことは二の次。それだけ、生きにくい超スピード現代社会と言えます。この私も…同罪。

 ご先祖様の恩、仏様の恩徳を偲ぶことを、改めてこの奥様に教えていただき、気づかさせて頂きます。(1.29)

 

「インフルエンザの話」

 昨年暮れから前坊守は風邪をひいてしまい、お正月も寝込んだままお迎えしてしまいました。

 治りかけたと思ったらまた昨日、「熱があるようだわ」と…。

「それは大変!インフルエンザかも!明日は病院お休みだから、今から病院行こう」と、連れ立って参りました。

 

 病院は病人ばかりのてんややんや。忙しく診察される先生の姿が見えました。診て頂き、インフルエンザではない事がわかり、安心の前坊守。帰るなり寝込んだ間、内仏の花が枯れているからと花を入れ変えようとする程の元気さ( ^ω^)・・・。

 

 先生のひとことは、病人にこんなにもパワーを下さる。素朴な疑問ですが、先生はインフルエンザが流行しても、患者を遠ざけることなく、自身のことはおかまいなく治そうと診て下さる。それが仕事だから、と…言えばそうなのかもしれないけど、怖くないのかしら。自分にはそんな真似はとても出来ないなぁ。

 実の親に対してですら、インフルエンザかもしれない、と移ることを恐れ、遠ざけようとする自分を考えると、先生には本当に感謝しかありません。

 

 我が身が一番かわいく、人のことは二の次。因果の報いを受けて地獄行きも仕方のないこと。ところが、そんな私を心から心配して下さる方があるのです。

 どんなに頑張ってもこの命を終えなくてはなりません。この命の終わる時、終わった後までも「安心せい」と仰せ下さる仏様、その声に大安心をいただくばかりです。(1.27)

 

「小さな社会人としての孫へ」

 今年の1月から孫が保育園に通うことになりました。昨日、初めて孫の送迎を頼まれて、孫と手をつないで保育園に参りました。優しそうな先生2人が待ってて下さり、迎えて下さいました。でも…若坊守が用意してくれた着替えなどの整理を終え、いざ保育園を出ようとすると、孫は大泣き。私も一緒に保育園にとどまり、一緒に遊べると思っていたようです。後ろ髪を引かれる思いとはこの事…。

 

 ふと、お正月のことを思い出しました。大阪から帰省した外孫と遊んでいて、こんなに小さな幼児にもそれなりのルールがあることを教えられました。僅かな月齢の違いですが、小さな弟分をいたわる孫の姿が面白く、愛おしく思えました。

 私の膝をちいさな孫が、もっと小さな孫に譲るのです。いつそんなことを覚えたのでしょうね( ^ω^)・・・。

今年から、幼児の社会人として仲間入りをした孫ですが、色々な知恵を身に付け大きくなっていくことでしょう。

 

 孫が住む公団住宅の小さなお内仏の前には、孫の好きな車のおもちゃが沢山並んでいました。仏様にご挨拶をすると愛車と遊べる…そんなルールを若い夫婦は作り、仏縁を結んでくれているようです。仏様に見守られ、すくすく成長してくれることを願うばかりです。(1.23)

 

「雨の日曜日」

 雨が降っています。日曜日の朝はとても静か…お寺はいつもと変わらず、いつもの時間に起きて、いつものように鐘を突き、いつものようにお勤めをすることから始まるのです。

 静かな静かなこの朝が、好きです。

あと何回、こんな朝を迎えることができるのか分かりませんが、今日も一日淡々と勤めさせていただきます。(1.20)

 

「法事のお陰様」

 1月は13・14日と連休になり、2日間ともご法事に参らせて頂きました。たまたま2日間とも施主(法事を主催する方)がお若い40歳前のかたで、お若い夫婦が一生懸命法事を勤められたのが本当にうれしい事でした。

 初日はご尊父様の1周忌で、まだ悲しみも十分に癒えぬ中、親戚の方々をお招きしての法事。2日目はおばあさまの25回忌で(兄妹もご高齢とのこと)家族だけの法事となりました。

 お勤めが終わり法話、後お墓にお参りしてお斎(お昼飯)をよばれます。

 そう言えばお正月からずっとおせち料理の残り物を頂いていたので、久しぶりの大ご馳走に、胃袋がΣ(゚Д゚)。

 

 御斎を頂きながら、ポツリぽつりと仏教にちなんだ質問をしてこられるので、自分の理解している範囲でお答えさせて頂きます。その質問が的を得た直球の質問(?)なので、私も精一杯お答えさせて頂く…本当に嬉しい時間です。

 ご門徒様に育てられ、お寺を守っていただき、法が廃ることなく今日に繋がっている。無邪気に遊んでいる施主様のお子達に、この御法を伝える(伝わる)まで、お坊さんとして勤められたらいいな、と切に思っています。(1.15) 

  

「SNSについて」

 「ちょっと見て、こんなのが動画でアップされているよ」

と、門徒であり、友人のNさんからメールを頂きました。

 その内容はお坊様が交通違反で切符を切られたというもの。私もこの事件は少し読んでいたので、「問題ないよ、有り難う」と返信したのではあるが…。

 その内容は、運転中のお坊様のお参りのスタイルが危険運転を喚起するもので、切符を切られたのはそのための防止策らしい。

特に、「せった」と呼ばれる履物が危ないということらしい。

 う~ん、確かに和装をしたこともなく、靴しか履かない人にとっては危険と見えるのかもしれない。

 だが、私はお参りに行くときはずっと布袍、輪袈裟で行っていたし、これからもそうするつもりです。(ただし、履物はちょっと考える…かも。せっかく問題を提起してくれたので)

 

 そもそも、(真宗の)お坊さんにとって布袍と輪袈裟は仏様の「法」そのものを表すもの。お寺からその「法」を携えて、法事をお取次ぎさせていただくもの、と考えています。よほどのことがない限り、法事の時、お寺を出るときは御衣をつけてお参りに行きます。

私自身はどうしょうもない煩悩の塊( ^ω^)・・・それが御衣と輪袈裟に守られているだけですから。

 

 「大変なこと」が起こっていると知らせてくれた門徒がある…そのことが救いです。

 

 世間では、切符を切られて当たり前と言われる方もあるでしょうからね。

 その昔「桐〇ホッカイロ」の宣伝に、極寒の中、お坊さんの頭にカイロを張るというものがありましたが…。お坊さん自身の自覚も問題ですかね…(1.10)

 

「ご法座で1年をスタート!

 修正会・常例法座が昨日(7日の午後)勤まりました。

 いつものように慌ただしく年末年始を迎えたものの、このご法座でやっと心静かに、新しい1年が来たことを実感しました。

 仏様を拝むことで、私の心を整え、また頑張れる力を頂きます。それは安心しておまかせするすかない自分に気付かせていただく場であります。

 帰る処は「浄土」。「南無阿弥陀仏号」に乗せていただいたからには何があっても大丈夫。そんなご法話をいただきました。(1.8)

 

「今年もよろしくお願いいたします。」

 年末年始、それぞれのご家庭での年越しをされたことと思います。一日カレンダーをめくるだけなのに、どうしてこうも毎年、ドタバタしているのでしょうね…。なにはともかく、明けました。

 

 年末のこの時期、病院がお休みになるのですが、昨年末は母が風邪でダウンしてしまいました。休みに診てもらえる病院をさがし、受診、今日あたりからやっと元気になりました。

 その先生ですが…明らかに母よりお年…90歳近い、と思われます。お肌の艶がよく、パソコンも両手(ただし人差し指)で打って、カルテを作成しておられました。

驚きました!

 

 今年の目標は先生に刺激をもらい「挑戦」の年にします。お寺の者、坊守としての挑戦です。内容はヒミツ( ^ω^)・・・。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。(1.6)