こんにちは。宝林寺坊守です。このコーナーでは日常生活で感じたことを、書かせて頂いております。前コーナーの「坊守通信」がいっぱいになりましたので、こちらのコーナーを新たに開設しました。よろしくお願いします。(H.27.7.6):前回までは「坊守通信」に掲載。
*毎週月曜日・木曜日に更新予定
「葬儀会館」
昨日は90歳の方の葬儀があった。
最近の葬儀は会館を利用される方が多い。会葬者を家に迎える広さや、高齢化した社会に相互のお手伝いができなくなったことなど、理由はある。
我々僧侶も、会館だと、衣を着替える部屋も頂けて、式が始まるまで気持ちを落ち着ける時間をもらえる。冷暖房も完備されていて、快適だ。
しかし、一方で、淋しく思う。故人が生きてこられた場所ではなく、故人の思い出の全くない、生活感のない会館は、故人を偲ぶには小ざっぱりしすぎているなあと…。
どちらがどうとは言えないが、葬儀は、その家の喪主様にとって一世一代の大行事だ。せめて結婚式ほどとはいわないが、しかるべき年齢になったら(そうでなくても)心積もりはあってもいいのかな。
H.27.12.28
「どこまでが家族?」
お参りに行ったお家の方に、面白いことを聞いた。今時の子どもに「家族はどこまで?」と尋ねると、親と兄妹までと答えるという。ご自身はおじいちゃんで同居…満を持してお孫さんに尋ねられた。返ってきた答えの中に自分たちが入っていたことに安心したと…。
核家族といわれる今日、おじいちゃんの存在が希薄なのは仕方ないかもしれない。ましてや同居されない場合はなおさらだ。
ところで、法事のお斎で目にした光景。今頃は法事後のお斎を別の場所でされることがある。この度は、施設の中の部屋に用意されていた。
そこの上座におじいちゃんの遺影とお膳もお供えされていた。亡きおじいちゃんは主役として居られて、思い出話に花が咲いた。
昔、出兵兵として見送ったお父さん、お兄ちゃん、おじさん等々…亡くなってなお、影善を用意し、共にご飯を頂いたと聞く。
家族の線引きを強要するのはさておき、心に大切な繋がりがあるかということが、この答になりそうだ。 H.27.12.23
「 初雪ちらちら報恩講 」
初雪が舞いました。
この季節、雪が降ると「ホワイトクリスマス」とイメージする若者がいると思います。が、私にとって雪といえば昔、子供の頃の報恩講の風景が思い出されます。
雪が舞うお寺の本堂はとにかく寒くて、報恩講が終ったあとは必ず風邪をひいていた記憶。報恩講の準備では、雪が降る中、お手伝いのおばちゃんたちが、冷たい外の水で大根を洗っていたこと。鼻水を拭った手でお餅をこねた人を偶然、目にしてしまったこと。大雪になってしまい帰れなくなった女のご講師さまと一緒に温泉に行き、温泉で泳いで遊んで叱られたこと等々…
「旅ゆくしんらん」という讃歌にこんな歌詞があります。
3.吹雪の道で ありました
西へ西へと かえるのは
しんらんさまで ありました
くろい衣の 人でした ( 釜瀬 春鳳 作詞)
雪が降ると報恩講、雪が降ると親鸞さまを心の中にお迎えする日。
H.27.12.17
「 10年先のこと 」
お寺の報恩講が終わり、門徒さんのお取り越しのお参りをしている。
お勤めが終わって、世間話などしながらお茶をいただく。そんな中こんな話に違和感をもった。「もう10年もしたら、この地区の住人が何人に減ることか…本当に困ったことだ。残った人間ががんばらねば!」と…
ふむ、確かに老化現象の波は農村部に顕著に現れ、この周辺もそうなのだろう。だが、待てよ。話されているこの人は、10年先も生きて、頑張るグループに属しているという前提で話されているのか。
まあ、お年は60歳を少し出たくらい?平均寿命からすれば、10年後も生きているという計算だろう。でもそんな保証はない。
今、仏前に手を合わせて、親鸞聖人のご法事を勤めながら、何かむなしい。変な違和感。
聖人の恩徳を偲びながら、「あなたにとっての大問題の解決は今でしょ!」と叫びたい。それはそのまま、私にとっての「生死の大問題の解決が今」であることなのだ。 H.27.12.14
「11月30日:続編パート3」
ロボットと人間の違いを示せと言われたら…
これまで避けたいと思っていた人間の「生・老・病・死」の苦しみ、実はこれが人間としての証明であり、ロボットとは異なるところではないでしょうか。
そして、これらの問題は、だれも変わってくれない、私独りで背負うていかなければならない「深い悲しみ」と自覚した時、初めてその答えの糸口を見つけることができるのではないでしょうか。
大変な問題に入ってきましたので、ひとまず、ここでペンをおきます。
H.27.12.10
「11月30日:続編パート2」
ロボットが精巧に進化している中、人間が人間であるための証明を示せと問われたら…
ところで、仏教の出発点は何かと問われたら、自分の「苦しみ」とどう向き合って解決していくかーではないでしょうか。お釈迦様は「人生は苦である」とおっしゃっています。その最たるものが「生・老・病・死」の苦ですとも…。これを逃れることができない、人間の根幹の苦しみ…実はこれこそが、人間の証明になるのではないかと思うのです。
そこで、2番目の理由としては「老い」と「病」と「死」を持てる者であると…どちらも私にとっては「負」に感じることです。でも老いと病と死は「無常」の証で、ある面、常に変わり続ける、成長しているということです。失っていくものを愛おしく思いながらも、失ったからこそ、見えてくるものもある。ロボットに「負」の面の「老い」「病」は求めません。「死」すらも、交換のきくロボットはその問題を克服してしまうのです。
老いや病がなければいいのに…と思う要因が実は人間の証明になっているのだと思います。(まだ続く) h.27.12.8
「11月30日:続編」
ロボット産業が日進月歩発展していく中、ロボットが、人間のように自分で考え、感情を持てる日もそう遠くないかもしれない。いや人間をも超える知能や、気高き精神も持つようになるかもしれない。
そんな中、「人間が人間であることの証明は」…と聞かれて、どう答えよう。難しいことはさておき、一番の違いは私を生んでくれた親がいるかどうか?そしてお腹の中の十月十日、私は命の誕生の不思議を体現し、この世に生まれてきたこと…ではないかしら。産みの苦しみというが、生まれるときは私と共に苦しんでくれた親がいること。それはさすがにロボットにはないだろう。(試験管ベイビーは、今は考えません)
1:まず一番は細胞レベルから、命の不思議をいただき、生まれてきたこと…と思います。沢山の時間を費やして、おなかの中で守られて生まれてきたのです。(続く) H.27.12.4
「おはようロビー」
住職のロボットがやっと完成。名前はロビーです。まだ動いたところを見たことがないが、精巧に動くらしい(住職の話では…)
ソフトバンクという会社から、子供位の背丈のロボットが出現、多岐にわたり社会の一員として活躍している。
例えば、介護の現場、会社の受付係、学校の先生として等々…ロボットと人間が共存する社会も現実味を帯びてきた。
以前、テレビでロボットを特集した番組を見た。そのロボットは、アンドロイドという人間そっくりの容姿をしていた。その人間そっくりのロボットがこう尋ねる。「あなたは人間ですか。人間の証明をして下さい。」…と。
未だにはっきりと証明する答えが見つからない。「人間は考える葦である」パスカルのこの言葉すらも、ロボットには通用しない。考える力、感情さえも人間と同じように、ロボットが学習するようになるという。
本当に人間って、なんなんでしょうね… (続く) H.27.11.30
「山口別院報恩講」
26~28日まで山口別院の報恩講が勤まる。当番のお参りが決まっているのだが、28日は法事が入ってお参りできないので、前日お参りさせてもらった。
楽人の荘厳な響きの中、沢山の僧が着座。そのお姿を拝するだけでも、何やら有難く思えてくる。
本願寺の報恩講は年明けの1月に勤まる。なかなかお参りが難しい。
そんな中、お別院の報恩講に今年も遇わせて頂けたのが、有難い。
講師の阿部先生のお話で、「誰も今日が自分の命日なんて思っている人はいないでしょう。でも、死の縁は無常。その無常は今日かもしれない。」と話された。本当に「今日が命日」と味わって、今日たまたま生かされていることを味わって生きたい。 H.27.11.28
「もみじとかえで」
この連休、あちらこちらで最期の紅葉を楽しもうと、出かけていかれた方も多いのでは…
もみじは、昔は黄葉と書いていたらしい。確かに今でこそ「もみじ」といえば「かえで」が赤く染まることをイメージし、かえでの別称になっている。
平安期以前は「もみじ」は特定の葉を意味せず、葉が赤や黄色に色づくこと、またはその葉を表していたらしい。「黄葉」と書いて「もみじ」と読ませていたので、昔の人にとっては「もみじ」は黄色に染まるイチョウの葉のイメージだったのかもしれない。
どちらにしろ、葉の色の変化を楽しみ、散り行く時を惜しむ心は今も昔も変わっていないようだ。散り行き地面を覆う紅葉までも、また美しい。
赤、青、黄色…とりどりの葉が調和しながら風景を描いている。どの葉もこの風景にとっては必要な葉であり、一葉、一葉が主人公なのだ。
そんなことを思い、今年の紅葉を楽しんだ。 H.27.11.23
「常例法座に思う」
住職である夫が布教使になり、その1年目から自坊で常例法座を始た。
お寺の法要が勤まらない月に常例法座をするようになって、今回120回。その間、周りの信徒さまがお参り下さったことに感謝申し上げる。
回を重ねるうちには、お浄土へとお見送りした方々も…今日はその方々が懐かしく思い出される。
やがては私も参らせて頂く。そのとき、また懐かしい方々と、あいまみゆることができる。しばしのお別れだが、その「しばし」が今日はとても実感される。
儚い人生…だけど仏法に出逢えたからこその、尊い人生。
H27.11.19
「宇部市民音楽祭」
昨日(15日)は宇部市民文化祭でコーラスの部に私達ライトコールも参加した。
今年は過去最多の16団体が集い、今日の日のために、練習してきた歌を披露した。それぞれの団に個性があり、午後を美しい歌声の中で過ごすことができた。
終わって会場のかたづけを手伝っていると、知らない人が声をかけてくれた。「仏教の歌よかったね。有り難かった。ここでこのような歌が聞けるとは思わなかった。」と。
今回、ピアノもしくじって、ハーモニーも…気落ちしていたところに、思わぬ励ましの声。これは阿弥陀様の声に違いない。H.27.11.16
「 前住の十三回忌 」
今日は前住(父)十三回忌法事を勤めた。ちょうど当たり日。家族と兄妹夫妻の身内だけの小さな法事は15~6人。
されでも、施主の母は法事に向けていろいろな準備をしてきたし、私も昨日は一日かけて、お荘厳をさせてもらった。
私たち僧侶は、法事に招かれ、お勤めさせて頂くが、招く方はあれこれと、前々から気持ちも含めた準備をして、今日に至る。
一回、一回、大切に法事をお勤めしなければー改めて思う。
H.27.11.12
「 雨 ふ る 」
昨日は地域の文化祭。急遽出演の我らボーカルトリオ+1の演奏の時、急に通り雨…前に椅子を並べて座っていた人達も蜂の巣をつついたようなありさま。
歌っている前には誰もいなくなり、舞台に4人、音楽の流れるなか、歌い続けた。
このとき、不思議な感情が起こってきた。
前記したように、「島唄」は祈りを歌ったもの。薄暗い空からいくつもの雨、この雨に自分たちも打たれた。雨と同化しながら、歌に浄化されていくよう。天に向かって歌った。
おそらくこんな経験は最初で最期かもしれない。
歌が終わるか終わらないくらいの時、雲がうっすらと明るくなり、雨が降りやんだ。いい一日だった。 H.27.11.9
「 島 唄 」
今週日曜日に小野の一大イベント「小野文化祭」があります。昨年のよしみで、また今年も演芸会に出演しないかと声をかけられました。急遽、今年はライトコールから精鋭(?)4人で、練習もそこそこ出演を決めました。
曲は「島唄」で色々な歌手がカバーして、今では海を渡り海外でも歌われているらしいです。この歌の内容は、哀しい。
第二次世界大戦末期、沖縄で看護要員として動員され悲劇的最期を遂げた県立第一高女・沖縄師範女子部の職員・生徒(ひめゆり部隊)の夢や祈りを歌っているーとされています。曲調は間奏でジャズアレンジがされていて、明るいポップなものです。
歌は不思議です。哀しい歌でも明るく歌える。楽しいうたでも、寂しく聞こえる。その時の歌い手さんと聞き手が音楽を作り出していく。
さて本番まで2日、どんな「島唄」になるのでしょう。 H.27.11.5
「 山鳩 」
朝、玄関を出て上をみあげると、電線に鳥が…じっとして動かない。
最初何の鳥だかわからず、興奮して写真に撮った。よくみると山鳩らしい。いつも出会う山鳩は、公園や駅にいて、ごそごそ地面を歩き、人が近寄るとぱっと逃げて行くーそんなイメージ。
晴天の空を背景にじっと動かないで、一点を見つめている山鳩は、鳩に見えなかった。まじまじと見る羽は美しい。青空に映える。
自然界の生き物はどうして、こんなにも完璧な姿に造られているのだろう。カエルや蝶々、蜘蛛やゴキブリに至るまで…
みんな美しく生まれさせてもらっているのに、人間だけやね、容姿にコンプレックスを持つのは… H.27.11.2
「 お葬式 」
今日は一日のうちに、お葬式が2つありました。おおきなお寺ならあることでしょうが…我が寺では滅多にないことです。
私はお葬式の時、伴僧で一緒にお勤めさせて頂くだけですが、とてもエネルギーを消耗する。住職はもっと精神的にも大変だろうと思います。
近年になって、ペットのお葬式という話を聞くが、動物たちが動物たち自身で死を弔い、葬式をすることはないでしょう。葬式はやはり人間だけが営む、独自の儀式なのです。
身近な人の死を見ることで、初めて自身の「死」も想像できる。お葬式ーそれは、命には限りがあることをリアルに、教えてくれる厳粛な場であります。だからこそ、大切に、お勤めしたいと思います。毎回、緊張します。
H.27.10.29
「 秋 パート2」
今朝は寒さで眼が覚めた。一日ごとに秋も深まってきている。
教えることをしなくても、季節は几帳面に巡り、準備も抜かりない。
繰り返し訪れる秋を、毎回違った感覚で受け止める。そのときの体調、取り巻く環境、心のありよう…などで。
ただ同じなのは、「冬に向かっているんだな」ということの心積もり。どこか淋しく、自分の人生と重ねている。
日々淡々と、毎日のことをこなすだけ。でも時々、ふと、思う。
H.27.10.28
「 脱 皮 」
あまりにも見事なセミの抜け殻だったので、写真に撮った。こんなところで脱皮したのか…
今にも動き出しそうな抜け殻…捨て去るには勿体無い。ひと夏を全力で駆け抜けるために必要な、セミの脱皮なのだろうか。人間には脱皮がない。しかし「一皮むけたね」という言葉があるように、なにかしら、人間にも脱皮に順ずるものがあるらしい。
身体は成長し、あるところでピークを迎え、老化の坂を下っていく。その中において、心は常に豊かに脱皮し続けたいものだ。H.27.10.23
「 秋の訪れ 」
日本に四季があるのは有難い。どの季節が好きと聞かれて、若い頃は「春」と答えていた。ぽかぽかと暖かな日差しの中、新しいことが始まる、そんな春が好きだった。今は…「春」もいいけど、「秋」が好き。
住職が面白いことをいっていた。「もう、今まで生きてきた時間のほうが、これから生きていく時間より長くなったな。そろそろ自分たちも「秋」を迎えたわけだ。これまでしてきたことの実りを刈り取る時期なのかな。」
どれだけの実をつけることができたか、果たして実ったものはあるのか…今、秋を自分の中に見る。多くても、少なくても、満たされている。そんな気分になれる「秋」がすきだ。 H.27.10.20
「 ささやかな一日 」
朝、目が覚める。一杯のコーヒーを飲む。朝ごはんの準備に取り掛かり…。
いつもの朝を迎える。
なんでもないことが嬉しい。
103歳画家・篠田女史の言葉。「謙虚に生きる。」
歳を重ねる度、いつまでたっても自己中心は抜けきらないけれど、せめて、今日の一日、目覚めた朝を拝めるようになりたい。
もうじき誕生日によせて… H.27.10.15
(注)通信を読んでくれているお友達から「篠田さん」を「篠原さん」と書いていたことをおしえていただきました。訂正です。
「 一夜のお宿 」
早朝、小野湖畔の岸のほとりに白鷺が泊まって羽を繕っている。昨夜はここで一夜を明かしたのだろうか。
毎夜お宿が決まっているのか、いないのか分からないが、この時期によく見かけるようになった。
湖が映し出す鳥たちの羽は白さを増し、秋の湖に静かに溶け込んでいる。私が湖畔沿いを散歩し始める前から、こうした営みは続いている。
鳥たちが飛び立つ様子をしばらく眺めていた。一羽、また一羽。どこへ行く。中にはのんびり屋さんもいて、一向に動く気配なし。「仲間に、はぐれちゃうよ」と思うのだが悠遊とどこまでもマイペースだ。
でも不思議ね。この白さでは、外敵からは目立ってしまうのに…。
でも私は嬉しい。真っ青の空と、すこしベージュを含んだ緑の山。それらを鏡のように映し出す小野湖の上を、白い羽が飛んでいく。これだけのことだが、嬉しい。 h.27.10.13
「 あきらめなくていいんだよね 」
昨日は山口県の仏教婦人大会があり、会長の岡本さんと参加してきました。
午後のアトラクションはシンガーソングライターの二階堂和美さんの歌。1,075人という会場を魅了するその歌声は素晴らしく、一日を終えても、余韻に浸りっぱなし。
聞けば、彼女はお寺で住職をされながら、歌手活動をされているらしい。進路に悩んだとき、歌をあきらめようかとも…でも今は住職を務めながら、歌の道も邁進しておられる。好きなればこその選択だったろう。
お寺に育った人だからこそ、歌が豊かに語りかけてくれるよう。住職と歌手…一見違った二つの道に見えるが、これは彼女にしかできない仏様から与えられた一本の道だ。
与えられた道は、迷いながらも、いいように調和していく。それは全て御手の中。誰もが仏様の仕事を与えてもらっているのだろう。 H.27.10.9
「 夕焼け小焼け 」
昨日は、久しぶりに住職と夕方の散歩をした。
夕日で赤く染まる空と小野湖を撮りたかったのもある。
少しずつ赤みを加えながら雲と、その周りの空が静かに変化していく。
「どうしてお空が赤くなるの?」素朴な子供の声が聞こえてきそう。その疑問は私の声でもある。
「日光が空中を昼間よりも長い距離通ってくるため、青色の光は散乱され、波長の長い赤・黄色の光が多く透過するため」ー広辞苑より。
だ、そうな…ふむ、わかったような、わからんような…でも次の解説がいい。『空ぼてり」。
何にたいして、空は顔を赤らめているのかしら?
「恥を知る」ー昔の、日本人を知る大事なキーワードだった。
一日の終わり、そっと反省しているかもしれない空を見ていると、今日の私はどうだったかしらと恥ずかしくなった。 H.27.10.5
「 路傍の石 」
路傍の石をふんずけたことありませんか?私は昨日なにげなく散歩していた時、下を見ないで歩いていて、石をふんずけてしまいました。
握りこぶしくらいの大きさの石でも、道と同化していて分からなかったのです。石の上に足を置いたとたん、足がグキッとして、「痛っ!」と、思わず言葉を発したのです。「こんなところにいるあんたが悪い!」と…石は私が歩く前から、その場所にいたのにね。
昔読んだ「路傍の石」の小説の意図とは少し違うのですが、その辺に落ちている石ころでも、縁あれば憎しみの対象になるくらい、自己中心的な自分だなと思ったのです。
まだ石ならいい方で、これが犬のウンチ💩でもあろうものなら、私の怒りはマックスX!冷静になった自分に恥じることが多いこの頃です。
H.27.10.3
「 朋へ ]
先週末はどたばたいろんなことがありました。またご門徒さんの葬儀もありました。「生きてきたら、死ぬのはあたりまえ」なんて言ってるらしいけど…勿論それはその通りだけど、私…坊さんのくせに、死ぬのは恐い。それから、大切な人が死ぬのはもっと恐い。
「死」は当たり前のことだけど、ご縁あり、仲良くしてもらった人の死は、もう当たり前でなくなる。特別な「死」として心をえぐられるほどの深い傷を負うみたい。その傷はずっとチクチク痛い。
当たり前だけど、当たり前じゃないよ。
だから、私より若い「若者」よ、私より先に死んではいけない。長生きをして、私の死を悼んでよね!(笑) H.27.9.30
「 北御堂さん 」
先週末、用事があり大阪に行き、津村別院にお参りさせていただいた。別院は大阪駅から地下鉄に乗り、駅を降りてすぐの場所にある。ビルの街並みにふさわしく、鉄筋コンクリートで堂々とした建物だ。門をくぐると親鸞聖人と蓮如上人の銅像が出迎えてくださる。
よく見かける銅像だが、鉄筋コンクリートのお寺を背に立たれると、違って見える。本当に現代にワープして現れて下さったかのよう。銅像と分かっていてもこうごうしいお姿に自然と手が合わさる。
この時代を、親鸞聖人や蓮如上人がご覧になったら、何とおおせになるかしら。
「どんな時代であっても、人間がおる限り悩みは尽きないものじや」と悲しまれるかな… H.27.9.28
「安子おばちゃんのこと」
生協で宅配してもらうチラシの中に「折り鶴を折ってください」というのがあった。癌で苦しむ病気の人のためのに、折り鶴を添えて届けるのだという。
思い出した。私は一度だけ、癌になってしまった安子おばちゃんのために、折り鶴を折ったことがある。安子おばちゃんは私の父の妹。宝林寺の除夜の鐘を聞きながら亡くなった。肉親の死を初めて目にしたのが、この安子おばちゃんだった。
安子おばちゃんは幼いとき、高熱が出て、耳が聞こえなくなってしまった。学校にあがる頃、遠い施設に入り、そこを終の住処として、37歳の生涯を終えた。
子供だった私はおじいちゃん、おばあちゃんに連れられて、よくこの施設を訪れた。中から猛烈な勢いで安子おばちゃんがかけてきて、私を抱きかかえてくれた。それから自慢するように同部屋のみなさんに紹介してあるいた。耳が聞こえないので、言葉も「うー。あー。」と出るくらい。会話はでたらめな手話でしていた。運動会や、文化祭など行事がある毎、連れて行かれた。
そんなおばちゃんが癌になり、いよいよ末期のとき、お寺にやって来た。最期は家で看取りたいと、おばあちゃんが連れて帰ったのだ。勿論嫁の母にも末期患者の介護負担がかかる。母は「安子さんは、兄弟9人の中、一人でみんなの業を背負ってくれた人。大切に最期まで看護させて頂かねば。」と言ったらしい。
安子おばちゃんのお腹がどんどん膨れていき、食べてもすぐに吐き出してしまう。子供の目にも「死んじゃう。」と思うようになった。大晦日、近所の方が鐘を突きにお寺に集まってきて、除夜会がはじまった。安子おばちゃんは、おばあちゃんと母に抱きかかえられ鐘の音を聞いていたと思う。
明けた朝、おじいちゃんが赤い目をした顔で「安子おばちゃんは死んだぞ」と言った。みんな泣いているのに、私は泣かなかった。
後日文集に安子おばちゃんのことを書いた。それを読んだ先生が、「これを見て、ここにイラストを描いてね。」と、折鶴を折って手渡してくださった。一つ一つ線を描いていくうち、涙が溢れてきた。
もう45年も前の思い出である。 H.27.9.24
「敬老会に思うこと」
大型連休の中、各老人ホームでは「敬老の日」にちなんで、家族も招いて敬老会を祝って下さる。義母のお世話になる施設でも、毎年にぎにぎしくお祝いをして下さり、関係者祝辞、余興、そして家族との昼食団らんで終わる。毎年おじいちゃん(義父)をつれて参加しているが、今年は私一人の参加となった。
最初は、ずらりと並ぶ車いすに、100人くらいのお年寄りが座らされている光景に衝撃を受けた。歳をとるとはこういうことなんだよーという事実を目の当たりに見せつけられた。まだ家族が来れるお年寄りはいい。都合でこれなかったり、家族があっても全く来ない、また家族がいない人など、様々な環境の人が一か所に集められている(言葉は悪いが…そんな気がするのです)
私たち子供や嫁がありながら、何で義母がここにお世話にならないといけないのか…今もって罪悪感はある。
「お義母さん写真を撮ろうか」昼食が終わり、することもなかったので持ってきたカメラを取り出した。それを見ていた職員さんが義母とのツーショットを撮ってくれた。義母と私の笑顔の写真…。
義母の笑顔を見ると…悲しくなるのはなぜだろう。 H.27.9.22
「 家族について 」
子供たちが高校を卒業して家を出る頃、病気で介護を必要とする義父母がやって来た。昔私たちが京都に住んでいたころは年に1~2回、実家の神奈川に帰省した。2泊の中ではお客様ですんでいたし、「お父様、お母様」ですんでいた。
ところが、月日がたち、寄る年波には勝てず食事、着替え、トイレにおいても介護が必要な義父はついに「じいちゃん」と呼ばれるようになってしまった。だって、「お父様オムツを替えましょう」ではどこか変でしょ。「じいちゃん」だから仕方ないかと、どこか諦めもあり、介護を続けていけている。
今は施設にお世話になっている義母も「おばあちゃん」と呼ぶ。
一つ屋根のした、自分以外の他人と暮らすことは大変だ。嫌なもの、汚いものも見なければならない。勿論、自分の醜い姿もさらけ出される。だけど一つ屋根の下で暮らす者にしか見えないこともある。その一瞬が家続と思える瞬間だ。その一瞬一瞬を積み重ねて家族になるのだろう。 H27.9.16
「 案山子 」
9月に入って朝夕急に涼しくなって、私はもう、毛布にくるまっています。
稲刈りもたけなわの頃、頑張って見張りをしていた案山子も、もうすぐお役目御免。近頃は案山子を見ることが少なくなりましたが…その理由は鳥たちが賢くなったことにあるらしい。見張り役の案山子は、初めは順調に脅しているが、そのうち人形であることを見破られて、頭に堂々とまられる始末。そんな光景ものどかでいいのですが。
ところで、車で自坊に帰る途中にリアルな案山子がいるのです。田んぼに向かって、車からその案山子に何度会釈したことか…
秋に案山子、いつまでこんな光景を見ることができるのでしょうね。まだ案山子として役立てる相手がここにいますよ。
H.27.9.14
「 運動会の憂鬱 」
ピアノ教室の生徒が浮かない顔してレッスンにやってきた。「どうしたの?そんなこの世の終わりみたいな顔をして。」彼女いわく。「もうすぐ運動会…走るのがいや」
「わかる!私もそうだったよ!ほんとかけっこで競うなんてナンセンスよね」と私。それを聞くや安心したのか、こわばっていた女の子の顔に笑みが浮かぶ。
これは運動オンチで走りが嫌いな人にしかわからないことだ。徒競走のピストルの音は寿命を3年縮めるし、障害物競争の網潜りや平均台の上を走るに、どうしてこんな障害物を乗り越えなければならないのか、考えるとおかしいでしょ。お先にどうぞと言いたくなる。
今にして思うと、実に競争心のない子でした。
この時期、私のテンションは上がらない。 H.27.9.10
「 赤ちゃんは天才! 」
今年も秋法座を無事お勤めさせてもらえた。佛教婦人会主催の法座に初参式を引き受けてもらい今年で17回。その間途切れることなく赤ちゃん達が参加して、初参式を受けて下さったことが有難い。(この過疎寺院において)
毎年驚かされること…それは式が始まると、それまでぐずっていた赤ちゃんすらも、ピタッと泣き止んでしまうこと。そして神妙な面もちで
お坊さんのすることを見ている。式は献花に始まり音楽法要、ご門主さまのご消息拝読、住職法話、お祝いの歌と、ゆうに30分はかかる。赤ちゃんは泣くことが仕事のようなものだ。なのにちっともぐずらないのである。
元来、本堂には心を安らかにさせるものがあるのだ。心地のいいお経、お香のかおり、お灯明の揺らぎ等…真っ白な赤ちゃんの心に、それらがストレートに飛び込む。仏さまを拝む心が赤ちゃんを寡黙にさせる。そう赤ちゃんは仏さまを感じ取る天才なのだ。 H.27.9.7
「 先日見た光景 」
玄関先にへびが…じっとしているのでどこか身体が悪いのか、それともこちらを覗って、隙あらば家に侵入しょうとしているのか…とにかく鋭い眼光で、こちらを睨んでいる。私もここで目を逸らすと負けだと思い、じっと睨み返してみた。
でも恐くなったので(だって今にも飛びかかってきそうなので)、そこらにあった箒のさきを地に打ち付けゴンゴン鳴らしてみた。それでも動かない。よく見ると口の先からひげのようなものが見える。ぎゃーこれは獲物だ。へびに飲み込まれているんだ。何が犠牲になったのかわからないが、本当にへびは丸呑みしている。獲物は生きたまま丸呑みされて、あの長いへびのお腹をスルスル通過。どこで息絶えるのか?
私たちが食事をするとき大抵の人は笑顔だ。美味しそうに食べる。
でもへびは違う。厳しい顔で、眼を光らせ、決して他を寄せ付けない。食事はへびにとって、楽しい行為だろうかーそうは見えない。
自然の摂理の中で、生き物は互いに食み合いながら命を繋ぐ。厳しい現実の中で有無を言わず、ただ生きている。
人間に生まれ、食事のひと時を笑顔で過ごさせてもらえる。有難い。
H.27.9.3
「 世界陸上 」
今、中国で世界陸上が開催されている。それが放映され、日本に居ながらにして応援することができるのだから、大した時代。
と、そこではなく…私は陸上だけにかかわらずスポーツ観戦が好き。理由は単純で、自分には到底できない素晴らしい能力を見せてくれるから。早い話、私は運動オンチなのだ。
世界屈指の選手たちが、トレーニングを積んで、最高のパフォーマンスを見せてくれる。世界一速く走れるボルト選手だけど、その記録も常に変化し、一瞬で破られる。儚い一瞬を彼らは生きている。そこがいい。
世界一流の選手が集い、競い、その中で世界一が生まれる。
ところで、当たり前だけど、びりもいるわけだ。華々しく一位になった選手もいいけど、ビリの選手にも目がいってしまう。あなたがいたから一位があるのよね。
そう、その言葉は、運動会がいやでいやで仕方がなかった昔の私にかけている言葉なのである。 H.27.8.28
「がんばったよね」
お盆明けの朝、生き絶え絶えのあぶらぜみが無量寿堂に…おお…最期を感じ取ったセミがお参りに来たのか?
セミの命は短い。地中で幼虫期を過ごすこと数年。夏が来て、地上で脱皮。やっとセミの生活を始めたと思ったら、もうお盆。夏休みが終わる頃、セミの声は聴けなくなる。
取り立てて聞きたい鳴き声ではない。暑さを倍増させるような鳴き方に聞こえるときもある。でももし、夏休みからセミの鳴き声を消してしまったら…夏休みらしくないな。淋しいよね。
やはり今年もセミが鳴き、お盆が終わり、ひと夏を終える。
なんでもないことのようだけど、これはすごいこと!
アブラゼミ君、お疲れ様でした。ひと夏を有難う. H.27.8.24
「 潮 時 」
私はNHK朝の連続ドラマのフアンである。今はパテェシエを目指し夢に向かって進む「希(まれ)」という女の子の物語である。
主人公「希」の家族はお父さんの事業失敗により東京を追われ、身よりのない能登にたどり着く。そこで村で唯一残る塩田を生業とする桶作元治さんの家に転がり込む。ここで様々なドラマが展開する。
元治さんには息子夫婦がいるが、塩田を継ぐ気はない。寄る年波に塩田を自分の代で終わりにすることを決意。希や家族、村の人は「元治さんはまだやれる。やれるとこまでやったらええ」と止める。その時、元治さんが希に諭す言葉が渋い。
「潮時や。潮時という意味は、一番いいころあいという意味や。自分の技が一番いい時に引退や。」と。
巧の技を伝承してきた職人さんだからこその答えだったのかもしれない。
さまざまなジャンルで活躍する日本の職人さん達は、自分に恥じない仕事をしてきた。だからこそ最高のものが伝わり、伝承されてきた。自分の潮時を知っているからこそだろう。
人様ではなく、自分が自分の仕事の価値を決めるんや、という気概と誇りを教えてもらった。 H27.8.20.
(お問い合せの件:その後塩田は希の弟が継ぐことで、修行に励んでいます)
「雨の月曜日」
暑かったお盆が終わり、久々の雨は涼をもたらしてくれている。こんな日は何も考えないで、誰とも会わないで、電話を遠くにどけて、ただボーっと窓にかかる雨の雫を眺めていたい。
と…実際はそうもいかないが…。
でも急に秋めいてきたと思いませんか?これからひと雨ごとに秋が近くなるのです。
いつもはしない市川家のお内仏(お寺の庫裏には沢山のお内仏がある)の掃除を遅ればせながら16日にした。仏様のまします下に収納できるスペースがある。ここは仏事に大切なものを保管しておく場所である。ここに私と住職、それから市川の両親、藤岡の母と、それぞれお気に入りの写真を入れた。もちろんその時がきたら遺影にとの準備である。
これだけのことだが、なんだかスッキリした。一つ心が軽くなったようだ。 H.27.8.17
「 覚 悟 」
住職を手伝いお参りさせていただく盆参りも、大方終わり、あと初盆を迎える家だけとなった。
今年は土・日と若院も住職と共に同じ家を一緒に参らせていただいた。ご門徒さんの家を覚えてもらうためではあるが、それよりご門徒さんの家の阿弥陀如来様・親鸞様・ご伝師へのご挨拶が主である。
先住が亡くなり、それを引き継ぎ、ご門徒のお参りを住職がさせてもらっている。住職も当初は、家をおぼえたり、ご門徒さんを覚えたりと大変だった。それに伴い十人十色、色々な性格の方々とのお付き合いがはじまる。失敗?もしてお叱りも受けた。でもそんなこんなで17年経って、より深くご門徒さんのことを理解でき、また信頼もしてもらえるようになった。
阿弥陀如来様からおあずかりしているご門徒さんである。叱られても、褒められても、すべては如来様のお言葉として戴く。その覚悟のご挨拶である。住職への道は厳しいのだ~ H.27.8.13
「無常ということ」
毎日30度を超える暑さが続くと、このままずーっと暑く、秋は来ないんじゃあないかと思ってしまう。
が、いいやいや、今朝は北から風がそよぎ、間違いなく秋の気配を感じる。誰が教えるともなく、その時期がくると、心配しなくとも、ちゃんと秋はやってくる。青い柿の実も秋になるとちゃんと熟す。常に変化している。それが解かるから、この暑さも耐えられる。
仏教の「無常感」はこうした移り変わりに敏感で、また寛容だ。我が身もこの無常の中にあり、常に変化している。年をとり、病気にもなる。でも年をとることで、また新しい出会いがある。病気になることで、これまで当たり前だった健康に感謝できる。そこからいろいろなことを学ぶ。
無常の中にあり、我が身もまた無常を生きているからこそ、今が尊く感じられる。 H.27.8.10
「心頭を滅却すれば?」
お盆参りをぼちぼち参らせていただいています。毎日30度越えの暑さ、これはもう大変!法衣は勿論夏用ですが、これが意外と涼しくない。
仏間にクーラーをつけているご家庭は少なく、扇風機をかけてくださる。が、お灯明をつけると扇風機の風で火が消えてしまうので、あっち向きに回ることが多い。でも気持ちが嬉しく、扇風機も回っているだけで、お盆参りらしくていい。
毎年お参りを重ねてきて、ご門徒さまも私もいい年に近づいてきた。昔はお供え物の御下がりにお菓子が多かったが、今は健康を気遣ってか、果物類を戴くことが多い。話も病気のことなど、私にも参考になる身近な話となってきた。
お勤め中、汗はかくのであるが、暑さはさほどでもない。痩せ我慢ではなくて、法衣をつけると気持ちがシャンとするからだろうか。
いや、まてよ…体の老化で暑さを感じにくくなっているのかも…(笑)
H.27.8.6
「パン君とジェームス」
某テレビ番組「志村動物園」は動物と人間のふれあいをテーマに、ゲストが様々な動物を紹介して一緒に遊ぶという番組。少し前までの人気者?にチンパンジーのパン君が出演。パン君は人間のように器用に様々なことをこなす。たとえばうどんを箸で食べたり、カメラを使って写真を撮ったり…おそるべき学習能力だ。相棒の犬のジェームスと町に出て様々な体験をし、それをカメラが追いかける。
これまで猿といえば、猿回しなどの芸で、知的能力が高いことは知られている。しかしこの二人(?)芸をさせられている感がなく、よき相棒が珍道中の旅をしている。そこへたまたまカメラがいるというような見せ方だ。ゲストも顔負けの人気。パン君も自分のことをチンパンジーではなくて、人間と思っているようだ。どうしてパン君でもないもに…
そんなことがいえるのか…
実は私は「猿の惑星」という映画が好きで何作か観ている。猿の惑星に紛れ込んでしまった人間が、その中で意志を通わせ生き延びていく。
そのアドベンチャーワールドを描いたもの。猿の惑星なので、勿論、特殊メイクを施した猿がほとんど出演。顔を覆う毛の猿たちを見慣れてしまうと、少数の人間のつるんとした顔が、なんだか物足りなく、言葉は悪いがバカに見えてくる。猿のほうが思慮深いのでは…映画の最後の方では猿が人間か、人間が猿かと錯覚してしまうほどだ。
所詮は人間も動物の中の一つの生き物にすぎないということを教えてくれる。
H.27.8.3
「真夏のコンサート」
昨夜はチケットをいただいたのでバイオリンのコンサートに出かけた。8月から本格的なお盆参りがスタート!その前のお楽しみに、住職から許可を得ました。
宇部記念館を埋め尽くし、コンサートが始まった。ピアノ伴奏に、バイオリン1本で2時間のステージをこなす。演奏者は曲が終わる都度汗を拭い、気力、体力共に過酷なステージに見える。途中のアクシデントにも動揺することなく、最後まで聞かせてくれた。
でも真夏の弦楽コンサートは奏者、聞く人共に少し無理がある。今でこそ室内の空調設備が整い、真夏でも、真冬でもコンサートが開かれるが、身体がついていかない。ややもすると、集中力がとぎれてしまう。
また楽器にも負担がかかり、常に調弦を必要とされる。
昔は音楽会といえば、秋にするものと決まっていた。気候も良く身体も調整しやすい時期だ。心と身体が音楽に向かいやすいと思う。
文明の力で四季も薄れていく中、でも、身体は誤魔化せないよね。
真夏のコンサートは50代の私にはちと過酷でした。でもしっかり販売CDはゲット。聞いていますよ。 H.27.7.31
[野山を歩くと]
野山を歩くと、沢山の植物に出遭う。名も知らない草花や、野菜たちの付ける花、観賞するための花たち等々。
ところで、これまで私は野菜の花を花として見ていただろうか?
山を歩くようになり、その季節になると畑の持ち主がせっせと野菜の種をまき、やがて花をつける。その花たちは白や黄色と野山の中、ひときわ可憐で美しい。緑に映える色合いを知っているかのようだ。しばし足を止め、じっくり観賞させてもらう。
野菜の花たちは人間に食べられる実を育てるために咲いているのではないだろう。観賞用の花・野菜を作る過程に咲く花・雑草の花・・・とは人間の勝手な思い込みだろう。
住職に教えてもらったのだが、吉川英治さんは「つゆ草」がお好きだったそうな。吉川さんらしくて素敵だ。
花は花としてめでたい。 H.27.7.27
「猫ばーちゃん」
朝の山歩き散歩コースの途中に小さな小屋がある。これは昔一人暮らしのお婆ちゃんが住んでいたところの納屋だ。家のほうはお婆ちゃんが亡くなり崩されてしまった。
ご門徒さんだったので、盆や暮れにはお参りに行かせてもらっていた。
ここにはお婆ちゃんのほかに大きな鯉と沢山の猫も住んでいた。私はこのお婆ちゃんのことを密かに「猫ばーちゃん」と呼んでいた。
お参りに行くと、猫たちはどこで見張っていたのか…ぞろぞろ顔をのぞかせる。でもこちらが手をだして「おいで」をすると、ぷい、と顔をそむけてお婆ちゃんの方に行ってしまう。猫たちは距離感を計りながら、また近づいてくる。お勤めが終わり、お婆ちゃんと話しながらお茶をご馳走になると、「お前さんお客様だったのね」とすりすりしてくる。客あしらいが上手な猫たちだ。
こんな思い出の場所が、また一つ木々で覆いつくされてしまった。
お婆ちゃんがこれまで住まわせて頂いていた場所を、地球にお返しするかのように…
H.27.7.23
「眼には見えねど」
昨日は山口県仏教音楽連盟が主催する「仏教讃歌の集い」に出演するべく岩国まで行ってきました。会場は山口県で有名なシンフォニア岩国。音楽をする人にとっては一度は立ってみたいホールの一つではなかろうか。そこに立って歌わせて頂きました。我が団のリハーサルの順番になって、いよいよ舞台。
「あれ?思ったほど響かないな…」他の団にも同じような感想を持って聞いた。この時点ですこしガッカリ。
いよいよお客様も入場。場内は超満員。始まってビックリ。お客様が入ったほうが響きがいいではないか。音楽ホールなどは人が入ると、音が吸収され、響きが悪くなるのが普通なのに…。しかも最後尾の列に至るまでよく聞こえる。そこまで計算されて、造られているのかと、恐れ入りました。
パッと見、どこがそんなに凄いのかわからなかったが、会館を使い、聞く人のことを一番に考えて造られているのだ。眼には見えないけれど、そこの所のご苦労が、「いいホール」と讃えられる所以だろうか。
仏様を讃える歌が次々と披露されていく。美しく響き合うホールにも助けられて、仏様を憶念致す一日となった。 H.27.7.21
「 悩ましいこと 」
介護生活もこの夏を終えると9年目に突入。いつそんな時間が過ぎた?
「何が大変」と聞かれても、いい加減にお手伝いしているので…「ここは手助けが必要か否か」を冷静に判断している。と言えば聞こえがいいが、本当のところ私も当初より年をとり、少々くたびれてきたところ。
でも、一番食事に気をつかう。嚥下が上手くいかないのでもっぱら刻みのオカズとなる。
ところで、私の包丁はキレが悪い。これはずぼらな性格によるものだが、もう一つの理由はピアノにある。キレのいい包丁を私にもたそうものなら大変である。きざむオカズのはずが、指に……指先の切り傷は痛い。よってピアノが弾けなくなる。弾けないピアノ教師は失格である。
したがって、私の包丁はキレないようになっている。
トマトも皮をむいて刻む。このトマトはたちが悪い。軟らかい果肉?はキレない包丁だとぐちゅぐちゅになってしまう。ああ…本当はもっときれいに切れるのに…
やっぱり包丁はキレが命よね。 H.27.7.15
「 どんなに逃げようとしても 」
昨日は一心会(仏教壮年会)主催の法座があった。台風の影響を心配する中、37~38人位のかたのお参りがあった。村田会長の調声にならい お勤めの後、三吉責任総代挨拶。その中で、一心会の名前の由来や、今日までの歴史を教えて頂いた。
敗戦後の混乱の中、戦地から引き揚げて来られた、宝林寺の周りの青年達を中心に第一期「一心会」が発足。目標を失った青年たちが自然とお寺に集うようになったらしい。当時の様子を想像するだけだが、敗戦の目標をなくした若者たちが、心を取り戻す場所として選んだのがお寺だったのだろう。生き死にを経験し、人生の目的も、生きる意味もわからなくなり、朋は死に、自分は生きて帰ってきた。その罪悪感は心が張り裂けんばかりだったろう。生きることからも逃れたいと思われたかもしれない。
そんな時、「生きていくこと」を選んだ人達がお聴聞したり、時にはお酒を酌み交わすことの講(集い)を求め、発足したのがこの「一心会」だ。その精神を受け継ぎ今日の「第二期一心会」を住職中心に再結集した。
仏様は不思議なお方だ。どんな時もそばにいて下さる。あたかも私が選んだかのように思わせておいて、ちゃんと御手の中にあり、仏に向かうように気付かせてくださる。 H.27.7.13
「 またしても失敗! 」
また紙オムツを洗濯機で洗ってしまった。ドンドン水を吸って大きく膨らんでいくオムツを見ながら、「すごい吸収力だわ」なんて感心しながらも、どう処理したらいいのか、パニック状態。
こんな失敗はもうしないぞ…と心に誓い洗濯物をチェックして洗濯機を回す。それがどうしてまた同じ失敗をするの?本当にもう、情けないなあ。洗濯機もビックリしただろう。
それにしても私ばかよね。ホンと何度しても懲りないんだから。今日の空はどんより、私の心も、空と同じ。
思えば生きていれば、それだけ恥ずかしいことをたくさん重ねていく。長く生きても、そう人間が立派になることはない(私の場合ですが…)。
わかっちゃいるけどやめられない、お粗末な私です。 H.27.7.9
「 つ な ぐ 」
昨日はご門徒さまの家の50回忌の法事を勤めさせて頂いた。施主様のお父様の50回忌ということで、普段は黒衣・五条袈裟(僧侶の衣)でお勤めだが、50回忌は一先ず、年回法事のくくりということで、色衣でお勤めした。ご家族と兄妹夫妻のこじんまりした法事だった。持って行った経本を配り、皆で読経。2人の曾孫さん(小学生)たちも、一生懸命についてきて下さった。
後ろから聞こえてくる幼い声に、微笑ましく、途中で嬉しくて涙がでそうなくらい。意味もわからないままに、お坊さんが言われるまま、おじいちゃんおばあちゃんや、お父さんお母さんがするままを、ただ真似ている。それだけのことである。でもそれが今の時代難しくなっている。
お斎をご馳走になり帰るとき、皆さんが食事を中断し、お見送りして下さった。こんなに大勢に見送られることはなかったので、嬉しく感動してしまった。
車のミラーには一生懸命に手をふる小さな姿が…。私も窓を開けグッバイした。 H.27.7.6